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「ガンダーラ」「モンキー・マジック」「ビューティフル・ネーム」「銀河鉄道999」——世代を超えて愛される楽曲の数々を世に送り出してきたゴダイゴ。結成50年を迎えた今も精力的にライブ活動を続けています。リードヴォーカル、作曲を担当するタケカワユキヒデさんにとっての50年とは。(構成:篠藤ゆり 撮影:木村直軌) 【写真】結成50年を迎えたゴダイゴのメンバー * * * * * * * ◆乗り越えた「日本語じゃなきゃダメ」 小さい時から僕が夢中だったのは洋楽で、アメリカのヒットチャートでナンバーワンを取るのが目標でした。高校の時から英語で歌詞を書いて曲を作っていたけれど、外国に行ったことも、外国人の友達もいないので、どうも、英語に自信がない。そこで本格的に英語を勉強したら、東京外国語大学の英米語学科に入ってしまった。 一応、英語で曲を作る理由のようなものを手に入れたので、英語で歌っているデモテープをレコード会社に持っていくと、「君の曲、どれもかっこいいね。でも日本語でやろうね」と言われてしまう。 自分のやりたい音楽は日本では無理なのかなと思っていた時に、音楽出版の仕事をしていたルーマニア生まれのジョニー野村さんと出合いました。彼は僕の曲を聴いて、「いいねぇ、一緒にやろう。いい音楽なら、何語でもいいよ」と言ってくれた。 そして、アメリカのバークリー音楽院に行っていた、元「ザ・ゴールデン・カップス」のミッキー吉野を紹介してくれることになったんです。 その後、ミッキーは僕の最初のソロアルバムを手伝ってくれたんですが、レコーディングが終わった後で、寺尾聰さんのアルバムを作るためにハワイに。そして、その間、僕のアルバムを寺尾さんと一緒に何度も聴いたらしいです。 その結果、すっかり僕のアルバムを気に入ってしまった寺尾さんが、「ミッキー、絶対こいつと一緒にやるべきだよ」と言ってくれたそうで、そんなこんなで、そこからゴダイゴになっていくわけです。
ジョニー野村さんと当時結婚していたのが、後にキャスティングディレクターとして渡辺謙さんをハリウッドに繋いだ奈良橋陽子さん。彼女は日本語より英語が母国語なので、僕の書く英語の詞を直してくれたり、そのうち英語の歌詞を書いてくれるようになりました。 僕はもともとビートルズの歌で英語の発音を覚えたんですけど、彼らはイギリス英語で、しかもリバプール訛り。奈良橋さんからアメリカ風の英語にしたほうがいいと言われて、発音を直しました。大変でした。 ゴダイゴを結成してしばらくは、映画やテレビの音楽、CM音楽、ほかの人のアルバムをプロデュースしたりとか、寝る間もないくらい忙しく過ごしました。 僕たちはプロの音楽家が集まって作ったバンドだったので、当時の若いバンドがやっていたように、自分たちのプロモーションのために、ほとんどノーギャラで日本中をツアーして回るということはできなかった。だからその代わりに、「日本中を自分たちの音楽でいっぱいにする」という計画を立てて働いていました。 そんななか、78年にテレビドラマ『西遊記』の主題歌を担当しないか、という話が舞い込んで──。もしこれがうまくいかなかったら、解散するしかないと思っていました。 奈良橋陽子さんの自宅でミーティング。僕が、「なんか、エキゾチックな言葉を入れてくれないかな」と言うと、奈良橋さんは「私、カナダで教育受けたから、アジアのことはまったく知らないのよ」と困った様子。 そのうち奈良橋さんが急に「そうだ!」と2階に駆け上って大きな美術書を抱えて下りてきた。そのなかに、ヘレニズム文化の影響を受けたガンダーラ仏が。「こういう言葉?」。奈良橋さんが訊いたので、「そうそう。こういう言葉だね」と言ったら、数日後「ガンダーラ」というタイトルの歌詞が送られてきた。 ただ僕としては、『西遊記』のモデルである三蔵法師とガンダーラは関係なさそうだし、大丈夫なのかなぁと心配していたんです。しかしこの曲がヒット。その後しばらくして、学識ある方からお手紙をいただいて。「ゴダイゴの方たちが、玄奘三蔵がガンダーラを訪れていたことをご存じだったとは感心した」という内容だったのでびっくり。
それにしても、爆発的なヒットとは、まさにあのことを言うんでしょうね。僕らはテレビ番組に数えきれないほど出るようになり、道を歩く時も、女子学生たちが来ると顔がわからないようにちょっと下を向いたり。一気に日常が変わりましたね。 80年には、ネパール王立競技場でコンサートをしました。当時のネパールは、コンサートという概念すらないし、音楽といえばシタールやタブラなどの民族楽器を使った室内楽のみ。彼らはロックやポップスも知りません。 競技場では、ステージのすぐ後ろ側に1万人も集まってしまい、「俺たち、本番はどっち向いて演奏すればいいんだろうね」などと話したくらい不思議な世界にいる感じでした。 彼らにしてみれば見たことも聞いたこともない音楽だったはずですが、本番が始まって10分もたたないうちに、6万人の観衆がみんなすごく盛り上がって。そんななか、彼らの心に沁みたのは「ガンダーラ」だったみたいです。 もともと、エキゾチックな曲を作りたくて歌詞のリクエストを出したのですから。向こうで知り合った民俗音楽の演奏家が「僕らの国の音楽だと思った」と言ってくれた。すごく嬉しかったですね。 ただ、とにかく忙しすぎた。メンバーの一人スティーヴ・フォックスはプロテスタントの牧師になりたいと言ってメンバーから抜けるし、みんな限界が来て、破裂するみたいにしていったん活動ストップ。それぞれ自分の道を進むことに。
◆新しいことをやるのがとにかく楽しい 僕は、いつも「新しいこと」をやってきました。音楽性だけではなく、録音の方法なども、常に新しいテクノロジーを取り入れてきた。でもそれは、単に「ヒットを作りたい」からではありません。今までできなかったことができるようになるのが、とにかく刺激的で楽しいから。 いつまでも変わらないのは、気に入った楽曲ができた時の感動。僕の場合、英語の歌詞を頭の中で読んでいくと、その歌詞に合わせて旋律が動いていく。それを楽器なしで五線譜に書き取る。これが僕の標準的な曲の作り方です。 その時点でいいメロディができたと確信したら、「できたぞ!」と1回目の感動。次にピアノでコードをつけながら歌ってみる。「すごい!」。実はここで身震いするほどの2度目の感動を体験。最後に歌と楽器を自分一人で録音してデモテープを作る。 そして、でき上がりをゆったり聞いて「いい曲ができたな。最高だ!」と、3度目の感動に身を委ねる。 考えてみたら、僕は本当に幸せですね。子どもの頃から好きだった音楽をずっと続けてきて、曲を作るたびに、自分で「いいなぁ」なんて思うわけですから(笑)。 今年は、ゴダイゴ50周年。僕は51周年ですが。何をしようか、毎日、ワクワクしています。 (構成=篠藤ゆり、撮影=木村直軌)
タケカワユキヒデ

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