2016年12月20日火曜日

日本語学校不法就労助長 「出稼ぎ」着目、学校買収 6カ国に現地ブローカー 群馬

Source: http://www.sankei.com/region/news/161216/rgn1612160034-n1.html
2016.12.16、GOOGLEニュースより



 ■実態は「貧困ビジネス」
 日本語学校「東日本国際アカデミー」(栃木県足利市)をめぐる不法就労助長事件で、同校理事長の前原卓哉容疑者(47)=館林市本町=がベトナムなど6カ国の現地ブローカーを介して留学生を募集、同校周辺にすむ外国人に“仲介役”を務めさせるなど大規模なネットワークを駆使する実態が、関係者らの話で浮かび上がった。前原容疑者は手がけていた人材派遣業で登録人員が減少する中、日本での就学と就業を望む海外の労働力として留学生に着目、学校を買収したとみられる。
 関係者によると、募集に応じた留学生の大半は現地の貧困層で、入学前に支払う約80万円は「人生をかけた、なけなしの金」。いわゆる貧困ビジネスの海外版といえ、悪質だと訴える。
 前原容疑者が人材派遣会社「東毛テクノサービス」(館林市)を設立したのは平成20年7月。登録人員が減少する中、安定した労働力を確保するため“出稼ぎ労働者”に着目、留学ビザを取得・来日させ同社に登録し派遣することとし、25年に足利市の学校を買収、同年10月から理事長として運営を始めた。直後の11月から就労時間を法規制内にするため裏帳簿の作成を指示しており、もともと「派遣業の人」(関係者)で、当初から教育者としての視点は欠けていたという。
 前原容疑者は買収直後から頻繁に各国へ出向き、留学生を募集。特にベトナムには強いコネクションがあり「月に1度のペースで通っていた」。現地に5日ほど滞在、留学生との面接や人材送りだし機関の幹部らと面会していたという。
 留学生と前原容疑者を引き合わせるのが現地ブローカー。ベトナムやモンゴル、ネパール、ミャンマー、パキスタン、バングラデシュの6カ国に7~8人のブローカーが駐在、中には現地日本語学校の教師もいた。足利や太田などの外国人社会には、偽装結婚や偽装就労ビザなどのグレーゾーンビジネスを手がける集団があり、一部が現地と連携、前原容疑者とブローカーの“仲介役”を担うようになったという。
 前原容疑者が入国管理局に提出した資料にはベトナム、ネパール、モンゴルに「連絡事務所」が存在すると明記されているが、「実態はなく、ブローカーの駐在を意味している」。
 ブローカーは「日本ではたくさん稼げる」と希望者を募集、前原容疑者にリストを送付し、同時に現地の日本語学校に入学させる。その後、必要書類を送付。同局から許可の下りた者との面接を行うため、前原容疑者が現地入りし、「日本では勉強しながら稼げる」などと勧誘する。
 モンゴル人留学生(24)は来日前、語学力に自信がなく仕事に不安を覚えると伝えると、「心配しなくて大丈夫だ」と前原容疑者に説得されたという。前原容疑者は面接後、年間の学費など現金80万円を日本円で前払いさせていた。
 現地の事情を知る関係者は「ベトナム人留学生は貧困層の多いハノイなどの北部出身者が目立つ。ブローカーも前原容疑者も甘い言葉で誘う。これでは人身売買と同じだ」と批判した。
                   ◇
 在留資格に「介護」を追加する改正入管難民法の成立を見越し、前原容疑者は働きながら技術を学ぶ「技能実習制度」にも目をつけ、館林市の介護施設役員らを連れベトナムを訪れていた。再逮捕以降、前原容疑者は弁護士を通じて周辺関係者に、実習生の利権を手放さないよう指示したという。“国策”として外国人労働者への期待が高まる中、審査や規制の網が現状のままでは、悪徳業者はなくならない。

