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23歳のときに刷り込まれたロマンは80代までつづくものなのか。その地が虫一匹いない火星のような土漠であっても。 【写真で見るチベット高原の実情】 この2月に出版された本『チベット紀行〜トランスヒマラヤを巡る』(北大山の会チベット調査隊編著、同時代社)の読後、そんな疑問が浮かんだ。 学者や元官僚ら平均年齢70歳の7人が2015年秋、チベット高原3500キロを3週間かけてかけ抜けた記録である。調査隊長の元建設省土木研究所長、住吉幸彦(84歳、敬称略、以下同)の言葉がこの地を言い表している。 <昔よく旅をしたアフリカの草原では何処からともなく大勢の現地人が集まって来て、タイヤ交換を手助けしたりと大変賑やかになる。人の姿は見えないが何処か人の気配が濃厚に感じられる。人臭いのである>(一部筆者略、以下同) ところが<チベットは人口が少ない上に標高が4000〜5000メートルと高く>、<蒼黒く澄んだ空に浮かぶ白雲の下、タイヤ交換の間、通り過ぎる人もなく、2〜3台の車が行き交っただけだった> 「世界一寂しい土地」で目にするのは寺院を巡る中国人観光客と、影のようにいる寡黙なチベット人労働者ぐらいだ。 五体投地(ごたいとうち、両手・両膝・額を地面に伏して行う礼拝)をする老いたチベット女性を撮ろうとすると激しく罵られ、出されるのは四川料理ばかり。ゲギュという町でようやくチベット料理にありつき、人の良さそうな夫妻にほっとする。 <ヤクの生肉、バター茶がうまい。年ごろの娘の写真を撮ろうとすると、はにかむどころか皆の間に座って寄り添うように笑顔でポーズを取ってくれた> 本をまとめたライター、浜名純によれば、そこは夜になればチベット女性が漢民族を接待する店のようだった。
日本列島が6つ入る「高原」
本に庶民が出てこないのも当然である。一行の目はあくまでも自然地形に向いているからだ。旅の狙いを元国立極地研究所長、渡辺興亜(85歳、おきつぐ)はこう記している。 <1960〜70年代にヒマラヤ山脈南麓を旅した人々にとって、(中国に)しっかり閉じられていたチベット高原を訪れることは憧憬であった。その自然全体を掴みたいというのが目的である> 結果はどうだったのか。渡辺に聞くと「いやあ、これが憧れのチベットかという感じだった。とにかく地形のスケールがでかすぎる」と言う。何もない風景が延々とつづいたからだ。 「チベットを我々の知る地形の概念で認識するのは難しい。僕らが今回行ったのは高原の端っこで、もっと北の方はいずれ訪れたいけど、さらに北、氷河のある崑崙山脈まではきっと独特の地形以外何もない、人も住んでいない土漠だろう」 僻地について「日本のチベット」などと言う人がいるが、この比喩がチベットのイメージをかなり小さくしている。高原という呼び名も目くらましだ。つい八ヶ岳高原や高原野菜を連想してしまうが、チベット高原は日本列島(約38万平方キロ)が6つすっぽり入る240万平方キロもある。 あまりに広すぎて、「長くいると自分がどこにいるかもわからなくなる。大戦後ソ連がつくった5万分の1縮尺地図を持って行ったが、まったく役に立たない。スケールが全然違うんだ。役に立ったのは米国製の航空オペレーション地図(50万分の1)。あとは中国製の氷河・凍土図(200万分の1)かな」 50センチ四方の紙に東京埼玉や北アルプスが収まるくらいの地形図で歩かないとわからないということだ。
景色のない大平原も地質構造は魅惑的
<地形そのものが単調かつ巨大で、日本人の自然認識とはかけ離れ、チベット人たちの地形に対する感覚は別のようだ>と渡辺は書いている。日本人のように山河を基準に地形を見ないのなら、チベット人は何を目安にするのか。 「湖が大きなランドマークだ。それくらいしかない」。チベット高原には琵琶湖より大きい湖もあり、調査隊は今回、塩湖、淡水湖合わせた61の湖の名前を統一し、一覧表をつくった。 それにしても、地形が大雑把な大平原を3週間も走って楽しいのだろうか。 地質や雪氷が専門でない浜名は「飽きるよね」と即答した。「エベレストに向かう峠に行った最初のころはヒマラヤが見えて良かったけど、あとの3週間ほぼ同じ景色だったから」 それでも渡辺の目には地質構造が魅惑的に見えたという。 <人間の時空間認識スケールを遥かに超えた叙事詩を想像する>のが一興だったと感嘆しているが、<それには地質学的知識が必要>という。 