2016年4月28日木曜日

プロトレック・マナスル初登頂60周年記念モデル発表!

5日 (月)

Source: http://weblog.hochi.co.jp/takeuchi/2016/04/post-ec2d.html

2016年4月25日 (月

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世界300本限定!
カシオ・プロトレック「MANASLU」マナスル初登頂60周年記念モデルが発表されました!
発売以来、大好評のプロトレックのフラッグシップモデル「マナスル」PRX-8000に、マナスル初登頂60周年記念スペシャルモデルとして、
固有モデルナンバーに、マナスルの標高である「8163」を与えられた、PRX-8163YT-1JRが、世界300本限定で発売されます。
ベルト・ケースは、人気のチタンIPブラックで、ケースバックには、マナスル初登頂60周年スペシャルモデルの証である、ゴールドIPコインバックが埋め込まれています。
また、マナスル初登頂60周年は、日本・ネパール国交樹立60周年でもあり、ワールドタイムのタイムゾーンを示すTYO(東京)とKTM(カトマンズ)の表示にアクセントカラーを入れ、8000m峰での使用を想定して作られたプロトレックと、8000m峰の頂上を8座擁するネパールとの、硬い結びつきを表しています。
5月6〜8日の「神保町マナスルBC」では、竹内洋岳が、発売前のプロトレックMANASLU マナスル初登頂60周年記念スペシャルモデル PRX-8163YT -1JRを腕にしています。
ぜひ、呼び止めて、実物をご覧になってください。

2016年4月25日月曜日

バス転落、21人死亡=速度超過、200メートル転落-ネパール

Source: http://www.jiji.com/jc/article?k=2016041200626&g=int 

GOOGLEニュースより

(2016/04/12-16:44)

【ニューデリー時事】ネパール東部で12日、バスが崖から転落し、乗客ら少なくとも21人が死亡、数十人が負傷した。地元警察によれば、日本人旅行者は含まれていないもよう。 警察によると、午前8時(日本時間午前11時15分)ごろ、東部コタン地区から首都カトマンズに向かっていたバスが、崖から約200メートル下に転落した。スピードの出し過ぎでハンドル操作を誤ったとみられる。


<ネパール>「脱インド依存」親中国政策にかじ

Source:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160424-00000090-mai-int

毎日新聞 4月24日(日)、ヤフーニュースより
 【ニューデリー金子淳】ネパールのオリ政権が親中国政策にかじを切り「インド依存」からの脱却を進めている。昨年公布した新憲法に南部インド系住民が猛反発して地域が混乱。ネパール側は背後にインドがいるとみて、不信感を募らせているからだ。昨年4月の大地震では印中両国とも直後から「支援合戦」を繰り広げ、影響力の拡大をはかったが、現時点では中国に軍配が上がりつつある。

 「ネパールはいかなる理由にせよ、中国に対抗するために(インドなどに)国土を利用させはしない」。地元メディアなどによると、オリ首相は3月、訪問先の中国でこう語り、親中姿勢を強調した。

 この時オリ氏は、中国の習近平国家主席や李克強首相と会談。中国チベット自治区からネパール国境付近まで鉄道を延伸するよう求めたほか、西部ポカラの国際空港建設の融資を受けることで合意。さらに、対外貿易にインド東部コルカタ港を利用しているが、今後は中国の港湾も利用することでも一致した。

 「脱インド依存」のきっかけが、昨年9月の新憲法公布に伴う南部の混乱だ。新憲法では国内を7州に分けると規定したが、マデシと呼ばれる南部のインド系住民らが州の区分けに猛反発し、大規模な抗議活動を展開した。

 このあおりで数カ月間、インドとの国境が封鎖され、インドからの輸入に頼っていたガソリンなどの燃料不足が深刻化し、被災地を含む国内各地で住民生活が混乱した。

 ネパールでは、国境封鎖はマデシを支持する「インド政府の圧力」との見方が一般的だ。ネパール内務省高官は「インドによる国境封鎖で2カ月は復興が遅れた」と批判する。

 ネパールは核を保有する印中両国に挟まれた内陸国で、インドにとっては中国の南アジアへの影響拡大を防ぐ「緩衝地帯」に当たる。

 モディ首相は3月に「ネパール憲法を巡り(マデシなどとの)包括的な合意が必要だ」と言及。ネパール側から「内政干渉だ」と反発を招くなど、関係はぎくしゃくしたままだ。

マレーシア、外国人労働者受け入れ凍結 産業界から反発の声

Source:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160421-00000024-fsi-bus_all

SankeiBiz 4月22日(金)、ヤフーニュースより
 マレーシア政府が外国人労働者の新規受け入れの一時凍結を3月に発表したことを受け、産業界から反発の声が上がっている。政府は外国人労働者への依存低減を目指すとしているものの、外国人労働者を数多く雇用する製造業者やパーム油の大規模農園経営者は人手不足により生産縮小が懸念されるとし、凍結撤回を求めている。現地紙スターなどが報じた。

 内務省入国管理局によると、同国で合法的に働く外国人労働者は2016年1月末時点で208万人。マレーシアの労働人口の約15%に相当する。

 外国人労働者を国別にみると、インドネシアからが最大で81万9773人、次いでネパールが48万3908人、バングラデシュが27万2036人、ミャンマーが14万3623人などとなっている。さらに、不法労働者は正規労働者とほぼ同数とも推測される。

 マレーシアは、先進国入りを目指して産業構造の転換を図るなか、労働集約型産業での外国人労働者のさらなる流入を抑制したい考えだ。

 しかし、低賃金で働く外国人労働者への依存度が高い労働集約型産業の経営者らは、政府の決定に反対している。

 同国パーム油協会は、これから収穫期を迎えるなか、外国人労働者の新規雇用なしでは人手不足によって収穫量が減少すると指摘する。

 同国ゴム手袋製造者協会は、マレーシアが世界最大のゴム手袋生産国としての地位を確保し、輸出拡大を目指すにはさらなる外国人労働者が必要だと訴えている。

 同国は、外国人労働者に対して雇用主が負担する人頭税を大幅に引き上げると2月に発表したものの、コスト負担増を訴える産業界の反発により引き上げ幅を縮小して実施するなど混乱が続く。外国人労働者の一時受け入れ凍結に反対する声が高まるなか、外国人労働政策に対する政府の手腕が問われているといえそうだ。(シンガポール支局)

若者も政治に関心を=登山家・野口健さん【18歳選挙権インタビュー】

Source:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160420-00000074-jij-pol

時事通信 4月20日(水)
 選挙権年齢が「18歳以上」に引き下げられることについて、登山家の野口健さんにインタビューした。

【特集】18歳選挙権 私はこう思う~養老孟司さん、山崎直子さん、鈴木明子さん

 -18、19歳の頃はどう過ごしていたか。
 大学1年生の12月に南米最高峰のアコンカグアに、翌年は休学して北米最高峰のマッキンリー(現デナリ)に行った。10代は世界7大陸最高峰登頂をやるんだと宣言して、そういう挑戦が始まった頃だ。

