2016年2月16日火曜日

日本旅行業協会、観光庁と旅行業25社合同で大学生が旅行業の現場を体験するインターンシップを実施

Source:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160215-00000063-impress-life

Impress Watch 2月15日(月)、ヤフーニュースより
日本旅行業協会、観光庁と旅行業25社合同で大学生が旅行業の現場を体験するインターンシップを実施
写真:Impress Watch
 JATA(日本旅行業協会)は2月1日から2月11日まで、観光庁およびJATA会員の旅行会社25社の協力を得て、大学生を対象としたインターンシップを実施した。土日を除く9日間のプログラムで、旅行業界の現状、課題についての理解を深めると共に、旅行業界への就業意欲を高めて必要な人材を確保していくことを目的としている。JATAが実施するインターンシップは2014年に開始され、今回で3回目。

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 首都圏の観光系学部・学科がある大学を中心に、観光関連の学部を持たない大学を加え、13大学から45名が参加した。インターンシップは、集合導入教育をはじめ、業態や規模の異なる2社での職場体験をする独自のカリキュラムで進行する。昨年までは100人規模で行なわれていたが、参加する学生の質を高めるため、募集人数を大幅に絞ったという。また、参加学生の理解度向上や大学側との連携強化のため、指導教員に対して、学生ごとに推薦状の提出、インターンシップの事前・事後指導などを条件として、産学連携による学習効果の向上を図っている。

インターンのスケジュール

・2月1日:国土交通省観光庁観光産業課係長 小俣緑氏、JATA理事・事務局長 越智良典氏、JATA広報室長 矢嶋敏朗氏らにより、観光産業や旅行業全体について理解を深める座学

・2月2日:リードポテンシャル代表取締役 大嶋博子氏によるビジネスマナー研修

・2月3日~5日:インターンシップ1クール

・2月8日~10日:インターンシップ2クール

・2月11日:総括として、グループ討論と発表、実習の振り返りを行なう。

ファシリテーターはユナイテッドツアーズ総務部部長 高橋尚之氏

 インターンシップ最終日の2月11日。締めくくりとなる総括のため、学生たちはJATA本部の会議室に集合し、4~5人の11グループに分かれてテーブルに着いた。このグループは、2日目に実施されたビジネスマナー研修のときと同じ組み合わせで、学生たちはすでにお互いを知っているため、朝からインターン先での話が弾んでいた。

 進行役はユナイテッドツアーズ総務部部長 高橋尚之氏。総括のテーマを「共有」とし、「JATA会員の1000社以上ある会員のうちインターン先は1人2社、4~5人集まれば、8社の話が共有できる。また、同じ会社でも違う見方がある」と説明した。また、共有した情報や体験したことを「分析」することが、これからの就職活動のなかで活きていくと述べた。

「インターンをシップを通して感じた点」「イメージと合っていた点・違っていた点」など、ステップごとに学生たちはシートに記入、グループで情報を共有し発表するという流れで進行した。インターン先で出会った「すごい人」「すてきな人」を共有する時間に、ある学生が「インターン先で内定者が付き添ってくれたが、人事に言われていないのに、就職活動に必要なことをまとめた手作りの冊子を最後の日にくれた」と発表すると、会場中の学生が感嘆の声を上げた。

 最後に、“社長からインバウンド(訪日外国人旅行者)向け新規プロジェクトの提案を依頼された”という想定で、グループごとに企画書を作る課題が出された。学生たちは、自分のアイデアを出したあと、グループのメンバーとアイデアを共有し、最終的な企画書としてまとめて上げていく。タイトル、コンセプト、対象ターゲット、商品・サービスの内容、ポイント・特徴など、A4用紙1枚のシートに簡潔にまとめ、それぞれ発表となった。

 中国人富裕層をターゲットにした日本食体験の企画や、アジア圏の若者をターゲットにした日本のポップカルチャーを体験してもらう企画など、短い時間ながらしっかりと考えられた企画が発表された。なかには、ネパールでテレビドラマ「おしん」が人気であることから、ネパールからの観光客を対象とするターゲットを絞った企画を発表するグループもあった。

