http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161116-01222350-sspa-soci
週刊SPA! 11/16(水)
’15年は6530万人もの難民が命の危険を訴え、世界をさまよった。一方、日本にも難を逃れ平穏に暮らす難民たちがいる一方で、制度を食い物にする“難民”たちも現れた。生死の境をさまよった末、辿り着いた国は楽園か?
⇒【グラフ】難民認定申請者数と認定者数(法務省データより)
◆「難民に対して門戸が狭い」非難を浴びる日本の事情
中東情勢が混乱し、欧州に大量の難民が流入していることは日本でも知られている。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の統計によれば、’15年末時点で世界の難民は6530万人。前年より580万人増えて過去最多となり、世界は「難民の時代」に突入している。
この事態に臨んだ安倍首相は、9月にニューヨークの国連本部で開かれた「難民と移民に関する国連サミット」において、日本は難民支援策として総額28億ドル(約2800億円)を拠出すると表明した。だが、’15年の日本での難民申請者7586人のうち日本政府が難民として認定したのは、たったの27人。素人目からすればいかにも少ない。これでは「難民に対して門戸が狭い」と海外から批判を受けても仕方がないだろう。
◆「入国すれば暮らせる」と難民認定申請者が急増
ところが、出入国管理及び難民認定法(入管法)の運用面にフォーカスすると景色が変わってくる。
「難民申請した半年後から外国人でも日本で働くことができますし、審査結果が出るまでの間は滞在が認められ、却下されたとしても何度でも再申請が可能です。民主党の政権下でそのように改められました」と法務省入管担当者が説明するように、難民認定申請を繰り返すことで難民認定希望者は半永久的に日本で暮らせる。入国しさえすれば、彼らには道が開ける。
もちろん、この“優しい”状況に対して憂慮する声もある。
「最近は、ミャンマーやネパールから技能実習生として来日して企業に派遣されても、入社初日から会社に来ないで難民申請するケースが増えているようです」
そう語るのは、ベトナム人の技能実習生と日本の企業を仲介している協同組合グラン副理事長・五百部敏行氏。同協会のように、実習生を企業に紹介する立場からすれば信用が丸つぶれとなり、受け入れ先の企業としても、生産活動に大きな支障が出るのは必至だ。
しかし総体としては、その程度のリスクなど物ともせず、多くの企業が外国人技能実習生制度を利用している。少子高齢化や地方の過疎化などによる労働力不足は深刻で、背に腹は代えられないのだ。
そんなハードな現場で神経をすり減らす五百部氏が、半ば呆れ気味に眺めているのが留学生問題だ。
「日本語学校に通う生徒の約8割が、留学を名目とした出稼ぎ労働者です。技能実習生はあらかじめ決められた職種にしか就けませんが、留学生は週28時間以内で、風営法対象外の職種ならなんでも就労できます」
日本語教育の質向上を目的とする一般財団法人日本語教育振興協会(日振協)によれば、’15年末時点で日振協認定の日本語教育機関に籍を置く留学生は、約5万人。中国が過去10年にわたって不動の1位だったが、’13年からベトナムとネパールが異常なペースで増加しており、両国の出身者を合わせれば中国を抜いている。両国で日本語学習熱がかくも急に高まるとは、にわかには信じがたい。
日振協専務理事・高山泰氏は、「当協会の加盟校では、学生選抜のための基準を設けたり、各学校の生活指導担当者で会議を定期的に開いて、情報の共有に努めたりしています」と前置きした上で、留学生が起こす事件のうち、日振協加盟校の生徒によって引き起こされる事件は少ないと指摘する。
「最近、当協会に属さない日本語学校は年に40~50校ペースで増えていますが、定期チェックがされていません。我々がタッチできない以上、入国管理局が指導するしかないが、一校一校を管理するのは現実的に難しい問題です」
外国人への日本語教育によって日本社会へ貢献することを標榜する彼らにとって、日本語学校が出稼ぎと犯罪のイメージで語られることは、頭の痛い問題だろう。
一方で、技能実習生・留学生を手駒としてリクルートしている犯罪組織も存在する。日本の今の状況をどう捉えているのだろうか。
日本で暮らして20年超になる自称カンボジア国籍の仲介業者Y氏と、来日して3年のベトナム人G氏との接触に成功した。