 -政治に対する関心はあったか。
 小学校3年生から高校3年生まで海外にいた。海外にいると政治に興味を持ちやすい。
 (イラクのクウェート侵攻をきっかけに始まった)湾岸戦争の時は英国の学校に行っていて、父親は大使館員として(事実上イラクを支持していた)イエメンに赴任していた。父親が大使館に行っている時に家(公邸)に手りゅう弾が投げ込まれた。湾岸戦争でテロに遭った日本人の家というのは父親の家だった。
 自分が通っていたのは海外に住んでいる日本人の子どもが来る学校で、外国のどこかで何か起きると誰かしらの親がその場所に住んでいたりする。その分、国際的な政治情勢を身近に感じる機会が多かった。
 湾岸戦争の時も英国の報道では日本は金しか出さない、「それは正しい方法か」と疑問を持ったり、いろんなことをリアルに感じたりする。「日本はどうあるべきか」とか、同級生同士でよくそんな話をしていた。
 高校を卒業して日本の大学に入ってそういう話を同級生にしても、「おまえは変わった奴だな」という話になる。10代も投票できるのはいいことだ。日本の学生は非常に政治に関心が薄い。選挙権年齢を18歳まで引き下げることは関心を持つきっかけになるかもしれない。

 -初めての投票先はどう選んだか。
 父親は政治家との付き合いが結構あった。学生の頃、一緒に住んでいた時期もあったので、「この選挙区のこの先生はどういう人か」といろいろ話を聞いていた記憶がある。海外に対して通用するのはどっちかなとか(いうことも考えた)。

 -若い人はどう投票先を選べばいいか。
 演説でもホームページでもいい、見た時に感覚的に「この人はうそは言ってないかな」とか、(政治家の)人間性から入るのも一つかもしれない。政治は人間ドラマ、人を見た方が興味を持ちやすいのではないか。

 -大人や政治家はどんな努力をすればいいか。
 子どもの頃からよく家の中でそういう政治の話が出ていた。ニュースを見ていると父親が「これはどう思うんだ?  俺はこう思うよ」とか、父自身の考えをよく話してくれた。親との関係が結果的に政治に興味を持つところにつながった。
 やっぱり面白くないとなかなか興味を持たない。政治家ももっと「しゃべり」を面白くしなければいけない。スピーチが本当につまらない。どうすれば分かりやすく、興味を持ってもらえるか、そこの工夫ができている人はごく一部だ。

 -日本と海外で学生の政治への意識は違うか。
 圧倒的に違う。ネパールの学生は「どうやってこの国を良くするか」をみんな話す。日本の学生は「この国をどうするんだ」なんてことは議論しない。
 それは学生に限らない。登山のベースキャンプでは世界中の登山家が共同生活をする。マナスル(ネパールの標高8000メートル級の山)に行った時だったが、(領土問題を抱える)ロシア人とグルジア(現ジョージア)人がいて、酒を飲むと激しい議論が始まる。韓国隊は酒を飲むと「おまえは竹島をどう思うんだ」と必ず絡んでくる。
 日本はどこか政治の話はタブーなところがある。身内はいいが、仕事先の人とご飯を食べている時に「あなたの支持する政党はどこですか」なんて会話はまずやらない。海外はそれから始まる。

 -「政治で何も変わらない」と思っている若い人もいる。
 富士山の清掃をやっているが、以前はトイレは全部垂れ流しで「白い川」と言われていた。今は全てバイオトイレに変わった。環境省のトップだった小池百合子さんが動いたことが大きなきっかけになった。僕らが一つのきっかけにはなったが、最終的に政治家が動いたことによって着実に変化があるわけだ。政治によって何も変わらないことはない。
 小笠原諸島には自然を守る行政の専門家が滞在してなかった。「東京都レンジャー」という制度をつくらないかと(当時東京都知事だった)石原慎太郎さんにお願いしに行った。次の日の記者会見で「来年から都レンジャーを始める」とすぐ発表するわけだ。そういうベースがあって小笠原諸島が世界自然遺産に登録された。政治が何も決められないことはない。

 -選挙権を持つ若い人にメッセージを。
 いろんな見方をして、最終的に自分はどう思うのか、と考える癖を付けた方がいい。新聞なんて1紙だけ読んでいたら駄目だ。一個の出来事を各紙がどうやって捉えているのか並べると面白い。じっと見ながら「自分はどう思うのかな」って考えるべきだ。

 野口 健(のぐち・けん)25歳までに7大陸最高峰の登頂を果たし、当時の世界最年少記録を樹立した。その後は、エベレストや富士山の清掃登山、第2次世界大戦戦没者の遺骨収集などに取り組んでいる。42歳。 

2016年4月19日火曜日

朱に染まる新年祝賀祭、ネパールの首都近郊

Source:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160415-00000020-jij_afp-int

AFP=時事 4月15日(金)、ヤフーニュースより
【AFP=時事】ネパールの首都カトマンズ(Kathmandu)近郊の町ティミ(Thimi)で14日、伝統行事「ビスケット・ジャトラ(Bisket Jatra)」祭が行われた。14日は同国の暦で新年に当たる。人々は、朱色の粉を全身に塗りつけ歌い踊りながら、新年を祝った。【翻訳編集】 AFPBB News

世界の野生トラが回復、過去5年で20%増

Source:http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160413-00010000-nknatiogeo-sctch

ナショナル ジオグラフィック日本版 4月13日(水)、ヤフーニュースより
絶滅が危ぶまれる森の王者、国際的な「倍増計画」が功を奏する
 ようやくトラの明るいニュースが届いた。世界自然保護基金(WWF)の最新の調査により、主としてインド、ロシア、ネパールでの保護活動が実を結び、世界の野生のトラの個体数がここ数年大幅に増加していることが報告された。この報告は、絶滅危惧種であるトラの保護活動を推進するための各国閣僚による会合に先立ち、発表された。

2010年に3200頭だった野生のトラは、現在3890頭まで増えているという。2022年までにトラの生息数を倍増させる計画に各国が歴史的合意をした2010年以来、目標達成に向け、各国が順調に活動を続けているようだ。世界のトラの個体数が増加したのは、100余年ぶりとなる。

「私たちはこの数に良い意味で驚きました。ここまで回復してきたのは保護活動のおかげです」と語るのは、WWF保全部門 上級副代表のジネット・ヘムリー氏だ。

 保全部門がまとめたのは、インドやバングラデシュなど各国が実施した厳密な調査結果、ならびに生物多様性保全の世界的権威、国際自然保護連合(IUCN)の委嘱を受け独立した研究活動をする科学者が試算したデータだ。データを集計するには、中国、インドネシア、マレーシア、ミャンマーなど、公式にトラの調査が行われていない国々のデータも不可欠だ。