 特徴的だったのは、それぞれのグループが発表している内容を、学生たちが一生懸命にメモしていることだった。ほかのグループの企画が、将来的に企画のヒントとして活かせるようにしているのだろうか、募集人数を絞って意識が高い学生たちを集めた効果がきちんと出ていることを感じた。

 JATA事務局長の越智良典氏が登壇し、「興味深く企画を聞かせてもらった。今発表した企画に、市場分析、販売計画を付ければ、ちゃんとした企画書になる。短い時間で企画をまとめる経験は今後役に立つ」と、各グループの企画を評価した。

 さらに「営業職を求めるという企業が多い。営業といってもお客様に合わせて企画を提案して買ってもらうという営業。相手のことが分かってないと提案できず、自分の持っている情報や知識がなくても提案できない。お客様のオーダーメイドを作るクリエイティブな仕事」と、営業の仕事について語った。

 最後に、最近テレビドラマで話題にもなった“ファーストペンギン”の話となり、「自分も若いとき、よく失敗した。みなさんにもファーストペンギンになってもらいたい」とエールを贈った。

 参加した学生に話を聞くと、インターンを経て、旅行業に対する漠然としたイメージから、明確なビジョンを持つように心境が変化した参加者が多かった。桜美林大学リベラルアーツ学群の学生は、「人と関わりたいので、好きな旅行とマッチさせることができればいいと思っていた。人と関わりたいと言っても、漠然としていたが、インターンシップで営業の同行をさせてもらった際、電話やメールではなく、人と直接関わって、相手の表情を見て仕事をしていきたいと分かった。旅行業になるなら営業をやりたい」と語った。

 学生を受け入れる企業は事前に割り振られており、「インターン先の企業を選ぶことができず、興味がある企業に行って話を聞きたかった」(早稲田大学商学部学生)という意見がある一方、「法人旅行は視野に入っていなかったが、インターン先が法人向け旅行会社で、その業務形態を知って法人旅行がやりたくなった」(東洋大学国際地域学部国際観光学科学生)という声もあった。この学生は、自分が作った企画を多くの人に楽しんでもらいたいと思っていたが、商品造成したものを販売する旅行会社に卸す個人旅行と違い、法人向け旅行は自分が作った商品をそのまま営業でき、その声をダイレクトに受けられるということをインターンシップで知ったという。

 JATA広報室長の矢嶋敏朗氏は、「企業が、インターンシップといって単なる説明会を行なっていることが多い。いいところだけ聞いて帰るのはインターンシップではない。旅行業界全体が協力して、“いいところ”も“わるいところ”も見てもらい、それを持ち帰って学んでもらえるようにしている。JATAは、旅行業界によい人材が来てくれるよう、時間とコスト、手間をかけてインターンシップを実施している」と、取り組みについて語った。

 インターンシップ実施による効果については、「観光系学部でもアカデミックなことばかりで現場を教えていない。また、旅行業に対するイメージがうまく伝わっていないため、進路として選択するのに躊躇している。インターンシップを実施することで一定数の学生には理解してもらえた。何割かは旅行業に入る。やらなかったら、迷ったまま来なかったかもしれない」と手応えを感じたようだ。

 今回は、大学の教員の推薦状、事前・事後指導を条件とするなど、学校側との連携を強めた。受け入れ先企業については、受け入れ標準化や評価の体制、カリキュラムの内容など平準化が今後の課題だという。さらに、「高い意識と学校の担保があり、厳しい条件のハードルを越えて、学生たちはインターンシップに参加できます。参加した学生が就職時に、エントリーシートを通す、一次選考を通すといった優遇がされるようになるのが夢ですね」と、理想を語った。


【トラベル Watch,政木 桂】

アルピニスト・野口健さんが明かす、ヒマラヤへの思いとは?