出稼ぎ留学生(2)都会の隅に外国人村

Source:http://www.nishinippon.co.jp/feature/new_immigration_age/article/296020

2016年12月16日 、GOOGLEニュースより



 真新しいマンションや古びたアパートが混在する福岡市南区の住宅街。一角にある約300メートルの細い路地を夕暮れ時に歩くと、褐色の肌をした外国人と頻繁にすれ違う。
 時に摩擦、寄り合いも
 ネパール人やベトナム人が多い。彼らが主に暮らす3棟のアパートは、住人の大半が外国人。中廊下を歩くと香辛料の香りが漂い、聞き慣れない音楽が漏れ聞こえる。日本人の住民たちは、いつしかこの通りを「国際通り」と呼ぶ。
 築39年の2階建てアパートの1階には、「KYODAI」と書かれた看板がある。ネパール人向けの食材調達からアパートの紹介まで、何でもこなす「よろず相談所」だ。
 別の築33年の3階建てアパートは、44部屋に60人以上の外国人が住む。一室を訪ねると、洋室6畳とキッチン3畳の間取りに、ベトナム人の男性留学生2人が暮らしていた。
 洋室は布団2枚を敷くとほとんどスペースはなく、ベランダにぎっしりと干された洗濯物がカーテン代わり。昨年4月に先輩の紹介で入居したベトアンさん(24)は「古くて汚れているけど、安いのが魅力」。家賃の2万3千円を折半している。
 管理会社によると、このアパートは当初、日本人の学生や若い会社員が入居した。2000年ごろから空室が目立ち、外国人を入居させ始めた。連帯保証人も必要なく、敷金や礼金もゼロ。入居者の8割以上が日本語学校の留学生という。
 同様の現象は、福岡市東区や博多区にも広がっている。都会の片隅に、小さな異国の村ができている。
   ◇   ◇
 福岡市南区に住む外国人は8月現在4658人で、09年に比べ1・5倍。中国人が減る一方、ベトナム人やネパール人が増え、それぞれ千人を超えた。近くに日本語学校があるためとみられ、外国人留学生は約1400人に上る。
 急激な変化に戸惑いを隠せない日本人の住民も多い。70代の女性は「差別はいけないけど、ぞろぞろと歩いていると気味が悪い」。
 地域との摩擦も生まれている。「毎年外国人がどんどん増え、正直なところ住民からの苦情が絶えない」と地元の自治協議会の山口英則会長(75)は明かす。
 トラブルは文化や生活の違いが原因となるケースが多い。ネパールにはごみ分別の習慣がなく、清掃車が回収しないため、カラスが食い散らかしてしまう。アパートには、ネパール語でごみ分別の方法を書いた看板がある。
 共存を目指す動きもある。福岡市南区は昨年から「縁むすび事業」として、日本人住民と留学生の交流会を各地域で開いている。
 10月、ある公民館で住民約20人がベトナム人留学生16人とちらしずしやベトナム料理の揚げ春巻きを作り、食卓を囲んだ。グエンさん(23)は「これまで住民との交流はなかった。仲良くしていきたい」とほほ笑んだ。
 実は「国際通り」周辺は経済的に厳しい1人暮らしの高齢者も多い。9月には、通り沿いの共同住宅で80代の男性が孤独死した。「互いが寄り添える関係になれば、地域にとってもプラスだ」と南区役所の副島信次企画振興課長は言う。
 1人暮らしの池田トキ子さん(70)は4~5年前から毎日、国際通りに近いネパール食材店に通う。ネパール人店主の1歳の子どもをあやし、店番に立つ時もある。代わりにネパール料理を教えてもらう。
 「持ちつ持たれつで、この店が私の憩いの場。近くで暮らす住民同士、話せば理解し合える」。池田さんとネパール人親子の草の根の共生が続く。
 ◆ご意見や情報をお寄せください
 西日本新聞「新 移民時代」取材班
 imin@nishinippon-np.jp
=2016/12/08付 西日本新聞朝刊=

