Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/b0c46d90e4e9a495297fbd580fe8788e55628996
朝日新聞社
Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/b0c46d90e4e9a495297fbd580fe8788e55628996
福岡市東区塩浜1丁目のアパートで1月、住人でネパール国籍の男性の遺体が見つかった事件で、福岡県警は16日、ともに同国籍で、同居していた留学生ダカル・プラシャンタ容疑者(22)を殺人容疑で、無職ダルラミ・マガル・ディリップ容疑者(22)=同区和白1丁目=を傷害容疑でそれぞれ逮捕し、発表した。容疑について、ダカル容疑者は「首を絞めたが殺すつもりはなかった」と否認し、ダルラミ容疑者は認めているという。 捜査1課によると、死亡したのは、留学生バルシラ・スジャンさん(24)。ダルラミ容疑者は1月7日午前1時~午前2時半ごろ、現場アパートの室内で、バルシラさんの顔を数回殴ったり腰を蹴ったりして、顔面打撲などのけがをさせた疑いがある。ダカル容疑者は同日午前3時ごろ、この部屋でバルシラさんの首をひも状のもので絞め、窒息死させた疑いがある。
朝日新聞社
Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/9db00c9aa904f79b97515fc3a6b95b9749e6452b
在沖米海兵隊が那覇港湾施設(那覇軍港)で8~13日に航空機の離着陸などを伴う訓練を実施したことを受け、沖縄県の溜政仁基地対策統括監はキャンプ瑞慶覧(フォスター)を訪れ、海兵隊政務外交部長のニール・オーウェンズ大佐に遺憾の意を伝えた。溜統括監によると、オーウェンズ大佐は那覇軍港について「(船と航空機を使う訓練に)理想的な場所だ」と述べ、今後も訓練に使用する可能性を示唆した。 溜統括監は「基地負担軽減は県民の切実な願いだ。新たな訓練は容認できない。県民の思いを理解してほしい」と訴えた。沖縄の日本復帰時に米軍施設の使用条件や目的などを定めた「5・15メモ」に沿って港湾施設として厳格に運用し、今後は航空機の離着陸や訓練をしないよう求めた。 オーウェンズ大佐は「日米安全保障条約に基づく訓練で、即応体制の維持や防衛義務を果たすために必要だ」と述べた。軍港で訓練することで航空機の離着陸や船の接続を一カ所で行うことができると主張。5・15メモについて、那覇軍港の項目には「何一つ制限は書いていない」と強調した。 今回の訓練について「人道支援の訓練」とした上で「第3海兵遠征軍は同種の訓練をフィリピンやネパール、九州地方や東北地方などで17回以上実施している」と説明した。 今回の面談調整で、在沖米海兵隊が「米軍の運用について抗議は受け付けない」と主張したため「意見交換」という形で県側が基地を訪ねることになった。
琉球新報社
Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/603f57cdab1342986481e113aeb5557bf09d415c
配信、ヤフーニュースより
福岡市のアパートで1月、ネパール国籍の男性留学生の遺体が見つかった事件で、警察は、知人の男2人を逮捕しました。 1月7日、福岡市東区のアパートで、ネパール国籍の留学生・バルシラ・スジャンさん(当時24)が死亡しているのが見つかりました。 バルシラさんの上半身には複数の打撲の痕があり、死因は、首を圧迫されたことによる窒息死でした。 警察は、それぞれ知人で、ネパール国籍のダルラミ・マガル・ディリップ容疑者(22)を傷害の疑いで、ダカル・プラシャンタ容疑者(22)を殺人の疑いで逮捕しました。 ダルラミ容疑者は1月7日の午前1時ごろ以降バルシラさんの顔を殴るなどし、ダカル容疑者は午前3時ごろ紐のようなものでバルシラさんの首を絞めた疑いが持たれています。 ダルラミ容疑者は容疑を認め、ダカル容疑者は「殺すつもりはなかった」と供述しているほか、2人は「飲酒して、もめた」などと供述しているということです。
