Source:https://www.chunichi.co.jp/article/1003673
Googleニュースより
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Source:https://news.ntv.co.jp/n/nib/category/society/ni3e5f8f9143ca4b749684153402f7e9d4
宿泊業界の人手不足解消に向けた取り組みです。
県内のホテルで、ネパールからのインターンシップ生の受け入れがスタートしました。
県庁を表敬訪問したのは、ネパールの大学で観光について学んでいる学生9人です。
9人は、3日前に初めて来日。
長崎市や大村市、雲仙市の宿泊施設でインターンシップがスタートしています。
(シルバーマウンテン大学 ナカルミ ナンダニさん(4年))
「まずは日本のおもてなしが経験できることが一番楽しみ。将来的には、日本の文化が良かったら日本での就職も考えている」
県内の宿泊業においては、人手不足が最も大きな課題となっているものの、外国人人材を受け入れている事業者は、2割以下にとどまっています。
その解消を図るため、県旅館ホテル生活衛生同業組合では、今年7月からネパールと県の三者で連携した取り組みを始め、今回 初めての受け入れとなりました。
(県旅館ホテル生活衛生同業組合 塚島宏明 専務理事)
「県内の宿泊事業者が今回の1期生の活躍を見て、外国の方と一緒に働いてみたいなと思ってもらえたら最高」
学生は約半年間インターンシップに臨み、県は日本語教室や地域行事への参加をサポートしていくということです。
Source:https://jp.news.cn/20241204/68c614b6f5454871a74221ada2c4a313/c.html
新華社 | 2024-12-04 14:05:05、Googleニュースより
中国の李強(り・きょう)国務院総理は3日午前、中国を公式訪問したネパールのオリ首相と北京の人民大会堂で会談した。(北京=新華社記者/饒愛民)
中国の李強(り・きょう)国務院総理は3日午前、中国を公式訪問したネパールのオリ首相と北京の人民大会堂で会談した。(北京=新華社記者/劉彬)
Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/a7b5b3c63915583144df32e9f93f9b4d223e6a2e
[北京 8日 ロイター] - 中国のチベット自治区シガツェ市で7日発生したマグニチュード(M)6.8の地震の捜索活動は8日、2日目に入った。 当局によると、建物などに閉じ込められていた400人以上が救出された。現地では3万人以上が避難している。 地震発生から24時間が経過。がれきの下敷きになった生存者は氷点下で一夜を過ごしたとみられ、低体温症や脱水症状のリスクが懸念されている。 シガツェ市の人口は約80万人。国営メディアが7日遅く、現地の当局者の話として報じたところによると、家屋3609棟の倒壊が確認されている。負傷者を救護するため、500人以上の救助関係者と救急車106台が現地に派遣された。 中国国営中央テレビ(CCTV)によると、チベット自治区では少なくとも126人が死亡、188人が負傷した。ネパール、ブータン、インドでも揺れを感じたが、死者は報告されていない。 現地の気温は夜間に氷点下18度まで下がった。CCTVによると、被災地には7日夜までにテント、食料、発電機などが届けられた。地震で被害を受けた道路も全ての区間で通行が再開されたという。 中国地震台網によると、現地時間8日午前8時(日本時間同9時)までに最大でM4.4の余震が500回以上発生している。
Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/af444b4b2e070abb240a1368368a07cef8a0087b
中国西部のチベット自治区でマグニチュード6.8の大きな地震があり、これまでに少なくとも126人が死亡しました。 【画像】チベット地震 がれきが散乱した道路に、押しつぶされた車
