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● 俳人の夏井いつきと 『セカチュー』の片山恭一 四国の南西部で、愛媛県の南部にある宇和島市。県立宇和島東高校は、辺境の地にあるが、1876年創立の学校をルーツとする国内有数の伝統校だ。 俳人、エッセイストの夏井いつき(1957年生まれ)は、テレビのバラエティー番組(『プレバト!!』TBS系列)で芸能人の俳句を容赦なく添削する「毒舌先生」として知られる。この番組により「全国的な俳句ブームを牽引(けんいん)した」として、2017年度の放送文化基金賞を受賞した。23年には文化庁長官表彰も受けた。18年末のNHK紅白歌合戦には、ゲスト審査員の一人として出演した。 夏井は宇和島東高校を経て京都女子大文学部国文科を卒業した。中学校の国語科教諭をしながら唯一の趣味として独学で俳句をたしなんでいた。1988年に教職を辞したうえで、プロの俳人に転身した。97年には、俳句集団「いつき組」を結成し、松山市内を中心に俳句教室を開いた。2013年からは『プレバト!!』にレギュラー出演し、人気に火がついた。 小説でも、洛陽の紙価を高めた卒業生がいる。夏井より1学年後輩の片山恭一だ。故郷の宇和島市を舞台にした青春恋愛小説『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館)が2001年に出版され、一大ベストセラーになったからだ。 発行部数は300万部超に達している。英、独、仏、伊、オランダ、韓国、台湾などでも翻訳出版された。漫画、映画、テレビ・ラジオドラマ、あるいは舞台化もされた。「セカチュー」と呼ばれる一種の社会現象をもたらした。 片山は宇和島東高校を経て九州大農学部の博士課程を中退した。大学院在学中の1986年に『気配』で文学界新人賞を受賞してデビューした。 文芸で名を刻んだ卒業生では、明治期の漢詩人・中野逍遥、大正、昭和時代の俳人である富澤赤黄男(かきお)と、26歳で夭逝した芝不器男がいた。 小説家、劇作家で、戦後すぐに日本共産党公認の衆・参院議員をした高倉輝、ノンフィクション作家の木下博民もいた。 文芸評論家の古谷綱武は、旧制愛媛県立宇和島中(宇和島東高校の前身)から旧制青山学院中学部(現青山学院中・高等部)に転校した。 松本慎一は著述家、社会運動家で,『フランクリン自伝』の翻訳などの訳業をした。
● エコノミストの河野龍太郎や 「ネパールの赤ひげ」岩村昇もOB 学者・研究者では、法学者で早稲田大の第14代総長を務めた奥島孝康が卒業生だ。2015年までの7年間、日本高校野球連盟の第6代会長を務めた。ボーイスカウト日本連盟理事長や白鴎大学長(※「鴎」は、正しくは「メ」の部分が「品」)なども歴任した。2024年5月に死去した。 旧制卒では西洋哲学者の藤岡蔵六、西洋古典学・ラテン語学者の田中秀央、仏文学者の中平解、経済史の穂積文雄、民法学者の薬師寺志光、明治文学研究者の川崎宏がいた。 新制になってからは、国際政治学者で防衛大学校校長を務めた松本三郎、国文学者で源氏物語を研究した伊井春樹、社会システム工学が専門で元横浜国立大教授の大谷英雄、魚類生態学者で元東京海洋大教授の河野博、公共経済学の岡村誠、海洋工学者で浮体式洋上風力発電を研究している宇都宮智昭九州大教授らが卒業している。 徳田元は分子細胞生物学者で、東大教授を務めた。退官後に盛岡大学長に就いた。 河野龍太郎は民間エコノミストだ。BNPパリバ証券経済調査本部長・チーフエコノミストで、25年からは東京大先端科学技術研究センター客員教授だ。経済財政諮問会議など政府の各種審議会の委員にも任命されている。 多賀太は教育社会学者で、関西大教授だ。男性側に焦点を当てたジェンダー問題を研究している。 医師・医学者として活躍した卒業生も、目立つ。 岩村昇はネパールで、伝染病予防や栄養改善の医療活動を18年間も続けた。「ネパールの赤ひげ」と呼ばれ、マグサイサイ賞を受賞した。旧制宇和島中学から旧制広島高等工業学校―旧制松山高校―旧制米子医科大(現鳥取大医学部)へと進んだ。 宮川真一は岩村の影響を受け、バングラデシュで医療活動をした。 細川一は新日本窒素肥料(のちのチッソ)の水俣工場附属病院長を務め、水俣病の症状を初めて公式に確認した。ただし、会社から説得され、これを公表しなかった。東京帝大医学部卒。 市立宇和島病院院長を務めた近藤俊文も旧制時代に学んでいる。幕末から明治にかけての近世日本史・医学史や幕末の宇和島藩の研究者、エッセイストでもある。