テレビ西日本
Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/bd100e7a91f7380decfaa85d5c723d66fd3918a6
福岡県警は16日、福岡市東区のアパートで同居していたネパール人留学生を殺害したとして、ネパール人留学生、ダカル・プラシャンタ容疑者(22)=同区塩浜1=を殺人容疑で逮捕した。「首を絞めたが殺すつもりはなかった」と容疑を一部否認しているという。 逮捕容疑は1月7日午前3時ごろ、ひも状のものでバルシラ・スジャンさん(24)の首を絞めて殺害したとしている。また、ダカル容疑者の知人で無職のダルラミ・マガル・ディリップ容疑者(22)=同区和白、ネパール国籍=もバルシラさんへの傷害容疑で逮捕した。逮捕容疑は同日午前1時~2時半ごろ、バルシラさん方で顔を殴るなどしてけがをさせたとしている。 県警によると、3人は7日未明から一緒に酒を飲んでおり、何らかのトラブルになったとみられる。【浅野孝仁】
Source:https://news.arukikata.co.jp/column/travel-info/Asia/Nepal/KATHMANDU/226_428226_1643695842.html

地球の歩き方 カトマンドゥ特派員 春日山 紀子
、Googleニュースより2022年02月08日

たくさんの民族が、独自の文化や慣習を大事にしながら暮らしている国、ネパール。その中のひとつ、カトマンドゥに古くから住む先住民ネワール族には、お祝い事やお祭りの際に「ヨマリ」という、和菓子に似たお菓子を作る慣習があります。米粉に水を加え独特の形状を作り、中に餡を入れ、蒸して作るヨマリ。カトマンドゥ旧市街アサンチョークでは、毎週土曜日に青空販売もしているので、散策ついでに立ち寄ってみませんか!







カトマンドゥで有名な旅行者街「タメル地区」。旅行中、ここの宿泊施設を利用される方も多いと思いますが、そこから徒歩で行くことができる「アサン地区」は、地元の人たちの生活を垣間見られる、活気あふれる場所。
レンガ造りの古い建物が密集する中、肉屋や八百屋などの生鮮食品を扱う店や露店、金物屋、乾物屋、スパイス屋、衣料品店他、地元民の毎日の生活に欠かせない商品を扱う小さな店がたくさん並びます。
小さな神具や食器類、岩塩の塊、ネパールらしい刺繍が施されたTシャツなど、おみやげになりそうな掘り出し物も多く、通りを冷かしながらただ散策するだけでも楽しめます。
昨年のロックダウン中は一時閑散としていた期間もありましたが、その後はいつものにぎわいが戻っています。


カトマンドゥに古くから住むネワール族。お祝い事やお祭りの際に「ヨマリ」という、和菓子に似たお菓子を作る慣習があります。米粉に水を加えこねながら、独特の形状を作り、中に餡を入れ蒸して作られます。
特に、12月の満月の日には必ず作られるのですが、しずく上の形の先っぽが長く伸びているのは、早く日照時間が長くなるように、という思いが込められているからなのだとか(諸説あります)。
餡は、チャクと呼ばれる黒砂糖のようなものを原料とし、ナッツ類を混ぜて作る黒餡であることが多いのですが、日本でも古代「蘇」として食されていた、牛乳を煮詰めて作る白餡が入ることもあります。どちらも米粉の皮にマッチして、日本の伝統銘菓にもありそうな懐かしいお味です。
かつては、祭事などに各家庭で作るのが一般的で、ネワール文化に縁がない人たちが口にする機会はなかなかありませんでした。しかし近年、見映えする形状のせいか、レストランで扱う店が増えたり、スーパーのベーカリーコーナーに並んだり、チンして食べられる冷凍食品も売り出されたりと、ネワール文化とは縁のない他の民族や外国人でも手軽に食べられる、人気の食べ物のひとつとなっています。
そんなヨマリ、食べるならネワール族の方たちが作ってくれる、本場のアツアツを食べてみたい!ですよね。
