Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/0196451ed0b25cc57bafb5741e34cc9761c73e9d
8000m峰のブロード・ピークで遭難死、GPS記録でたどる7月30日最期の4時間
デビッド・クライン氏とイアン・オーバートン氏は、目の前の光景に不安を募らせていた。7月の最終週、ふたりがパキスタンのブロード・ピーク(標高8051メートル)のふもとに来てから1カ月が過ぎ、目の前にそびえる山の様子は以前と様変わりしていた。 ギャラリー:ニルマル・プルジャ氏ら、前人未到のK2冬季初登頂に成功 ハンガリー人で、2000年に同国初となるブロード・ピーク登頂を目指す遠征隊を率いたクライン氏と、米国人で救急外来看護師であるオーバートン氏は、2012年冬にナンガ・パルバット登頂に一緒に挑戦した経験があった。2026年、ふたりは世界で12番目に高い山、ブロード・ピークに酸素ボンベもポーターも使わずに登ろうと決めていた。 7月中旬、クライン氏は登山専門メディア「ExplorersWeb」の取材に対し、山のコンディションは比較的良好で、「雪崩の危険性は低い」と語っていた。滑り落ちる可能性がある雪の大半はすでに滑り落ちたあとだったからだ。 7月19日、氏はパキスタン人の固定ロープ設置チームについて西稜を19時間かけて登り、山頂まであと高さ50〜70メートルというところで引き返した。クライン氏はこのとき、酸素ボンベを持たずに登っていた。オーバートン氏は高度によって体調を崩し、それよりも前にベースキャンプへ戻っていた。 クライン氏は再挑戦を検討したものの、7月22日から降り始めた大雪によって断念した。「雪が大量に降ったあとは、単に天候が回復すればいいというものではありません」と氏は言う。「雪が降らない好天が数日間続く必要があります。しかも、その時点ではまだ動いてはいけません。雪が山にしっかりと定着するか、あるいは滑り落ちるか、どちらかになるかを見極めなければならないのです」 ベースキャンプにいたチームの大半はすでに現地を去っていた。7月25日、クライン氏とオーバートン氏も荷物をまとめて下山した。 それでも、登頂への望みを捨てずに残ったチームもいくつかあった。その中には、2019年に世界の8000メートル峰14座すべてに史上最速(当時)で登頂を果たして名声を得たニルマル・"ニムス"・プルジャ氏率いるエリート・エクスペド社所属のチームも含まれていた。 彼らがなぜ残ることにしたのかはわからない。だが、結果は悲惨なものとなった。 7月30日木曜の現地時間午前9時頃、雪崩が発生し、これに巻き込まれた10人の登山者が、西側の主要な岩溝(ガリー)を垂直距離にして約1.6キロメートル下まで押し流された。 当初は生存者が見つかるだろうとの期待もあったが、翌金曜日、パキスタン山岳会により、オマーン出身のナディラ・アル・ハルシー氏とネパール出身のプル・バハドゥール・グルン氏の遺体が回収されたことが確認された。そして土曜日には、エリート・エクスペド社が、プルジャ氏と、登山家兼ガイドのニマ・シェルパ氏が死亡した人々の中に含まれていたことを公表した。 「どんな言葉も、この想像を絶する喪失の痛みをやわらげることはできません」と、同社の声明にはある。「ニムスをはじめ、この悲劇によって命を落としたすべての人々に哀悼の意を表します」
7月30日午前9時頃、標高約6660m
木曜夜に事故を発表した際、パキスタン山岳会は、10人のグループの内訳について次のように説明した。まずプルジャ氏を含むネパール人登山者が5人、パキスタン人ガイドのソハイル・サキ氏、オマーン人登山家のアル・ハルシー氏、米国人登山家のマロリー・ガイス氏、「ワン氏」とのみ公表されている中国人登山家、そしてもうひとりの外国籍登山家(のちにネパール人と判明)だ。報道によると、10人の遺体は、週末のあいだに回収あるいは場所の確認が済んでいるという。 アル・ハルシー氏はオマーン人女性として初めてエベレスト登頂を成し遂げた人物で、長年エベレストで活動していたネパール人のグルン氏はジム・モリソン氏のホーンバイン・クーロワールの滑降を支援したチームの一員だった。 プルジャ氏は、多くの登山家と同じくガーミン社製のGPS端末を携行しており、当日の朝はキャンプ2を出てから4時間にわたって位置情報が送信されていた。最初の位置情報によると、氏は7月30日木曜日、パキスタン時間の午前5時33分に標高6166メートル(ちょうどキャンプ2周辺)地点にいた。アル・ハルシー氏の端末からも、同様の位置情報が発信されていた。 そこから着実に高度を上げていき、午前7時3分までには、エリート・エクスペドのチームは標高6430メートルに達していた。 プルジャ氏とアル・ハルシー氏の端末が次に位置情報を発信したのは、いずれも現地時間午前9時の直前で、標高6660メートル付近だった。