「今回の報告は大きなはずみにはなりますが、回復への道筋が安定したと考えている人には釘を刺しておきたい」そう語るのは、ナショナル ジオグラフィック協会の大型ネコ科動物保護プロジェクト「ビッグキャッツ・イニシアティブ」の責任者、ルーク・ダラー氏だ。「依然として絶滅危惧種であることに変わりなく、世界規模での生息数減少の危険も残っているのです」
インド、トラ保全への投資が成功
 トラの個体数増加が見られたのはインドとロシアの2カ国だった。ダラー氏によると、両国に対して、ナショナル ジオグラフィック協会の「ビッグキャッツ・イニシアティブ」プロジェクトは研究活動と保護プロジェクトへの資金提供を行っている。

 世界のトラの3分の2が生息するインドでは、過去5年で1706頭から2226頭に増えている。同国は、密猟のパトロールを強化し、農民や村人がトラによって負傷したり死亡したりすると、報復として殺さないように補償してきた。さらにインドは、トラ保護区の観光事業が持続するように助成を行っている。これが成功モデルとなり、インド当局は保護活動の範囲を広げようと協議中だ。

「インドはトラという前例のない資源に投資をしましたが、今やその投資が元を取れるとわかったのです」と、ヘムリー氏。

 同様の状況は、ネパールでも見られる。ネパールのトラは、密猟を取り締まったおかげで60パーセント回復し、198頭に達している。ヘムリー氏によると、各国政府の断固たる取り組みのおかげで、トラの増加はロシア(360頭から443頭)や、ブータン(75頭から103頭)でも見られる。
問題を抱える地域
 一方、バングラデシュでは440頭から106頭に減っている。だがヘムリー氏は、実際に減ったのではなく、新政権が正確な頭数を調べきれていない可能性が高いと考えている。

 今回の報告で、野生のトラの個体数が少ない生息地とされているのが、7頭の中国、5頭のベトナム、2頭のラオス、そして0頭のカンボジアだ。そうした国では「もはや手遅れです」とダラー氏は言い、「だからといって見限るわけにはいきません」と付け加える。

 トラの長期的な生息の鍵を握るのはインドネシアとマレーシアだ、とヘムリー氏は言う。だが、両国の頭痛の種は、密猟と違法な土地開発でトラの生息地が損なわれていることだ。両国とも全国的な調査は行っていないが、インドネシアの個体数は371頭、マレーシアは250頭前後だと見られる。

 トラを使った商品の取引はほとんどの国で禁じられているが、依然として闇市場での取引は行われている。トラの個体数を安定させるためには、トラの毛皮やその他の部位を欲しがるアジア、特に中国での取引を削減する必要がある、と報告書は指摘する。WWFなどの機関は、啓発キャンペーンを行っているほか、密売人の摘発を強化している。

 ヘムリー氏によると、インドとネパールは、国境をまたいで協力するようになったこともあり、密輸されるトラの数を減らしている。
 自然保護活動家たちは、トラが原料の薬を減らすよう中国伝統医学の指導者に働きかけてきた。ところがその一方で、中国に新たな闇市場ができ、トラを原料にしたシャンプーや強壮剤、装飾品が取引されている。

 インドの事例は、トラへの影響を最小限に留めながらも人間にもメリットのある土地開発ができることを示している。トラ保護区を迂回する道路を作り、保護区内のトラの移動を妨げず、人がトラと遭遇する危険を減らすようにトンネルや高架橋を設計した。

 全体として見れば、ささやかな希望が1つ見えたということだ、とヘムリー氏は語る。「トラの数が増えているのは明らかですが、この先の道のりはまだ長い」

 その第1段階として、インドで今週開催される第3回トラ保全アジア閣僚僚会議(AMCTC)で各国指導者が「倍増実現」に向けた公約をする、とルーク・ダラー氏は言う。各国間での協力はプラスになる。他の問題での協力に向けた架け橋にもなるからだ、とダラー氏。「自然を守ることは、多くの場合、私たちは自分自身も守ることになるんです」
文=Brian Clark Howard/訳=倉田真木

外国人労働者出国後の保険金支給は「合憲」=韓国憲法裁

Source:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160412-00000029-yonh-kr

聯合ニュース 4月12日(火)、ヤフーニュースより
【ソウル聯合ニュース】韓国の憲法裁判所は12日、外国人労働者が受け取る「出国満期保険金」の支給条件を労働者の出国後とした「外国人労働者の雇用などに関する法律」の規定は合憲との判断を示した。
 支給条件規定が保険金の受給権を制限し財産権を侵害するとして、ネパールとウズベキスタン出身の労働者が同法第13条第3項の違憲性を問う訴訟を起こしていたが、憲法裁は合憲とした。裁判官9人中6人が合憲、3人が違憲とした。
 出国満期保険金は外国人労働者の退職金名目で支払われる。保険料は雇用者が毎月納付する。勤務期間が1年以上の外国人労働者が保険金を受け取ることができる。
 同法第13条第3項は、保険金の支給時期について「被保険者が出国したときから14日以内」と規定している。契約期間が終了した外国人労働者が保険金を受け取った後も帰国せず、不法滞在者が増えるという理由から2014年1月の法改正で新設された。
 憲法裁は同条同項について、外国人労働者の不法滞在防止に向け必要だと判断した。出国満期保険金が退職金の性格を帯びているとしても、不法滞在がもたらすさまざまな問題を踏まえると支給時期を労働者の出国に合わせることは避けられないと説明した。
hjc@yna.co.kr

齢94歳。ネパールで最高栄誉を受けた日本人「コンドウ」さんの偉業

Source:http://www.mag2.com/p/news/174479

 

ネパール国内どこを歩いても「近藤バジェ(おじいさん)」と声をかけられ、現地の人々から愛されている日本人がいることをご存知でしょうか? 無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、90歳をこえてもなおネパールの地で現地の人々のために生き続ける、近藤亨さんの知られざる偉大な功績が紹介されています。

近藤亨~ネパールを救った現代の二宮尊徳

ネパールで十数年も国際協力事業団(JICA)の果樹栽培専門家として現地指導をしてきた近藤亨(とおる)さんが定年を迎え、無事に帰国をしたのを祝って、東京で盛大な帰国祝賀会が開かれた。平成3(1991)年のことである。
ブラジルから駆けつけた学友の佐藤隆・元農相はじめ、各界の名士の祝辞が続いた後、近藤さんが答辞に立った。激励に感謝し、JICA時代の悲喜こもごもの思い出を語った後、最後に威儀を正して、こう言った。
皆様、私はこれから再び、今度は一個人の奉仕活動としてネパール中でも秘境中の秘境ムスタンへ間もなく旅立ちます。今後はJICAを離れて全く個人の支援活動ですから、何卒(なにとぞ)一層の熱いご支援を賜りたく切に切にお願い申し上げます。

