Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/e226689cbd7e4c5f9622a8bccd3e67efc153f03e
登山家の野口健さんを父に持つ絵子さん。小学生で登山を始め、現在は世界の山々の登頂を続けるほか、ミスコンテントなどにも積極的に挑戦をしています。しかし、幼少期は引っ込み思案な性格だったそう。変われたきっかけはやはり「山」と「父」でした── 。 【写真あり】「透明感がすごい」ミス日本コンテストに挑戦中、現在21歳の野口絵子さん(6枚目/全13枚)
■「山に行けばお父さんと話せる」 ── お父さんで登山家の野口健さんと一緒に登山をされていて、中学生でキリマンジャロ、高校生でヒマラヤデビューし、今年も標高6476メートルのメラ・ピークの登頂に成功しました。登山を始めたのは、お父さんから誘われたことがきっかけだったそうですね。
野口さん:私が3歳のとき、父が久しぶりに家に帰ってきて、また家を出るときに「おじさん、また遊びに来てね」と言ったそうなのです。 父は昔から忙しい人で、年に数回はネパールに遠征に行っていましたし、講演で全国を回っていました。私は父のことをおじさんと言ったのは覚えていないのですが、家にいない時間が圧倒的に多かったので、父親というよりたまに帰ってくる人という感じだったのかもしれません。父は、自分が父親だと認識されていないことにショックを受けて、そこから私を山に連れて行くようになったと聞きました。
── 登山は小さいころから好きでしたか? 野口さん:最初は好きではなく、むしろ嫌いでした。山に登るのは大変でつらいというシンプルな理由からだったのですが、当時は山のおもしろさがまだ理解できていませんでした。でも父と一緒に過ごせる唯一の時間が山だったので、父から誘われたら「行くしかない」と思っていて、子どもながらに使命感を持って登っていました。それに「山に行けばお父さんと話せる」と思って楽しみにしていた部分もありました。
── 現在、「第58回 ミス日本コンテスト2026」に挑戦されていて、人前で話す機会も多いと思いますが、小さいころはどんな性格でしたか。 野口さん:今とまったく性格が違っていて、引っ込み思案だったと思います。人前に出て発言することも、何か新しいことに挑戦するのも好きではありませんでした。ひとりで家のなかで遊ぶことが好きで、家に父や母の知り合いが来てもきちんと挨拶ができずに母の後ろに隠れているようなタイプです。でも、山に登るようになってだんだん変わっていったと思います。
■「してはいけない無理」を身をもって知った ── 登山デビューは雪山だったそうですね。 野口さん:小学2年生のときに父と長野県の八ヶ岳連峰にある天狗岳に登ったのが登山デビューでした。父から「雪を見てみたくないかい?」と誘われたのですが、雪遊びの感覚で、「見てみたい!行く行く!」と。ところが向かった先は、極寒の雪山で、マイナス20度の猛吹雪でした。今のように性能がいい子ども用の登山服もなく、とにかく寒かったです。一面雪景色でこの先どこを歩くのかもわからず、指先が冷たすぎて痛くなってきたので父に助けを求めました。ところが父は、「いいかい、指が痛いってことはまだ感覚があるということ。だから大丈夫」と。
そこから凍傷について話をされたのですが、「ひどくなると指の感覚がなくなって、黒くなって指が落ちてしまうこともあるから危険なんだ」と。でも、当時8歳の私は、ただ自分の手を温めてほしかっただけでした。父に助けを求めたのに、返ってきた言葉はよくわからないし、何もしてくれない。そこから父に助けを求めることをやめて、「私はまだ8年しか生きていません、どうか助けてください」と神さまにお願いしながら歩いていたのを覚えています。
── 8歳にして、ものすごい経験ですね。 野口さん:その後、頂上の下にある山小屋でランチ休憩をしたのですが、あたたかい部屋で食べた山菜ラーメンのおいしさは今でも覚えています。心まで染み渡るおいしさでした。子どもなので、おいしいものを食べたら一気に体力や気力が回復して。「よし、登ってやるぞ!」という気持ちになったのですが、そこで父から「今日は天気が悪いので、これ以上は行かない。頂上を目指すのではなく、ここから帰ることをゴールにするね」と言われました。
── せっかくやる気になったところで、引き返すことになったのですね。 野口さん:父にどうしてか聞いたら、「いいかい、絵子さん。山ではしていい無理と、してはいけない無理があります。もしかしたら帰れなくなってしまうかもしれないし、命の危険があるからこの先は行けません。山は決して逃げないから、また戻ってくればいいよ」と。 子どもながらに、「してはいけない無理って何だろう」と頭で考えながら下山したのですが、次の日に宿でテレビを見ていたら、私たちと同じ日に同じ山に行ったグループが遭難したことをニュースで知りました。子どもながらに、これが父の言う「してはいけない無理」なんだと、身を持って感じました。
■「時間を守れ」「人に優しく」と言う代わりに父は ── 大変な経験だったと思うのですが、その後も登山を辞めずに続けたのはなぜですか。 野口さん:とにかくつらくて大変でしたし、身の危険を感じて怖くもありました。でも、父と山に登ると、学校で教えてくれるものとはまったく違う、生きた学びがたくさんありました。「よく辞めなかったね」と周りから言われたのですが、私自身もどうしてなのか理由はうまく言えないものの、何か自分のなかで刺さるものがあったんだと思います。
あとは、山に登ると周りからすごいねと褒められることが多かったので、単純だったと思うんですが、もっと褒められたいと思って登っていた部分はあったと思います。続けることで自信に繋がって、小学校高学年ころには人前で話すこともできるようになっていきました。山が私の性格を変えてくれたのだと思います。 ── 登山家として活動しているお父さんの教育はどのようなものでしたか。 野口さん:父は自分の実体験を正直に話してくれる人です。経験を通してどんなことを感じたか、どんなふうに乗り越えたか、どんな失敗をしたかを聞いてきました。時間を守りましょうとか、人に優しくしましょうと言われたことはなかったと思います。
父から聞いた言葉で大事にしているのは、「人生ネタになればいい」です(笑)。どんな失敗をしても、後から振り返ったら経験となって、それはおもしろいネタになると言われていました。まっすぐな人生はネタがなくなってしまうけど、たくさん寄り道をしたり、転んだりしたほうがおもしろくなるんだよと。今の私は小さいころと違って、新しいことに挑戦することが好きなのですが、それは失敗することが怖くないと思っているからです。これは、父の教えが私の生き方に影響していることだと感じています。
取材・文/内橋明日香 写真提供/野口絵子
内橋明日香

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