出稼ぎ留学生(1)暮らしの隣「移民」100万人

Source: http://www.nishinippon.co.jp/feature/new_immigration_age/article/295787

2016年12月15日、GOOGLEニュースより
 福岡県庁に近い福岡市博多区のJR吉塚駅前。11月下旬の薄暮が迫る午後5時すぎ。比較的人通りが少ない東口のロータリーを囲むように、肌の色が違う外国人の若者がぽつぽつと集まってきた。
 工場バス、アジア系続々
 たばこを吸いながら談笑したり、おにぎりやパン、バナナを頬張ったり、エナジードリンクを飲む姿も見られる。数はどんどん増え、いくつかのグループに分かれた。
 落ち葉が散る近くの公園からは、ボール遊びを楽しむ子どもたちの歓声が聞こえる。駅を利用するサラリーマンも客を待つタクシー運転手も、気に留める様子はない。「最初は気味悪かったけど、4、5年前からどんどん増えてきて、もう慣れたよ」。毎日、買い物で駅に来るという近くの男性(73)は、彼らを横目に通り過ぎた。
薄暗くなってきた午後5時20分ごろ。1台目のマイクロバスが到着。「オハヨウ」。片言の日本語が聞こえてきた。若者たちは、吸い込まれるように乗り込み、約40席のバスはすぐ満席になった。
 2台目、3台目…。同6時半ごろまでに次々と到着したバスは8台。乗り込んだ外国人はざっと数えても200人を超えた。彼らの大半は、ネパールやベトナムから来た日本語学校に通う留学生たちだ。
 業者が用意したバスで、全員が24時間稼働している宅配便の仕分けや、コンビニ弁当、総菜の製造工場などのアルバイトに向かう。
 1台のバスにはこんな注意書きがあった。「バスの中では静かに。ルールが守れない人は契約しません」。車中、留学生たちは仮眠を取ったり、外を眺めたり、スマートフォンを触ったりして、バスに揺られた。
 渋滞の国道を抜け30分が過ぎたころ、九州自動車道の福岡インターチェンジ(IC)近くに着いた。バスのドアがゆっくりと開いた。身をかがめ、押し黙ったままの留学生たちが列をなして降りていった。
 異国で深夜の荷分け
 マイクロバスが着いたのは、福岡市郊外にある大手運送会社の仕分け作業の拠点。24時間稼働の「ベース」と呼ばれている。
 タイムカードを押して、黒い安全靴を履き、ヘルメットをかぶったネパール人留学生のビカシュさん(23)=仮名=が、ベルトコンベヤーに宅配便を流し始めた。「全部知っている僕がいないと、工場は回らないから」。4千円のリーダー手当をもらい、日本人パートにも指示を出す。月に12万円を稼ぐ。
 荷物には配達地域を示す番号が振られ、その番号に沿って荷物を集積させるため、日本語が分からなくても作業ができる。「数字は世界共通語だから」。関係者はこう漏らす。
 ベースの荷物量は夜間が特に多く、日付を越えた勤務時間帯は外国人労働者が8割程度を占めるという。ネパール人が最も多く、全員が留学生だ。冷蔵庫、テレビ、自転車などが入った段ボール箱は20キロを超え、1時間に約2千個をさばく。夏場はTシャツが汗びっしょりになり、トイレで絞ってから着直す。
 深夜から翌日未明にかけ、勤務を終えた若者たちは再びバスに乗り、JR吉塚駅で降りると、福岡市中央区や南区にある自宅アパートまで自転車をこぐ。午前9時からは日本語学校が始まる。居眠りすることもあるが、ビカシュさんは「今、すごく楽しい」とはにかんだ。
   ◇   ◇
 別のバスが向かった先は、福岡県内でコンビニ弁当の製造を請け負う工場だった。
 おかず、漬物、ご飯を盛りつけるベルトコンベヤーのラインには、白いマスク、帽子、作業着姿の約40人が並ぶ。全員がネパール人という。従業員約800人のうち6割が外国人労働者で、ネパール語のバイト規則もあるという。
 リーダーを任されているネパール人のラムさん(25)=仮名=は4月の熊本地震後、日勤にもかかわらず朝まで働く日々が続いた。政府の要請を受け、コンビニ各社が被災地に届ける弁当を増やしたため、工場はフル稼働した。大量の支援物資の陰には外国人労働者の存在があった。
 ラムさんの勤務は、留学生が働ける時間「週28時間以内」を超えていた。福岡市にある日本語学校の中には、入国管理局に目を付けられることを恐れ、弁当工場からの応援要請を断った所もある。
 ラムさんが働くラインには、高齢女性の日本人パートもいる。「日本のお母さんね、楽させたい」。できるだけ業務量が少ない担当を割り振っているという。
   ◇   ◇
 政府は「留学生30万人計画」を掲げ、九州7県の日本語学校は10年前の倍の64校(今年9月末、全国547校)に上る。今年1月には、違法な長時間労働を助長したとして、福岡県警が入管難民法違反容疑で同県直方市の日本語学校「JAPAN国際教育学院」を摘発。学校は3月に閉鎖され、100人近い留学生が東京や福岡に移った。
 慢性的な人手不足で、5年前から繁忙期に留学生30~40人を雇っていたが、事件後は“穴埋め”ができなくなったという。
 留学生の大半は複数のアルバイトを掛け持ちし、筑豊地区の製造業を中心に約50社が受け入れてきた。5人の留学生を雇っていた直方市のあるコンビニ経営者は言う。「募集しても日本人が来ない深夜帯に、留学生たちはまじめに働いてくれた。店長を任せたいくらいだった」
 週28時間を超える労働は「犯罪」。だが、彼らが地方の貴重な労働力となっていたこともまた、現実だ。
  連載「新 移民時代」第1部
 留学生や技能実習生を含む外国人労働者の数が今年、初めて100万人を突破する見通しだ。「移民政策」を否定する政府の建前と、不可欠な労働力となっている現実―。九州の現場でそのひずみを直視し、共生の道を探る。
 ◆ご意見や情報をお寄せください
 西日本新聞「新 移民時代」取材班
 imin@nishinippon-np.jp
=2016/12/07付 西日本新聞朝刊=