秘境ムスタンでは、この一瞬でも飢えと寒さに泣いている大勢の子供たちが私どもの温かい援助の手を必死で待ち望んでいるのです。どうぞ宜しくお願い申し上げます。
思いがけない決意表明に、会場は一瞬シーンとなり、やがて満場の拍手が湧き起こったが、それが静まると今度は騒然となった。近藤さんの奥さんと娘さんたちは詰め寄って、これまで何も聞かされていなかった、と憤り、佐藤氏も友人として「家庭を守り頑張ってこられた奥さん娘さんと一緒に人並みな家族生活を営んだらどうか」と切々と苦言を呈した
近藤さんは、こうした猛反対を予想して、あえてこの公の場で自らの決心を公表して退路を断ったのである。家に帰ってから、近藤さんは家族を集めて、声涙下る思いで堅い決意を伝えた。
このたびの親父の我が儘をどうか黙って許してくれ。必ず、私は秘境の貧しい村人を救うため、立派な仕事をして見せるから。
決心を変える人間ではないことをよく知っている家族は、半ば諦め、半ばあきれかえった。さらに近藤さんはムスタンでの活動費を捻出するため、先祖伝来の家屋敷や山林まで手放した
平成3(1991)年6月18日、家族が見送る中を、近藤さんはムスタンに向けて旅立った。70歳の誕生日であった。

「この一瞬でも飢えと寒さに泣いている大勢の子供たち」

ムスタンは、ヒマラヤ山脈の北側にある。標高3,000~4,500メートルの高冷地で、毎秒10~20mの強風が1年中、昼から夕刻まで吹き荒れる。さらに年間降雨量が100~150ミリという超乾燥地帯でもある。世界でも希に見る、農業に不向きな土地であった。
住民が畑で作り、主食としているのは、裸麦、ライ麦、ソバだけで、野菜はソバの緑の葉を茹(ゆ)でて食べる、それがなくなれば、川辺の雑草を食べる。肉や白米は冠婚葬祭の時にしか口に出来ない。これでは栄養も偏り、平均寿命は45歳でしかなかった。
働き手は男女を問わず、カトマンズや、国境を越えてインド、タイ、シンガポールまで出稼ぎに行くが、自分の名前すら書けないので、どこへ行っても最低賃金の重労働の仕事しか得られない。
「この一瞬でも飢えと寒さに泣いている大勢の子供たち」というのは、誇張ではなく、近藤さんが見てきた現実であった。
ムスタン地方の貧しさを救うべく、アメリカの自然保護団体が5年の年月と巨費を投じて、植林を試みたが、失敗して3年前に引き上げていた。またネパール政府がリンゴ栽培や畜産などの農業振興に取り組んでいたが、いずれも厳しい気候条件下で失敗していた

近藤さんは、そんな秘境の地に、70歳の老齢ながら、単身で乗り込んでいったのである。

黄金の稲穂

近藤さんが取り組んだプロジェクトの1つに、高地での稲作がある。日本一の水稲王国新潟で生まれ育った近藤さんは、黄金の稲穂をこの地で生み出そうと決心した。
もともと熱帯性植物であるイネを、品種改良してきたとは言え、高地栽培は日本でも新潟や長野などでの標高1,000mが限界だった。それをいきなり標高2,750mの河川敷台地で栽培しようとしたのである。成功すれば、世界最高地での記録となる。
近藤さんは、北海道や青森などの試験場を訪ねて、冷寒用品種の種子を分けて貰い、試しに植えてみた。いずれも、出穂期、穂膨(ばあら)み期までは順調の発育するのだが、最後はすべてしいな皮だけで実のないモミ」で終わってしまう
そんな時、故郷の農業試験場の専門家から、重要なアドバイスを得た。稲はどんなに立派な穂が出来ても、出穂期に15度以下に気温が下がると、「しいな」になってしまう、というのである。
それならと、7月の初めから田んぼの上全面にビニールシートを懸けて、保温してみようと思い立った。しかし、問題は毎日吹く風速10~20mの強風である。これに吹き飛ばされないように、ビニールシートを張らなければならない。
そこで、水田の中に、大量の竹を高さ1mほどに立て、その上に縦、横、×字に竹を指し渡して、ビニールシートをしっかりと固定した。
3,000m近い高地だが、日差しは強い。ビニールシートの下は朝でも水温20度とむっとする温度を保った。毎日、祈る思いで水田を見た。やがて見事な黄金の稲穂が立ち並んだ。どの株も丸々と太り、着粒数も申し分なかった。
平成8(1996)年9月、苦節4年にして、ネパール人青年スタッフたちと、初めての稲刈りを喜びに沸きながら無事に済ませた。その夜、近藤さんは感激に胸が震えて、いつまでも寝付かれなかった。

石垣ポリハウス

近藤さんは、この技術を発展させて、標高3,600mの高冷地ガミ農場で試してみることとした。富士山頂に近い高さである。
その矢先に、郷里の米作りのアドバイサーから再び貴重な助言が届いた。ポリエステル波板パネルを使えば、ビニールシートより高価だが、耐用年数は15年から20年に延びるという。
さっそく調べてみると、幸運にもカトマンズで、昨年からポリエステル生産工場が操業を開始していた。すぐに透明パネル200枚を発注して、車で運べる所まで運んで貰い、そこからは1人10枚づつ背負って、人力でガミ農場まで運んだ。
パネルは高価なので、少しでも安価に仕上げるために、側面を石垣で囲い、屋根だけポリエステルパネルで張ることにした。石垣は厚さ60センチ、屋根側は2m、裾側は1.5mとして傾斜をつけた。石と石の隙間は泥で密閉した。
石垣作りは家造りに使われる技術で、この地方の人々にはお手の物だった。大小の岩を鉄のハンマーで打ち砕き、小さい金槌(かなづち)で手頃の大きさに形作る。それを直線に張った縄に沿って、垂直に積み上げるのである。

「こんな高地でよくも素晴らしい稲を実らせたものだ」

石垣とポリエステルパネルの組合せは威力を発揮した。日中の強烈な太陽光線による輻射熱がハウス内に籠もり、春から晩秋まで最低でも20度以上、最高は35度に達した。深夜、早朝の外気温は10度前後でも、ハウス内は常夏の熱帯~亜熱帯の気候である。
これに自信を得て、今までの対寒冷用水稲品種ではなく、人気のあるコシヒカリを植えた。石垣ポリハウスの高い保温力で、これまでのビニールよりも稲の草丈も優り、豊かな実をつけた。
正式な収量測定のために、国立作物試験場のシレスター博士にカトマンズからヘリコプターで来て貰った。早速、石垣ポリハウスに案内すると、博士は驚嘆の声をあげた。「ミスター近藤。こんな高地でよくも素晴らしい稲を実らせたものだ」。
正式な収量調査の結果に、博士は仰天した。「なんと素晴らしいことであろう。10アール当たり600キログラム弱、これはネパール平野部の水田地帯に比べて、50パーセント近く多い収量ですよ」。
石垣ポリハウスは野菜を作るのにも威力を発揮した。稲の刈り取り後、あるいは通年使う専用ハウスで葉菜類やトマト、ナス、キュウリ、日本カボチャ、メロンなどが次々と見事に実った。真冬でも冬野菜を作って、新鮮な状態で食べることができるようになった。