Source:http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160215-12200029-webhon-ent

BOOKSTAND 2月15日(月)、ヤフーニュースより
 アルピニスト・野口健さん------1999年、25歳で七大陸最高峰登頂最年少記録を樹立後は、日本隊に参加して命を落としたシェルパ(ヒマラヤ登山をサポートする案内人)の遺族の生活を補償するため「シェルパ基金」を設立する他、富士山やエベレストの清掃登山、戦没者の遺骨収集など、その活動は多岐にわたります。

 19歳でヒマラヤを訪れてから50回以上もネパールに足を運んでいるという野口さんですが、昨年4月、ヒマラヤ登山中に、ネパール大震災に遭遇。多くの登山隊がヒマラヤを離れる中、現場からの情報発信及び支援活動に従事し、その後、「野口健ヒマラヤ大震災基金」を設立するなど、ヒマラヤの復興に尽力しています。

 そして今月15日、写真集『ヒマラヤに捧ぐ』(集英社インターナショナル)を上梓。そんな野口さんに、ヒマラヤへの想いについてお伺いしました。

* *  *

――写真集を出版された今、改めて震災当時の様子を聞かせて頂けますか?

昨年の4月25日、ちょうどヒマラヤの山間部、ベースキャンプに向かっていた時でした。あたりはものすごい轟音に包まれ、まるで戦場のよう......。その後、余震も続く中、必死に下山して、やっとの思いでたどりついた村も壊滅状態。全身から力が抜けて行くのを感じました。

まもなく他の登山隊はみんな撤退していきましたが、僕は現地に留まることにしました。ネパールでは、81年ぶりの巨大地震。たまたまかもしれないけど、僕としては、そのタイミングで現場にいたことに「意味」を感じたんです。そして、何かを伝えなければと、カメラを手にエベレスト街道の村をすべて回りました。

――その時に撮影した写真も本作には一部収められていますね。

はい。震災直後の2週間は、行く先々で倒壊家屋や放心状態の人々を目の当たりにし、シャッターを押し続けました。ただ、悲しみの最中にある人達にカメラを向けるのは、本当にしんどかった。一緒にいたシェルパたちからも「なんでこんなときにカメラを向けるんだ」という雰囲気が伝わってきましたし、実際に嫌な思いをした人だっていたはずです。それでもカメラを向けたのは、「いつか理解してもらえばいい」と思ったから。今、振り返ってみれば、あのとき現場に留まって、写真を撮って良かったですね。

――震災から約1ヶ月後に帰国し、メディア向けに記者会見をされていますね。

あの時は多くのメディアの方々に集まっていただきました。ただ、これは非常に難しい問題で、震災直後というのは、人々の興味もあるからメディアも報道してくれるんですが、時間の経過とともに人の興味が失われていくと、報道そのものが減って行く。人の興味や関心って持続しないし、メディアもリアルタイムで求められるニュースを伝えなければならないですから、仕方のないことなのですけど。

僕は思うのですが、「伝える」ことと「伝えきる」ことは違う。報道マンは伝えることが仕事かもしれないけど、僕はその気になれば、ずっと伝え続けることができる。だからこそ、僕は伝えきろうと思いました。あの大震災の時にそこにいたのは、そういうことなのかなと。

――現場から伝え続けることと同時に、「ヒマラヤ大震災基金」も立ち上げられました。

基金は半年間で、1億2千万円も集まりました。ただ、実は、昨年5月に帰国してから、次にネパールに行くまでの約3ヶ月、どんどんとネパールから気持ちが離れていたんです。被災して1ヶ月ほど現地に留まり、あらゆる過酷な状況と向き合い、知らず知らずに消耗していたんでしょう。平和な日本に戻ると段々と、ネパールから気持ちが離れていくんです。おそらく人間の防衛本能で「忘れたい」と思うのかもしれない。

その反面、募金は日本全国からどんどん集まってくる。「これはマズい」と思いました。こうした基金の場合、お金だけでなく、募金してくれた人の思い、善意が詰まっています。僕は絶対にそれを裏切ることはできない。だから、震災当時の思いに戻りたくて、8月に再びネパールに行くことにしたんです。

ただ、その時期のネパールは雨季。雨で地盤が緩んで、土砂崩れが発生するなど二次被害が多発しており、現地のシェルパも「危ないから来るな」と言う。確かに、現地に行くのは危なかったんですが、このまま現場に行かないで気持ちが離れるのはもっと危ないと思い、半ば強引にネパールに向かったのです。