「わかるように説明できませんか」と言うと、渡辺は時間を語り出した。 「例えば大陸の地形を地質学的スケールで言うと億年は普通なんだ。数千万年はまあまあの古さだ。数百万年、数十万年となると、これは最近の話になる」 地球の年齢は45億年だ。その1000分の1が450万年で、100歳まで生きた人にたとえれば、1.2カ月、36日にすぎないということらしい。 「そのスケールで見れば、チベット高原の端のヒマラヤ山脈は一番新しい地質構造体だ。地球上の大陸は20数億年、離合集積を繰り返し、大陸集合体から分かれたゴンドワナ大陸の一部が2億数千万年前にさらにばらけて北上し、4000万年前にユーラシア大陸に衝突し下に潜り込んだ。それがヒマラヤ山脈として上昇し、その北にあったチベット高原ができた。こんな出来事は地球の歴史からすればつい最近のこと。それを人間は悠久の風景と感じるんだよ」 「衝突」というのがわからない。じわじわとくっつくのではないか。 「4000キロも離れた大陸が移動してきたという説が信じられるようになったのは1970年代以降なんだ。その前の『大陸漂移説』は20世紀初頭にA.ウエゲナーという人が提唱したんだが、大陸が動く仕組みがわからなかった。その後、海洋底を作る玄武岩が湧き出てプレートをつくり、それが動くという『海洋底拡大説』で大陸移動が説明できるようになったんだ。日本の周辺では北米プレートなどが日本列島の下に潜り込み、そのときの歪みで大地震が起きる。そう考えられている」 衝突というとかなりのスピードだと思うが、「そう、1年で20センチも移動するというのは地質学的にはかなりの速さだ。こうした大衝突が数十億年の間に何度もあってチベット高原の本体が作られた」 渡辺は熱く語るが、どうもピンとこない。
「ヒマラヤの標高が急に高くなり7000メートルを超えたのが大体70万年前。最近のことなんだ。その結果、偏西風が流れるルートが決まり、氷期から間氷期の周期も決まって、いまの地球気候のシステムが出来上がった。そう考えられているんだ。でも、ヒマラヤの上昇とチベット高原の気候変動の関係は十分にわかっていない。氷床のような氷河が発達したかどうかも、まだ研究課題の一つなんだ」 筆者の想像力が乏しいのか、時間ばかりか語彙感覚もおかしくなる。地質屋が普段から妙に泰然として見えるのは、このスケールが頭を占めているからなのか。「チベット紀行」を楽しむには大きな時空スケールが必要なようだ。
「未知の空間」を知る
それにしても、なぜチベットに惹かれるのか。 1963年、23歳の地質学生だった渡辺は山岳部の仲間5人と半年がかりで西ネパールを探検した。 「戦前、英領だったインド測量局がつくったヒマラヤの地図には想像で描かれた部分も多かった。だから、僕らは改めて歩測で地図を作りながら旅をしたんだ。チベット領に越境して一人が拘束されたこともあった。そのとき、チベット高原の南端の地形が茫漠と見えたと思って、その印象が強烈だったんだ。そのころから、チベットはかって氷床に覆われていたという説を信じて、僕はそれを実証したいと思ってきたんだ」 今回は中国当局の制限もあり、すべては見ることはかなわなかったが、「もっと見られるなら、見たい」と渡辺は言う。「チベット高原は当時も今も未知の空間だからね」 だが、すでに触れたように、そこは「何もない土漠」ではないのか。 「だろうな。だがスウェーデンの探検家、スウェン・へデンはそこを旅し、トランスヒマラヤを発見したと主張し、今もそれは信じられている。未知の空間を既知に変えたのが彼の旅だった。 衛星画像も何もない時代に地図を自分で作りながら入っていった地がいまようやく認識できる。それは研究者冥利につきるよ。地図の空白部を地球の一部にするわけだから」 それが叙事詩を想像する、ということか。 「人間は1000年たてば叙事詩が書けるけど、地球の場合、20億年くらいで叙事詩になる。それを感じたいんだよ」 「それに」と言って渡辺は付け加えた。 「日本の気象を左右する高気圧は高原特有の地形でできるわけだからね。チベット高気圧の発達具合で梅雨前線がどの辺りにいつくるかも決まる。日本列島上空の大気の流れを決めているんだ。天気予報の図を大陸の方まで見せればよくわかるよ。風上の地形として無視できない場所なんだ」
藤原章生

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