魚の養殖

稲作と並行して進めたのが、魚の養殖である。チベット高原を源流として、雪解け水を集めながらムスタンを流れるカリ・ガンダキ川上流は、激流のため魚が住める環境ではなかった。そのため、ムスタンではこれまで魚を見たこともない人たちが大部分であった。
近藤さんは水稲栽培のために、溜め池を作り、冷たい雪解け水をパイプで引き、そこで太陽光で水を温める事を考案していた。その溜め池で魚を養殖すれば一石二鳥である。
ネパールの国立養魚試験場から鯉の稚魚を入手し、ニジマスは日本の十和田湖の水産試験場から受精卵を分けて貰った。飼料は近隣でとれるソバ、ライ麦などに、カルカッタから入る養鶏用の海魚の乾燥魚骨を混ぜて団子状にして与えると上々の食いつきだった。
稲作が成功した後は、田植えを終えた水田に鯉の稚魚を放し飼いした。ハウス内の高温で育ちも良く、9月上旬までの3ヶ月あまりの間に、2~3センチの稚魚が10センチ前後に成長した。稲刈り直前に鯉をため池に移し、食べたいときに池から捕って食膳に供する。近所の子供たちも珍しそうに魚を見に来る。
4年目の11月中旬、試しに食べ頃のニジマスや鯉を100キログラム、市場に出した所、あっという間に売り切れた。牛・豚・鶏の肉を忌み嫌うヒンズー教徒の多いネパールで、魚は貴重な動物性タンパク質源として歓迎されたのである。
インド国境近くでも、鯉の養殖がJICAの協力で行われていたが、生活汚水などの影響で、味は泥臭さが抜けきれない。しかし、ムスタンの鯉はヒマラヤ山麓の水で養殖しているからおいしくニジマスも寄生虫の心配がないので刺身でも食べられるのである。

「ムスタンのリンゴ」

加藤さんはもともと果樹の専門家で、JICA時代にムスタンの状況を調べて、耐寒性の強いリンゴ、アンズ、ブドウ等の果樹栽培を提案していた。その提言に従って、ネパール政府がリンゴ栽培に乗り出したが、失敗していた。指導すべき技師たちが、ムスタンのあまりにも厳しい気候に耐えきれず、定住を拒んだのである。
近藤さんは、自分の提言は決して間違ってはおらず、失敗の原因は、何がなんでもやり通すという意欲の欠如と、ムスタンの厳しい気象条件を無視した技術指導にある、と考えた。
おりしも、リンゴ栽培に失敗したドンバ村の人々が、助けて欲しいと依頼してきた。そのリンゴ園を実際に見て、近藤さんは驚いた。8ヘクタールの園地を立派な高い石垣で囲み、一番高い所に大きな貯水池が設けられ、通水路も立派に作られている。
しかし、葉は未だ9月中旬なのに黄色がかって小さく、所々実がついている木は鈴なりに小さいリンゴが成り放題だった。近藤さんは、3年のうちに、立派なリンゴ園に蘇らせてやろうと決心した。近藤さんは村の優秀な若者数人を集めて貰い、手取り足取りの指導を始めた。
うまい大きなリンゴを栽培するには絶対にこんなに鈴なりにならせてはいけません。1つの花群に1つ、それも一番真ん中の果実のじっくり太った中心の実を1つだけ残し、後は全部間引いて捨てるのです。
さらに丈の高い幹を切って、低い位置で実を成らせ、風にやられないようにする、どの枝にも日光が良く当たるように剪定する事などと教えた。若者たちは理解も早く、近藤さんの手足となって良く働いた。
数年を経て、立派なリンゴがたくさんとれるようになった。「ムスタンのリンゴとしてブランド化され、ネパールの高級スーパーでも取り扱われるようになった。

「日本人の根性」

近藤さんはさらに、松や檜の植林、乳牛の飼育とミルクやバターの生産、小中学校や病院の建設など、八面六臂の活躍を続けている。今も94歳の老齢をものともせず、標高3,600mの高冷地の一室に暮らしながら、ムスタンの人々のために尽くしている。
こうした功績が高く評価されて、2013年にネパール民主政府から最高栄誉となるスプラバルジャナセワスリー1等勲章」を外国人としては初めて受賞した。
ムスタンでは近藤さんを知らない人はいない。近藤さんがどこに行っても、子どもからお年寄りまで「近藤バジェ(おじいさん)ナマステ(こんにちは)」と笑顔で挨拶してくる。
真の国際協力は深い人間愛であり、決して物資、金品の一方的供給ではない。支援を受ける人々が心から感謝し、自らが立ち上がる努力をはらう時、初めてその真価が現われるのである」と言い、「ボランティアやNPOもこういう日本人の根性を勉強しなければいけない」と笑う。
近藤さんの言う「日本人の根性」とは、江戸時代に多くの農村の復興を指導した二宮尊徳を思わせる。その土地の自然に随順しながら、自らの工夫と努力で豊かな生活を作り上げていく。それは自然を守りながら、豊かな生活を作り上げるわが国伝来の道である。
文責:伊勢雅臣
image by: Kondo Foundation

Japan on the Globe-国際派日本人養成講座
著者/伊勢雅臣購読者数4万3千人、創刊18年のメールマガジン『Japan On the Globe 国際派日本人養成講座』発行者。国際社会で日本を背負って活躍できる人材の育成を目指す。

中国支援でネパールに新空港 ヒマラヤ拠点のポカラで着工、影響力拡大へ

Source:http://www.sankei.com/world/news/160413/wor1604130045-n1.html

2016.4.13、GOOGLEニュースより

ネパール政府は13日、中部の観光地ポカラで、ネパールで2番目となる国際空港の建設に着手した。2020年にも完成する予定。約2億1600万ドル(約236億円)とされる資金は中国が支援する。インドと中国に挟まれたネパールで、中国の影響力がさらに増しそうだ。
 ポカラはヒマラヤ観光の拠点で、13日の着工式にはオリ首相も参加した。ネパール航空当局者は「外国人客が直接ポカラに到着できる上、首都カトマンズの国際空港の混雑緩和につながる」と歓迎した。
 昨年4月に発生したネパール大地震では、唯一の国際空港であるカトマンズの空港に物資や外国の緊急援助隊が集中し、滑走路の不足から支援に遅れが出た例もあった。(共同)

