2016年4月4日月曜日

なぜネパール王族殺害事件が「部外者」の心を打つのか

Source:http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46487


異世界にトリップできる3冊の本

2016.4.2(土)、GOOGLEニュースより
カトマンズの路地裏(写真はイメージ)
 今の書店に転職する前、僕はタイで2週間ほど一人旅をした。特に行きたいところがあったわけではないけど、なんとなく。初日に、超有名な観光スポットである「王宮」に行き、それ以降、観光地を回るのは止めた。たくさんの観光客が写真を撮っている姿が視界に入るだけで、別に面白くもないからだ。
 だから1日5組ぐらいしか観光客とすれ違わないような、一般のタイ人が住んでいる町をウロウロし続けた。
 なんの臭いなのか分からない異臭が蔓延するボロボロの市場の連なりを奥まで進み、観光客用の英語の表記がないような屋台で飯を食い、鶏が放し飼いにされている、真っ直ぐ伸びた国鉄の線路沿いに立ち並ぶバラックの脇を通り抜けたりした。
 そういう場所を一人で歩いている時の“異邦人感”が、とても好きだった。僕にとってはまるで見慣れない光景なのに、ここでは僕だけが異分子なのだ。その不思議な感覚は、日本ではなかなか味わえない。
 そういう感覚を、日本にいながらにして味わわせてくれる3作品を紹介します。

2001年ネパール王族殺害事件を題材にした衝撃作

王とサーカス』(米澤穂信著、東京創元社)
『王とサーカス』(米澤穂信著、東京創元社、1700円、税別)
 太刀洗万智は、新聞社を辞め、フリーの記者としてネパールのカトマンズに向かった。雑誌の特集までにはまだ余裕があり、気分転換の旅行も兼ねた出立だった。安宿で出会った旅行者や日本人僧侶や現地の少年などと関わりながら、少しずつカトマンズに馴染んでいく。
 そんな時、王宮で大事件が発生した。皇太子が親族の夕食会で銃を乱射。国王や王妃を含む多数の人間が死亡するという衝撃的な出来事だ。
 万智は雑誌社と連絡を取り合い、この事件の取材を手掛けることになった。長く記者を続けてきたが、外国での取材は初めてだ。なかなか勝手が分からず、情報も制限され、カメラの機能も十分ではない。しかし、やるしかない。
 取材を続けていく中で万智は、有力な情報提供者と接触する。宿の女主人の紹介で、王宮の警備をしている軍人と接触できることになったのだが・・・。
 本格ミステリ畑にいる著者のこと、謎解きの過程や真相はさすが一級品である。王宮での事件と平行して発生するとある事件も万智は追うのだが、鋭い論理で絡まりあった状況をほぐしていく。
 異国の、しかも世界的にセンセーショナルな事件が起こった地という特殊な舞台を背景に描かれる謎解きは単に殺人犯を探し出す、というだけではない独特の雰囲気を漂わせる。
 しかし、本書の魅力はそれだけではない。万智は事件を解決するが、しかしそれは新しい始まりでしかない。事件の陰に隠れていた価値観が主人公を揺さぶり、それは鋭い刃となって万智自身に向かう。自分はどうすべきなのか、どうあるべきなのか、と。
 報道に携わる者の矜持と、外から見ただけでは分からない異国の価値観の接点で起こる一瞬の摩擦熱が、万智を大いにうろたえさせるのだ。
 その過程が、非常にうまく描き出されている。ネパールという舞台設定も、突拍子もないものではない。その地に生きる人間だからこその視点で、世界を、まったく違う見方をしてみせる。それが、主人公の心を打つ。
 正義とは何か、悪とは何か。フリーのジャーナリストとして新しい一歩を踏み出そうとした矢先の出来事は、万智にとって、それまで自分が依っていたすべての前提をひっくり返されるような経験になった。
 悪事に加担した人間の価値観が万智を揺さぶり、また万智の価値観が悪事に加担した人間に影響を与える。王が殺されたカトマンズという、小さく閉ざされた空間の中で、さまざまな価値観がせめぎ合う。
 閉ざされた世界に生きる人々と、閉ざされた世界をこじ開けようとする人々との緩衝の中で生まれる事件とその動機の帰結が実に巧く描かれている物語だ。

