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ダライ・ラマ14世は「次のダライ・ラマ」について、90歳頃に方針を決めると度々言及していた。今月、ついに90歳の誕生日を迎える
チベット仏教の最高指導者であり、今なお世界中のチベット人の精神的支柱となっている「ダライ・ラマ」。 【画像】近現代チベットの略史 ダライ・ラマは死後転生すると信じられているが、その転生制度をめぐって現在、チベット亡命政府、中国政府、欧米諸国の間でさまざまな思惑が交差している。 現在の最高指導者であるダライ・ラマ14世は2011年、「私が90歳くらいになった頃には、チベット仏教各派の高僧、チベット国民、そしてチベット仏教を信奉するその他の関係者と協議し、ダライ・ラマ制度の存続の是非を再評価する」と表明していた。そして2025年7月6日に、ダライ・ラマ14世は90歳を迎える。 ダライ・ラマ転生制度は一体どうなるのか。従来通り死後転生するのか、それとも生前に後継者を認定したり、転生を廃止したりする可能性はあるのか。 7月に何らかの決定がなされた場合、傀儡の後継者を立ててチベットを都合よく支配することを目論む中国との対立は避けられないだろう。
言語を奪われるチベット人
中国政府は現在も、チベット人の弾圧を続けている。 1949年に中国を統一した中国共産党は、その後にチベットに侵攻、1951年に同地を制圧した。共産党はその後、各地で虐殺を行うなどチベット人を弾圧したため、チベット全域で動乱が発生。この動乱は鎮圧されたものの、1959年にダライ・ラマ14世はインドのダラムサラに亡命することとなった。 その後、ダライ・ラマ14世は同地で亡命政府である「中央チベット政権」を設立。当初は亡命政府の政治・宗教のトップを務めていたが、現在、ダライ・ラマ14世は政治トップの座は首相に譲っている。 一方、中国のチベット自治区では、ダライ・ラマ14世の亡命後も文化大革命で貴重な文物が破壊された他、チベットの独立や権利拡大を目指すデモが起これば戒厳令が敷かれ、チベット人が何百人も殺されてきた。 今なお、チベット寺院の僧侶による抗議の焼身自殺も後を絶たない。ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のアリヤ・ツェワン・ギャルポ代表は本誌の取材に、2009年以降だけでも157人以上が焼身自殺を遂げたと述べた。 文化的弾圧も深刻で、最たる例がチベット語の教育の急速な縮小だ。多くのチベット語教育を行う学校が閉鎖に追い込まれている。中国政府が教育や文化を奪うことで、チベットの漢民族への同化を進めているのだ。 アリヤによると、チベット人の学生がチベット語よりも中国語を流暢に話すようになってきたため、親子のコミュニケーションが困難になっているチベット人の家庭もあるという。 またアリヤは、チベットのアイデンティティー、文化、仏教思想を守り、理解するためにはチベット語が必須なので、チベット人の力の源泉でもあるチベットの文化と仏教の勢力衰退にもつながると指摘する。 最近では、チベットの英語表記を「Tibet」ではなく、中国語名(西蔵)をスペルアウトした「Xizang」とするなど、中国政府はチベットを同化させようと躍起になっている。
中国の経済開発は「ありがた迷惑」、そもそも価値観が違う
中国政府はしばしば「チベットを発展させたのは中国だ」といった主張をする。これは、中国政府がチベット人の不満の源泉を「経済的に立ち遅れていることにある」と都合よく解釈しているためだ。 アリヤによると、中国政府は「中国語を学んで豊かになろう」という考えの下、チベット人に中国語教育を押し付けているという。 中国政府は「援蔵(チベットを支援する)」という名目で大量の漢民族をチベットに送り込んでいる。青海省西寧市とチベット自治区ラサ市をつなぐ青蔵鉄道が2006年に全線開通したのを筆頭に、チベットは急速に開発されたが、チベット人の文化や伝統を無視したものだったため、不満はむしろ高まるばかりだ。 特に近年、チベットではリチウムなどの天然資源やダムの開発が進んでおり、それに伴って深刻な環境汚染などが起こることも懸念されている。 アリヤは「チベット人は自然や精神的な豊かさを重視している。金銭的・物質的な豊かさを求めていない」と述べており、中国による開発はチベット人にとって「恩着せがましいありがた迷惑」だとしている。 このように中国政府が好き勝手するチベットからチベット人が逃げようとしても、そう簡単にはいかない。複数のチベット人の証言によると、チベット自治区に住むチベット人には基本的にパスポートすら発給されないのだ。 海外渡航したチベット人が、その土地で中国にとって都合の悪いことを暴露したり、他国に亡命したりした場合、パスポートを発行した政府関係者が責任を問われてしまう。「保身が第一」の中国政府の役人がそのようなリスクを負うはずがない。 そのため、チベット人は差別と弾圧に苦しみながら中国で息をひそめて生きるか、命がけでヒマラヤの山を越えてインドやネパールといった国に亡命するしかない。 しかし、日本大学でチベットについて研究する大川謙作教授によると、2008年の暴動以降、国境警備は厳重になっており、不法越境による亡命の難易度は非常に高くなっている。実際、そのような形での亡命者の数は2008年以降激減しているという。