田中九信は生涯を愛媛県北宇和郡などで僻地(へきち)医療に尽くした。段畑農業の重労働のため農民が脊柱(せきちゅう)湾曲異常になりやすいことに気づき、その治療に腐心した。 睡眠時無呼吸症の研究者である宮崎総一郎、老年精神医学の堀口淳、耳鼻咽喉(いんこう)科の医師で耳と脳の連繫研究の第一人者である中川雅文らもいる。 脳神経外科医でねりま健育会病院(東京都練馬区)院長の酒向(さこう)正春は、2004年に「リハビリ医」に転向、「攻めのリハビリ」をしている。ミスタープロ野球・長嶋茂雄(25年6月死去)のリハビリ医も務めた。 ● 宇和島東高校のルーツは 1876年開校の変則中学南予学校 宇和島は東京や大阪から見れば辺境の地で、かつて評論家の大宅壮一(旧制大阪府立茨木中学・現茨木高校卒)は宇和島を「四国の終着駅」と評した。 江戸時代には伊達家10万石が領し、幕末には開明君主といわれた8代藩主伊達宗城(むねなり)が治めた。宗城は蘭学を積極的に導入し、医学や兵学の研究に力を入れた。 教育熱心な風土が醸成され、1876年には、変則中学南予学校が開校した。これが、宇和島東高校のそもそものルーツだ。東京都立日比谷高校のルーツである東京府第一中学の創立は1878年。宇和島の方が2年早いのだ。 変則中学を継承する形で1896年に、愛媛県尋常中学校南予分校が創立された。すぐに宇和島中学校として独立した。 戦後の学制改革で男女共学の新制宇和島第一高校となったが、1年半後には宇和島商業高校を統合して現在の宇和島東高校となった。略称は「宇東(うとう)」あるいは「東高」だ。 校訓は「敬愛 自律 進取」。旧制宇和島中学を卒業して母校の7代校長に就いた井上彦次郎が1969年に制定した。校風は「質の高い文武両道」と「質実剛健」だ。1学年は7学級で、男女はほぼ半々だ。 卒業生の約10%が簿記、歯科衛生士などの専修・各種学校に進む。90%弱の生徒は現役で4年制大学に進学する。浪人する生徒は数%だ。 2025年春の大学進学実績(25年4月入学)を見ると、国公立大に現役だけで129人が合格している。25年3月の卒業生数は272人だったので、その比率は47%だ。大学別には、東京科学大1人、名古屋大3人、大阪大、九州大各4人、愛媛大11人、高知大8人、香川大7人など。東京大、京都大には、数年に1人程度の合格者を出している。 私立大には、早稲田大2人、松山大75人、近畿大31人など。
● 元大リーガーの岩村明憲や 「K-1」創設者の石井和義も スポーツがすこぶる活発な高校だ。毎年7月に行われる校内ボートレースは名物行事だ。 百十余年の歴史を誇る男子ボート部は、1925年の全国中等学校競漕大会で優勝して以来、新制以降も何度も全国優勝している。男子だけでなく女子も66年以来、優勝を重ねている。 ボート部応援歌『思へば過ぎし』と『佐田の岬』は全校生徒が口ずさむ。 全国優勝といえば、相撲部も1959年に団体で果たしている。55年には、谷本英喜が全国高校総体相撲競技大会の個人戦で優勝し、「高校横綱」になった。谷本は、165㎝、65kgという小兵だった。 五輪史に残る「山下跳び」の語源となった山下治広が卒業生だ。1964年東京五輪の体操競技で、山下は跳馬と団体総合で金メダルを獲得した。のちに日本体育大教授となった。 56年のメルボルン五輪では、体操男子団体で河野昭が、また競泳200メートル平泳ぎで吉村昌弘がそれぞれ銀メダルを取っている。 