腐った仏教界をぶっとば

スリーピング・ブッタ』(早見和真著、角川文庫)
「スリーピング・ブッダ」(早見和真著、角川文庫、691円、税込)
 広也は、それまで実家の寺の跡取りとして育てられてきた兄の死をきっかけに自らの人生を考え直し、親に言われたわけではないが、大学の仏教学部に進学し、大本山である長穏寺に修行に行くことに決めた。
 一方、ロックバンドでデビューする夢を諦めた隆春は、“安定した就職先”として住職になることを選択肢に入れ、あえて、親が住職ではない「部外者」が入るには困難を極める長穏寺へ修行に行くことに決めた。
 対称的な2人だが、志は近いものがあった。それは、旧来の仏教に対する考え方だ。本来世襲制を必要としない住職だが、利権を守るため二世三世の坊主がはびこり、利権ばかりを追い求めた信仰心のない住職が増えている。坊主が寺に引っ込んで人々の前に顔を出さずにどうして人を救うことができるのか、という思いもある。
 そうした仏教への理想を抱いて長穏寺にやってきた2人だったが、現実は予想以上だった。長穏寺での修行は、修行という名のイジメみたいなもので、仏教の教えを説いて人を救いたいと思っている人間はほとんどおらず、修行の鬱憤を晴らそうとしている輩が多い。
 理想を持ち、きちんと修行したいとやってきた広也と隆春にとって、長穏寺はある意味で修行の妨げになる場所でもあった。2人は紆余曲折を経て、自らの理想を追求した寺の運営を始めるが・・・。
 お寺の世界というのは、一般の人にはほとんど伝わらないだろう。現代では、お寺の檀家も減っているだろうし、そもそも日常の中で寺と関わる機会がない。住職にはどうやってなるのだろう? と思うことがあっても、知る機会もない。本書は、そんな僕らのような無知な人間にとって、知らなかった世界を垣間見せてくれる作品だ。
 宗派にもよるのだろうが、本書のモデルになっている宗派では、大本山での修行を経なければ住職にはなれない。そこでの修行がかなりハードだ。起きる時間も早く、さまざまな作法が決まっていて手順通りにやらなければならず、雑務も多い。
 そんな修行をみな乗り切るわけだが、その動機は不純なものが多い。親が住職である場合、この修業を乗り切りさえすれば住職になって良い思いができるし、ベンツも買ってもらえる、そんな風に考えて修行に耐えている者ばかりだ。ストレスからイジメは多発するし、また年齢や修行歴などが入り混じり人間関係はより複雑になっていく。
 こうした僕らが知らない世界を、問題点や理想の追求などを含めて描き出している部分だけを読んでも十分に面白い。隆春は、寺の世界をまるで知らない状態から仏教系の大学に入った男だ。隆春の知識レベルに合わせて話が進むので、読者が置き去りにされることはない。舞台はだいぶ特殊だが、青春小説として楽しめる1冊だ。
 しかしそれだけではなく、本書では、「宗教とは何なのか」という問いが常に通底している。本書は、その問いに答えを出そうとする作品ではない。無宗教だと言われる僕ら日本人に対して、「宗教とは何なのか」を考えるきっかけを与えてくれる作品だ。登場人物たちも、理想と現実の間で、おのおのの答えを追い求めていく。
 普段あまり関わることが少ないからこそ、驚きと違和感の連続する異世界の描写は非常に面白く映ることでしょう。

僕らの知らないホームレスの世界

ビッグイシューと陽気なホームレスの復活戦』(櫛田佳代、 ビーケイシー )
「ビッグイシュー」という雑誌を、ご存知だろうか? 元々はイギリスで生まれた雑誌だ。ホームレスの人たちに仕事と安定した収入をもたらすために生まれた。日本版のビッグイシューでは、定価200円のビッグイシューを1冊売るごとに、販売員に110円が入る仕組みになっている。
 僕は、ある時からビッグイシューの存在を知り、街中で見かける度にちょくちょく買うようにしていた。ホームレスへのお情けで、というつもりはなくて、雑誌として記事がちゃんとしていると思うからだ。それにプラス、ホームレスへの支援という気持ちが加わって、買おうかという気持ちになる。
 著者は、路上での販売員と出会ったことからビッグイシューに興味を持ち、さまざまな販売員と接している内に、「ホームレス・サッカーワールドカップ」のためにスウェーデンまで行ってしまったような人だ。
『ビッグイシューと陽気なホームレスの復活戦』(櫛田佳代、 ビーケイシー 、1575円、税込)
 ビッグイシューというのがどのように成り立っているのか、販売員にはどんな人がいるのか、どんな売り方の工夫をしているのか。そういう部分を丁寧に拾いながら、僕らの知らないホームレスの世界を伝えてくれる。
 彼らはホームレスではあるが、トップ販売員ともなると、もはやビジネスマンという感じだ。東京では月に1度会議があり、販売数などの報告をするのだが、売り方の工夫など真剣に考えていて、なぜこの人たちがホームレスなのだろう、と思うこともしばしばだ。
<あとはすべて売り方や、110円の重みを知ってるもんは売れるし、知らんもんは売れん。受け取った200円をありがとうございました、ゆうてポケットへスッと入れる人間は売れんと思う。受け取った200円を見つめなおしてポケットに入れるもんが売れる。>
 ある販売員の言葉だ。僕自身、モノを売る仕事をしているだけに、気を引き締めなくてはいけないな、という気持ちにさせられる。
 知らなければ、「怠け者だ」「真剣に仕事を探していない」と言った目を向けてしまいがちなホームレスの存在。しかし、その背景にはさまざまなものがあるし、ホームレスにも色んな人がいる。
 タイトルの「陽気な」という言葉はまさにぴったりで、多くの人のホームレスのイメーを覆すのではないかと思います。

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