ネパール語の医療フレーズ集

Source: http://www.yomiuri.co.jp/local/nagano/news/20160413-OYTNT50146.html

  • ベンガル語の表記と発音、和訳がついたフレーズ集。イラストもあり、理解しやすくなっている
    ベンガル語の表記と発音、和訳がついたフレーズ集。イラストもあり、理解しやすくなっている
◆JICA・佐久総合病院作成…ベンガル語・シンハラ語も対応
 駒ヶ根市にある国際協力機構(JICA)駒ヶ根青年海外協力隊訓練所が、災害時の国際医療支援などに活用してもらおうと、南アジアの3言語に対応した医療フレーズ集を作った。佐久市のJA長野厚生連佐久総合病院が作成に協力し、昨年のネパール地震の被災地で活動したスタッフの意見も採用された。「国内で外国人を診察する場合も使える」と、各医療機関への普及を進めている。
 フレーズ集は、日本人になじみが薄いネパール語とベンガル語(主にバングラデシュ)、シンハラ語(主にスリランカ)に対応。「診察」「診断」などの項目に分け、医療活動に必要な最低限の現地語に発音と和訳をつけた。具合が悪くなった時期や症状についての代表的な会話にはイラストもつけ、フレーズ集に指をさせば医師と患者が簡単に意思疎通できるように工夫してある。
 フレーズ集の基になったのは、同病院小児科の坂本昌彦医師が自分で作った「表現集」だった。2013年に医療支援でネパールに滞在した際、英語が使えずに苦労したことから、独自に作成して使っていた。
 これを知ったJICA駒ヶ根の仁田にった知樹・前所長が昨夏、青年海外協力隊50周年記念の事業として、内容をさらに充実させたものを共同で作ろうと同病院に提案。病院スタッフの意見も取り入れて加筆・修正した。
 坂本医師は「現地語の表現集を見せるだけでも患者には親近感をもってもらえる。日本で外国人を診察する際も使える」としている。
 希望があれば、内容をメールで送信することも可能。問い合わせはJICA駒ヶ根(0265・82・6151)へ。
2016年04月14日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

エムール/ネパール子会社が稼動/バッグの商品開発推進

Source: http://www.bci.co.jp/netkeizai/article/1615

2016/04/18、GOOGLEニュースより

 
ネパールに開設した子会社の様子
 寝具のECサイトを運営するエムール(本社東京都、高橋幸司社長)はこのほど、ネパールで展開する裁縫関連の子会社、ザ・サードアイ・チャクラ(高橋幸司社長)の製品生産を本格稼働させた。現地で生産した商品は、今夏中にECサイトで販売を開始する予定だ。
 ザ・サードアイ・チャクラは現地雇用を行っている。従業員8人を採用し、うち3人を管理職とした。
 登山用バッグブランド「イエティ」を展開する。ネパールは機械化が進んでおらず職人による手作業になるため、生産は月間で約150個のペースとなる見込みだ。

清水や岐阜で指揮を執った行徳氏がネパール代表監督に就任「強い代表チームを作りたい」

Source: http://www.theworldmagazine.jp/20160416/02national_team/56015
2016年04月16日(土)、GOOGLEニュースより

新たな挑戦の意気込みを語る

JFA(日本サッカー協会)は15日、行德浩二氏がネパール代表監督に就任したことを発表した。
2003年のJリーグ終了後、清水エスパルスで天皇杯の指揮を任せられた行德監督はクラブを同大会ベスト4に導く。また翌年は同クラブのユースチームで指揮を執りユースカップを制覇。2008年はブータン代表、2012年はFC岐阜の監督を務めていた。JFAのアジア貢献事業の一環としてネパール代表監督への就任が決まった同氏は、日本サッカー協会公式サイトを通じて意気込みを語っている。
「昨年4月、大地震によってネパールは至るところで甚大な被害を受けました。国際試合が行われる国立競技場も当分は使用できない状況です。しかしネパールの人々のサッカーに対する関心は薄らぐことなく、多くの人たちがサッカーを楽しみ、代表チームの活躍を心から期待しています」
「ネパールサッカーの将来に向かって皆の期待に応えられるよう、ネパールサッカー協会のシレスタ会長代行を始めコーチングスタッフと共に強い代表チームを作りたいと思います」
またJFAは同日、李成俊氏がU-14・U-17のブータン代表監督に就任することも発表した。

バス転落、21人死亡=速度超過、200メートル転落—ネパール

Source:http://news.biglobe.ne.jp/international/0412/jj_160412_9234069723.html

時事通信4月12日(火)、GOOGLEニュースより
 【ニューデリー時事】ネパール東部で12日、バスが崖から転落し、乗客ら少なくとも21人が死亡、数十人が負傷した。地元警察によれば、日本人旅行者は含まれていないもよう。
 警察によると、午前8時(日本時間午前11時15分)ごろ、東部コタン地区から首都カトマンズに向かっていたバスが、崖から約200メートル下に転落した。スピードの出し過ぎでハンドル操作を誤ったとみられる。 

ネパール、国の祝日からクリスマスを除外 キリスト者側が反発

Source: http://www.christiantoday.co.jp/articles/20448/20160411/nepal.htm
2016年4月11日、GOOGLEニュース
【CJC=東京】人口の8割がヒンズー教徒のネパールで、政府が国の祝祭日から宗教関係の減少に着手。その一環として、クリスマスの除外を決めたことで、キリスト者側が反発している。
シャクティ・バスネット自治相は、今回の決定がキリスト者を傷つけるものではなく、増えつつある祝祭日に歯止めをかけるのが狙いだ、と「アジア・ニュース」に語った。ただキリスト者が政府に撤回を働き掛ける余地はあるとしている。
キリスト教全国連合のCB・ガハトラジ総幹事は「クリスマスが国の祝祭日でなくなれば、民間でクリスマスを祝うのが難しくなる。ヒンズー教徒などのためには83の祭典を認めているのに、キリスト者のためには一つもないことになる」と反発している。
ネパールでは民主化運動の高まりにつれ、2006年に国王が直接統治を断念、議会はヒンズー教の国教を廃止する政教分離を決定した。その一環としてクリスマスが08年から国の祝祭日となった。
2011年の国勢調査ではカトリック、プロテスタント合わせて人口の1・5パーセントを占めている。2006年には0・5パーセント。経済、教育面での活動が注目されている。

2016年4月11日月曜日

ネパール首相が中国・インドを初訪問 大国相手に綱渡り外交を始めた理由とは…

Source: http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160409-00000536-san-asia

産経新聞4月9日(土)、ヤフーニュースより

 ネパールのオリ首相が2月から3月にかけて、インドと中国を相次いで初訪問した。ヒマラヤの内陸国ネパールにとって、自国をはさむアジアの両大国と良好な関係を維持するのは外交の最優先課題だ。インドとは新憲法制定をめぐり悪化した関係を修復し、中国とも物流を活発化させる道筋をつけ、両国との微妙な距離を測る綱渡りの外交を展開した。

 ネパールの歴代首相は初外遊先に、経済を依存し、文化的にも近いインドを訪問するのが通例だ。しかし、昨年秋に首相に就任したオリ氏は、訪印直前まで、中国を先に訪問する可能性があることをほのめかしていた。

 理由は、昨年9月に制定された新憲法めぐり、インドとの関係が悪化していたことにある。インドは新憲法について、ネパール南部の平野部に住む親インド住民「マデシ」の権利擁護を求めて不満を表明。マデシがインドとの国境を封鎖し、オリ氏は「インドによる非公式の国境封鎖だ」とインドを非難していた。

