Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/0c7ee0764ddb69aa05d919b65c3f7c21e3439668
昨年11月、一般社団法人・銀座社交料飲協会(GSK)に加盟する約1000店舗のクラブやバーに、非売品の「本」が届けられた。『銀座社交料飲協会百年史 継承と再生と洗練、銀座の世紀』と題された、いわゆる、“銀座100年史”である。オールカラーで280ページ余ある、函入りの豪華本だ。 【写真を見る】今となっては貴重な「銀座ホステス長者番付」記事など、CLUB欄が残した輝かしい歴史 GSKは、その前身が1925(大正14)年に発足した団体で、昨年、創立100周年を迎えた。その記念にまとめられたもので、銀座の歴史をクラブやバーの視点で詳述した資料集である。往年の雑誌や新聞記事のみならず、珍しい写真や資料も満載。銀座という町が「文化」であることが、あらためてわかる貴重な書物である。 その本書中で、ひときわ多く引用・紹介されているのが、週刊新潮の名物連載「CLUB」欄である。まさに、この「CLUB」欄あってこそ、『銀座百年史』が成立したのではないかといいたくなるほど、貴重な参考資料として扱われているのだ。 この、いまはなき週刊新潮「CLUB」欄とは、どのような内容で、どんな記者が書いていたのだろうか(全2回の第1回)。【森重良太/ライター・編集者、元週刊新潮記者】
「銀座って、どこでしょうか?」
週刊新潮1976年1月1日号から、3つの連載コラムがスタートした。「LOBBY」「MONEY」「CLUB」欄である。 これは、日本の3つの「町」を舞台に、現代日本の様相を描くルポ風コラムだった。要するに、 「LOBBY」=永田町(政界) 「MONEY」=兜町(経済界) 「CLUB」=銀座(歓楽街) もちろん、この3つの「町」は、あくまで“象徴”で、しばしばコラムの舞台は地方政界や中小企業、札幌・ススキノや博多・中洲などにもおよんだ。 余談だが、初期「LOBBY」欄の挿絵を担当していたのは、のちの作家・評論家、橋本治さん(1948〜2019)である(当時はイラストレーターとして活躍していた)。小説『桃尻娘』でブレイクするのは、この2年後である。 3本のなかで、特に目を引くのは、やはり「CLUB」欄だろう。担当したのは、岩本隼記者(当時35歳)、國安輪記者(当時34歳)の2人である。往時の週刊誌業界にいたひとなら知らぬものなき、名物記者コンビだ。2人とも容貌魁偉(怪異? )の大柄で、まさに“剛腕記者”を絵に描いたような記者であった。 岩本記者は東京大学卒業後、TBSやテレビマンユニオンを経て週刊新潮記者となった。随筆も手がけている。父は、戦前から戦後にかけて活躍したシュールレアリスム系の詩人、岩本修蔵(1908〜1979)である。 國安記者は、早稲田大学卒業後、洋書出版のウエザーヒル社、週刊女性などを経て、週刊新潮記者となった。このウエザーヒル社の共同経営者はメレディス・ウェザビー(1915〜1997)といい、三島由紀夫の『仮面の告白』を英訳し、初めて海外に紹介したひとである。 担当デスクは、のちに週刊新潮編集長となる、山田彦彌さん(1932〜1999)(愛称“ヒコヤさん”)。連載開始にあたってヒコヤさんが2人に言ったことばは「ぼくらは現代のバルザックを実践するんだよ」だった。 後年、岩本・國安両氏が共著で刊行した『銀座の女、銀座の客 週刊新潮「CLUB」通信部発』(2000年、新潮社刊)なる回想記がある。それによると、当初は、なんとも情けないスタートだったようだ。なにしろ、銀座のクラブなんて、行ったことも見たことも、ないのだから。以下、同書からの引用(一部省略あり)。 〈会社のある神楽坂から地下鉄を乗り継いで新橋の街に降り立ったぼくらは、新橋駅を背に、東の空を眺めて途方に暮れた。はて、名だたる銀座クラブ街とは、一体奈辺に存在するのか。考えていてもしようがない。誰かに聞くとしよう〉 さっそく、人の良さそうな紳士に近づいた。 〈「あの、すみません、銀座って、どこでしょうか?」「は?」「銀座のクラブ街って、どこいらへんにあるんでしょうか?」「あ、銀座ね。あの高速道路の向こう側の一帯が、いわゆるクラブ街ですがね」〉 このとき2人は、山田デスクから「5万円」の取材費を、各々、渡されていた。