Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/1c7abb942f235f8b52d9695d842b6cb4e3836409
東京都新宿区は人口35万5807人(2025年12月1日現在)。うち14.5%の5万1639人が外国人だ。この人数は外国人5万3532人の埼玉県川口市(同8.8%)、5万2685人(同7.5%)の東京都江戸川区に次いで全国の自治体で3番目だが、住民間で大きな衝突はない。細かなトラブルはあっても深刻な対立には至っていない。それはなぜか。新宿区長や区内に暮らす外国人たちに取材した。(文・写真:ジャーナリスト・室橋裕和/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
外国人が増えて好感度上昇の新宿区住民
<近所に外国人が生活することについて、どう考えるか> 2023年8月に新宿区が区民の日本人と外国人を対象に、無作為で行った「多文化共生実態調査」というアンケートの一項目だ。日本人住民に対しての問いだが、「好ましい」と答えた日本人が38.9%と全体の約4割。「好ましくない」の10.8%を大きく上回った。 特筆すべきは、2015年に行った同調査との比較だ。このときも同じ質問を日本人住民にしたが、当時から「好ましい」が16.8ポイント増え、「好ましくない」が6.1ポイント減った。この間、新宿区に住む外国人は3万8785人から4万3869人(各調査年の12月)へと増加したが、外国人への好感度は高まっている。 なぜなのか。新宿区長の吉住健一さんはその理由をこう推測する。 「外国人に慣れているというのはあるかもしれませんね」
戦前から「国際学友会」(現・日本学生支援機構)が留学生を受け入れ、バブル期には歓楽街に外国人が流入。2000年代になると韓流ブームで韓国人経営者が増加、2010年代以降はミャンマー人やネパール人が増えた。留学生、コック、会社員などさまざまな立場の外国人が入り交じり、1980年に6036人だった外国人は2025年に5万人を突破。いまや約130カ国・地域の人が住む。 摩擦がなかったわけではない。 「一時期は憎しみの声があふれていたと思います」 吉住さんが述懐するのは、韓国人が急増した2002年頃のことだ。日韓共催FIFAワールドカップとドラマ「冬のソナタ」のヒットを受け、区内の新大久保にあった小さなコリアンタウンは急拡大した。 日本人観光客相手の店が住宅街にも乱立。ごみ、騒音、料理の匂い、日本人大家との転貸をめぐるトラブルなどが続出。 危機感を覚えた日本人と、韓国人との話し合いの最前線にいたのが、政治家秘書だった吉住さんだ。 「当時は国のかけ声で『多文化共生』って言葉だけが踊っていた時代。新大久保は無秩序でした。でも共生の前に、まず秩序の回復だろうと」 吉住さんが大事にしたのは「話し合うこと」だ。 「社会的な現象は罵り合っていても解決しない。話し合うしかないんですよね」
韓国人にも変化が出てきた。 2006年から新大久保で化粧品店やレストランなどを展開する申大永(シン・デヨン)さんは「先輩たちのアドバイスがあった」と言う。 「民団の人たちから、日本の文化について聞かされたんです」 民団(在日本大韓民国民団)とは、戦前から日本に住む在日韓国人や子孫たちの組織だ。その民団が、韓流ブームに乗ってやってきた「ニューカマー」に、地域とコミュニケーションを図るよう釘を刺したという。日本社会で苦労してきた先輩たちが、後輩にこの国のマナーを教えていく。 「日本とはルールが違うんだから合わせないと、って空気が韓国人の間に広まっていきましたね」
後輩に振る舞いを教えるミャンマー人