野球部は1901年に創部された。88年春にセンバツ大会で初出場初優勝を遂げた。2019年夏には、甲子園の全国大会に出場した。9年ぶり9回目だった。 宇和島東高校と済美高校(私立・松山市)で野球部監督を務めた上甲正典が、卒業生だ。両方の高校で、春の甲子園センバツ大会の初出場初優勝という偉業を達成した。 宇和島東高校時代に上甲の指導を受けたのが、ヤクルトや米大リーグで活躍した岩村明憲とその兄の岩村敬士、オリックス、中日の投手だった平井正史だ。岩村敬士と平井は同級生で、1993年に春夏連続で甲子園に出場した。 岩村明憲(あきのり)は甲子園出場経験こそなかったが、1996年度のドラフト会議でヤクルトから2位指名を受け入団した。内野手としてヤクルトで計11年プレー、大リーグではデビルレイズなど3球団で活躍した。現在は、NHKBS1の米大リーグ野球中継で解説者を務めている。 サッカーでは、愛媛県立南宇和高校のサッカー部監督として89年の全国高校サッカー選手権大会で全国制覇を成し遂げた石橋智之(さとゆき)がOBだ。愛媛の市民サッカークラブ・愛媛FCの総監督も務め、Jリーグ昇格に尽力した。 女子柔道でも、有力選手を輩出している。宇高菜絵が14年に世界選手権大会体重別で優勝したのをはじめ、風戸晴子、宮本樹里、佐野明日香らが国際試合で活躍している。 空手家の石井和義は立ち技格闘技イベント「K-1」を立ち上げ、格闘技ブームを巻き起こした。2023年には日本キックボクシングリーグ機構を設立し、発起人を務めた。
● シンガー・ソングライターの大石昌良 元NHKアナの宮川俊二も卒業 政治家では、内務官僚出身で総理府総務長官を務めた今松治郎、元参院議員で防衛庁長官などを歴任した増原恵吉がいた。 元宇和島市長の石橋寛久と、前述のサッカー部監督・石橋智之は兄弟で、そろってOBだ。2017年から宇和島市長を務めている岡原文影(3期目)もOBだ。 戦前に満鉄欧州事務所長などを務め、戦後には自由党結党を後押しした坂本直道は、幕末の志士・坂本龍馬の名跡継承者だ。旧制北海道庁立上川中学(現北海道立北海道旭川東高校)から、宇和島中学に転校してきた。旧制六高(岡山)から東大法学部に進んだ。 経済界では、1911年に山下汽船(現商船三井)を創業し、山下財閥をつくった山下亀三郎が旧制南予中学校(現宇和島東高校)を中退している。第一次世界大戦以降、海運業は空前の好景気となり山下は「三大船成金」の1人になった。 石原潔は、作家の石原慎太郎・俳優の裕次郎兄弟の父親で、旧制宇和島中学に進んだものの1年もたたないうちに中退した。山下汽船に入社し、小樽支店長や子会社の取締役になるなど、出世した。 松根宗一は日本原子力産業会議副会長に就くなど、戦後の日本の原子力政策のほとんどに関与したフィクサーだ。俳人の松根東洋城(愛媛県尋常中学・現県立松山東高校卒)は兄だ。 飯野逸平は戦前に日本陶器(現ノリタケ)社長を、山口恒則は四国電力社長を、末光千代太郎は伊予銀行頭取を務めた。 文化人では、洋画の三輪田俊助、「道後温泉」の文字を本館に残したことで知られる村田英鳳がOBだ。 日本画の浜田泰介は、京都の醍醐寺、伏見稲荷大社、東寺などの障壁画の制作で知られる。京都市立美術大(現京都市立芸術大)卒だ。 山口圭二は3DのCGクリエーターで、ハリウッド映画の製作チームに加わって活動している。『タイタニック』や『トランスフォーマー』などの製作に参加している。 音楽では、作曲家で全国の学校の校歌を作った山田昌弘、声楽家の松平敬、シンガー・ソングライターの大石昌良、1983年生まれの気鋭の尺八演奏家・中村仁樹、ギタリストの大田紳一郎らがOBだ。 NHK出身のアナウンサー・宮川俊二、劇作家・演出家の稲田真理、女優・歌手の土居裕子、映画監督だった青野暉らも卒業生だ。(敬称略)
猪熊建夫

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