2017年10月18日水曜日

【インド】印・バングラ・ネパール、車両交通協定が発効

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171017-00000016-nna_kyodo-asia
10/17(火)、ヤフーニュースより

 インドのガドカリ道路交通・高速道路相は15日、バングラデシュ、ネパールとの車両交通協定(MVA)が発効したことを明らかにした。同協定により、バスや貨物トラック、一般乗用車による加盟国間の移動が活発化し、地域全体の経済発展につながる見通しだ。PTI通信が同日伝えた。
 インド、バングラデシュ、ネパール、ブータンの4カ国は2015年、MVAを締結した。うち、国内での合意形成が遅れているブータンを除く3カ国で発効した。
 インド政府は、MVAの発効と接続道路や鉄道、水路整備と相まって、域内の人やモノの移動の自由化が促進されると説明した。

日本に住んでいる外国籍の人達の実情をさぐる

Source: https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20171014-00076788/
    日本には多様な国の人達が来訪し、居住している。国籍は日本ではなく他国籍ではあるが、日本に住んでいる人達は、どこの国からの人が、どれほどいるのだろうか。国勢調査の最新版となる2015年分の統計値から確認する。
次に示すのは2015年時点で日本に住む外国籍の人のうち、国籍あたりの人数が1000人以上に限定した一覧とその人数。国勢調査の結果では全部で188か国と、無国籍・国名「不詳」における外国籍の人の数が収録されているが、すべてを示すのは冗長に過ぎるので1000人で区切っている。該当するのは44か国・地域。
↑ 日本在住外国人数(人、2015年、国勢調査)(1000人以上の国籍)
↑ 日本在住外国人数(人、2015年、国勢調査)(1000人以上の国籍)
中国籍の人が圧倒的に多く51万人、次いで韓国・朝鮮籍の人が38万人。その次にフィリピン国籍の人が17万人、ブラジル国籍の人が13万人で、ここまでが10万人超え。次いでベトナム、アメリカ合衆国、ペルー、タイ、ネパールなどが続く。
国勢調査の公開値に従い、該当国の地域別に仕切り分けしたのが次のグラフ。
↑ 日本在住外国人数(人、2015年、国勢調査)(地域、性別)
↑ 日本在住外国人数(人、2015年、国勢調査)(地域、性別)
アジア州がもっとも多く131万人、次いで南アメリカ州が17万人、アメリカ合衆国が含まれる北アメリカ州が5万人で続く。無国籍・国名「不詳」の人が16万人いるのは意外といえば意外。
上位で抜きんでる値を示している中国籍と韓国・朝鮮国籍の人達について、居住している場所を都道府県別で確認したのが次のグラフ。同じように分散している、人口密集地域ほど多いように思えるが、実態としては職業や地域性などもあり、大きな違いが生じている。
↑ 日本在住外国人数(人、2015年、国勢調査)(都道府県別)(中国国籍)
↑ 日本在住外国人数(人、2015年、国勢調査)(都道府県別)(中国国籍)
↑ 日本在住外国人数(人、2015年、国勢調査)(都道府県別)(韓国・朝鮮国籍)
↑ 日本在住外国人数(人、2015年、国勢調査)(都道府県別)(韓国・朝鮮国籍)
東京都やその周辺、愛知県、大阪府近辺に多くの人がいるのは両方で変わりがないが、中国国籍の人は東京都とその近辺に集中している。大阪府に住んでいる人の割合は東京都の1/4程度に留まっている。他方、韓国・朝鮮国籍の人は東京都と大阪府でほとんど変わりがなく、京都府や兵庫県にも多数の人が住んでいる。
今回グラフに記載できなかった国からも、多くの人がやってきて日本に在住している。国勢調査の限りでは、2015年時点で総人口(日本人・外国人の別「不詳」含む)の1億2709万4745人のうち、外国籍を持つ人は175万2368人、1.38%に相当する。色々な意味で国際化が進んでいることを実感できるデータではある。
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(注)本文中の各グラフは特記事項の無い限り、記述されている資料を基に筆者が作成したものです。