先人たちが礎になってきたのは、高田馬場に集住するミャンマー人も一緒だ。この街が「リトル・ヤンゴン」と呼ばれるようになったきっかけは1988年。ミャンマーでは民主化運動を軍が弾圧。命の危険に瀕した人々は労働者や難民という形で母国から逃れた。その一部が日本にもやってきて、新宿区の中井に流れ着き、やがて高田馬場にコミュニティをつくった。 「ネットもない時代だったから、見よう見まねで日本人の生活を学んでいったんです」 JMCC(日本ミャンマー・カルチャーセンター)の所長、マヘーマーさんは言う。彼女自身は日本人との結婚を機に、90年代後半に来日、日本語学校や大学を経て2002年にJMCCを開所した。
「『88』世代は必死で日本語を覚えて、日本人に積極的に声をかけて仲良くして。ミャンマーを背負ってきているって気持ちもあったと思います」 そんな古株たちが、留学生など後輩に日本での振る舞い方を教えてきた。 「日本の企業で働くなら5分前までに行動をしなきゃとか、しっかりあいさつをするとか、ごみの分別とか。ミャンマー人は、その土地の考え方に合わせようって人が多いと思います」 そんな努力もあり、地域の日本人にも信頼されるようになっていく。外国人可のアパートが少ない時代だったが、「ミャンマー人なら」と貸してくれる大家も増えた。 マヘーマーさんもJMCCを通じ両国の交流に尽力してきた。ここは日本人がミャンマーの言葉や文化を学び、ミャンマー人が日本語を学ぶ場だ。 2年ほど前のことだ。日本のある公園で桜の枝を揺さぶってふざける動画をアップしたミャンマー人がいたそうだ。 「もう大炎上。日本人が大切にしている桜をどうして、って」 在日ミャンマー人の間だけでなく母国にも飛び火し、SNS上ではモラルを問う声が渦巻いた。そういう自浄作用が働いている。
ネパール語新聞から広がるコミュニティ
ネパール人にも世代間の継承がある。 2025年9月、ネパールでは反政府デモが起こり、政権を倒した。呼応するように新宿の戸山公園には無数のネパール人が集まり、政変を支持。だが「暴動か」と恐れた日本人が通報し、警察からは公園での無許可での集会やごみを散乱させたことで注意を受けた。 これを見たティラク・マッラさんは、自らが日本で発行するネパール語新聞「ネパリ・サマチャー」ですぐさま記事を書いた。 “ネパール人の信頼を損なう行為は慎むべきだ” 今回だけでなく、彼は紙面を通じ在日ネパール人社会に日本のルールを尊重するよう説いてきた。 教師やジャーナリストとして活動してきたマッラさんが来日したのは1998年だ。「戦争からわずか20年ほどで復興した日本に興味を持った」からだ。1999年に新聞を創刊し、25年以上ペンを振るってきた。 新大久保は「リトル・カトマンズ」とも呼ばれる。きっかけのひとつは2008年に「ネパリ・サマチャー」編集部が移転してきたことだ。同年、新宿区在住のネパール人は565人だったが、2025年には5587人と10倍になった。 「新しく来た人は日本のルールがわからない。だからうるさく口を出さないと。それは私たちの世代の義務です」
新聞の内容は3つ。まずネパールのニュース。それに日本のニュースや外国人政策。そして在日ネパール人の話題や、日本社会との付き合い方。刊行は月に2度、SNSにも力を入れる。 加えて、在日ネパール人の団体のリーダーにも記事をシェアする。女性グループ、コックや経営者、出身地ごとのコミュニティ……。 「いまこういう問題が起きています。日本に迷惑をかけないよう、まわりの仲間に広めてください、それはあなたの仕事ですと伝えています」 そのアナウンス力を見込まれ、行政とも連携する。 「警察からは、たとえば『留学生のアルバイトは週28時間まで』というチラシ、法テラスからは外国人向け法律相談の案内、コロナのときは区からワクチンについての連絡。日本語のものは翻訳し、チラシはスキャンしてSNSにアップします」
「話し合えば伝わる」で対応してきた行政
こういった行政側の外国人対応は平成の半ば、前区長の中山弘子さんの時代から充実してきた。 「しんじゅく多文化共生プラザ」を開設して外国人の相談窓口にし、転入してくる外国人には6言語による「新宿生活スタートブック」を配布、マナー、交通ルール、マイナンバーや健康保険といった制度を知ってもらう。区のホームページは日本語を含む121言語に対応……。
