Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/b88ed6e76ba9b91c9a55ea0960439550ab26a1ef
【連載】世界のインド亜大陸ごはん
&M連載「隣のインド亜大陸ごはん」海外編がスタート! 世界各国で現地化したインド亜大陸料理と、その社会背景や文化を紹介。流通する食材などに制限があるなかで変化した料理にこそ、インド亜大陸の料理の本質が隠されている? インド食器・調理器具の輸入販売業を営む小林真樹さんが、現地でしか見聞きできない食文化を深掘りします。 第1回はお隣の韓国へ。到着後早々、ちょっとしたピンチに見舞われた小林さんは…… 【画像】ネパール料理「スクティ」に韓国ビール。日本で見かけない「あるもの」とは?(21枚)
夜の便でソウルに到着、深夜営業のネパール料理店へ
韓国に立ち寄ったのは、単にアメリカ行きの飛行機が直行便よりソウル経由便の方が安かったからにすぎない。ただせっかく立ち寄るのだからトランジットの韓国も楽しみたい、と貧乏旅行グセの抜けない私は考えた。そんなわけでなるべく滞在時間の長い、日にちをまたぐチケットにしたのだった。 宿泊先は東大門(トンデムン)近くと決めていた。理由はこの一帯にネパール人経営の店が多いからだ。2014年にも一度、韓国国内のインド亜大陸系が気になってソウル市内に数日滞在したが、改めて調べてみるとその頃よりずいぶんネパール料理店が増えていることがわかる。 本当は昼のうちに到着したかったが、価格の安いチケットのせいか仁川(インチョン)空港到着が20時すぎだった。そうなると問題は店の営業時間である。東大門周辺のネパール料理店はたいてい22時で閉店する。着陸後、入国手続きを経て地下鉄で東大門駅まで、どう急いでも1時間40分はかかる。そのころにはほとんどの店は閉まっているのである。ただ目を皿のようにしてGoogleマップを見ていると、1軒だけ午前3時まで営業している店を見つけた。「よし、ここだ!」私はGoogleマップ上にブックマークをつけた。 旅当日。定刻に仁川空港に到着して地下鉄へ。予約していた東大門の古いビジネスホテルに荷を置くや、シャッターが下り人かげのまばらになった夜の道を急いだ。目指すはブックマーク済みの深夜営業ネパール料理店「ラリグラス」である。 ただマップ上の位置が不正確なのか、近いはずなのになかなか目的地にたどり着けない。誰かに道を聞こうにも異国のシャッター街、しかも夜更けのためか道ゆく人もまばらである。と、そこに3人組の若者が通りかかった。暗闇でも歩き方でネパール人とわかる。慌てて駆け寄り、スマホをかざして「この店に行きたいんだけど」と声をかけた。 「ああ、ここですよ」 彼らが指し示してくれたのは何のことはない、すぐ背後にある怪しげなピンク色のネオンが明滅する雑居ビルだった。薄暗い階段を上ると確かに店名が書かれた小さな看板があった。ただ重々しい鉄の扉が閉まっている。まさかもう閉店か、と思ったが、耳を澄ますと中から宴会のような声が漏れてくる。おそるおそるドアを開けると、女将(おかみ)さんらしきネパール人女性が顔を覗(のぞ)かせた。 「……何ですか?」 私が同胞(ネパール人)ではないことに気づくと、警戒した表情で彼女はいった。ドアのすき間から奥の方を見ると、ネパール人の男たちが複数のテーブルで酒盛りに興じている。 「1人なんですが、入れてくれますか?」 「ウチにはネパールの料理しかありませんよ。それに満席だし、営業時間もそろそろ終わりだから……」 明らかにその場しのぎの言葉で入店をやんわり拒絶される。あるいは当局の手入れと勘違いしているのかと、自分が日本人観光客だと伝えてみたり、カタコトのネパール語で話してみても警戒感はとけない。せっかくここまで来たのに……。粘っていると、中で飲んでいた客が助け舟を出してくれた。 「いいじゃないか、ネパール料理好きなんだろ。入れてやりなよ」 渋々といった表情で女将さんはドアを開けてくれた。私は感謝を伝えようとテーブルまで行くと、彼らはそのまま席をつめてくれて一緒に飲むこととなった。「さあさあ、まずは1杯」手渡されたジョッキにビールをなみなみ注いでくれて乾杯。入店拒否されるかと思った店で味わうビールの味は格別だ。飲みながらふと気づいた。日本では各メーカーのネパール製ビールが輸入され、広く流通している。一方、皆が飲んでいるのはCass(カス)という銘柄の韓国ビールである。ここでようやく自分が韓国にいることを実感した。 スクティ(干し肉を炒めたもの)や豚肉料理などをアテにビールの瓶がどんどん空になっていく。この店はネパールの山岳民族・グルン族の経営。バウン族など豚料理をあまり食べないほかの民族とちがい、比較的豚食文化のある人たちだ。どうりで豚肉メニューが豊富なハズである。 モモ(ネパール式のギョーザ)をつまみながら話を聞くと、皆さんソウル市郊外から集まってきているとのこと。仕事は建設業や製造業が多かった。この日は土曜日で、週末になるとこうして東大門に集まり同郷の仲間と飲み会となる。ほかのテーブルも同様の客たちで埋まっていた。そしてこのネパール料理店は、ほとんどそのためにあるようなものである。なんせ週末の夜しか営業していないのだ。 