2017年10月10日火曜日

元「生き神」の12歳少女が初登校、クマリ退任で ネパール

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171009-00000036-jij_afp-int
10/9(月)、ヤフーニュースより

【AFP=時事】ネパールの首都カトマンズ(Kathmandu)で9日、思春期を迎えたことで生き神「クマリ(Kumari)」を退任したマティナ・シャクヤ(Matina Shakya)さん(12)が学校に初登校した。マティナさんは3歳で親元を離れ、9年の間クマリの地位にあった。

 以前の厚い化粧を落とし、緑色の制服に身を包んだマティナさんは他の生徒たちと同じく、カトマンズ市内にある学校に徒歩で登校した。クマリだった頃に多くの人々の注目を集めた過去を少しばかりしのばせるかのように、学校の外では同級生や教師たちが音楽を演奏したり、旗を振ったりしてマティナさんを歓迎した。

 クマリはヒンズー教の女神「タレジュ(Taleju)」の化身と考えられており、数世紀にわたる伝統として思春期を迎える前の女児が選ばれ、カトマンズ中心部の宮殿に暮らすことになっている。

 また、宮殿からの外出は年に13回、特別な祝日の時しか許されないため、クマリは学校に登校することができない。それゆえ初潮を迎えて退任した後、社会生活になじむことに苦労する例も多い。

 その一方で、マティナさんの父親は以前彼女が保育施設に通園していたと明かし、娘が新しい生活に適応できると確信していると語った。

 AFPの取材に対し父親は、「娘が良い環境で学校に通い、より良い生徒になるよう願っている」と心境を語った。

 マティナさんは2008年にクマリに任命され、自宅を離れて特別に任じられた付き人に身の回りの世話をしてもらっていたが、思春期に近づいているとして先月退任。新たに3歳のトリシュナ・シャキャ(Trishna Shakya)ちゃんが任命された。【翻訳編集】 AFPBB News

ボッディのように……環境さえ整えばネパールの路上生活から抜け出せる

Source: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171006-00000021-wordleaf-asia

10/9(月)、ヤフーニュースより
 ネパールの首都カトマンズにあるダルバール広場。古いチベット仏教建造物の並ぶこの一角は、人気の観光名所でもある。2009年、僕が初めてストリート・チルドレンと遭遇したのがこの広場だった。

         ◇          ◇

 成長し、もう「青年」といえる年頃になったボッディ。気の合う同じ年頃の仲間たち数人と、相変わらずダルバール広場の隣にある公園で寝泊まりしていた。変わったのは、不定期ながらも、結婚式やイベントでの配膳や皿洗いの日雇い仕事をするようになっていたことだ。

 週に何度か、朝7時に斡旋所に出向き、運良く仕事が入れば日当350ルピー(約400円)を稼ぐ。食事は支給されるから、その日は空腹にあえぐ心配はない。ボッディが、特に稼ぎのいいわけでもないこんな「堅気」の仕事をすることに少し驚いたが、彼はこう言った。

 「他に雇ってくれるようなところもないしなあ。そんなにきつい仕事じゃない。玉ねぎや野菜切ったりするのは苦手だけど」
 そういえば以前リサイクル場で、他の子供たちがだらだらとタバコをふかしている間に、ボッディだけが真面目にボトルの仕分けをしている姿に感心したことがあった。彼に物をねだられたり、媚びられた記憶もない。ひょっとすると、目的さえ定まれば働くことを厭わない真面目な性格の持ち主なのかもしれない。

 ストリートに投げ出された子供たちは多種多様。どうにも手がつけられないほど荒んでしまった子供に出会うこともあるが、多くは環境さえ整えば、立ち直ることはできるはずだった。子供たちの性格を見極め、長所を伸ばしながら辛抱強く支えていける人材が、圧倒的に足りないだけなのだ。