そんな方は是非、カトマンズ旧市街「アサン」の中心「アサンチョーク」へ行ってみてください。ここでは毎週土曜日、地元ネワール族コミュニティによるヨマリの青空販売が行われているのです。
ネワール族のお母さん方がせっせと手作りしてくれる、蒸したてホカホカを購入することができます。また、販売のお手伝いをしている女性は「ハクパタシ」と呼ばれるネワール族の民族衣装を着ていることもあり、ネワールの食や文化を体感することのできる貴重な機会です。
<所在地情報>
場所:アサンチョーク(アサン地区内)
アクセス:旅行者街タメル地区から訪れる場合、南に徒歩5~20分ほど(出発地点によります)。一方通行の細く入り組んだ道が多く、車の走行は難しいので、徒歩で行くか、リクシャと呼ばれる人力車を利用すると便利です。
日時:ヨマリの青空販売は毎週土曜日10時頃~14時頃
※コロナ禍による行動規制発令中は一時休止となることもあります。
値段:ヨマリ1個50ルピー(約50円弱)

オミクロン株の流行により、諸外国同様、今年に入り感染者が急増しているネパール。一時緩和されていた行動規制が一部復活、集会における人数制限や、映画館や一部の公共施設の一時的な閉鎖、教育機関の閉鎖(オンライン授業への切り替え)他、1月以降規制が更新されています。
とはいえ、入国に関しては、昨年9月に緩和された条件が今も継続中です(一部の国からの入国を除く)。日本からの渡航の場合、出国前のPCR陰性証明、ワクチン接種証明、入国後の宿泊ホテル予約票があれば、現状では入国後の隔離も不要となっています。
公共の場ではワクチン接種証明の提示が必要となっている場所も出てきていますが、ネパール外務省では「日本政府が発行したワクチン接種証明書(英語版)が、ネパール国内で行っているワクチン接種証明の提示要件を満たすと認められる」と回答しているようですので、ネパール国内行動中でも携帯しておくと安心です。
ロックダウンにならない限り外出は可能。今回ご紹介したアサン地区も、今もたくさんの買い物客でにぎわっています。十分な感染対策を取った上で散策や観光をお楽しみください。

亜熱帯のジャングルから世界の屋根ヒマラヤまで、変化に富んだ国土に30以上の民族が暮らすネパール。その魅力は、世界最高峰のエベレストなど雄大な風景の中を歩くヒマラヤトレッキングや、古い家並みや歴史ある寺院が残る数々の文化遺産、自然豊かな国立公園など多様で多彩。今こそ訪れたいこの国の旅を徹底ガイド。
■地球の歩き方 ガイドブック D29 ネパールとヒマラヤトレッキング 2021年~2022年版
URL: https://hon.gakken.jp/book/2080136300
※当記事は、2022年1月20日現在のものです。
〈地球の歩き方編集室よりお願い〉
2022年1月20日現在、国によってはいまだ観光目的の渡航が難しい状況です。『地球の歩き方 ニュース&レポート』では、近い将来に旅したい場所として世界の観光記事を発信しています。渡航についての最新情報は下記などを参考に必ず各自でご確認ください。
◎外務省海外安全ホームページ
・URL: https://www.anzen.mofa.go.jp/index.html
◎厚生労働省:新型コロナウイルス感染症について
・URL: https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html
旅したい場所の情報を入手して準備をととのえ、新型コロナウイルス収束後はぜひお出かけください。安心して旅に出られる日が一日も早く来ることを心より願っています。
Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/f30c8950ff117613f9689868f0f9bf2254ed77e2