2016年12月13日火曜日

アレクサンドロス大王遠征あってこその仏教成立 --- 八幡 和郎

Source: http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20161212-00010011-agora-soci

アゴラ 12/12(月)、ヤフーニュースより

これまで私は、日本、中国、韓国、フランス、アメリカなどの通史を書いてそれなりに多くの方に読んでいただいてきましたが、「日本史」と「世界史」の通史をワンセットで出したいといろんな出版社にお願いしてきましたが、二冊一緒にということがネックになってきました。

しかし、このほど、扶桑社新書から12月に「世界と日本がわかる 最強の世界史」(http://amzn.to/2gCygB9)、3月に「日本と世界がわかる 最強の日本史」を出すことになりました。

一人で世界史と日本史を同時に書いて読んでもらってこそ、歴史の全体像が見えてくるはずという思いですので、これまでの本以上に私としては皆様にお読みいただければ幸いだと思っています。

こうした通史を書いていると、これまでうっかり見過ごしていたことに気がついて、悩むことになります。とくに西洋と東洋、そして、その真ん中の中近東、中央アジア、インドなどの役割をあらためて勉強することになり、目が鱗から落ちたような思いもいろいろありました。

とくに、世界史のいろいろな出来事の前後関係がこれまで少しずれていたのに気付いたりします。

そうしたことを何度かに分けて紹介もしたいのですが、今日のテーマは仏教とギリシャ文明です。

よく考えて見ると、ギリシャ文明あってこその仏教なのです。「137億年の物語―宇宙が始まってから今日までの全歴史」」(クリストファー ロイド ,講談社)という人気のある世界史の本では、世界史上の重大事件のひとつとして、アショーカ王による仏教の国教化を上げています。ブッダによる悟りや布教よりこちらを選んだのが面白いところです。

