Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/8be45abbf0ed1f87f5d76058e568b61ef0ca21e2
2024年の能登半島地震で被災した2人の高校生が同じく地震で被害を受けたネパールで支援活動を行いました。 【写真を見る】能登半島地震で被災した高校生がネパールで支援活動 国境を越え支えられる立場から支える立場へ 11月下旬、金沢駅で友人と一緒に募金活動を行うのは、震災で弟を亡くした能登高校2年の森泰一郎さん。 森泰一郎さん「自分のためでもあるんですけど能登半島が被災していろんな人から支援してもらったのを次の困っている人に次は僕たちが支援出来たらいい」 また、ネパールの人たちに贈るため冬用の防寒具などを募っていたのは、震災で母と祖母を亡くした輪島高校2年の林佑馬さん。 林佑馬さん「自分が被災して大変だとかそういう思いは多少持っているんですけど自分よりも貧しい地域かつ地震が多かったりとか災害が多い地域に行って支援する側の立場にもなってみたい」 ■ネパールで支える立場に 被災した2人の高校生が支えられる側から支える立場へ。およそ5000キロ離れたネパールへ旅立ちました。 ネパールは2015年4月、およそ8500人が亡くなる地震があった場所で、今もボランティアを必要としています。2人は、能登でのボランティア活動で知り合った支援団体と共に活動を行いました。 最初に訪れたのは孤児院。 貧富の差が大きく、今でも多くの子どもが孤児院に預けられています。子供たちにはコメやビスケット、衣服を届けました。 森さんは、小学校の頃に習った能登のまつりで演奏する篠笛も披露し、子供たちに笑顔を届けていました。 森泰一郎さん「言語の壁というのがめちゃくちゃ大きかったんですけど、各自でバラバラにしゃべってると全然伝わらなくてもどかしいところもあったんですけどそれを助けてくれたのが音楽でした。」 ■ネパール地震の震源地の村へ 翌日、ネパール地震で震源地となった場所へと向かった2人。 険しい道を上り、標高1500メートルにある辺境の地にたどり着くと、子どもたちに日本で集めた服を届けました。 林佑馬さん「地震の際にもらったから捨てれないとかそういった衣服が多くて災害つながりでネパールの貧しい国の人たちに衣服を運んで笑顔になってもらえたのでうれしい」
■被災した経験を防災の授業に 下山した一行は、現地の日本語学校にも訪れました。 ここで2人が任されていたのは、能登半島地震の経験を踏まえた防災授業でした。 輪島高校2年・林佑馬さん「揺れが大きくて自分は何もできませんでした。屋根がくずれてくるのが見えました。家が崩れてきて自分と妹だけが家から抜け出すことができました」 森泰一郎さん「実際に自分の家が崩れた時に家族が机の下に隠れていたおかげで助かりました。(地震が起きたら)机の下とかガラスから離れた場所に逃げる必要があります」 現地の生徒らは2人の体験を交えた授業に真剣に耳を傾けていました。 ■2人がネパールで感じたこととは 10日間の活動を終え、能登に戻った2人に話を聞くと、ネパールで感じたことは様々でした。 林佑馬さん「未だに地震の爪痕が残っていて傾いたままの住宅をそのまま使っていたりとかリアルな現実を見て悲しくなったことも多少なりあるのでプラスの面でもマイナスの面でも語りたい」 森泰一郎さん「超現場的な支援する人がもう少し活動を続けやすいような仕組みとか現場で支援する人の支援みたいなのを僕はしたい。日本の当たり前はネパールでは当たり前じゃないというのを伝えたい」 能登で被災し学んだことを、支援する立場として実践した2人の高校生。 支え合いの輪が国境を越えて広がりました。
北陸放送

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