Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/1bb5a226589caab0467fbeeaf5903156683aa166
《海外へ学術調査で出ることも多い。最初は金沢大学大学院の修士課程に入った年=平成3(1991)年=の夏、ヒマラヤ植物研究での「東京大学海外学術ネパール調査」だった》
僕の指導教官だった鈴木三男先生が、東京大学のヒマラヤ植物研究会に入っておられました。
日本のヒマラヤでの学術調査は長い伝統があって、昔から東大や京大の学術調査団が現地へ出かけていたのです。京大ならば、以前お話しした小麦の遺伝の研究で知られる木原均(ひとし)先生が隊長を務めた「カラコラム・ヒンズークシ学術探検隊」が有名です。
木原先生は、僕の高校の生物の先生の恩師。授業で話してくださった木原先生の面白いエピソードの数々に僕が魅了され、その世界に興味を持ったことはすでに話しましたよね。
僕らが参加した東大ヒマラヤ植物研究会も、こうしたヒマラヤ調査の系譜を引き継ぐ組織です。研究会の先生方が科学研究補助金(科研費)を得て、ネパールへ調査に出かけていました。その隊に僕は、鈴木先生の「カバン持ち」みたいな役割で参加したのです。
ちょうど僕は東北の埋没林で木の年輪を調べる「年輪年代学」の調査を行っていたので、ネパールでも木の年輪を調べようと考えていました。
《期間はどれくらい?》
調査の全行程は2カ月くらい。(平成3年の)6月29日から8月30日まで。このうち「山」へ入って、歩いている期間は1カ月くらいでした。前後に15日ずつくらい準備や片付けの期間がありましたね。
隊のメンバーは大半が日本人。そこに現地の植物学者も加わっていました。総勢で8人だったでしょうか。
移動手段はバスで現場の近くまで行くのですが、あとはもうひたすら山を歩いている。ずーっとです(苦笑)。
鈴木先生もリポートに「過酷なエクスペディション(探検)」と書いていますけど、実際、めちゃくちゃハードでしたねぇ。まさしく「化石博士」になるのは「体力」が勝負です。
山の中では、もちろんテント生活です。重いテントを担いでずっと歩いて、その日の宿営地に着くと、まずはテントの設営をしなければなりません。
《現地の食事はどうでしたか?》
隊には、シェルパというか、ポーター(荷物運び)の役割をする現地の人が参加していました。彼らが料理もつくってくれるのですが、村のない高山帯にはたいてい「生きたヤギ」を連れていましたね。いずれは、それを「絞めて」食べるために、です。
生きたヤギを連れて食料にするのは他でも経験しましたが、国や地域によって、さばき方がそれぞれ違う。ネパールではまずヤギの首をパシンと切って、吊(つ)るす。すると、血がダラーっと流れてゆく。こうやって血を全部抜いた後に、肉をさばいていくやり方ですね。
ええ、なかなか凄惨(せいさん)なシーンですけど、僕は全部、写真に記録しておいた。そんなヤギの料理も、なかなかおいしくいただきました。香辛料がよく効いていてね。まぁ、「このときのヤギ料理は」ですけど…。
《「生きたヤギ」をさばく料理について寺田さんは強烈な思い出がある。恐竜博物館に就職したばかりの、平成10(1998)年6月。モンゴルへ調査で行ったときに、凄(すさ)まじい悪臭を放つ、ヤギの内臓を煮たスープを四苦八苦して飲み込んだことは前に少し触れた通り》
でも、それはモンゴル人にとっては普通の食事なんですね。ヤギは大切なタンパク源だし、それがあるのはとても幸せなこと。肉も食べるし、内臓は煮てスープにして食べる。ヤギがさばかれた後は毎食出てくるわけですね。その臭いたるや…。モンゴルについては次回さらに詳しく話しましょう。(聞き手 喜多由浩)

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