仏教もブッダ自身は新たな宗教を開いたと思っていなかったでしょう。そして、やはりブッダの時代から二世紀ほど後のアショーカ王が仏教に帰依し、インドを統一してその国教としたことで世界的な影響までもつきっかけになりました。その意味で、アショーカ王の改宗にこそ意味があるという見方は説得力があります。

インドに侵入してきたアーリア人たちの宗教はバラモン教でした。厳格なカースト制度を敷き、社会的停滞の原因になりましたが、階級同士の連帯が強いことが、民族同士で対立を激化させないメリットもありました。

ところが、前5世紀ごろになると中産階級を中心に不満が高まり、そのなかで生まれてきたのが仏教なのです。ブッダ(前463?~前383年?)は、ネパール領になっているルンビニーで生まれました。モンゴル系の部族と云われています。

アショカ王はガンジス川中流にあったマガタ国で生まれました。祖父であるチャンドラ・グプタがマウリア王朝を開いたのは、北インドに侵入したアレクサンドロス大王が死んだ直後のことです。チャンドラ・グプタは、シリアのセレウコス朝に500頭の軍象を提供することと引き替えに北インドの支配権を認められました。そういう意味でアショーカ王はまさにヘレニズム時代の人なのです。

アショカ王は、継承にあって、多くの兄弟を殺し、東部オリッサ地方のカリンガ国を征服したとき、数十万人を殺しました。この悲惨な戦争を機に人生観を変え。仏教へ入信し世界史ではじめての人類愛の政治における実践をしました。

仏教は、南方に伝わって上座(小乗)仏教となり、北西インドでは自らだけでなく大衆を救うことを強調した大乗仏教が発達し、紀元前後には、ハイバル峠の両側のアフガニスタンやパキスタンで、ガンダーラ文化が栄えました。

大乗仏教が発展し、ギリシャ彫刻の影響のもとで仏像がつくられたのはここで、その意味で日本にまでその影響は及びました。

中国に仏教が伝わったのは、後漢の時代ですが、本格的な普及は南北朝時代です。 この時代には、西域から仏図澄(232 - 348年)や鳩摩羅什(344年 - 413年)などの高僧がやってきて、仏典の漢訳も始まり、中国人に受ける分かりやすいものへ変容してきました。

五胡十六国時代の華北で、多くの国が仏教を受け入れたのは、ユニバーサルな思想である仏教が漢民族でない彼らにとって受け入れやすかったからです。また、仏教はエキゾティックな建築、仏像仏具など工芸、それに、食事や音楽なども一体となったものです。その意味では西域文化がワンセットで中国に入ってきたとも言えます。

そして、南朝でも仏教が盛んになりましたが、北魏では皇帝如来といわれたように、皇帝の権威を高めるために使われましたが、南朝では皇帝菩薩というように上流階級の人が心の平安を願うために重宝されました。晩唐の詩人杜牧は、この時代をしのび「江南春望絶句」で「千里鶯啼きて緑紅に映ず 水村山郭酒旗の風 南朝四百八十寺 多少の樓臺烟雨の中」という夢幻的な美しい情景を詠みました。貴族たちは大規模な荘園を構え、弱体な帝権に媚びずに気ままに贅沢な暮らしを楽しみながら仏教に精神の安定を求めました。

この南朝の仏教が百済を経由して日本に入ってきたのが仏教伝来であり、飛鳥時代の仏教でした。そして、この仏教の受け入れで、日本人で読み書きの出来る人が飛躍的にふえ、礎石の上に頑丈な建物が建てられ、本格的な美術工芸や音楽が発展し始めたのです。

シェリーという19世紀のイギリス人詩人は、「私たちはギリシャ人だ」といいましたが、それなら、仏教の強い影響下にある現代の日本人もギリシャ人といってよいのです。
八幡 和郎

藤が丘地区センターのヒマラヤザクラ開花 もうすぐ見頃 /神奈川

Source: http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161209-00000023-minkei-l14
みんなの経済新聞ネットワーク 12/9(金)、ヤフーニュースより
 藤が丘地区センター(横浜市青葉区藤が丘1)玄関前に植えられている「ヒマラヤザクラ」が12月4日に開花した。(港北経済新聞)