傀儡ダライ・ラマを立てたがる中国
こうした弾圧に飽き足らず、中国はチベット人の精神的支柱でもあるダライ・ラマ制度にも介入しようとしている。 ダライ・ラマの死後に転生者の捜索が行われ、さまざまな儀式をクリアした者を転生者とみなして次のダライ・ラマとするのが転生制度だが、中国政府は次のダライ・ラマに都合のいい傀儡を据え、都合のよいようにチベットを統治したいのだ。 ダライ・ラマ14世もそれを理解しているため、自身の後継となる転生者について、次の転生者が「中国支配下にない自由な国で生まれるだろう」といった発言を繰り返している。 今年3月にダライ・ラマ14世が出版した著書『Voice for the Voiceless』(未邦訳)の中でも、自身の後継者は中国国外で生まれ、自身の死後もチベット民族の自由を求める運動は続くと述べている。 3月11日の中国外交部定例記者会見で、ダライ・ラマの著書について問われた毛寧(マオ・ニン)報道官は、「ダライ・ラマ14世は宗教を装って反中国の分離主義活動を行っている政治亡命者であり、チベット人を代表する権利はない」と批判、「ダライ・ラマ活仏の系譜は中国のチベットで形成され発展した。その宗教的地位と称号も中央政府によって決定される」と主張した。 その時が訪れた際には、中国政府による宗教管理について定めた「宗教事務条例」(2004年制定)や、転生制度への政府への介入を正当化した「蔵伝仏教活仏転生管理弁法」(2007年制定)などを持ち出し、 中国政府が次のダライ・ラマを決めることを正当化するだろう。 実際、日本のテレビ局が3月、全国人民代表大会にやってきたチベット自治区の代表団に「チベット自治区政府はダライ・ラマ14世の後継を選ぶ作業をもう始めているか」と尋ねると、代表団メンバーは「中央政府が決めることだ」とだけ答えた。そして「取材するな」と言って、逃げるようにその場を去ったという。
中国が傀儡を立てた前例も
このダライ・ラマの転生問題が世界中の耳目を集めるのは、パンチェン・ラマ11世という悪しき前例があることが一因だ。 パンチェン・ラマとはチベットの文化と宗教、政治において、ダライ・ラマ法王に次ぐ重要な存在。パンチェン・ラマも転生制度によって後継者が選ばれる。 1989年、パンチェン・ラマ10世が死亡した(これには中国政府による暗殺説が囁かれている)。その後、次のパンチェン・ラマの捜索が行われ、1995年5月14日、ダライ・ラマ14世は、パンチェン・ラマ11世発見を布告した。 しかし、中国政府はパンチェン・ラマ11世とされた少年、ゲンドゥン・チューキ・ニマとその両親にすぐさま有罪宣告を下し、家族ともども「誘拐」。ニマを世界最年少の政治犯として収監した(中国政府がニマの拘束を認めたのは1年後だった)。 その後、中国政府は自身が認定した別の少年(ギェンツェン・ノルブ)をパンチェン・ラマ11世として即位させた。ダライ・ラマの承認を得ていないパンチェン・ラマはチベット人から正当性がないとみなされるが、そんなのお構いなしに、だ。 懸念通り、ノルブは傀儡として中国政府に都合のいい発言を繰り返すなど、政治利用され続けている。最近では、2025年6月6日に習近平を表敬訪問した際、こう発表している。 「習近平総書記の真摯な教えを心に刻み、パンチェン・ラマ10世を模範として、中国共産党の指導を断固として支持し、祖国統一と民族統一を断固として守っていく」 一方、ニマは拘束されているという事実は分かっているものの、今なお所在はつかめておらず、国際社会から非難の声が上がっている。 マイク・ポンペオ米国務長官(当時)は2020年5月、「 中国政府は(パンチェン・ラマの)居場所を明らかにし、中国国内のあらゆる宗教の信者が干渉を受けることなく自由に信仰を実践できるようにすべきだ」とXに投稿している。 現米国務長官のマルコ・ルビオも今年5月18日、ニマ失踪から30年の節目を迎えるにあたって、中国政府に対し「ニマを直ちに釈放し、チベット人への宗教的信仰を理由とした迫害を止めるべき」と声明を出した。
どうなるダライ・ラマ15世
