2018年1月16日火曜日

急増するネパール人 新大久保で見た多文化共生

Source: https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180113-66396055-trendy-bus_all

1/13(土) 、ヤフーニュースより


 2016年、日本における在留外国人数は約238万人となった。その数は、日本の総人口(1億2693 万人)の1.88%という割合となり、過去最多となった。その中でも、過去4年で毎年1万人ずつ増加しているのがネパール人だ。去年の統計では6万7470 人のネパール人が日本に住んでいることが分かっており、その数は今も増え続けている(法務省在留外国人統計2016年度)。

 私自身、過去に2回ほどライフワークである、現地の家庭に滞在をしながら暮らしや生き方を伝える“定住旅行”をネパールで行ったことがあり、ネパールはとても親しみのある国の1つである。インドと中国に挟まれた南アジアの内陸国で、北海道の約2倍の面積に多様な民族が暮らしている。また、世界最高峰のエベレストがあることでも有名で、春の登山シーズンになると、世界中からトレッカーや登山家たちが集まる。ネパールにとって日本は初めて海外へ学生を送り出した国でもあり、ネパールにいると、この国が親日国であると感じる。

 現地でのネパール人の暮らしは体験しているものの、日本に暮らしているネパール人がどのような生活を送っているのか、これまで詳しく知ることはなかった。久しぶりに訪れた、通称“コリアンタウン“と呼ばれる新大久保は、”リトルカトマンズ“になりそうなほど、多くのネパール料理店やお店が軒をつらね、たくさんのネパール人とすれ違う。そこで、改めて日本で暮らす彼らの様子を知りたいと思った。

 近年、ネパール人が増加している大きな理由の1つとして、ネパール国内の政情不安が挙げられる。国内での仕事が不足しているため、多くのネパール人が中東やマレーシアなどへ出稼ぎに出ている。しかし、その出稼ぎ先で過労死するケースが後を絶たず、それも大きな問題になっている。多くのネパール人が海外へ出ていく中で、日本も人気の渡航先の1つとなった理由に、学生ビザの緩和がある。以前は、日本 へのビザを取るのはそう簡単ではなく、様々な手続きが必要であったが、日本がビザの緩和政策を始めたことが大きなきっかけの1つだ。こうして近年、日本にネパール人が急増しているのだが、彼らの多くは「出稼ぎ留学生」と呼ばれ、日本語学校で日本語を学びながら、アルバイトをして生活している。

 今回、”リトルカトマンズ”こと新大久保のネパールコミュニティーを紹介してくれた、スダン・ライ君(24歳)もその出稼ぎ留学生の一人だ。ネパール人がどの民族かは、彼らの苗字を見れば判断できる。ライ族なら、苗字はライ。シェルパ族であれば、苗字はシェルパとなる。ライ族のスダン君の仕草や顔を見ていると、1996年に放送されていた、ベトナム人留学生を描いた恋愛ドラマ『ドク』を思い出す。その頃は日本で日本語を学ぶ外国人は圧倒的に少なかったせいで、とても新鮮だった。初対面なのに懐かしく感じるのはそのせいだろう。

 スダン君は、高田馬場駅からほど近いアパートに、3人のネパール人と暮らしている。月曜から金曜まで日中は日本語学校へ通い、学校が終わると夕方から夜遅くまで、「すき家」でアルバイトしている。土日の休みは、スダン君の友人が運営している、YouMeNepalというネパールの子どもの支援を行なっているNPO団体の手伝いをしている。スダン君が留学先に日本を選んだ動機はこうだ。

「僕は海外へ1度も行ったことがありませんでした。日本は交通機関や様々な設備が整っているイメージがあったので、そういった素晴らしい面を学んで、ネパールに戻ったときにそれを生かせたらと思い、日本へ来ることを決めました」
スパイスやギーなども買えるネパールスーパー
 スダン君がいつも買い物をしているというネパール人用のスーパーを案内してもらう。

「ネパール人の主食は“ダルバッド”と呼ばれるカレーです。普段は自炊をしていて、ほぼダルバッドを作って食べています。基本的には日本の普通のスーパーで、米(タイ米か日本米)、ジャガイモなどの野菜、ひまわり油を購入しています。それ以外のスパイスやギー(バターオイル)など、日本のスーパーで手に入らない物をネパールスーパーで買い足しています。すき家で働いているのですが、僕はヒンドゥー教徒なので、牛の肉は食べられないため、牛丼を食べたことがありません。笑」

 彼は1年に4回ほど、ネパールの家族に仕送りをしている。日本で暮らすネパール人のほとんどが利用しているという、新大久保にあるCity Expressという国外送金会社を案内してもらった。会社には日曜日にもかかわらず、英語、ネパール語、日本語が堪能なネパール人が5人働いており、親切にもコーヒーをご馳走してくれた。