大きく揺れる棚から落ちてくる商品。避けながら逃げる人の姿が見えます。 道路には、がれきが散乱し、車は押しつぶされています。 7日午前、中国西部のチベット自治区シガツェ市をマグニチュード6.8の強い地震が襲いました。 シガツェ市の店員 「突然の強い揺れで全員が逃げました」 がれきの下から救助されたのでしょうか、顔にけがをした子どもを治療する様子も見られます。 震源地周辺は海抜4500メートル前後の高地で、エベレストに近くネパールやブータンと国境を接する場所です。半径20キロ圏内に、およそ6900人が暮らしています。 新華社通信によりますと、これまでに126人の死亡が確認され、3600軒を超える家屋が倒壊しています。 (「グッド!モーニング」2025年1月8日放送分より)
テレビ朝日
Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/0068cdcc9f4144a6dc34a98e300ffe0ec2c9db5f
インド、ネパール、バングラデシュ……、日本で出会うことが多いインド亜大陸出身の人たち。日本では普段、どんな食事をし、どんな暮らしをしているのでしょうか。インド食器・調理器具の輸入販売業を営む小林真樹さんが身近にある知られざる世界の食文化を紹介します。 【画像】もっと写真を見る(13枚)
残暑厳しい、とある日。埼玉県志木市の閑静な住宅街にあるアパートの階段を、私は重い荷物を抱えて何度も往復していた。蒸し暑い日差しのもとでの肉体労働は過酷で、ふけどもふけどもとめどなく汗が噴き出てくる。 私の本業はインドの食器の輸入販売業である。インドから到着した貨物は自ら引き取りに行く。その運搬に使うトヨタ・ハイエースが小規模な引っ越しにも最適なので、時折こうして友人知人からお呼びがかかるのだ。 例えばレストランのちょっとした什器(じゅうき)や備品を運びたいといった場合。車の免許がない彼らは人力か、またはタクシーなどにたよらざるを得ない。しかしタクシーのトランクには入らず、かといって専門業者に依頼するほどでもない時に、ちょうどいいサイズの車を所有する私のことをふと思いだすのである。もちろん友人知人であるから報酬などはない。 リトゥさんもまた、そんな友人のコックを介して知り合ったネパール人女性である。彼女と共同生活していた友人のネパール人女性が同胞の男性と結婚するため、リトゥさんは都内の1人暮らし用の小さなアパートに移ることとなったのだ。 「疲れたでしょう。そろそろゴハンにしましょうか」 待ってました。それだけが目的で私は額に汗していたのだ。 リトゥさんの簡素な家財道具はあらかた車に積んでしまったが、小さな冷蔵庫や調理道具類はまだ残されていた。お昼用に残してあるのだ。ガスコンロに火をつけると、前もって作り置きしたおかずを温めなおしてくれた。 テーブルではなく畳の上にシートを敷き、その上に直接皿を置いて出来た料理をサーブしていく。ネパールでもこのように、客は直接床や土間に座って家の女性にサーブしてもらいながら食べるのが昔ながらの食事のしかたである。 バート(ライス)とダル(豆の汁もの)はネパール料理の基本だから当然ある。ダルはフライパンのまま、鍋敷きを置いて床置きされる。作った料理を鍋ごと食卓に置き皿に取り分けて食べる、というのが広くインド亜大陸では一般的な食事スタイルだ。 このほか大根とキュウリのアチャール(あえ物)、ジャガイモとインゲンのタルカリ(炒め物)、そして本日の主役の鶏肉(ククラ・コ・マス)がたっぷりと出される。ネパールから持参して少しずつ食べている、というラプシー(プラムのような果物)の漬物も添えてくれた。 どれもバタバタした引っ越しの合間に作ったとは思えない丁寧な味わいで、とりわけ鶏肉の程よい辛味と塩味が大量に汗をかいたあとにピッタリだった。合間に食べるラプシーの漬け物の酸味もまたちょうどいいアクセントとなり、それらが相まって際限なくバートのおかわりをすすめさせる。 「もっとオカズを準備できれば良かったんだけどね。荷物の片付けに追われて大したものが作れなかった」 そうリトゥさんは謙遜する。いやいやいや、と思う私。料理の本当の実力とは、食材と器具とがすべてが整った環境下で腕を振るうことより、不意の状況下でどれだけ満足度の高いものが作れるかなのではないか。こだわりの厳選素材を用い、最新の調理機器類を駆使してごちそうを作る能力も素晴らしいが、バタバタした環境下、冷蔵庫の中のありあわせで美味(うま)いものを作る能力こそ尊いものではないのかと。