「Gはもともと、ベトナムの警察官を辞めて技能実習生として来日したが、今は派遣先の企業から逃げてきたので、匿っている」とY氏は流暢な日本語で説明する。
G氏はベトナムから技能実習生として日本に向かうための書類作りの名目で、ブローカーに120万円を支払っており、来日時点ではそれが丸々借金になっていた。バイク窃盗と海外密輸の片棒を担いで債務を返済し、まとまった資金を稼いだため、そろそろ日本を離れる腹づもりだという。飛行機に乗る際にオーバーステイで捕まってしまうのでは?と記者が疑問を投げるとY氏は「日本の入管法はユルユルだから」と鼻で笑う。
「国に帰りたくなったら、入管に出頭すればいい。逮捕されるのでなく自発的に出頭すれば、優良外国人とみなされて、1年後にまた同じ名前で日本に戻ってこれる」
またY氏は、来日してくるベトナム人ともともと日本にいるインドシナ難民との偽装結婚も仲介している。日本政府に定住を認められている難民と結婚すれば、外国人でも在留資格が与えられるのだ。
「あと5年ぐらいで、日本にいる外国人労働者の大半がベトナム人になる」とY氏は不敵な笑みを浮かべていた。
<日本と難民の関係年表>
’48年4月3日:韓国政府が済州島民を大量虐殺し、逃れた島民が大挙日本に流入
’50年6月25日:朝鮮戦争が勃発し、戦火を逃れた韓国人が大挙日本に流入
’51年7月28日:ジュネーヴで「難民の地位に関する条約」成立
’53年7月27日:朝鮮戦争休戦
’75年4月17日:カンボジアでポルポト政権成立
’75年12月2日:ラオス人民民主共和国成立
’75年:共産化したインドシナ三国を逃れた難民が大量発生し、日本は計1万1000人を受け入れ
’78年:「クルド人国家の樹立」を掲げてクルド労働者党(PKK)が活動開始
’81年10月3日:日本が「難民の地位に関する条約」に加盟
’88年:ミャンマーの市民権法により、ロヒンギャがミャンマー国籍を剥奪される
’91年1月17日:湾岸戦争勃発
’91年2月28日:湾岸戦争終結後、約150万人のイラクのクルド人が難民化
’09年9月16日:日本で民主党政権が発足
’10年7月1日:日本の「出入国管理及び難民認定法」改正法が施行
’15年10月16日:超党派による日本クルド友好議員連盟が発足
’15年10月25日:在日本トルコ大使館前でトルコ人とクルド人の衝突が発生
― 徹底ルポ[ニッポンの難民]を考える ―
⇒【グラフ】難民認定申請者数と認定者数(法務省データより)
◆「難民に対して門戸が狭い」非難を浴びる日本の事情
中東情勢が混乱し、欧州に大量の難民が流入していることは日本でも知られている。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の統計によれば、’15年末時点で世界の難民は6530万人。前年より580万人増えて過去最多となり、世界は「難民の時代」に突入している。
この事態に臨んだ安倍首相は、9月にニューヨークの国連本部で開かれた「難民と移民に関する国連サミット」において、日本は難民支援策として総額28億ドル(約2800億円)を拠出すると表明した。だが、’15年の日本での難民申請者7586人のうち日本政府が難民として認定したのは、たったの27人。素人目からすればいかにも少ない。これでは「難民に対して門戸が狭い」と海外から批判を受けても仕方がないだろう。
◆「入国すれば暮らせる」と難民認定申請者が急増
ところが、出入国管理及び難民認定法(入管法)の運用面にフォーカスすると景色が変わってくる。
「難民申請した半年後から外国人でも日本で働くことができますし、審査結果が出るまでの間は滞在が認められ、却下されたとしても何度でも再申請が可能です。民主党の政権下でそのように改められました」と法務省入管担当者が説明するように、難民認定申請を繰り返すことで難民認定希望者は半永久的に日本で暮らせる。入国しさえすれば、彼らには道が開ける。
もちろん、この“優しい”状況に対して憂慮する声もある。
「最近は、ミャンマーやネパールから技能実習生として来日して企業に派遣されても、入社初日から会社に来ないで難民申請するケースが増えているようです」
そう語るのは、ベトナム人の技能実習生と日本の企業を仲介している協同組合グラン副理事長・五百部敏行氏。同協会のように、実習生を企業に紹介する立場からすれば信用が丸つぶれとなり、受け入れ先の企業としても、生産活動に大きな支障が出るのは必至だ。