日本で働くネパール人とのつきあいの多い私だが、特別な場合をのぞいて彼らが週末どこかの店に集まるということはない。また彼ら在韓ネパール人の多くは単身者だった。この点も在日ネパール人とは異なる。日本だと夫婦のいずれかが雇用されていたり、また学生であっても「家族滞在」という資格で配偶者を呼び寄せることが出来る。一方、韓国ではビザのカテゴリーにもよるが、主に彼らが取得しているE-9ビザ(非専門就業)の場合、家族帯同は不可である。日本と韓国では同じネパール人労働者でも、置かれている境遇がかなり違うのだ。 毎週末、東大門の片隅にあつまり、同胞たちと酒を飲み日々のつらい仕事をつかの間忘れる。そんな同胞の輪に入れてもらって恐縮至極である。やがて、皆さんそれぞれソウル郊外にお住まいだからか、1人また1人と帰ってゆき、気がつくと私が最後の客になっていた。当初は不審者を見る目で見てきた女将さんともすっかり打ち解けたころにようやく閉店。時刻は深夜2時をかなり回っていた。
日本では見かけない、とあるもの
翌朝。飛行機の出発時刻までまだ間があることを確認し、明るい日差しの東大門周辺を散策に出る。夜とはまったく表情を変えた、にぎやかな繁華街がそこには広がっていた。ハングルの看板があるのは当然として、ネパール料理店やベトナムの食材店の看板が次々と目に入ると、まるでいつもブラついている新宿区の新大久保界隈(かいわい)のように感じてしまう。 「パスパティ・マート」という一軒のネパール食材・雑貨店に入ってみる。韓国では一体どんな食材が売られているのだろう。棚を見ると、チリやターメリックといった基礎的なスパイス類、米や茶葉など一見、日本の新大久保あたりの食材店とほぼ同じ品ぞろえだ。「ティンムール」と呼ばれるネパール山椒(さんしょう)や「ワイワイ」の愛称で親しまれる即席めん(袋めん)が売られているのも日本と同じである。 ただよく見ると、ソウルのネパール店ならではの品ぞろえに気づいた。セーターや厚手のストールなど冬物衣料や分厚い毛布などが店の奥の方にずらりと売られているのだ。日本にあるネパール人の店では見たことのない商品群である。製造元は韓国製だったり中国製だったり。色味やデザインもネパール本国で売られているのと大差ない。 しかも訪問したのは冬ではなく、半そでで過ごせる初夏6月。なぜこんな季節外れの商品を並べているのだろう。不思議に思って店員さんに聞くと、出稼ぎで来ている人たちが一時帰国する際の土産として人気があるのだとか。そういえば、マレーシアのネパール人街の商店でも大量の毛布が売られていたことを思い出した。ネパール人は出稼ぎ土産に毛布や冬物衣料を故郷に持って帰るのである。 この手の小さなネパール雑貨店や食材店の多くは路地裏に点在している。一方で、日本でいわゆる「インネパ店」と呼ばれるネパール人経営のインド料理店は大通りに面しているところが多い。昼近くとなったので、日韓ワールドカップの行われた2002年創業という、確認した中では東大門で現存最古参の「エベレストレストラン」に入店した。 階段を上った先にある店内は広く、重厚な民芸品で壁や天井が飾られている。メニューがタッチパネル式なのが今どきだが、出てきた大きなナンにクリーミーなバターチキンカレー、それらを盛り付ける金属製の食器類や卓上の調度品も含めて、1990年代にまだ数が少なかったころの東京の高級インド料理店を彷彿(ほうふつ)とさせる重厚な雰囲気が感じられた。 店内を見渡してみると、昨夜の深夜営業の飲み屋とは打って変わってネパール人客の姿はゼロ。代わりに韓国人の家族連れやカップル、欧米人客などが楽しそうにテーブルを囲んでいる。こうしたある種のすみ分けも日本と同じだ。日本のインネパ店も主要客は日本人の家族連れやサラリーマンで、よほどの場合をのぞきネパール人客が食べている姿を見たことがない。ネパール人客が集まるのは、あくまで昨夜訪れたラリグラスのような店なのだ。同胞ばかりが集う店内に、外国人の私が入ろうとして不審がられたのも無理のない話だと今になってよくわかった。 ただ日本にはあえてネパール人客ばかりの店に入りたがる異国料理マニアもいる。私自身もその部類だからよくわかるが、言葉が通じず、メニューも読めないような「現地系」のアウェー感があればあるほど悦(よろこ)びを感じる人たちである。この日、何軒かのネパール料理店などを覗いた限りでは、そのような異国料理マニアの姿は韓国では見かけなかった。 もしかしたらタイミングが悪かっただけで、どこかに隠れているのかもしれないが、これが日本ならスプーンを置いているのにあえて現地式に手で食べていたり、イスから立ち上がって一眼レフで料理の写真を真剣に撮ろうとするような人が1人ぐらいはいそうなものだが。異国料理マニアとは日本人固有の種族なのだろうか。 時計を見ると、そろそろ空港に行かなくてはいけない刻限がせまっていた。名残惜しさを感じながら、東大門から仁川空港行きのバスに乗り込んだ。こうして私の短いトランジット時間はあわただしく過ぎ去ったのだった。 (文・写真 小林真樹 / 朝日新聞デジタル「&Travel」)
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