食後に出された1杯のチヤ(ミルクティー)を飲みながら、リトゥさんのこれまでの歩みをざっと振り返ってもらった。 もともとネパールのカトマンズ出身。夫と娘の3人暮らしをしていたが、とりわけ娘の教育のためさらなる高収入を求めて夫婦でオーストラリア行きを決意。しかし2人で申請したものの、大使館からビザが発給されたのは夫だけで、なぜかリトゥさんにはビザが下りなかった。 「本当は夫婦そろって住むのが一番だけど。でも娘の教育費を稼ぐためには別々になるのも仕方ないじゃない?」 その後リトゥさんは進路を日本に切り替えた。日本で働く友人たちのアドバイスも大きい。夫は賃金の高いオーストラリア、自分は日本で共に働き、ネパールに仕送りすることを決めた。そしてカトマンズ市内の日本語学校で基礎を学び、そこと提携している仙台市にある日本語学校へと進学。1年後、同市内のビジネス系専門学校に進み、山梨県の大きな温泉旅館へと就職した。 「温泉旅館にはネパール人の従業員が6人もいて。一緒に寮で生活していましたよ。山梨の田舎で、もちろん周りにはネパールの食材屋さんなんか全然なかったけど、オンラインで何でも買えるから。新大久保のネパール食材店から月に数回、6人分まとめて買ってました」 今や日本全国どんな場所に住んでいようとも、オンラインでインド・ネパール食材が手に入る。一昔前には考えられなかった変化である。 「温泉旅館での勤務時間は長かったけど、日本人のスタッフさんたちは皆優しかった。自分たちで作ったネパール料理も食べられて、仕事のあとには温泉入り放題なのもよかったね。楽しかったですよ」 「温泉入り放題か、うらやましい……」 運搬作業とスパイシーな食事とで汗まみれになった私は、大自然に囲まれた露天風呂を想像して思わずつぶやいた。 実はネパールにも温泉はある。中でも有名なのが、ヒマラヤ山脈のふもとタトパニという集落にある温泉で、日本同様、肌寒い時期になるとネパール人湯治客でにぎわう。日本と違うのは入浴時に全裸になってはいけないこと。ネパールで温泉に入るのには最低限、下着は着用しなければならない。とはいえ、富士山ならぬヒマラヤを見ながら入る温泉はさぞ格別に違いない。 「そんなにいい職場だったのに、どうして辞めちゃったんですか?」 疑問に思って私は聞いた。 「そこで働いていたネパール人の同僚が東京で働きたいって言って。彼女に付き添ったんですよ。私ももう少しいい給料が欲しかったし」 こうして東京に出てきたリトゥさんは、港区を中心に複数の支店を持つフランス料理店に仕事を見つけた。確かに賃金こそ上がったものの、仕事は忙しくストレスも多い。何しろ通勤に片道1時間半もかかる。住み込みで働いていた時はゼロである。だから今でも「やっぱり温泉で働いていた方がよかったかな」と思うことが少なくない。 ちなみにリトゥさんたちが勤務していた山梨県の温泉地には、その後ネパール人をはじめとする外国人が学ぶための日本語学校が設立された。留学生たちのアルバイト先は当然、温泉旅館となる。学校を作れば留学生のアルバイト要員は確保できる。地方の温泉施設や介護施設は、それほどまでに人材不足が深刻なのだろう。日本語学校を作って外国人留学生を誘致しようという動きは山梨県以外にも出始めているという。 カトマンズにある私立の小学校に通うリトゥさんの娘さんは、将来歯科医を目指している。学業も優秀で、クラスでも成績は上位なのだそうだ。 「オーストラリアの大学を探しているけど、日本にも外国人が行ける大学はありますか?」 リトゥさんが聞いた。ためしにその場でネット検索すると、ズラズラッと外国人用の英文の募集要項が出てきた。それらのリンクをリトゥさんに送り、リトゥさんはそれを娘と彼女の通う学校の先生に転送した。電話で1校1校確認し、要項を送ってもらっていた時代に比べるとずいぶんと便利になったものだ。 ちなみにリトゥさんたちが勤務していた山梨県の温泉地には、その後ネパール人をはじめとする外国人が学ぶための日本語学校が設立された。留学生たちのアルバイト先は当然、温泉旅館となる。学校を作れば留学生のアルバイト要員は確保できる。