――そのような葛藤を抱えつつも、集めたお金をネパールにしっかりと届けたわけですね。

次なる課題は、集めたお金をどうやって本当に困っている人たちに届けるか、でした。ネパール政府に全額渡してしまえば、肩の荷は下りましたけど、ネパールでは政府が機能していませんから、間違いなく現地の人にちゃんと届かない。だから、もう自分で直に届けるしかないと思って、約1ヶ月半の間、ネパールに滞在し、村々を回りました。

集まった募金を、現地の通貨にするとものすごい量の紙幣になるんですが、ポーターと一緒にその大量の札束を米袋に詰め込んで、米の運搬に偽装して運んだんです。政府の方針に反してアンダーグラウンドで実施したので、一歩間違えたら捕まってもおかしくない状況でしたが、最後まで無事に村々を回り、直接お金を届けることができた。それと同時に、
どの村に何が必要かということも分かりました。やっぱり「現場」に身を置くことにより、ニーズを把握することができたんです。

――なぜ、そこまでしてネパールの人々を助けたいと思ったのでしょうか?

これは関係性だと思います。ネパールへの思い入れは特別なものがありますし、シェルパは家族同然。そんな人たちが絶望の淵に立たされている時に、手を差し伸べないわけにはいきません。例えば僕はアフリカでも活動をしていますが、アフリカで同じような震災が起きて、その時に自分がその場にいたとしても、同じようなことができているかというと、そうではないと思います。ネパールだから、ヒマラヤだから、僕は魂をすり減らしながらも、手助けがしたかった。この写真集『ヒマラヤに捧ぐ』も、そんな思いが込められた内容になっています。


【イベント情報】
「 FUJIFILM SQUARE 企画写真展『野口 健×藤巻 亮太 100万歩写真展』」
会期:2016年2月19日(金)~3月9日(水)10:00~19:00 ※会期中、無休
会場:FUJIFILM SQUARE
http://fujifilmsquare.jp/detail/1602190123.html#event160220

<プロフィール>
野口健(のぐち・けん)
1973年8月21日、アメリカ・ボストン生まれ。父が外交官であったため、幼年時代を世界各地で過ごす。1999年、3度目の挑戦でエベレストの登頂に成功。25歳で、七大陸最高峰、世界最年少登頂記録を樹立。清掃登山に尽力するほか、2001年には、日本隊に参加し遭難したシェルパ遺族を補償するために「シェルパ基金」を設立。また、小中学生を対象とした「野口健 環境学校」を開校。2015年、ネパール大震災を受けて「野口健ヒマラヤ大震災基金」を設立。自伝『落ちこぼれてエベレスト』、写真集「野口健が見た世界 INTO the WORLD」(ともに集英社インターナショナル刊)、など著作多数。

ついに労働者の過半が外国人になったマレーシア

Source:http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160215-00046026-jbpressz-bus_all

JBpress 2月15日(月)、ヤフーニュースより
 春節(旧正月、今年は2月8日が元旦)は中国の「専売特許」ではなく、世界中の華僑が1年の最大イベントとして盛大に祝う。国民の4人に1人が中国系という世界でも屈指の華僑(約700万人)を多く抱えるマレーシアでは、8、9日が祝日だった。

 新年を祝う飾り物の深紅と金色の超奇抜な巨大提灯や、商魂たくましい中国人らしく商売繁盛をもたらすと伝えられる竹や菊、金柑の木々が、家の軒先から町のいたるところにまで、華やかに彩を添える。

 春節の期間、中華系の多くが約1週間の休みを取るなか、マレーシアでは今年も100万台以上の車が"民族大移動"。首都圏の交通網が元旦前後、大幅に麻痺し、例年通り、大変な交通渋滞となった。