 今年になってようやく、ネパールがマデシやインドの大半の要求を飲んで憲法改正を行い、国境封鎖が解かれ、2月20日にオリ氏はニューデリーでインドのモディ首相との初会談に臨んだ。オリ氏はこの後の記者会見で、「数カ月間続いていた誤解は、もう存在しない」と述べ、関係正常化を表明した。

 両首脳は会見の席上、インドからネパールへの送電線使用を開始するセレモニーを行った。また両国は、インド国境に近いネパール南部の道路整備を急ぐ合意文書などに調印した。

 インドにとり、マデシの発言力が確保できないことは、ネパールに対する影響力低下につながる。インド政府は国境封鎖への関与を否定してきたが、ネパールではもちろん、インドの一部識者の間でもマデシの背後にはインドがいたとみなされている。

 一方、インドの影響力が弱まれば、得をするのはネパールのもう一つの隣国、中国だ。ネパールはガソリンやガスの供給元を100%インドに依存してきた。国境封鎖により、燃料不足に陥る中、オリ政権は中国を頼り、中国は無償で燃料を支援、商業ベースでの輸出も約束していた。

 しかし、ネパールと中国の間にはヒマラヤ山脈の険しい山道しかない。本格的な物流を実現するためには大規模なインフラ整備が必要になる。

 中国はオリ氏の初外遊先をインドに奪われたものの、3月21日に李克強首相がオリ氏と会談し、両国が陸空の連結性を高め、交通インフラを改善することで合意した。具体的には、ネパールの中国国境へ向かう幹線道路の整備の実行可能性調査を促進し、国境をまたぐ鉄道建設案について、両国間で意見交換するとしている。

 こうした交通網の整備は、直ちに実現できるものではないものの、ネパールは、インドの圧力に対抗するテコを得たことになる。ただ、今回の中印両国訪問に至るまでの国境封鎖の約4カ月半間で、昨年4月に大地震で被災した住民の生活は深刻化した。オリ外交の成果は、住民の犠牲の上に成り立ったともいえる。(ニューデリー支局 岩田智雄)

2016年4月4日月曜日

統計 日本のベトナム人留学生数3万8882人、出身国別で第2位

Source: http://www.viet-jo.com/news/statistics/160401124235.html
2016/04/04 、GOOGLEニュースより
(C) 日本学生支援機構
 日本学生支援機構(JASSO)が発表した2015年度外国人留学生在籍状況調査によると、2015年5月1日時点での日本におけるベトナム人留学生数は3万8882人で、前年の2万6439人と比べておよそ+47.1%増加した。
 ベトナム人留学生は、全留学生の18.7%(前年度14.4%)を占める。出身国(地域)別留学生数では、前年と同じく中国(9万4111人、構成比45.2%)に次ぐ第2位につけている。
 ベトナム人留学生の留学先としては、高等教育機関が前年の1万1174人(出身国別3位)から2万0131人(同2位)へと大幅に増加し、日本語教育機関の1万8751人(同2位)を上回った。高等教育機関への留学生のうち、短期留学生が360人(出身国別8位)となっている。
 2015年度の留学生総数は前年比+13.2%(+2万4224人)増の20万8379人で、このうちアジア地域からの留学生が全体の92.7%に当たる19万3172人、欧州・北米地域からの留学生が同4.8%に当たる1万0046人だった。
 出身国(地域)別留学生数で中国とベトナムに続く3位以下は、◇ネパール:1万6250人(構成比7.8%)、◇韓国:1万5279人(同7.3%)、◇台湾:7314人(同3.5%)、◇インドネシア:3600人(同1.7%)、◇タイ:3526人(同1.7%)、◇ミャンマー:2755人(同1.3%)、◇マレーシア:2594人(同1.2%)、◇米国:2423人(同1.2%)など。
 この調査は、日本の大学(大学院を含む)、短期大学、高等専門学校、専修学校(専門課程)、日本の大学に入学するための準備教育課程を設置する教育施設及び日本語教育機関における外国人留学生の在籍状況を把握し、留学生施策に関する基礎資料を得ることを目的として、JASSOが毎年実施しているもの。

なぜネパール王族殺害事件が「部外者」の心を打つのか

Source:http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46487


異世界にトリップできる3冊の本

2016.4.2(土)、GOOGLEニュースより
カトマンズの路地裏(写真はイメージ)
 今の書店に転職する前、僕はタイで2週間ほど一人旅をした。特に行きたいところがあったわけではないけど、なんとなく。初日に、超有名な観光スポットである「王宮」に行き、それ以降、観光地を回るのは止めた。たくさんの観光客が写真を撮っている姿が視界に入るだけで、別に面白くもないからだ。
 だから1日5組ぐらいしか観光客とすれ違わないような、一般のタイ人が住んでいる町をウロウロし続けた。
 なんの臭いなのか分からない異臭が蔓延するボロボロの市場の連なりを奥まで進み、観光客用の英語の表記がないような屋台で飯を食い、鶏が放し飼いにされている、真っ直ぐ伸びた国鉄の線路沿いに立ち並ぶバラックの脇を通り抜けたりした。
 そういう場所を一人で歩いている時の“異邦人感”が、とても好きだった。僕にとってはまるで見慣れない光景なのに、ここでは僕だけが異分子なのだ。その不思議な感覚は、日本ではなかなか味わえない。
 そういう感覚を、日本にいながらにして味わわせてくれる3作品を紹介します。

2001年ネパール王族殺害事件を題材にした衝撃作

王とサーカス』(米澤穂信著、東京創元社)
『王とサーカス』(米澤穂信著、東京創元社、1700円、税別)
 太刀洗万智は、新聞社を辞め、フリーの記者としてネパールのカトマンズに向かった。雑誌の特集までにはまだ余裕があり、気分転換の旅行も兼ねた出立だった。安宿で出会った旅行者や日本人僧侶や現地の少年などと関わりながら、少しずつカトマンズに馴染んでいく。
 そんな時、王宮で大事件が発生した。皇太子が親族の夕食会で銃を乱射。国王や王妃を含む多数の人間が死亡するという衝撃的な出来事だ。
 万智は雑誌社と連絡を取り合い、この事件の取材を手掛けることになった。長く記者を続けてきたが、外国での取材は初めてだ。なかなか勝手が分からず、情報も制限され、カメラの機能も十分ではない。しかし、やるしかない。
 取材を続けていく中で万智は、有力な情報提供者と接触する。宿の女主人の紹介で、王宮の警備をしている軍人と接触できることになったのだが・・・。
 本格ミステリ畑にいる著者のこと、謎解きの過程や真相はさすが一級品である。王宮での事件と平行して発生するとある事件も万智は追うのだが、鋭い論理で絡まりあった状況をほぐしていく。
 異国の、しかも世界的にセンセーショナルな事件が起こった地という特殊な舞台を背景に描かれる謎解きは単に殺人犯を探し出す、というだけではない独特の雰囲気を漂わせる。
 しかし、本書の魅力はそれだけではない。万智は事件を解決するが、しかしそれは新しい始まりでしかない。事件の陰に隠れていた価値観が主人公を揺さぶり、それは鋭い刃となって万智自身に向かう。自分はどうすべきなのか、どうあるべきなのか、と。
 報道に携わる者の矜持と、外から見ただけでは分からない異国の価値観の接点で起こる一瞬の摩擦熱が、万智を大いにうろたえさせるのだ。
 その過程が、非常にうまく描き出されている。ネパールという舞台設定も、突拍子もないものではない。その地に生きる人間だからこその視点で、世界を、まったく違う見方をしてみせる。それが、主人公の心を打つ。
 正義とは何か、悪とは何か。フリーのジャーナリストとして新しい一歩を踏み出そうとした矢先の出来事は、万智にとって、それまで自分が依っていたすべての前提をひっくり返されるような経験になった。
 悪事に加担した人間の価値観が万智を揺さぶり、また万智の価値観が悪事に加担した人間に影響を与える。王が殺されたカトマンズという、小さく閉ざされた空間の中で、さまざまな価値観がせめぎ合う。
 閉ざされた世界に生きる人々と、閉ざされた世界をこじ開けようとする人々との緩衝の中で生まれる事件とその動機の帰結が実に巧く描かれている物語だ。