しかし総体としては、その程度のリスクなど物ともせず、多くの企業が外国人技能実習生制度を利用している。少子高齢化や地方の過疎化などによる労働力不足は深刻で、背に腹は代えられないのだ。
そんなハードな現場で神経をすり減らす五百部氏が、半ば呆れ気味に眺めているのが留学生問題だ。
「日本語学校に通う生徒の約8割が、留学を名目とした出稼ぎ労働者です。技能実習生はあらかじめ決められた職種にしか就けませんが、留学生は週28時間以内で、風営法対象外の職種ならなんでも就労できます」
日本語教育の質向上を目的とする一般財団法人日本語教育振興協会(日振協)によれば、’15年末時点で日振協認定の日本語教育機関に籍を置く留学生は、約5万人。中国が過去10年にわたって不動の1位だったが、’13年からベトナムとネパールが異常なペースで増加しており、両国の出身者を合わせれば中国を抜いている。両国で日本語学習熱がかくも急に高まるとは、にわかには信じがたい。
日振協専務理事・高山泰氏は、「当協会の加盟校では、学生選抜のための基準を設けたり、各学校の生活指導担当者で会議を定期的に開いて、情報の共有に努めたりしています」と前置きした上で、留学生が起こす事件のうち、日振協加盟校の生徒によって引き起こされる事件は少ないと指摘する。
「最近、当協会に属さない日本語学校は年に40~50校ペースで増えていますが、定期チェックがされていません。我々がタッチできない以上、入国管理局が指導するしかないが、一校一校を管理するのは現実的に難しい問題です」
外国人への日本語教育によって日本社会へ貢献することを標榜する彼らにとって、日本語学校が出稼ぎと犯罪のイメージで語られることは、頭の痛い問題だろう。
一方で、技能実習生・留学生を手駒としてリクルートしている犯罪組織も存在する。日本の今の状況をどう捉えているのだろうか。
日本で暮らして20年超になる自称カンボジア国籍の仲介業者Y氏と、来日して3年のベトナム人G氏との接触に成功した。
「Gはもともと、ベトナムの警察官を辞めて技能実習生として来日したが、今は派遣先の企業から逃げてきたので、匿っている」とY氏は流暢な日本語で説明する。
G氏はベトナムから技能実習生として日本に向かうための書類作りの名目で、ブローカーに120万円を支払っており、来日時点ではそれが丸々借金になっていた。バイク窃盗と海外密輸の片棒を担いで債務を返済し、まとまった資金を稼いだため、そろそろ日本を離れる腹づもりだという。飛行機に乗る際にオーバーステイで捕まってしまうのでは?と記者が疑問を投げるとY氏は「日本の入管法はユルユルだから」と鼻で笑う。
「国に帰りたくなったら、入管に出頭すればいい。逮捕されるのでなく自発的に出頭すれば、優良外国人とみなされて、1年後にまた同じ名前で日本に戻ってこれる」
またY氏は、来日してくるベトナム人ともともと日本にいるインドシナ難民との偽装結婚も仲介している。日本政府に定住を認められている難民と結婚すれば、外国人でも在留資格が与えられるのだ。
「あと5年ぐらいで、日本にいる外国人労働者の大半がベトナム人になる」とY氏は不敵な笑みを浮かべていた。
<日本と難民の関係年表>
’48年4月3日:韓国政府が済州島民を大量虐殺し、逃れた島民が大挙日本に流入
’50年6月25日:朝鮮戦争が勃発し、戦火を逃れた韓国人が大挙日本に流入
’51年7月28日:ジュネーヴで「難民の地位に関する条約」成立
’53年7月27日:朝鮮戦争休戦
’75年4月17日:カンボジアでポルポト政権成立
’75年12月2日:ラオス人民民主共和国成立
’75年:共産化したインドシナ三国を逃れた難民が大量発生し、日本は計1万1000人を受け入れ
’78年:「クルド人国家の樹立」を掲げてクルド労働者党(PKK)が活動開始
’81年10月3日:日本が「難民の地位に関する条約」に加盟
’88年:ミャンマーの市民権法により、ロヒンギャがミャンマー国籍を剥奪される
’91年1月17日:湾岸戦争勃発
’91年2月28日:湾岸戦争終結後、約150万人のイラクのクルド人が難民化
’09年9月16日:日本で民主党政権が発足
’10年7月1日:日本の「出入国管理及び難民認定法」改正法が施行
’15年10月16日:超党派による日本クルド友好議員連盟が発足
’15年10月25日:在日本トルコ大使館前でトルコ人とクルド人の衝突が発生
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