 そんな民族大移動だけでなく、家族や親戚、友人らが集まって豪華にレストランを貸しきって年越しや新年の会食風景も、春節には欠かせない伝統的行事だ。

■ 進行するマレーシアの現代病

 しかし、そんな中華系のために祝う伝統的な春節行事も、昨今は外国人労働者抜きには成り立たなくなってきた。背景には労働力不足があり、春節のこの時期、"マレーシアの現代病"が抱える病巣の深層が露となり、その病状の深刻さが浮きぼりになっている。

 春節を祝うマレーシアのお花屋さんは、新年の縁起物である竹や菊、金柑などの木々を買いに来る中華系の客で賑わう。

 特に首都のクアラルンプールに居住する中華系が続々と押し寄せる郊外にある何百軒もの店が連ねるスンガイ・ブローの花卸業者の軒先には、並べられた花々とともに、販売員の外国人スタッフが大きな声を張り上げ、客引きをする姿が目立つ。

 31歳のマヤさんは(仮名)「日本のアジサイもありますよ」と筆者に語りかけてきた。マレーシアでは春節時限定で、欧州などから輸入された種や苗から育ったアジサイを高値で(1鉢80リンギ=約2300円)売っていて、日本人にも人気だ。

 マヤさんは人懐っこい笑顔で人気のスタッフだが、もともとは出稼ぎメイドとして4年前にマレーシアにやって来たという。故郷のインドネシア・メダンには夫と7歳になる娘が暮らしているという。

 マレーシアでは違法とされる人材斡旋業者の口利きでやって来たという。「斡旋料として5000リンギを要求されたうえ、中華系の家庭での過酷な家事に耐えられず、逃げ出した」とこれまでのいきさつを話してくれた。
ASEAN(東南アジア諸国連合)の優等生で1人当たりGDP(国内総生産)で(ブルネイを除く)シンガポールに次ぐ新興国マレーシアには、母国の4倍から5倍もの高額な給与が得られることから、周辺国からの出稼ぎ労働者が後を絶たない。

 マレーシアの総労働人口約1400万人のうち(2014年)、正規の合法的出稼ぎ労働者は約200万人と言われる。非正規の違法労働者はその2倍以上の450万人近くまで膨れ上がっていると推定され、外国人労働者の数は春節を祝う約700万人の中華系マレーシア人の数に相当する勢いだ。

 数年前までは「4人から5人に1人」だったのが、今では実に、「ほぼ2人に1人」が、外国人労働者が占めるまでになっており、すでにマレーシアは世界で最も外国人労働者の占める比率が高い国の1つになっている。

 また、さらに驚くべきことに、マレーシア政府は今後3年間で、(ムスリム人の)バングラデッシュ人労働者を「合法的に150万人」、受け入れることを決めた。

 これにより、多民族国家の人口構成比(マレー系約65%、中国系約24%、インド系約8%)が1957年の英国からの独立以来、60年ぶりに修正されるという歴史的事態に陥る。結果、外国人労働者総数は約800万人になり、中華系マレーシア人の人口をはるかに超え、マレーシアで「第2位の人口構成群」に躍り出る。

 さらには、中華系の合計特殊出生率が約1.4人と極めて低いことから、それらの外国人労働者が「マレーシア国籍」を得るまで、マレーシアでは外国人が自国民の人口を超える”異例”の事態が続くことにもなる。

 そのうち外国人出稼ぎメイドは70万人とも80万人とも言われ、「その約8割が違法なルートで入国し、全体の7割を占めるインドネシア人の9割が違法出稼ぎメイド」(メイド斡旋業者関係者)だという実態も指摘されている。

■ アジアで最高の初期費用

 マレーシアでは、正規で雇用主が支払う新規のメイド雇用に関する初期費用がアジアで最も高額で、現在、1万5000リンギ(約42万円)から1万8000リンギ(約51万円)にもなる。ところが、非正規ルートのメイドだと約1万リンギ(28万円)ほどで済む。

 さらに、正規ルートだと新規雇用申請から最短で雇用するまでに通常で3か月から4か月かかるが、非正規なら「数日から1週間」(業界関係者)で済むなどの事情が大きく影響している。