2月27日(日)東京体育館で開催される『K-1 WORLD GP 2022 JAPAN』の「スーパーファイト/K-1スーパー・ウェルター級(-70kg)」で対戦する、アビラル・ヒマラヤン・チーター(志村道場)と松下大紀(BELIEVE MAN)のコメントが主催者を通じて届いた。 【動画】アビラルの顔面ヒザ蹴りがヒット!141秒KO勝ちの瞬間 アビラルは前体制のK-1に参戦経験を持つ格闘家デーブ・クマール・ギミーレを父に持ち、16年にネパールから来日し、昨年1月にHEATミドル級王座を奪取。K-1参戦後は、元王者・木村ミノル、現王者・和島大海らと激戦を展開している。 対する松下は、“暴走ヒットマン”の異名を取る真っ向勝負の打ち合いを見せるファイター。対戦相手を巻き込む暴風雨のような猛ラッシュが持ち味だ。21年3月に城戸康裕にKO負けして以来の再起戦となる。 アビラルは、前回の試合では和島大海にローキックでKO負けを喫して以来の試合。自身を下した和島は、その後木村ミノルを撃破して王座を戴冠している。 「あの時は自分に甘かったし、自分の弱かった部分が試合に出たんだと思います。なので試合が終わってから、本当に毎日毎日悔しさを思い出しながら練習してきたので、2022年は新しい自分、もっと強くなった自分を見せられると思います」と悔しさをバネに練習に励んでいる。 アビラルは、ローキックをカットする技術をはじめとするディフェンスや、以前から取り組んできたというフィジカルトレーニングにも打ち込んだ。 その練習の自信からか、アビラルは松下に対して「城戸戦を見る限り、全然まだスーパー・ウェルター級でやる実力はないと思っているので、今回はしっかりレベルの差を見せつけてやろうと思ってます」とのコメントが飛び出した。 さらに「2021年はK-1で2戦1勝1敗で、初のKO負けもあって色んなことを経験しました。2022年は必ず強くなって帰ってきた自分を見せて、スーパー・ウェルター級をもっともっと盛り上げて引っ張っていきます。今年こそ必ずK-1のベルトを獲って、ネパール人として初のK-1チャンピオンになります」とアピールした。 一方の松下は、前回の城戸戦の敗因を「1Rで先にダウンを取って、あそこで攻め切れなかった・倒しきれなかったところが負けた原因だと思います。今回、先にダウンを取ったらもっとガンガン行って、そのまま倒し切ってやろうと思います」と分析。 強打が武器のアビラルを「全力でぶつからなきゃ勝てないと思うので、逆にいい対戦相手だと思います」との印象をコメント。 「アビラル選手は相当タフですよね。でも、木村選手のパンチは腕力・パワーだと思いますけど、僕はパワーじゃなくてスコン!と打ち抜くような質が違うパンチなんで、それで倒したいと思っています」と、木村のパンチを耐えきったアビラルを相手にKO宣言した。
Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/5daf411084691f97f92ac00e3c47040c13872aba
配信、ヤフーニュースより
冒険家・植村直己。五大陸最高峰制覇、北極圏1万2000km単独犬ゾリ行、北極圏グリーンランド単独犬ゾリ行など叙情詩的な冒険の数々は世界中から賞賛された。エベレスト初登頂者のヒラリー卿でさえも「植村は最大のアドベンチャラーだ」と称えた。だが、世界からいくた賞賛されようとも、彼の挑戦は止まることなく、視線の遥か先は一点を見据えていた。南極大陸単独犬ゾリ横断。これこそが、植村の人生をかけた最大の挑戦だった。【2006年4月号の掲載記事を再編】
冒険家。その言葉のイメージは人並みはずれた強靭な肉体、精神を有する超人ではないだろうか。だが、数々の偉業を成し遂げた日本を代表する冒険家・植村直己は身長162cmのずんぐりとした体型。そして、映像や写真からも見て取れる愛らしい笑顔は冒険家のイメージのそれとは遠くかけ離れている。 事実、植村を初めて見た人は「こんな小柄な人が、あの植村直己?」と驚いたという。しかし、少しでも植村に接すると、穏やかな人柄や優しい笑顔にぐいぐい惹かれていく。そして、思うのだ「こんな人だからこそ、偉業を成し遂げることができるのだ」と。 植村は笑顔の奥底に強靭な精神を持ち合わせていた。それらを武器に自らの冒険を現実のものにしていく。植村直己の人生で最大の挑戦。それは南極大陸単独犬ゾリ横断だった。だが、夢半ばに植村は’84年、厳冬期のアラスカ・マッキンリー(現・デナリ)に消える。 後日、捜索隊が雪洞で発見した日記には、想像を絶する極限状態に身を置きながらも、ひたむきに前へと進む気持ちが淡々と書き綴られていた。
