2018年9月25日火曜日

ネパール人男性はなぜ死んだ。「移民」はいないが外国人労働者に頼る日本といびつな入管制度

Source:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180917-00010000-binsider-soci
9/17(月) 、ヤフーニュースより

2017年3月、検察官の取り調べ中にネパール人の男性が死亡した。

料理人として来日した男性は当時、仕事に就かずにホームレスになり、他人のクレジットカードを持っていた疑いで警察に逮捕された。

この数年、国内の多くの業種で人手が不足している。そんな日本に働きに来た外国人がなぜ、ホームレスになったのか。男性の足取りをたどると、「移民」はいないとする、この国の出入国管理制度のいびつさが浮かんできた。
検察官の取調べ中に急変し、死亡
男性は、ネパール人のアルジュン・バハドゥル・シンさん(当時39歳)だ。

2017年3月13日午後、東京・新大久保の店を訪れたアルジュンさんが、おもちゃの紙幣で商品を買おうとしたため、店側が警察に通報。警察官が所持品などを調べたところ、他人名義のクレジットカードが見つかった。

カードは遺失物の届けが出ていたため、14日未明にアルジュンさんは占有離脱物横領の疑いで警察に逮捕された。

15日朝、警察の留置施設でアルジュンさんがふとんを廊下に投げるなどしたため、警察署員らが制止し、午前6時51分ごろ、手錠をし、両足首と両ひざを拘束した。拘束を継続したまま、検察庁に送致。同日午前10時45分ごろから、検察官の取り調べが始まったが、アルジュンさんは机をたたくなどしたという。検察官の指示で手錠を片方だけ外し、その他の拘束は継続した。

その直後、イスの上で白目をむくようにして後方にのけぞり、ぐったりとした。午前11時ごろ、119番通報し、拘束をすべて外した。病院に搬送されたが、午後2時47分に死亡した。

アルジュンさんの死から1年余りが過ぎた2018年7月、妻のアンビカ・ブダ・シンさん(40)が、取り調べをしていた氏名不詳の検察官らを、業務上過失致死の疑いで新宿署に告訴した。国と東京都を相手に約6935万円の損害賠償を求める民事訴訟も起こしている。

アルジュンさんの死亡に関する経緯の詳細は、2018年7月26日付でBusiness Insider Japanで報じた。
「家族のために日本に行こう」
「楽しい思い出も、悪い思い出もあるけれど、私にとってはいい夫でした」

裁判のために来日したアンビカさんは、夫のアルジュンさんについてこう話す。

同じ歳の2人は17歳で結婚した。保健・医療施設で患者の世話をする仕事の経験があったアルジュンさんは、村で薬を売ったり、患者の世話をしたりして現金収入を得ていたという。

ネパールはアジアでもっとも貧しい国のひとつだ。農村では、世帯から少なくとも1人の男性が日本や中東、インドなどに出稼ぎに出て、家族を支えることが多い。アンビカさんの父も以前、サウジアラビアに出稼ぎに出ていたという。

村からも男たちが出稼ぎに出ていく中、アルジュンさんとアンビカさんも出稼ぎについて話し合うようになった。

「家族の将来のため、日本に行こう」

日本円にして100万円ほどの渡航費用は、借金をして工面した。アンビカさんの話では、自宅や土地を担保にしたようだ。

この際、アルジュンさんが日本大使館に申請した日本での在留資格は料理人としての「技能」だった。
給料払えなくても受け入れる
料理人としての実務経験はなかったが、ネパール側のレストランや、日本側で受け入れを予定するレストランに謝礼を支払い、書類を整えた。

東京や首都圏の複数のネパール人料理店経営者に話を聞くと、謝礼を支払うと、料理人としての実務経験を証明する書類など必要書類を用意するブローカーも存在するという。

アルジュンさんが初めて来日したのは、2011年12月ごろのことだ。アンビカさんによれば、最初は大阪の料理店に勤めていたというが、名古屋の料理店にいたという人もいて、正確なところははっきりしない。4~5カ月に一度、送金業者を通じて、アルジュンさんから1~2万円ほどの仕送りがあった。

ネパール側では「日本にいけば、仕事に困らない」と言われているが、日本側の現実は厳しい。

ネパール料理店の経営者たちによれば、ネパール人が経営する料理店の多くは経営が厳しい。売り上げが限られ、従業員に給料を支払えない店も多い。

従業員のネパール人たちは狭い部屋に、4~5人が同居するケースも多い。満足に給料が支払われず、狭い部屋での同居が続けば、次第に不満が蓄積し、トラブルになることも少なくない。