 また、正規ルートで来たものの、雇用契約途中で失踪し結果、ウエイトレスや場合によっては売春などに手を染めるケースも増えているという。

 フィリピン人のサリーさん(仮名)は、2年前に、合法的にメイドとしてマレーシアに来たが、エージェントの搾取に遭い、雇用期間半ばで逃げ出した。現在は、クアラルンプールのある韓国料理店で違法労働者として働いている。

 彼女は「バングラデシュから来た人など多くの違法労働者の友人がいるが、強制送還よりも怖いのが警察だ」と言う。警察官から暴力を受けたりかつ上げのような形で賄賂を要求されるというのだ。

 警察官に見つかって脅され、月給の2倍近い3000リンギを取られた人もいるという。違法労働者は警察官の汚職や賄賂の格好の温床になっており、違法業者と公的機関が裏で手を結んでいるとも指摘されている。病巣はマレーシア社会の構造的な問題にもなっており、傷口は相当深い。
 マレーシア政府はこうしたなか、2月1日、外国人労働者の雇用に付加される人頭税の値上げを発表した。

 これにより、製造、建設、サービス業分野では、年間1250リンギ(約3万6000円)から2500リンギ(約7万3000円)に倍増。外国人労働者が全体の80%以上も占める農業分野(輸出品第2位のパーム油原材料を生産するパーム農園など)では、現行の590リンギ(約1万6700円)から155%増の1500リンギ(約4万4500円)にまで大きく跳ね上がることになる。

 これにはマレーシア経営者連盟、マレーシア製造業連盟、マレー系商工会議所、マレーシア華人商工会議所、マレーシア・インド商工会議所など、国内主要の経営者、産業団体が強く反対した。その結果、ザヒド副首相が「関係団体と協議する」と発表し、事実上、実施が延期された。

 「ナジブ首相が具体的な実施時期や値上げ幅の再検討を指示した」(政府関係者)とされる。もっとも、「経済の改善を見て、人頭税が値上げされるべき」(マレーシア製造業連盟)と今後、政府と関連産業団体の間で水面下で”妥協線”が引かれ将来的に、段階別に人頭税が値上がる方向性となるだろう。

 資源輸出国であるマレーシアは原油価格下落による収入減に悩まされており、約90億リンギ(約2500億円)もの損失が概算されるなか、その穴を埋めるための財源を外国人労働者への課税強化に求めようというのが、元々のナジブ首相の狙いだった。

 この増税に伴い、当初、歳入40億リンギ(約1090億円)の拡大を予想。ザヒド副首相も「外国労働者の雇用環境が厳格になることを願っており、2020年の先進国入りを目指し、ロボットやバイオテクノロジーなどの高付加価値産業を奨励していく」と息巻くが、電子電気部品製品など輸出分野のトップを占め、GDPの約25%を稼ぎ出す製造業の人材確保が今後、企業にとって困難になるのは必至で、経済全体の成長を引き下げるマイナス要素をもはらんでいる。

 当初、突如とした今回 の人頭税値上げの”異例”の決定を受け、マレーシア日本人商工会議所(JACTIM)も反対し、マレーシア政府に課徴金の据え置きを求めていた経緯がある。

■ 進出する日系企業にも深刻な影響

 マレーシア投資の魅力の1つは、労働集約的な生産拠点としてであるが、多くの日系企業が、2013年の最低賃金の導入、原材料等のコスト拡大、さらには下げ止まらないリンギ安を背景に、人手不足の常態化に悩まされており、マレーシア政府が見据える方向性とギャップが一層、拡大するのは目に見えている。

 さらに、原油価格だけでなく、ナジブ首相の政府系投資会社1MDBがらみの信用不安をいまだに引きずっており(参考1,2,3、4)、通貨リンギ安の進行で、為替差損による実質賃金低下が顕著になっている。

 例えば、マレーシアに最も多くの外国人労働者を供給しているインドネシアの通貨ルピアの場合、以前は100リンギ=約40万ルピアだったのが、約33万ルピアにまで目減りしている。フィリピン・ペソなどでも同様な状況で、「世界一の違法労働者大国が人手不足に陥る危険性も指摘され始めた」(日系製造業界関係者)。

