Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/7cb356e2545eb3b5c5630961af9e0eae92f4e426
会社員として働きながら、「蝶が好きすぎる」という衝動だけで世界の秘境に飛び出し、未踏の地でフィールドワークを続けた破天荒な研究者がいた。 謎の蝶を追い求めた探検と採集の珍道中を綴ったエッセイ『アゲハ蝶の白地図』の著者で、蝶の研究者の五十嵐邁さんである。 五十嵐さんは探検隊とともに踏み入れたミャンマーの山で遭難しかけて水牛のフンが浮いた泥水を飲む、イラクでスパイと疑われる、ラオスで謎の疫病にかかり生死をさまようなど、度肝を抜かれる体験をする。 その探検の道程を知り、「どえりゃすげえ!!」と驚愕したノンフィクション作家の高野秀行さんは、規格外の破天荒さに「なんだろう、この人は…」と唖然となったという。 その五十嵐さんと探検隊のありえないような武勇伝とは?
なんだろう、この人は…
「どえりゃすげえ!!」 2008年、本書の親本(単行本)を読んだとき、何度も名古屋弁で口走ったのを覚えている。大学時代、私には名古屋出身の後輩がいて、彼の感嘆詞がうつってしまい、今でもときおり規格外のものや破天荒な人に出会ったときに口をついて出てしまうのだ。 本書は1960年代から2000年代前半にかけて、まだ世界に未知と謎がふんだんに残っていた時代、謎の蝶を追い求めて世界の秘境に分け入った「知られざる探検家」の探索行にして一代記である。 この度、再編集されて文庫化されたというので再読してみたら「どえりゃおもしれえ!!」と唸ってしまった。 なんだろう、この五十嵐邁(いがらしすぐる)という人は。異常なほどの行動力、冷静な観察研究力、そして旅の話を面白おかしく書く文章力。日本の探検冒険の歴史にもちょっと類例がない人物ではあるまいか。 五十嵐さんは1924年生まれ。幼いときから昆虫に魅せられてしまい、本人曰く「母親の叱責、教師からの圧迫、友人との乖離、社会との不調和…」、つまり人間関係上に多大な犠牲を払いながら熱狂的な蝶マニアになってしまったという。 東京大学工学部建築学科を卒業後、大成建設に入社するも頭にあるのはいつも蝶のこと。1947年というから23歳ぐらいからアゲハチョウの図鑑の作製にとりかかるも、テングアゲハ、シボリアゲハ、カギバアゲハの3種の蝶に関しては生活史が謎に包まれており何も書くことができない。それならいっそ自分で探索してやれ! と会社勤務の合間を縫って探検調査の旅に出かけた。本書はそこから始まる。 この本に記された探検行は大きく3つのパートに分けられ、どのパートもそれぞれ別の面白さが横溢している。
五十嵐探検隊、密林へ/インド
まず、副題ともなっている「怪蝶」ことテングアゲハを追い求めるパート。この蝶はネパールからインド北部、ミャンマー、中国西部の標高2000メートル以上の密林に住む。 まさに私がかつて旅して回ったエリアだ。自然環境の厳しさと政情の不安定さから、昔から今に至るまで外部の者を拒む地域だが、五十嵐さんは往年の「水曜スペシャル 川口浩探検隊」の川口隊長を彷彿させるようなドタバタを交えた突撃精神で、同じ蝶仲間を引き連れて何度もこの地に挑む。 でも川口隊長ならぬ五十嵐隊長は、後に京都大学で博士号を取得し、日本蝶類学会会長にものぼりつめた世界トップクラスの研究者でもある。私はてっきり蝶を捕まえて標本にすればいいんだろうと思っていたが、全然そんな単純なものじゃなかった。 成体(大人の蝶)の雄と雌を両方捕獲したうえ、産卵と孵化に挑み、幼虫の生態(どんな草を食べるかとか)を調べ、さなぎから羽化まで観察して記録する──つまり生活史を解明することを目標とする。しかもそれを何の設備もない現地で行う。 蝶がどこにいるかもわからないから、とりあえず行ってみて発見して喜び、でも捕獲できずに落ち込む。次は捕獲して狂喜し、でも産卵に失敗して運命を恨む。この激しい一喜一憂をくり返すから読者も一緒にジェットコースターに乗ったかのように何度も歓喜と絶望を行き来してしまう。
「T建設のガダルカナル島」にて/イラク