こうした政策を、2014年に区長となった吉住さんも引き継いだ。 「区の担当者がミャンマーのお祭りに参加したりして、外国人コミュニティとつながりを持ち続けてきました」 吉住さん自身も新大久保の生まれだ。仕事が終わった夜、ときどき区役所を出て住み慣れた街を歩く。 「あの店の看板がいつも路上にはみ出てて」「あそこは臭いで苦情が」。路地一つひとつに詳しい。そして問題を見つければ、担当者に伝えて話し合ってもらう。現場での地道な対応を続けてきた。 「話し合えば伝わるのは経験でわかっています。2025年の夏、百人町にあるモスク(イスラム教の礼拝堂)に人が入りきれず、路上で礼拝する人が出てしまった。すぐ職員が行って、公道でのお祈りは控えてほしいと指導者に伝えたところ、2度に分けて礼拝しますと。それから彼らは約束を守っています」 吉住さんは「外国人政策では先進自治体と言われますが、特別なことはしていないんですよ」と強調する。20年以上にわたって、多民族の人々と軋轢と交流を重ねてきた結果、自治体に「持久力が備わってきた」と話す。役所の中でも外国人とのつきあいや経験が引き継がれ、対応力が厚くなっているという。
多国籍の住民協力でフェスも
韓国人たちは2014年に「新宿韓国商人連合会」を結成。清掃活動や地域の日本人との交流を進めた。そして商店街の日本人や、ネパール人、ベトナム人の経営者に呼びかけ、区も協力し、2017年に「インターナショナル事業者交流会」が始まった。座長であり、新大久保商店街振興組合の事務局長・武田一義さんは、交流会の目的を話す。
「街として発展すること。そして地域の人たちに『この街でよかった』と思ってもらうこと」 2025年12月3日、その第25回の会議が行われた。 日本、韓国、ネパール、バングラデシュ、中国の経営者、区の担当者、警察や消防も合わせ、約40人が参加(ベトナムは風邪で欠席)。防災や防犯のほか、2026年5月に協力してフェスを行うことも話し合われた。会議の共通語はもちろん日本語で、フェスについては活発に意見が飛び交った。 「外国人に消火器の使い方を教えるコーナーを作っては」と韓国人が言えば、バングラデシュ人は「SNSを活用した集客を」と話し、ネパール人は「いろいろな国の人が交ざってのパフォーマンスはどうか」と提案する。 交流会を通じて同じ外国人同士で悩みを共有することもある。前出の申大永さんも、住民としては「新参」のネパール人やベトナム人とよく話す。 「我々が経験してきた日本人とのトラブルや解決方法を伝えるんです。そうやって、この街が前に進んでいるのは間違いないと思う」
いまも新宿区ではトラブルはある。 留学生を中心に毎年4割の外国人が転出入する流動性の高さから、生活マナーが徹底されない。また、住民の外国人がルールを守っても、他地域から遊びに来る外国人が、ごみを捨てたり、酔っぱらってケンカしたりもする。 それでも、新宿は話し合いと現場主義、そしてコミュニティ内での経験の継承によって、なんとか大きな摩擦や対立を回避してきた。冒頭のアンケート結果がそれを証明している。 吉住さんは言う。 「もともと“来るもの拒まず”の宿場町からスタートしましたからね。その気質はいまも残っている」 室橋裕和 ジャーナリスト。1974年生まれ。著書に『カレー移民の謎』『ルポ新大久保』など。 「#日本社会と外国人」はYahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。2024年末の在留外国人数は前年より約11%増え、約377万人。日本の人口に占める割合は約3%です。訪日外国人旅行者も年々増加し、2024年には過去最高を記録しました。今後、日本社会は外国人とどう向き合い、どのような関係を築いていけばよいのでしょうか。さまざまな事例と共に考えます。









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