 今回の政府の人頭税に猛烈に反対したマレーシア経営者連盟のシャムスディン常任理事は、製造業界だけでなく「パーム農園などのプランテーションでもすでに人手不足が深刻化している」と話す。

 そのうえで、「これまでインドネシア人労働者に依存してきたが、インドネシアの経済成長に伴い、インドネシアでの人件費が高騰。今では彼らの雇用数も年々、減少傾向にあり、実際の問題は、外国人労働者の問題ではなく、リンギ安で経済がさらに低迷するなか、マレーシア人そのものの雇用ミスマッチに政府がどう真剣に取り組むかにある」とし、政府はむしろ、IT技術導入や自動車業界のようなオートメーション化など、企業に対する優遇政策を積極的に進めるべきだと政府を厳しく批判する。

 実際、外国人メイドを含み、外国人労働者が命綱の製造業、建設業などで就労するインドネシア人、バングラデシュ人、ミャンマー人、ネパール人などが、リンギ建ての本給が母国の通貨換算での目減りが拡大しており、マレーシアを離れ、香港やベトナム、マカオに、脱出するケースが増えてきているという。

 しかし、ザヒド副首相は「マレーシアも日本などのように外国人労働者がいなくても完全雇用でやっていくべきだ」と強気だ。

 一方、マレーシアが見本としたい将来の日本は、逆に、シンガポールやマレーシアのように単純労働者を海外から呼び込もうとしている。

 本来、日本はどうするべきか? 

 外国人メイドの連載の次回は、日本のあるべき姿について、考えてみたい。
末永 恵

すき家で包丁 ネパール国籍の男性店員ばかり受難

Source:http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20160212-00000014-ann-soci

テレビ朝日系(ANN) 2月12日(金)、ヤフーニュースより
 横浜市で、牛丼チェーン店が相次いで客を装った男による強盗被害に遭いました。警察は同一犯の可能性が高いとみています。

 12日午前1時半ごろ、牛丼チェーン店「すき家」から横浜市金沢区の店舗が強盗に入られたと通報がありました。警察によりますと、客として食事していた男がネパール人の男性店員に無言で包丁を突き付けたということです。店員が防犯ブザーを鳴らしたところ、男は何も取らずに牛丼と豚汁代540円を払わずに逃げました。その1時間後、10キロほど離れた栄区のすき家でも、牛丼を食べていた20代くらいの男がネパール人の男性店員を刃物で脅し、現金約2万円などを奪って逃げました。警察は、犯行の手口がよく似ていることから、連続強盗事件とみて男の行方を追っています。

カーストフリー・学びをシェア ネパールの「教育」を変えるIT学校

Source:http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160210-00010000-alterna-soci

オルタナ 2月10日(水)、ヤフーニュースより
ネパールの「教育」を変える学校が建てられようとしている。同国史上初のカーストフリーな学校で、生徒が別の学校に出向き学びをシェアする。同国には、学校はあるが、先生が無断で長期休暇を取ることは珍しくなく、子どもたちはまともに教育を受けられないでいる。(オルタナS副編集長=池田 真隆)
この取り組みを行っているのは、シャラド・ライさん(28)。ライさんは、2007年に日本に留学しに来た。東京大学大学院を卒業後、大手通信事業会社で働いている。ライさんは学校建設を通して、これまで同国が抱えていた教育への価値観を変えることを目指している。

ライさんが企画している学校の名称は、「YouMe(ユメ) school」。特徴は、IT教育に力を入れた点だ。東京大学から、科学教育のための実験・観察器具の提供を受けており、最新鋭の機器をそろえる。最も人間に近いロボット「Pepper」も置くことを検討している。

だが、ITに特化した学校は、すでに同国にもある。ライさんたちの取り組みがそれらと異なるのは、「リンク」「シェア」「フラット」をテーマに持っているからだ。学校と地域をつなげ合わせるために、子どもたちが学んだ技術を地域社会に還元する。ライさんは、「携帯電話が故障したときに、電機屋さんに行けば1000円で直してくれるが、この学校に来れば無料で修理してくれる」と言う。