二番目のパートは──これが最もエキサイティングなのだが──イラク南部の都市バスラに2年間赴任しながら休暇をとっては蝶探しのために出かける「シンバッド」篇。これを読んで1970年前後のイラクがかくも過酷な環境だったのかと初めて知った。 なにしろ当時のバスラは、50度を超える猛暑(しかもエアコンなし)、フセイン政権下の厳しい工業省が施主、文明的な物資は乏しく、前任者たちは精神や内臓を病んで続々と帰国し「T(大成)建設のガダルカナル島」「地獄の作業所」と呼ばれたという。その赴任を上司から打診された五十嵐さんは「どうせ探検には困難がつきものだ」とあっさり引き受けたという。 どうかしている。だってこれは会社の仕事であって探検じゃないのだ。でも五十嵐さんの頭にはいつも「蝶の探索」しかない。会社の仕事など二の次で、「イラク勤務=中東の珍しい蝶が探せる」という等式で結ばれてしまうのだ。 注目すべきはこの2年間のイラク滞在中、6回にわたって同国北東部のクルディスタンに挑むこと。私もこの数年間に2回同地を訪れたことがあるが、3000メートルを超す山脈と深い谷がおりなす大自然に圧倒された。まさか50年も前に、この地を隅々まで歩き回っていた日本人がいたとは知らなかった。 五十嵐さんはクルディスタンで「イエローエンペラー(黄色い皇帝)」と自分で命名した新種の美しい蝶を発見し、その正体を解明すべく通い詰める。 この探索行では、運転手のエショーと彼の友だちである中学校の先生マティウスという人が参加し、この新たな五十嵐探検隊がめっちゃ愉快。特にマティウスさんのキャラがすばらしい。五十嵐さんを助けようと奮闘し、あるときは「黄色い皇帝のさなぎを見つけた!」と得意げに報告し、隊長は狂喜乱舞。でも実はカブトムシのさなぎだと判明し、五十嵐隊長は失意のどん底に沈む。でも心優しい隊長は本当のことを言うと隊員(マティウスさん)の志気をくじくと思い、大失敗に気づかないふりをして御礼を述べ、あとでこっそりさなぎを路上に捨てた。しかし、こんな気づかいのおかげで五十嵐隊の絆は深まり、彼らはあとで世界的な大成功を収めるのである。それは読んでのお楽しみだ。
女房をトラに食わせたなんて/ラオス
三番目のパートは打って変わって(というか、さらに)お笑い満載の珍道中。五十嵐さんは大成建設退職後、今度は時間を気にせず、蝶仲間たちと好きなだけ探索に没頭する。奥さんの昌子(よしこ)さんが突如、主役級に躍り出るのが可笑しい。五十嵐さんを差し置いて、稀少な蝶の幼虫や卵をバンバン見つけてしまうのだ。もはや「五十嵐昌子探検隊」なのだ。 昌子さんはそれこそ「どえりゃすげえ女性」で、ありえないような武勇伝を連発。ラオスでは「トラがいる」と地元の人に恐れられている森にも平気で入ろうとし、五十嵐隊長が慌てて止める。 「やめろ、危ない。その森にはトラがいるんだ!」 「平気よ。トラは昼間は寝ているのよ。」 「馬鹿を言うな。昼間だって餌が来れば襲ってくるぞ。」 「大丈夫よ。私はおめおめと食べられはしないわ。」 「おまえは食われちまって終わりだからいいが、女房をトラに食わせたなんて俺の一生の恥になる。頼むからやめてくれ。」 なんだか昭和の喜劇映画の一コマみたいだ。愉快すぎる。 他にも昌子さんのびっくりエピソードが続く。「実弾を撃たせて」と軍の兵士に頼んで撃ってみたところ、森の中で麻薬の密売人が銃声にびっくりして飛び出してきたとか、謎の疫病で体重が20キロも落ちてしまったのにまた現地での探検に戻ってきたとか、この夫にしてこの妻ありの活躍ぶり。 とはいえ、このパートは実はいちばん危険度が高かった。 中でもインドネシアで乗った飛行機が墜落した事件はやばすぎる。死者が何名も出た大事故で、五十嵐隊長も紙一重の偶然により命が助かった。なのに、脱出直後、燃えさかる機体をバックに笑顔で記念写真を撮っている隊長。あまりに予想外の出来事に危機感が麻痺していたせいらしいが、それにしてもこの写真には驚く。 いやはや。なんて愉快で濃い探検記なのだろう。 未知や謎が好きな人は大興奮でき、何かに挑戦している人は勇気がもらえ、仕事や人間関係で悩んでいる人が読めばそんな悩みがどうでもよくなるという、まさに「どえりゃすげえ本」なのである。 [レビュアー]高野秀行(ノンフィクション作家) 1966年生まれ。ポリシーは「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も知らない本を書く」。『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)でデビュー。『西南シルクロードは密林に消える』(講談社文庫)のほか、『謎の独立国家ソマリランド』(本の雑誌社)で講談社ノンフィクション賞、『イラク水滸伝』(文藝春秋)でBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞するなど著書多数。最新刊は『酒を主食とする人々』(本の雑誌社)。 協力:山と溪谷社 山と溪谷社 Book Bang編集部 新潮社



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