※この記事はフォトジャーナル<ネパールのストリートチルドレン>- 高橋邦典 第50回」の一部を抜粋したものです。

路上生活は5、6歳の頃から ネパールの子供たちに忍び寄る犯罪とドラッグの闇

Source: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171006-00000020-wordleaf-asia

10/8(日)、ヤフーニュースより

 ネパールの首都カトマンズにあるダルバール広場。古いチベット仏教建造物の並ぶこの一角は、人気の観光名所でもある。2009年、僕が初めてストリート・チルドレンと遭遇したのがこの広場だった。

         ◇          ◇

 子供たちが寝ている姿を撮るために、日の出前に宿をでた。まだ彼らを撮り始めて間もない頃だ。

 店先の閉じたシャッターの前で、前夜に歩きまわって集めた段ボールの山から半ばずり落ちながら眠っていたのがボッディだった。他の子たちよりも色白で東アジア系の顔をした彼は、日本の中学生のようにも見えて親しみを感じたが、グループの中でもひときわタフな少年だった。子供たちは路上で生き抜くために、物乞いや、リサイクルして換金するボトルやダンボール集め、さらにはスリのような犯罪に手を染めることもある。ボッディはそれだけでなく、夜に店に侵入して泥棒まですることがあった。
 「仲間とやるときもあるけど、だいたい一人だな。ケーキ屋に盗みに入った時は1万8000ルピー(約2万円)くらい稼いだよ」

