2018年6月5日火曜日

インド・ネパールで物を乞うて生きる子どもたち

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180604-00010000-wedge-life
6/4(月)、ヤフーニュースより
 3月17日。ブッダガヤの郊外にあるスジャータ村にオートリキショー(電動三輪車)をチャーターして出かけた。スジャータ村には、お釈迦様が山で厳しい修行をして村に下りてきた時に、村人がお釈迦様に滋養のあるものを食べてもらおうとミルク粥(現地語でスジャータ)を出したという伝承がある。
 お釈迦様の故事を物語るお寺の境内で子供たちを教えているオジサンの先生から寄付を強要され、お寺をゆっくり見ようとすれば金目当ての押しかけのガイドが勝手に喋りだし、最後には大勢の子どもに包囲され、ほうほうのていで帰ろうと電動自動車に飛び乗った。ドライバーに早く出発するよう指示したが、間一髪で小学校低学年くらいと思われる少女が荷台にしがみついた。

 「ハロー、ミスター、マネー」を連呼しながら、車が走り出しても必死の形相で荷台しがみついて走っている。ホラー映画で髪の毛を振り乱した少女が走り去ろうとしている男の足にしがみついていた場面を思い出した。

 正直なところ憐憫の情は心の中にまったく湧いてこず、不気味な魔物を振り払いたいという思いだけであった。

金銭を与えないのは非情であろうか
 私は金銭や物をねだって向かってくる人に対して、徹底して無視することを旅の鉄則としている。途上国を歩いていればこうした人に頻繁に遭遇する。1人を相手にすれば、無数の人に追いかけられることになる。大金をバラまかない限り、金をもらいそびれた人々から罵声を浴びせられるという悲惨な結果になることが自明である。人々に囲まれて揉み合っているうちに貴重品を抜き取られるという危険もある。

 ちなみに欧米人のバックパッカーの大半は私と同様の対応をしている。

おねだり強要と紙一重
 3月31日。ポカラ湖畔の峠であるサランコットを目指して歩いていた。途中の村落の近くの林で昼飯代わりのポテトチップを食べていた。

 すると8歳くらいの少年がどこからか見ていて「ハロー・ミスター」とすり寄ってきた。「ホエアー・ユー・ゴー?」「ホエアー・ユー・ホテル?」「チャイナ?」とか矢継ぎ早に質問してくる。私はこの少年が何らかの金銭的利益を期待していると判断してなるべく相手にしないようにしていた。

 さらに「ユー・ワンツ・ウオーター?」「ユー・ワンツ・ジュース?」「ユー・ワンツ・ホテル?」と聞き出そうとする。煩わしいので、私が手を振って立ち上がろうとすると、今度は「ギミー・チョコレート」「ユー・ハブ・ワン・ダラー?」と畳みかけてくる。最後には「ギミー・マネー」と小銭を要求。

 私が相手にせず歩き出すと後ろから大声で「ユー・バッド・ガイ」「ゴー・ツー・ヘル」とか罵声を浴びせてくる。途上国で子どもを相手したときのいつものパターンである。

 それにしてもおねだり英語が上手である。彼が5年も経てば日本の大学生の十倍上手な英語を操るであろうと思った。勉強しなくても子どもの頃から実践英会話で鍛えているので、日本の普通の旅行者が敵わないくらいベラベラとしゃべるようになるのである。
帰路を急いでいたら遠くから少女が可愛い声で「ハロー・ミスター」と呼び掛けてきた。どうせおねだりが目的であろうと無視して下り坂の山道を早足で歩いていたら、突然目の前に少女が飛び出してきた。山道は段々畑を迂回して続いているが、少女は段々畑を飛び降りながら直線コースで走ってきたのである。