1976年当時の5万円を、平均給与水準で換算すると、現在の約38万円に相当するという。時代がちがうといってしまえばそれまでだが、いかに出版界の景気がよかったかが、うかがわれる。 とにかく両記者は、その5万円を懐に、初めて銀座クラブ街に足を踏み入れた。ある高級クラブが目当てだったが、どんな店なのか、どこかで評判を聞いておきたい。しかし、知っている店など、一軒もない。そこで、両記者は、どうしたか。驚くなかれ、 〈電話ボックスに駆け込むと、電話帳の職業欄のページを広げて銀座の片仮名文字の店を探した。「片仮名の店はたいがいクラブだろ」〉 そして、ある片仮名のクラブに電話を入れるのだ。この項の執筆者は、“クニさん”こと、國安記者である。そのクニさん、電話に出たマネージャーらしき男性に、 〈「あのー、銀座で高級な店というと、どんなクラブがあるんでしょうか? 名前が知りたいのですが、ぼくら銀座が初めてで、どこに行ったらいいのか分からないものですから……」〉 当初、相手は面食らった様子だったが、それでもクニさん特有の執拗な“電話取材”に、ポツポツと、それらしき店名を教えてくれた。 〈「他にはどんな店が? ××っていうとこは、どんな店ですか? ホステスは多いの? 値段はいくらくらい?」と、次々と質問を浴びせていった。相手は銀座に詳しいベテランマネージャーの一人だったのだろう。即座に数軒の店の名前と様子を簡潔な説明とともに答えてくれた〉 こうして、初めての銀座取材がはじまった。クニさんは、 〈いまから思えば本当に親切なマネージャーだった。いや、やっぱりあの頃の銀座の黒服たちは、電話ひとつとっても、今時の人間たちよりもきちんと躾けられていたような気がする〉 と、この項を結んでいる。
「読者の代表として、銀座を歩いてくれ」
さて、そんな「CLUB」欄の、記念すべき連載第1回は、どんな内容だったか。 タイトルは《カトマンズから帰ってきた糸山英太郎議員の「マダム」》。冒頭は、 〈金権選挙でとりわけ有名な参議院議員の糸山英太郎さんは、銀座の「プレイボーイ」としてもよく知られている〉 とはじまる。糸山英太郎氏(1942〜)は、実業家出身の参議院議員だったが、立候補した際、金権選挙だとの批判が絶えなかった。その糸山議員が入れ込んでいた、ある高級クラブのマダム(36歳)が、この第1回の主人公である。 糸山議員との関係が終わるや、ネパールのカトマンズに流れ、さる男にカネを巻き上げられ、帰国後、三越のデパートガールを経て銀座のホステスとなる。いくつかのクラブを渡り歩き、大手薬品会社の部長さんをパトロンに得た。原宿にマンションを買ってもらい、月20万円のお手当をもらって、銀座ナンバーワン・ホステスに。そして有名なクラブ「H」(記事では実名)の初代マダムに抜擢されるが……。 と、たった見開き2ページ(400字詰め用紙で8〜9枚相当)のなかに、えんえんと、まことに濃厚な女の半生が描かれる。この記事の見事なところは、このマダムの出世と転落を描いていながら、銀座とはどういうところなのかを、一般読者にもわかりやすく説明してくれている点だ。 〈銀座にはバーだのクラブだのと呼ばれる店がざっと二千五百軒もあって、そこに働くホステスが約三万人。が、「ママ」の数は、その一割前後でしかない。もっとも、この「ママ」にもご承知のごとくいろいろと種類がある。自分自身の店を経営する「オーナー・ママ」、パトロンつきのいわゆる「雇われママ」、それに近ごろでは「ママ」の参謀をつとめる「代理ママ」さえ存在する〉 「連載第1回」であることを、ちゃんと踏まえた筆致なのだ。実は、両記者は、デスクのヒコヤさんに、こう言われていた。 「読者のほとんどが銀座のクラブなんて知らないんだから、そういう読者の代表として銀座を歩いてくれ。素人の好奇心が一番。プロになんかなってもらっちゃ、かえって困るくらいだ」(『銀座の女、銀座の客』より) 両記者は、それを実践していたのである。 【第2回は「『税務署の職員はスミからスミまで読んでいる』との噂も…伝説の週刊誌連載『CLUB』欄が報じ続けた『銀座の歴史』」記者が見つめ続けてきた銀座の歴史】
森重良太(もりしげ・りょうた) 1958年生まれ。週刊新潮記者を皮切りに、新潮社で42年間、編集者をつとめ、現在はフリー。音楽ライター・富樫鉄火としても活躍中。 デイリー新潮編集部
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