 スダン君に限らず、海外へ出稼ぎに行っているネパール人のほとんどは、親や家族へ仕送りをしている。スダン君は1度に約20万円ほど仕送りをしているのだそう。

 City Expressはネパールに限らず、海外ならどの国へも送金をしてくれる。しかも、初回の手数料は無料、2回目からの手数料も銀行などと比べるとはるかに安く、また、送るとすぐに相手側が受け取れる。私も以前ある銀行を通して、ネパールへ送金したことがあったが、何日もかかった上、相手先が見つからなかったと言われ、手数料をしっかり取られたことがある。

 店長であるシッダルタ・シャクヤさんにお金を送金する人たちの目的について話を伺ってみた。「日本に住んでいるネパール人が送金をする理由は主に2つあります。1つは家族への仕送り、そしてもう1つは借金の返済です。ほとんどのネパール人は留学費を母国で借金して来ているため、アルバイトをしながら返済しています。それが送金をする主な理由です」
旅行会社、重要なのは密なコミュニケーション
 そしてもう1箇所、スダン君が利用しているというCity Travel&Tour(シティートラベル&ツアー)という会社を紹介してくれた。ここは、ネパールの会社が運営をする旅行会社である。去年オープンしたばかりで、利用者がとても多いというのだ。最近はインターネットの普及により、旅行会社の需要は減っているように思えるが、この会社が支持される秘密はどこにあるのだろうか。この会社で働く、日本に住んで11年、日本語が流暢なビマラさんにお話を聞いた。

Q:お客様の需要で一番多いのは何でしょうか?

A: やはりネパール人のお客様が、日本とネパールの間の航空チケットを求めるケースが一番多いです。

Q:日本にもたくさんの旅行会社がありますが、なぜお客様がこの会社を利用するのか、そして他の会社との違いはどこにあるのでしょう?

A: 私は以前、H.I.S.という会社で長年働いていたのですが、City Travelは他の会社よりも手数料が断然に安いところが売りの1つです。あと、ネパール人はインターネットを使って航空券を購入するという習慣がありませんので、必ず旅行会社を利用して購入します。その理由はトラブルがあったとき、どうすればいいかわからないことと、クレジットカードを持ってない人も多いからです。

 また、彼らが日本の旅行会社を利用しない理由には、2つのことが挙げられると思います。1つ目は、ネパール人は日本人より密にコミュニケーションをとりたがります。ですので、ちょっとした疑問や不安なことがあるとすぐにスカイプや電話をしてくるので、それに嫌な顔せず、しっかりと対応できることが大事です。しつこいお客様に対して、冷たく対応する旅行会社もあるようなので、同じ習慣を持つネパール人が対応しているという点で安心なのだと思います。

 2つ目は、ネパール人は日本人のように提示された金額をそのまま納得して支払うことをあまりしません。ものすごい勢いで値切ってくることは日常茶飯事です。それにどう対応して折り合いをつけるかは、毎回大変なのですが、その対応次第で、また利用してもらうかにつながるので、大切なことだと思います。そういった対応ができるかということが、他の会社との大きな違いだと感じています。最近ではありがたいことに、口コミで日本人のお客様も増えて来ました。

 丸1日ネパールコミュニティーと接していると、すっかり日本にいることを忘れてしまいそうなほど、自分がネパールへ戻ったかのような気分になった。また、ネパール人が増えたことで、新しい需要が生まれ、ビジネスなどにも影響が出ているのはとても面白いと感じた。

 私がスダン君と町巡りをした日は、たまたまライ族コミュニティーのイベントがあり、その様子も少し見せてもらった。ライ族の民族衣装を着たネパール人が大勢集まって、歌や踊りを披露していた。

 本来なら母国で家族と暮らせるはずが、国や家族の事情によって、日本へと渡り、言葉と習慣の壁にぶつかりながらの彼らの生活。しかしながら、彼らの生きる姿はたくましい。それは、ネパール大地震後のネパール人が見せてくれた強さに通ずるものがあった。私は、2016年の春、大地震からちょうど1年後の4月25日をカトマンズで迎えた。街には崩壊した家や建物が点在していたが、悲嘆にくれる者はおらず、地にしっかりと足をつけて残された当たり前の日々を懸命に生きていた。その淡々と生きる姿は、言葉はなくとも見る者を励ます力があった。

 「ERIKOさん、ネパールのことを書いてくれてありがとうございます」と帰り際に小さなお土産をくれた彼ら。これから日本に在留外国人が多くなるにつれ、人、会社やお店も多様性を考慮した対応や考えを身につけていき、その交流を深めていくことが、同じ土地に共存する者同士、本当に大切になっていくような気がしている。新大久保で見たのは、多文化共生の一つのモデルケースだったのかもしれない。

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