その後、プルジャ氏の端末は、わずか30分前の位置よりも600メートル以上低い場所を示した。アル・ハルシー氏のGPS信号もまた、山の上部斜面で途絶えたのち、垂直距離にして1.6キロメートル以上低い地点で確認された。 エリート・エクスペド社の共同創業者であるミンマ・ギャブ・シェルパ氏は当初、プルジャ氏生存の望みを捨てていなかった。氏のGPSトラッカーがまだ動いていたからだ。 「ニムスの位置は動いているよ、ブラザー」。捜索開始直後にシェルパ氏が送信したテキストメッセージにはそうある。「われわれは彼がまだ生きていることを願っているし、救助が必要だ。GPSの位置は動いているのだから」 プルジャ氏のトラッカーは、さらに数回、位置情報を発信した。その位置はわずかに動いているように見えたが、記録された速度はゼロだった(雪の下や、深く急な傾斜地にあるGPS端末の位置情報は不安定になり、静止している端末が移動しているように見えることがある)。 プルジャ氏とアル・ハルシー氏のトラッカーはどちらも同じパターンを示していた。急激に下降したのち、最後に少しだけ北へ移動していた。
まさに唯一無二の人物
プルジャ氏がヒマラヤ登山界にもたらした功績と、それを成し遂げた驚異的なスピードは、いくら強調しても足りないほどだ。筆者のふたりは10年以上にわたって山岳界を取材してきたが、プルジャ氏はまさに唯一無二の人物だった。 2019年、8000メートル峰の登頂経験はわずか数座という段階で、プルジャ氏は1シーズン中に14座すべてを制覇するという挑戦に着手した。当時の最速記録は、韓国のキム・チャンホ氏が保持していた7年10カ月だった。 元SBS(英海兵隊特殊舟艇部隊)の隊員であるプルジャ氏は、4月23日にアンナプルナから登り始め、10月29日にシシャパンマで最後の登頂を果たした。所要日数は189日、すなわち6カ月と6日だった。彼はこのチャレンジを「プロジェクト・ポッシブル」と呼んでいた。 ネットフリックスが2021年末に「ニルマル・プルジャ: 不可能を可能にした登山家(Watch 14 Peaks: Nothing Is Impossible)」と題したドキュメンタリーを配信したことで、プルジャ氏はストリーミング時代初のスター登山家となり、ヒマラヤ山脈における商業登山のあり方を一変させた。1シーズンにじっくりと時間をかけて1座の登頂に挑むのではなく、顧客たちは当たり前のように、複数の山に立て続けに挑むようになった。そして、その案内役を務めるのは、多くの場合、プルジャ氏と彼のシェルパ・ガイドのチームだった。 ネパール人登山家として前例のないほどの名声を得た一方、プルジャ氏は称賛と同じくらいの批判も浴びた。彼は酸素ボンベを使用した。固定ロープに頼っていた。現役最強のシェルパ登山家たちのあとについて、ノーマルルートを登っていた。プルジャ氏がやっていることは、「軍人によるロジスティクス問題の解決」にすぎないというのが、彼を批判する人々の主張だった。 そこでプルジャ氏は、2021年1月、冬のK2登頂を成し遂げた。登山界において、数十年にわたって「最後の偉大な初登頂」と呼ばれていた偉業だ。 彼は9人のネパール人登山家とともに登り、最後の数メートルは10人全員が互いに腕を組み、ネパール国歌を歌いながら山頂に立った。このときのプルジャ氏は、補助酸素を使わずに登頂を果たしている。 氏はかつて、このK2登頂についてこう語っていた。「わたしにはわかっていました。祖国のため、国民のためにこれをやらなければならないと。そして、正しい方法でそれを実現できるのはわたしだけだと」 しかし2024年5月、プルジャ氏の評判が大きく傷つく出来事があった。ふたりの女性、フィンランド人登山家のロッタ・ヒンツァ氏と米国人医師のエイプリル・レオナルド氏が、プルジャ氏から性的嫌がらせを受けたと告発したのだ。プルジャ氏は弁護士を通じて、これらの告発は虚偽かつ名誉毀損であり、不正行為は一切行っていないと否定している。 「わたしの願いは安全に登り、降りてくることだけだ」 今回の登攀前に投稿されたインスタグラムのポストで、プルジャ氏はブロード・ピークへの挑戦について、遠征計画にあとから追加されたものだと述べている。この登頂に成功すれば、8000メートル峰14座すべてを酸素ボンベなしで2回制覇した最初の登山家になるまであと1座を残すだけだと、その投稿にはある。「ブロード・ピークよ、わたしの願いは安全に登り、降りてくることだけだ」と氏は記している。 世界で最も高い山々に挑む者たちにとって、死は常につきまとうリスクだ。2022年の取材において、プルジャ氏はこう述べている。「生まれた以上、死は必ず訪れます。わたしは旅を続けなければなりません。もっと大きな目標があるからです」
文=Anna Callaghan and Grayson Schaffer/訳=北村京子

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