腐った仏教界をぶっとば

スリーピング・ブッタ』(早見和真著、角川文庫)
「スリーピング・ブッダ」(早見和真著、角川文庫、691円、税込)
 広也は、それまで実家の寺の跡取りとして育てられてきた兄の死をきっかけに自らの人生を考え直し、親に言われたわけではないが、大学の仏教学部に進学し、大本山である長穏寺に修行に行くことに決めた。
 一方、ロックバンドでデビューする夢を諦めた隆春は、“安定した就職先”として住職になることを選択肢に入れ、あえて、親が住職ではない「部外者」が入るには困難を極める長穏寺へ修行に行くことに決めた。
 対称的な2人だが、志は近いものがあった。それは、旧来の仏教に対する考え方だ。本来世襲制を必要としない住職だが、利権を守るため二世三世の坊主がはびこり、利権ばかりを追い求めた信仰心のない住職が増えている。坊主が寺に引っ込んで人々の前に顔を出さずにどうして人を救うことができるのか、という思いもある。
 そうした仏教への理想を抱いて長穏寺にやってきた2人だったが、現実は予想以上だった。長穏寺での修行は、修行という名のイジメみたいなもので、仏教の教えを説いて人を救いたいと思っている人間はほとんどおらず、修行の鬱憤を晴らそうとしている輩が多い。
 理想を持ち、きちんと修行したいとやってきた広也と隆春にとって、長穏寺はある意味で修行の妨げになる場所でもあった。2人は紆余曲折を経て、自らの理想を追求した寺の運営を始めるが・・・。
 お寺の世界というのは、一般の人にはほとんど伝わらないだろう。現代では、お寺の檀家も減っているだろうし、そもそも日常の中で寺と関わる機会がない。住職にはどうやってなるのだろう? と思うことがあっても、知る機会もない。本書は、そんな僕らのような無知な人間にとって、知らなかった世界を垣間見せてくれる作品だ。
 宗派にもよるのだろうが、本書のモデルになっている宗派では、大本山での修行を経なければ住職にはなれない。そこでの修行がかなりハードだ。起きる時間も早く、さまざまな作法が決まっていて手順通りにやらなければならず、雑務も多い。
 そんな修行をみな乗り切るわけだが、その動機は不純なものが多い。親が住職である場合、この修業を乗り切りさえすれば住職になって良い思いができるし、ベンツも買ってもらえる、そんな風に考えて修行に耐えている者ばかりだ。ストレスからイジメは多発するし、また年齢や修行歴などが入り混じり人間関係はより複雑になっていく。
 こうした僕らが知らない世界を、問題点や理想の追求などを含めて描き出している部分だけを読んでも十分に面白い。隆春は、寺の世界をまるで知らない状態から仏教系の大学に入った男だ。隆春の知識レベルに合わせて話が進むので、読者が置き去りにされることはない。舞台はだいぶ特殊だが、青春小説として楽しめる1冊だ。
 しかしそれだけではなく、本書では、「宗教とは何なのか」という問いが常に通底している。本書は、その問いに答えを出そうとする作品ではない。無宗教だと言われる僕ら日本人に対して、「宗教とは何なのか」を考えるきっかけを与えてくれる作品だ。登場人物たちも、理想と現実の間で、おのおのの答えを追い求めていく。
 普段あまり関わることが少ないからこそ、驚きと違和感の連続する異世界の描写は非常に面白く映ることでしょう。

僕らの知らないホームレスの世界

ビッグイシューと陽気なホームレスの復活戦』(櫛田佳代、 ビーケイシー )
「ビッグイシュー」という雑誌を、ご存知だろうか? 元々はイギリスで生まれた雑誌だ。ホームレスの人たちに仕事と安定した収入をもたらすために生まれた。日本版のビッグイシューでは、定価200円のビッグイシューを1冊売るごとに、販売員に110円が入る仕組みになっている。
 僕は、ある時からビッグイシューの存在を知り、街中で見かける度にちょくちょく買うようにしていた。ホームレスへのお情けで、というつもりはなくて、雑誌として記事がちゃんとしていると思うからだ。それにプラス、ホームレスへの支援という気持ちが加わって、買おうかという気持ちになる。
 著者は、路上での販売員と出会ったことからビッグイシューに興味を持ち、さまざまな販売員と接している内に、「ホームレス・サッカーワールドカップ」のためにスウェーデンまで行ってしまったような人だ。
『ビッグイシューと陽気なホームレスの復活戦』(櫛田佳代、 ビーケイシー 、1575円、税込)
 ビッグイシューというのがどのように成り立っているのか、販売員にはどんな人がいるのか、どんな売り方の工夫をしているのか。そういう部分を丁寧に拾いながら、僕らの知らないホームレスの世界を伝えてくれる。
 彼らはホームレスではあるが、トップ販売員ともなると、もはやビジネスマンという感じだ。東京では月に1度会議があり、販売数などの報告をするのだが、売り方の工夫など真剣に考えていて、なぜこの人たちがホームレスなのだろう、と思うこともしばしばだ。
<あとはすべて売り方や、110円の重みを知ってるもんは売れるし、知らんもんは売れん。受け取った200円をありがとうございました、ゆうてポケットへスッと入れる人間は売れんと思う。受け取った200円を見つめなおしてポケットに入れるもんが売れる。>
 ある販売員の言葉だ。僕自身、モノを売る仕事をしているだけに、気を引き締めなくてはいけないな、という気持ちにさせられる。
 知らなければ、「怠け者だ」「真剣に仕事を探していない」と言った目を向けてしまいがちなホームレスの存在。しかし、その背景にはさまざまなものがあるし、ホームレスにも色んな人がいる。
 タイトルの「陽気な」という言葉はまさにぴったりで、多くの人のホームレスのイメーを覆すのではないかと思います。