 路上で暮らすようになったのは5歳か6歳の頃。はじめに覚えたのはタバコで、それからグルー。年齢が上がるにつれて錠剤のドラッグもやるようになった。

 「フォクシーとかローリーという薬だよ。ハイになってると、まるでパワフルな王様になったような気分で、誰と喧嘩しても勝てる気になるんだ」

※この記事はフォトジャーナル<ネパールのストリートチルドレン>- 高橋邦典 第50回」の一部を抜粋したものです。

<ニッポンで共に生きる>言葉や制度に高い壁

Source: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171003-00000024-khks-soci&p=1
10/8(日) 、ヤフーニュースより
 日本に住む外国人が増え、外国にルーツのある子どもが公立の小中高校で学ぶケースが珍しくなくなった。その一方で日本語を理解できないまま、異なる文化の中で必死に生きる子どもが少なくなく、学校の教師や支援団体が中心になって懸命にサポートする。宮城県の現状を取材し、課題を探った。(生活文化部・越中谷郁子)
◎外国にルーツある子の今(1)困難の中で
<中学編入できず>
 「日本に来たとき、日本語は何も分からず、友達ができるまで大変だった」。仙台市内の高校に通うネパール出身の少年(16)は、そう振り返る。
 2007年に家族とネパールから来日し、小学校に入学した。ネパール語、英語が分かる先生がおらず、言葉が壁となって半年間、友達をつくれなかった。習慣、食文化の違いにも戸惑ったという。
 宮城大3年の鈴木華珠(はな)さん(22)は、日本人の父、フィリピン人の母を持つ。日本で生まれ育ち、8歳のときに親とフィリピンに戻り、16歳で再び来日した。日本語はすっかり忘れていた。「人見知りで、困っても自分からなかなか言い出せず苦労した」と語る。
 家では日本語、フィリピンの公用語のタガログ語と英語が飛び交う。「自分の母語はどれ?」と混乱、何も話せない時期があった。
 外国語による情報提供や、日本語学習と生活サポートなど外国人支援事業を手掛ける仙台市の外郭団体、仙台観光国際協会(SenTIA)には多種多様な相談が寄せられる。
 学校教育の相談は対応が難しい場合がある。母国の中国と日本を何度も行き来した16歳の子は、教育を十分受けられなかったため、今年1月来日した際に、中学3年編入を希望したが、願いはかなわなかった。
 SenTIAは3年生をやり直す方法を模索したが、義務教育の年齢を超えるため不可能だった。今、その子は市民団体のサポートを受け、高校受験に向けて勉強しているという。
 SenTIA国際化事業部の堀野正浩さんは「日本語が不十分なまま、学校にも行けず学習の機会を奪われる。公的な支援がない中で必死に生きる子が現実にいる」と実情を話す。
<親子で孤立例も>
 言葉の壁は高く、支援が必要な子は年々増えている。文部科学省の調査によると、日本語指導が必要な子どもは16年度、全国の公立小中高校で外国籍、日本国籍の子合わせて約4万4000人と4万人を超えた。
 宮城県で日本語指導が必要な外国籍の子は73校に108人(小学生71人、中学生30人、高校生7人)、日本国籍の子は41校に56人(小学生38人、中学生17人、高校生1人)が在籍。14年度の前回調査に比べ外国籍の子は1.4倍、日本国籍の子は1.6倍となった。
 日本語の習得には、日常会話が6カ月~1年、学習用語は7年かかると言われる。親が理解できないと、困ってもどこに助けを求めたらいいか分からず、親子で孤立するケースもある。
 「子どもは、親の都合で突然異文化に放り込まれる。言葉をはじめ困難に直面している子どもを社会全体で支援しないと、その子の将来が閉ざされてしまう」。SenTIAの堀野さんは強調した。
[メモ]外国にルーツのある子どもは、両親もしくはどちらかが外国出身者の子を指す。外国籍のほか、日本で生まれて日本国籍を持つ子もいる。2016年末の在留外国人は全国で約238万人、前年末比6.7%増えた。宮城県には約1万9000人が住む。学校基本統計調査(16年度)によると、小中高校に在籍する外国籍の子どもは全国約8万5000人、宮城県380人。日本国籍で外国にルーツのある子どもについては把握が難しく、正式な統計はない。

「腹が減ったぁ、飯を買ってくれ」カトマンズにあふれるストリートチルドレン

Source: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171006-00000019-wordleaf-asia
10/7(土)、ヤフーニュースより

 ネパールの首都カトマンズにあるダルバール広場。古いチベット仏教建造物の並ぶこの一角は、人気の観光名所でもある。2009年、僕が初めてストリート・チルドレンと遭遇したのがこの広場だった。まだ10歳前後の子供たちが堂々とタバコをふかし、ハイになるためにグルー(接着ボンド)をたらしこんだビニール袋を吸引する姿に驚かされた。

 「腹が減ったぁ、飯を買ってくれ」

 目が合うと悪びれる様子もなく乞うてきたが、金ではなく飯、というのが切実でもあり、同時に何か滑稽でもあり、僕はそんな彼らに惹かれカメラを向けるようになった。だいたいこの広場界隈で寝起きしていたので、僕は勝手に「ダルバール・ボーイズ」と名付け、昨年までの6年にわたって彼らを追い続けた。
 カトマンズとその近郊にはおよそ5000人のストリート・チルドレンがいるといわれる。国内外の多くのNGOが彼らの支援のために活動しているが、子供たちが路上生活から抜け出すことは簡単ではない。仲間たちとの自由気ままな暮らしに慣れてしまった子供たちは、施設での規則正しい生活に馴染めず、すぐ路上に戻ってしまうことになる。

 2015年の大地震によって、ダルバール広場の多くの歴史的寺院も崩壊してしまった。もう見晴らしの良い仏塔の上で身を寄せ合って眠る子供たちの姿を見ることもない。青年に成長したダルバール・ボーイズたちも、少年の甘えが許されなくなった今、人生の新たなチャレンジに向き合うことになっていた。

※この記事はフォトジャーナル<ネパールのストリートチルドレン>- 高橋邦典 第50回」の一部を抜粋したものです。