 ヒマラヤザクラはバラ科サクラ属の樹木。ネパール地方原産といわれる冬に咲くサクラで、ピンク色の花は散る間際に色が濃くなる。2004年に同センター開館15周年を記念して玄関前に植樹された。

 苗木は近隣の園芸家で、20年以上ネパール・ヒマラヤの山村で植林協力を行っている高橋佳晴さんが、ネパールから持ち帰った種子を育てたもの。同館ではこれまで、高橋さんの協力も得ながら大切に育ててきた。

 毎年11月から12月にかけて花を咲かせており、地域のシンボルツリーになっている。今年は例年より遅い開花。現在は全体で花が咲き始めているが、同時に葉っぱも多い。

 同館の片瀬映子館長は「年々つぼみとともに葉っぱもでるようになってきたが、ところどころきれいな花を見ることができる」と話す。

日本来た意味 分からない ネパール留学生、過酷な労働で学業に支障

Source: http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161208-00000010-ryu-oki
琉球新報 12/8(木)、ヤフーニュースより

 沖縄県内在住のネパール人男性が日本語学校在学中、アルバイト先の工場で鉄骨の間に指を挟み、危うく切断するけがを負っていたことが分かった。日本語が不自由だった男性は学費や生活費などのため経験のない肉体労働に従事。「毎日疲れて勉強に集中できなかった。日本に来た意味が分からなくなった」。疲労で学業に専念できず、留学の目的を見失うほど追い込まれていた。

 「指先が取れそうに、ぷらぷらしていた。皮だけでつながっているようだった」。日本語学校の授業が終わると自転車で約40分かけてアルバイト先の工場に向かった。1日約4時間、強い日差しに照らされながら重い鉄骨を運んだり、4~5本まとめて機械で曲げたりする作業をした。疲労で頭が回らないまま作業に当たっていたある日、機械にかけた鉄骨の間に指を挟んだ。かろうじて指の切断は免れたが、左手の薬指には今も縫合の痕が残る。

 「日本でしばらく働いて稼いだ後、ネパールで家族と暮らしたい」。夢を抱いて学校に入学した男性は当時、ほとんど日本語が話せなかった。日本語が不十分な学生が肉体労働のアルバイトに就くことが多い。疲労のため学業に集中できない事例もあるという。

 負傷から約1週間後、学校から荷下ろしのアルバイトを紹介された。「けがもしたので断ったが『(学校側は)勝手にしろ』という感じだった。学費が払えないと思ったのかな」

 日本語学校を卒業後、帰国したい気持ちを抑えて県内で進学した。「いい仕事に就いて家族にお金を送りたい」。男性は現在、コンビニで深夜勤のアルバイトをしている。「(法律で定められている)週に28時間しか働けないから、深夜手当の出るバイトがいい。寝不足だが肉体労働よりはいい」と話し、傷痕の残った指先に視線を落とした。(嘉数陽)
琉球新報社

留学生の6割ネパール出身 沖縄県内、4年で18倍

Source: http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161208-00000009-ryu-oki

琉球新報 12/8(木) 、ヤフーニュースより
 日本学生支援機構(JASSO)の調べによると2015年5月時点で、沖縄県内の留学生2090人の内、60%に当たる1254人がネパール人であることが分かった。11年の県内在留ネパール出身学生は70人で、4年間で約18倍に増えている。全国では15年時点で20万8379人中1万6250人がネパール出身学生。4年でおよそ8倍に増えている。急増する影には経済的に困窮した学生が多い実態も見え隠れする。

 15年時点の県内ネパール留学生1254人の内、約78・5%(985人)が日本語学校生。週28時間以内の資格外活動(アルバイト)で生活費や次年度の学費を稼いでいる。

 外国人留学生にも県内の最低賃金額が適用される。現在の最低賃金は714円。28時間たっぷり労働しても8万円弱。「生活費も賄えない」と困窮状態を訴える学生が多く、不法就労を招きかねない実態もある。