地方の温泉施設や介護施設は、それほどまでに人材不足が深刻なのだろう。日本語学校を作って外国人留学生を誘致しようという動きは山梨県以外にも出始めているという。 カトマンズにある私立の小学校に通うリトゥさんの娘さんは、将来歯科医を目指している。学業も優秀で、クラスでも成績は上位なのだそうだ。 「オーストラリアの大学を探しているけど、日本にも外国人が行ける大学はありますか?」 リトゥさんが聞いた。ためしにその場でネット検索すると、ズラズラッと外国人用の英文の募集要項が出てきた。それらのリンクをリトゥさんに送り、リトゥさんはそれを娘と彼女の通う学校の先生に転送した。電話で1校1校確認し、要項を送ってもらっていた時代に比べるとずいぶんと便利になったものだ。 「そうだ、ダンナにも教えなきゃ」 そういうと、オーストラリアで働く旦那さんとオンライン通話をはじめた。話はすぐに脱線し、昨日今日何を食べたという話題になった。隣にいる私もスマホ越しに紹介され、「オーストラリアに行ったら一緒にゴハン食べましょう」などと手を振ってあいさつを交わす。 テクノロジーで人と人との距離が縮まったといわれる現代。しかし仕事や学業の機会を求めて世界中を視野に入れているネパール人にとって、われわれ日本人よりもはるかに地球は小さく狭いものなのかもしれない。スマホで夫と無邪気に長話をしているリトゥさんを見て、ダルバートで満たされた腹をさすりながら私はそんな風に感じた。 ■著者プロフィール 小林真樹 インド食器輸入業 インド食器・調理器具の輸入販売業を主体とする有限会社アジアハンター代表。1990年頃からインド渡航を開始し、その後も毎年長期滞在。現在は商売を通じて国内のインド料理店と深く関わっている。最大の関心事はインド亜大陸の食文化。著書に『日本の中のインド亜大陸食紀行』『日本のインド・ネパール料理店』(阿佐ヶ谷書院)『食べ歩くインド』(旅行人)。最新刊は『インドの台所』(作品社)。
朝日新聞社
Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/0f5fa0f0220d4bfadb986c35a18537afa5b4f364
FNNプライムオンライン
中国のチベット自治区で7日に発生した強い地震による死者は、これまでに120人を超えました。 現地では、夜通しの救助活動が続いています。 中国とネパールの国境に近いチベット自治区のシガツェ市で、日本時間の7日午前10時過ぎに起きたマグニチュード6.8の地震では、これまでに126人が死亡し、188人が負傷しました。 また、倒壊した家屋は約3600棟に上り、3万人以上が避難しています。 現地の最低気温がマイナス17度と厳しい寒さの中、軍や消防などによる救助活動が続いていて、国営テレビは、がれきの中から住民が助け出される様子を伝えました。 震源地のシガツェ市は、ユーラシアプレートとインドプレートがぶつかって隆起したチベット高原上にあり、地震活動が活発な地域です。 中国メディアは専門家の話として今後数日間は、地震が続く可能性があると伝えています。
フジテレビ,国際取材部
Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/a0a445bd302586c063d5a109e0bea8c51e07173d
FNNプライムオンライン
中国のチベット自治区で大きな地震がありました。 死者は、これまでに95人に上っています。 中国チベット自治区をマグニチュード6.8の強い地震が襲いました。 店舗の中では陳列棚が大きく揺れ、商品が落ちていく中、店員や客が走って逃げ出す様子が。 さらに、多くの家屋がこの地震の影響で倒壊。 建物の下に置いてあった車の屋根も大きくへこんでいました。 中国の国営メディアによりますと、地震があったのは日本時間の7日午前10時過ぎ。 ネパールとの国境に近いチベット自治区のシガツェ市です。 その後も5時間ほどの間にマグニチュード4前後の地震が44回発生しています。 国営メディアによりますと、これまでに95人の死亡が確認され、130人が負傷しました。 シガツェ市の被害が大きい地域には約7000人ほどが住んでいます。 この地震を受けて習近平国家主席は、救助活動を全力で行い、人的被害をできる限り抑えるように指示。 武装警察や消防などの救助隊が現地に入り救助活動を行っていますが、被害はさらに拡大する恐れがあります。
