Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/ab9ff389580b448f22b193e0bd50f8a226ca67d0
プルジャ氏はブロードピークに登る前に、ガッシャーブルム2峰(8035メートル)を登頂した状態だった。そしてヘリコプターに乗ってブロードピークのベースキャンプへ移動した。当初、プルジャ氏はガッシャーブルム2峰だけ登頂し、下山する予定だった。しかし、急遽計画を変更し、ブロードピークの頂上をプルジャ氏の58回目の8000メートルの対象にした。プルジャ氏はブロードピーク登山前にX(旧ツイッター)にこう残した。 【写真】ブロードピーク登山中に死亡したネパールの登山家ニルマル・プルジャ氏 「これは当初の計画ではなかった。最初の計画はG2(ガッシャーブルム2峰)だけ登ることだった。しかし、パキスタンに出発する直前に、私が登った8000メートル級の峰を数えてみた。その時、ふと、こんな考えが浮かんだ。ここにいる間にブロードピークまで登ったら、あとはチョ・オユー(8201メートル)だけが残る。そうすれば、歴史上初めて8000メートル峰14座をすべて2回ずつ登った人になる。それも酸素ボンベなしで、だ」 ブロードピークを無事に登り、プルジャ氏の計画通りにチョ・オユー(チベットにある世界6位の峰)を登っていたら、プルジャ氏は再び「他の登山者が持っていないタイトル」を一つ持っていたことになるだろう。しかし、プルジャ氏の14年にわたる登山の旅はブロードピークで幕を閉じた。 ヒマラヤの14座を完登し、その中で仲間だった故コ・ミヨン隊長を見送ったキム・ジェス隊長はこう語った。 「私もヒマラヤ14座に登るときは情熱だと思った。しかし、山から降りてみたら、欲だった。登山家にとって情熱は一方では欲望でもある。ニムスダイもこれまで運が良かったのだ。G2で成功した後、予定通り下山していたら今よりずっと多くの業績を残しただろうが、自身の運命は誰にも分からない」 キム隊長によると、今年ガッシャーブルム2峰を登頂した登山隊はニムスダイのエリートエクスペドだけだった。ガッシャーブルム1峰とK2の登頂者も同様だった。プルジャ氏は今年パキスタン・ヒマラヤでは運が良かったが、最後は運が伴わなかった。 プルジャ氏はネパール西部のダウラギリ地域、ムヤクディ渓谷の小さな村で生まれた。エベレストやマカルー出身のシェルパが主流を占めるネパールの登山界ではプルジャ氏はマイノリティであり、シェルパ社会からの牽制を受けることもあった。2003年、18歳でグルカ部隊に入隊し、2009年に特殊部隊に合流した。2014年のダウラギリに始まり、先月はガッシャーブルム2峰まで8000メートル峰に57回登った。この記録を超える登山者はまだいない。 米国のアウトドア専門誌『アウトサイド』のベン・エイヤーズ氏は「ニムスは象徴的な人物だったし、彼の世代で最高の一人であることに異論はない」と述べた。 プルジャ氏がXに残した文章はこう締めくくられている。 「私が何を象徴しているのか、そして皆さんそれぞれの山が何であれ、その山も登ることができることを示している」 プルジャ氏は結局、最後の山から帰ってくることができなかった。「不可能はない」と信じていた一人の登山家の旅は、ブロードピークで幕を閉じた。

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