 私の前に立ちはだかると「ミスター・フエアー・ユー・ゴー?」「ユー・ハングリー?」「ユー・ハブ・ホテル?」とか何か金銭に繋がることはないかと必死である。私が例により完全無視して歩き出すと、少女は私に並んで小走りに歩きながら「ユー・ハブ・ペン?」「ユー・ハブ・チェンジ?」「ギミー・カード」「ギミー・キャンデー」と必死の形相で数百メートルもついてきたが、最後には根負けして散々現地語で悪態をついて戻って行った。
 4月6日。カトマンズ近郊の古都デュリケルでカメラを下げて散歩していた。ヒンズー寺院の境内で3人の少女が遊んでいた。3人は近づいてきて私が首からカメラをぶら下げているのを見つけて、無邪気そうに笑いながら3人で手を取り合ってポーズを取った。

 私がサンキューと言って立ち去ろうとすると「ユー・ハブ・ボールペン?」「ユー・ハブ・チョコレート?」とおねだりが始まった。オジサンは「ごめんね。何も持ってないよ」とやんわりとお断りすると大変なブーイング。3人から口々に罵声が飛んでくる羽目に。

 3人ともに身なりは清潔で近隣の普通の家庭の子どもであろう。外国人におねだりして何かをもらうということが日常的に普通の行為として地元の子どもたちの間で一般習慣化しているのであろうか。大人たちはこうした子どもの行為をどのように捉えているのか気になった。

NJP駅の子どもたち
 4月22日。ダージリンから12人の現地人でぎゅうぎゅう詰めの乗合ジープに乗った。半日押し合いへし合いのジープに揺られて、コルカタ行きの鉄道の起点となるニュー・ジャルパイグリ(NJP)駅に到着。午後8時の列車の出発まで4時間待ちだ。
ジープを降りるや否や赤ん坊を抱いた女性に付きまとわれる。なんとか振り切るが、その後も高齢者、幼児集団、少女と老若男女が近寄ってくる。

 やっと落ち着いて木陰のベンチの端に腰掛けると今度は耳かき、爪切り、髭剃りなどのサービスの押し売りが執拗に声を掛けてくる。

 4時間近く駅前広場で時間を潰していたが、この広場を縄張りとして物乞いを稼業にしている子どもたちは15人である。広場に到着して最初にすり寄ってきた赤ん坊を抱えた女性には6歳くらいと4歳くらいの男児がいた。この2人の男児はペットボトルや空き缶を集めながら物乞いをしている。

 3人組の姉弟は2人の姉が交互に幼児の弟をあやしながら物乞いをしていた。他の3人の少女たちは暇になると駅の水道で水をペットボトルに汲んできた。何をするのか見ていたら頭に水をかけてシャンプーを始めた。

 5歳から12歳くらいまでの6人の男児のグループは孤児らしく集団で行動していた。年上のリーダーの少年の指示でペットボトルや空き瓶などを収集しながら物乞いをしている。人の良さそうな行商人が1人の男児に小銭を与えた。男児は後で小銭をリーダー格の少年に渡した。グループで集団生活をしているのであろう。

少女の憎悪の視線の先には
 時間が来たのでプラットフォームに向かおうと駅前広場のベンチから立ち上がろうとした。咄嗟にぼろをまとった7歳くらいの少女が手を差し出してきた。無視して手を振って断りのジェスチャーをした時、ぞっとするような殺意すら感じる憎悪の視線で私を睨みつけたのである。少女にとり、金にならない人間は生存する価値がないのであろうか。

 彼女は将来に夢も希望もなく、赤ん坊を抱えた女性と同じ人生しか見えないのであろう。物乞いだけでは得られるものはたかが知れている。盗みや恐喝など金を得るためにエスカレートしてゆくのではないかと彼女の未来が案じられた。

旅人は何もできないのか
 途上国で絶対的貧困の現実を目の当たりにすると、旅行者は単なる傍観者であるという無力感にとらわれる。貧困問題への長期的マクロ的解決策は経済成長である。そして目前の絶対的貧困に対しては途上国政府やNGOによる救済策である。

 通りすがりの旅行者としては何もできないが、ささやかながら日本政府への納税を通じて間接的に日本政府やNGOの途上国支援に繋がっていると自分を納得させることにしている。
高野凌 (定年バックパッカー)

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