また、他地域の学校へ学びのシェアを行う。週に1回は地域の学校へ、子どもたちが出張して、教わったことをシェアする。そして、カーストフリーな学校にする。カーストの位に関係なく入学できるようにした。日本のように、全員で掃除をする時間を設ける。同国では、カースト制度で下位にいる子どもは毎日掃除をさせられて、上位にいる子どもは掃除をしたことがない。ライさんは、ITエキスパートを輩出するのではなく、同国の教育を変える学校にすると意気込む。
英紙「近代の奴隷」と表現
同国には、私立と公立の学校があり、しっかりとした教育を受けられるのは、「私立に通う子どもたちだけ」とライさんは断言する。しかし、私立学校は全体の2割ほどしかなく、かつ、学校が建つ場所は富裕層が住む地域で、学費も高い。私立学校に通える子どもたちは限られている。一方、残り8割は公立学校に通うが、教員の仕事に対する意識は低い。

ライさんいわく、「先生が学校に遅刻したり、お酒を飲んでくることは珍しくない。突然1年間も学校に来ないこともある」。こうしたことが起きる背景に、教員を管理する組織のマネジメントの怠惰があるという。教員が学校に来ないことで、約8割の子どもたちが中退し、幼くして中東やマレーシアに出稼ぎに出かけるようになる。

問題なのは、この現状を同国の子どもや親が問題視していないところにあるという。ライさんは、「学校を辞めて、出稼ぎに行くことが当たり前と認識している傾向がある」と指摘する。現在は、日に1700人が出稼ぎに出ており、彼/彼女らは読み書き以外の知識がないため、低賃金で劣悪な環境の仕事に就く。この現状を英・ガーディアンは「近代の奴隷」と評した。
「社会への恩返し」
ライさんの学校で働く教員をマネジメントするのは、NPO法人YouMe Nepal Trust。同国の首都カトマンズにあり、その組織のスタッフが教員の勤務状況をITで日々チェックするという。現在は、学校の建設費500万円をクラウドファンディングサイト「GREEN FUNDING」で集めている。

ライさんはネパールの田舎で生まれ、私立学校には通えなかったが、父親が代わりに勉強を教えてくれたという。家で勉強ができたことで、国際レベルの学校に入学でき、国から学費・食費・制服を無償で支給されるなど恵まれた環境で教育を受けた。日本にはもともと関心があり、留学することもできた。

このように育ってきたことで、ライさんは「国にお世話になった。だから、社会に恩返しをしたい」と力を込める。2020年までに6校つくることが目標だ。「教育の大切さを理解しているから、学校を建てている。友人は出稼ぎをしながら生活している。友人たちのためには、何もできないが、友人たちの子どものためには動くことができる」。

コイララ前首相が死去=震災対応で批判―ネパール

Source:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160209-00000103-jij-asia

時事通信 2月9日(火)、ヤフーニュースより
 【ニューデリー時事】ネパールのスシル・コイララ前首相が9日、肺炎のため、首都カトマンズで死去した。
 78歳だった。
 1938年、西部ビラトナガルで名門の政治家一族に生まれた。10代で政治家を志し、ネパールに社会民主主義を根付かせる活動を始めたが、60年に当時の国王が全権を掌握した政変を受け、インドへの亡命を余儀なくされた。
 2013年11月の選挙でネパール会議派が第1党になったことに伴い、翌14年2月に首相に選出されたが、主要政党の主張の溝を埋められず、新憲法策定に手間取った。そのさなかの15年4月に発生したネパール大震災では、政治の混乱が救助活動の遅れにつながり、結果として約9000人が死亡したと批判を浴びた。

ネパール前首相、コイララ氏死去

Source:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160209-00000540-san-asia

産経新聞 2月9日(火)、ヤフーニュースより
 ネパールの前首相で最大野党、ネパール会議派総裁のスシル・コイララ氏が9日、急性肺炎のため同国の自宅で死去した。76歳。2014年2月から昨年10月までネパールの首相。昨年9月の新憲法制定などに尽力した。1960年から16年間、インドに亡命。一時、投獄生活も送った。