「友だちを得ることもできるだろう」 山に関する知識も持たず、軽い気持ちで明治大学山岳部に入部した植村直己を待っていたものは、上級生と山の厳しさだった。「殺されるんではないだろうか」そう思って何度か退部を考えるが、しだいに山の虜になっていく。3年生になる頃には年間130日も山に入るようになっていた。 大学卒業後、外国の山に登りたい一心でアメリカへ渡る。果実農場での不法労働であわや強制送還されそうになるが、登山のための資金稼ぎだったと告白すると移民調査官はこう言った。 「日本には帰らなくていい。今すぐヨーロッパへ行き、山に登りなさい」 強制送還を免れた植村はフランスに渡る。その後、ゴジュンバ・カン、モンブラン、マッターホルン、キリマンジャロ、アコンカグアなどの山やアマゾン河イカダ下りを実現し、4年5ヵ月の放浪生活に終止符を打つ。帰国した1969年、まるで植村の帰国を待っていたかのように、ネパール政府が外国人登山の禁止を解いた。 植村は日本山岳会から偵察隊に選ばれ、’70年に日本人初のエベレスト登頂者となる。続いてアラスカ・マッキンリーにも登頂する。この瞬間、植村直己は世界初の五大陸最高峰制覇者となった。
その後の植村は北極圏へと舞台を移す。1976年北極圏1万2000km単独犬ゾリ行成功。しかし計画が大きくなっていくに従って費用も膨れあがる。植村は悩みながらもスポンサーを付け、なんとか金を捻出する。 ’78年、北極点グリーンランド単独犬ゾリ行成功。この偉業も、植村にとっては南極への準備でしかなかった。 ’82年、ついに南極の地を踏む。この冒険が終われば「北海道に冒険学校を作ろう」そんな夢を妻に話していたという。だが、フォークランド紛争勃発。アルゼンチン軍が食料輸送などで協力してくれるはずになっていたが、協力は望むべくもなかった。 失意のうちに帰国した植村だったが、すぐにもうひとつの夢、冒険学校を作るためにアメリカ・ミネソタ野外学校に「先生になりたい」と手紙を書く。驚いたのは学校の方だった。まさか世界的冒険家を生徒にするわけにはいかない。まもなくして「指導員として来てほしい」と返事が来た。植村は若い学生たちと共に極寒の野外学校で雪洞を掘って寝たり、丸太小屋を作ったりして過ごした。植村は雪と戯れ、南極の失意を癒していたのだろうか。いや、彼はまた次の挑戦を見据えていたのだ。 アラスカ・マッキンリー冬季単独登頂。植村は日本出国の際、“使うはずのないピッケル”を荷物に忍び込ませている。野外学校も寒さに慣れるトレーニングの意味もあったようだ。 マッキンリーに入山する前、植村は言った。「(冒険を)やっているのは本人なんだけど、やらせてくれるのは周囲の人。だから、絶対に生きて帰らなきゃいけない」日記には過酷な状況が淡々と描写されていた。-40°以下の世界で雪洞を掘り、震えながら日記を綴る文字の間から、夢に挑む植村の姿が見える。 ’84年2月12日にマッキンリー登頂成功。その日は植村直己43歳の誕生日だった。 日記の最後には「何が何でもマッキンリーに登るぞ」と一際大きく書かれていた。そしてまだ日記を綴るため、その後には白いページが残されていた。世界に挑みい続けた植村はまだ、下山していない。 Naomi Uemura 1941年2月12日兵庫生まれ。明治大学農学部卒業。4年5ヵ月の放浪生活で多くの登攀を記録。1970年、エベレスト日本人初登頂。同年マッキンリーに単独登頂し、世界初の五大陸最高峰登頂者に。’74年野崎公子と結婚。’76年北極圏1万2000km単独犬ゾリ行、’78年北極点グリーンランド単独犬ゾリ行成功。’84年2月12日にマッキンリー冬季単独登頂に成功、その後消息を絶つ。同年、国民栄誉賞を受賞。 TEXT=井上英樹 COOPERATION=植村直己冒険館/植村冒険館