フジテレビ,国際取材部
Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/278bdf7a8b4bf94ffa048c958bf6c15fb97d292b
中国西部のチベット地方で7日朝、大規模な地震が発生し、中国国営メディアによると、8日朝までに死者は少なくとも126人、けが人は同188人に上っている。倒壊した建物は3000棟以上とされ、厳しい寒さの中、大規模な救助活動が進められている。 米地質調査所(USGS)のデータによると、現地時間の7日午前9時(日本時間同午前10時)ごろ、チベット自治区シガツェ市でマグニチュード(M)7.1の地震が発生。震源の深さは10キロだった。一連の余震も観測されている。 中国の国営メディアは、この地震の規模をUSGSよりやや小さいM6.8と報じた。また、7日午後7時の時点で建物3609棟の倒壊が確認され、何千人もが住居を失っている可能性があると伝えた。 隣接するネパールやインドの一部でも、揺れが感じられた。 この地域は主要な地質断層線上に位置しており、地震が頻発している。 シガツェ市はチベット仏教の聖地の一つとされ、重要人物パンチェン・ラマの伝統的な居住地でもある。パンチェン・ラマの精神的権威は、最高指導者のダライ・ラマに次ぐものとされる。 中国中央電視台(CCTV)が公開した動画には、破壊された家屋や倒壊した建物が映し出されている。また、救助隊ががれきの中を歩き回り、地元住民に厚手の毛布を配っている様子も映っていた。 中国気象局によると、震源地に近いティンリ県のこの日の気温は日中でもマイナス8度前後で、夜にはマイナス16度まで下がると予想された。 この地域では電力と水道が途絶している。 震源地に近い同県は、エベレスト登山を準備する登山者に人気の拠点となっている。 現地メディアは観光スタッフの話として、7日朝に予定されていたティンリからのエベレスト観光ツアーはすべてキャンセルされ、観光エリアは完全に閉鎖されたと報じた。 当時、観光エリアには3人の訪問者がいたが、全員が安全のために屋外エリアに移動したという。 中国地震台網センターの蒋海昆氏はCCTVに対し、マグニチュード5程度の地震が再び発生する可能性はあるが、「より大きな地震が発生する可能性は低い」と述べている。 シガツェ市内のホテルに滞在していた男性は、中国・封面新聞の取材に対し、揺れで飛び起きたと語った。靴下をつかんで外に飛び出すと、上空を旋回するヘリコプターを目撃したという。 「ベッドまで持ち上げられるような感じだった」とこの男性は語り、最近チベットでは小規模な地震が頻発していたため、すぐに地震だとわかったと付け加えた。 中国空軍は救助活動を開始し、ドローンを派遣した。 中国の習近平国家主席は、被害をできるだけ抑え、被災者を再定住させるため、全力の捜索救助活動を指示した。 ネパールのエベレスト近郊ナムチェ地域の地元当局者はAFP通信に対し、ネパールでも揺れが感じられたが、被害や犠牲者は報告されていないと述べた。 地震のあった地域はインド・プレートとユーラシア・プレートの主要な断層線に近く、地震活動が頻繁に発生している。2015年にはネパールの首都カトマンズ近郊でM7.8の地震が発生。約9000人が死亡し、2万人以上が負傷した。 中国は1950年代にチベットを併合して以来、この地域に対する厳しい統制を続けており、メディアやインターネットのアクセスも制限されている。 ダライ・ラマ14世は1959年にチベットからインドに亡命した。前代のパンチェン・ラマが亡くなった後、チベット亡命政府にパンチェン・ラマの生まれ変わりと認定されたチベット人のゲンドゥン・チューキ・ニマ氏は1996年、6歳の時に中国政府に連行された。その後、中国は独自にパンチェン・ラマを選んだ。 多くの人は、現ダライ・ラマが亡くなった際には、中国がまた独自のダライ・ラマを選ぶと考えている。 (英語記事 Search goes into night for survivors of Tibet quake)
(c) BBC News