それでも、日本側のネパール料理店の経営者は、ネパールから新たに「料理人」を受け入れる。まとまった額の謝礼が支払われるからだ。

経営者のひとりは「おいしい料理で喜んでもらおうと、まじめに経営している人も多いが、中にはネパールから人を呼び寄せるのを目的に店を持っている経営者もいる」と指摘する。
「料理人」の来日ラッシュ
2014年ごろから、料理人の「技能」の資格で来日する人は一気に増えた。2014年と2015年を比較すると、「技能」の在留資格で国内に滞在するネパール人は2722人増え、1万134人に。2015年から2016年もさらに、2346人増えている。

アルジュンさんはネパールに一時帰国し、2016年11月下旬に再来日した。

この時期、各地にネパール料理店が増えたが、競争も苛烈になっていた。短期間で店を閉めるネパール料理店が相次ぎ、仕事にあぶれるネパール人の料理人も少なくなかった。同じ場所にネパール料理の店はあっても、店の名前や経営者は、1年もたたずに変わっていく。

経営者のひとりは「仕事がないか、と相談に来る人が多かった時期だ。ホームレスになった人、酒におぼれる人もいた。中には、自殺した人もいた」と話す。

製造業や建設業の現場では外国人向けの求人も多いが、ネパール料理の「技能」で来日した人は、原則として料理以外の仕事はできない。経営者の都合に振り回されて仕事を失っても、料理人の仕事以外の逃げ場はない。
外国人労働者は10年で2.6倍に
日本では、15歳~64歳の生産年齢の人口の減少が続く。2016年の生産年齢人口は約7665万人。1997年と比べて約1034万人減った。

人口の減少とともに、日本の企業の人手不足感は増している。帝国データバンクが2018年1月に実施した調査では、51.1%が「正社員が不足」と回答。非正社員についても34.1%が「不足」と答えた。飲食店の分野では、74.1%が非正社員が不足していると答えている。

こうした人手不足を補う形で、外国人労働者は急激に増えている。

外国人労働者数は2008年の時点で48万6398人だったが、2017年には127万8670人になっている。10年で2.6倍になった計算になる。ネパールからの料理人の来日ラッシュも、外国人労働者が一気に増えた、この10年の流れの中に位置づけられる。

ただ、ネパール料理店の経営者らの間では、直近の1、2年は、新たに来日する料理人は減ってきたと言われる。数字のうえでも、「技能」の資格で在留するネパール人は、2015年~2016年には2346人増えたが、2016~2017年の増加分は10分の1以下の226人にとどまっている。

経営者のひとりは「最近、ビザの審査は厳しくなった。5分ほど話をすれば、本当に料理人の経験があるかどうかは、すぐにわかるからね」と話す。
閉店と開店を繰り返すネパール料理店
アルジュンさんは再来日後、ネパール料理店で仕事に就いたが、長続きしなかったようだ。再来日から2カ月余りがすぎた2017年2月ごろには、東京・新大久保でホームレス状態になっているアルジュンさんを目撃したという人もいる。八王子の公園で寝泊まりしていたという話もあった。

新大久保界隈のネパール人コミュニティの人たちは、航空券を購入するためカンパを募り、アルジュンさんに帰国を促したという。

2016年ごろにアルジュンさんが働いていたネパール料理店は、都心からJRと私鉄を乗り継いで1時間ほど離れた、さいたま市内にある。

最寄りの駅から徒歩で20分ほど離れた商店街にその店はあったが、店の名前は変わっていた。2階建ての一戸建て住宅を真ん中で半分に割ったような構造で、建物の半分には別の居酒屋が入っているようだ。店の外にはインド・ネパール料理と書かれ、店内には6人ほどが座れるカウンターに、2人がけのテーブルがひとつあった。

店には、ネパール人の若い男女がいた。店の2階で暮らしているという。「アルジュンさんを知っているか」と聞いてみると、「オーナーが代わったばかりで、まだ店をあけていない。私たちもここに移ってきたばかりで、わからない」と話した。

妻のアンビカさんには、アルジュンさんが来日した際の借金が残った。異国での裁判に踏み切った理由をたずねると、アンビカさんは言った。

「道に落ちているクレジットカードを拾うのは、人が死ぬようなことなのですか」

(文、写真:小島寛明)
小島寛明 [ジャーナリスト]

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