では、ダライ・ラマの転生制度はどうなるのか。 日本大学の大川教授は本誌の取材に、転生制度は「すでに輪廻の輪から外れ解脱できる活仏が、衆生の救済のためにわざわざ輪廻してくる」という前提に基づいていると解説。そのため、ダライ・ラマを含めた多くの活仏が、自身の転生制度の未来(生前の転生、転生の廃止、従来通りの死後の転生)をある程度決めることができるという。 もしチベットの民衆がダライ・ラマをもう必要としないと考えるのであれば、ダライ・ラマ14世は自身の代で転生を終えることもあり得ると発言している。なお、大川教授によれば、チベット仏教の教義上、転生をあえて終わらせるという選択は可能であり、実際に転生が途絶えた例は存在している。 しかし、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のアリヤは、多くのチベット人が従来通りの転生を望んでいるので、ダライ・ラマ15世は従来通り、ダライ・ラマ14世の死後に決定されるだろうと話す。 大川教授も「政治面で見ても、中国政府が2007年に施行した法律を根拠に、傀儡のダライ・ラマ15世を擁立してくるだろう。チベット亡命政府も中国政府への対抗のためにダライ・ラマ15世を擁立することになる可能性が高い」と指摘する。 中国共産党はその後、傀儡のダライ・ラマ15世をパンチェン・ラマ11世(ノルブ)に追認させることで正当性を担保し、チベット人を従わせようとするだろうと大川教授は予測する。
中国が立てる偽ダライ・ラマ15世に対しての反応は
中国政府が「偽ダライ・ラマ15世」を立てても、「チベット自治区内に住むチベット人を含め、ほとんどのチベット人は信じないだろう」と大川教授は指摘する。 中国が擁立したパンチェン・ラマ11世(ノルブ)は、中国共産党のプロパガンダも虚しくほとんど信仰されていないため、偽ダライ・ラマ15世も信仰されない可能性が高いだろうとのことだ。 チベット亡命政府も偽ダライ・ラマ15世を認める気はない。チベット亡命政府のペンパ・ツェリン首相は6月4日、東京で行われた第9回世界チベット議員連盟会議の記者会見で「ダライ・ラマ転生制度は、無宗教を標榜する中国共産党が安易に関与すべきではない。チベット仏教信者によって運用されるべきだ」と主張した。 そして、「中国政府は偽物のダライ・ラマ15世を立てる前に、毛沢東や鄧小平の転生者を探すべきではないか」というダライ・ラマ14世が飛ばしたジョークを紹介した。 もちろん、国際社会も中国が立てる偽ダライ・ラマ15世を認めない構えだ。 2020年、第1次トランプ米政権下で成立したチベット政策支援法では、「ダライ・ラマなどチベット仏教指導者の転生はチベット仏教徒自身によって行われるべきであり、中国政府による干渉を許さない」 と定めており、中国政府関係者が転生制度に干渉する場合、「制裁対象になる可能性がある」としている。 EUでも今年5月、欧州議会がダライ・ラマを含むチベット仏教の精神的指導者の選出への介入を非難することを含んだ決議を採択。その上で、チベットにおける人権侵害に関与する当局者および団体に制裁を課すようEUに要請した。 とはいえ、大川教授は「問題解決になるような具体的なアクションは期待できない」と、チベット問題解決の難しさを指摘する。
中国国内でも密かに信仰されるダライ・ラマ14世
現在も中国政府はダライ・ラマ14世を認めておらず、事あるごとに「分裂主義者」や「政治的亡命者」と呼ぶ。 中国の検索エンジンで「ダライ・ラマ14世」を検索することはできず、チベット仏教の信者であっても写真を飾ることはできない。中国に住むチベット人はダライ・ラマ14世を「名前を呼んではいけないあの人」などと表現する。 しかし、実際は口には出せずとも、情報を遮断されようとも、インドに逃れたダライ・ラマ14世を信仰しているチベット人は少なくないようだ。 中華人民共和国憲法第36条には「中華人民共和国公民は宗教信仰の自由を有する」などと定められており、名目上は信教の自由が保障されている。また、中国政府は恣意的かつ不透明な法運用や超法規的措置を指摘される度に「中国は法治国家だ」と主張している。 だが、チベットでの弾圧やダライ・ラマ転生制度に首を突っ込もうとする姿勢を見る限り、中国政府の役人で「法治」の意味や理念を分かっている者はいないように思える。少なくとも、都合のいい法律を一方的に作って濫用することを「法治」とは言わないはずだ。 中国政府はチベット人に中国語学習を強制する前に、まず自分たちが中国語を学び直すべきではないだろうか。
楢橋広基(本誌記者)

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