Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/084621c16f159213b85c3005d0d63816f67a381a
ネパールのヒマラヤ山脈地帯にあるランタン・リルン山(標高7234メートル〈m〉)で8月26日、氷河崩壊による巨大な土石流が発生した。標高約5200mにある中腹の凍土が崩落。その流れは岩や土砂を巻き込みながら怒涛と化し、推定時速160キロメートル(km)以上のスピードで、山間のネパールと中国の国境地帯を駆け下った。高さは70m以上に達し、発生からわずか数分で、中国側のチベット自治区シガツエ市のギロン(吉隆)国境検問所に押し寄せた。 【写真】災害に対する中国の報道 監視カメラに残った映像では、逃げ惑う多数の人々が映し出されて間もなく、信じがたい規模の濁流が、国境検問所の建物群をあっという間に呑み込んでいる。後日公開された現場では、数階建ての建物群は土台を残して跡形もなく消え去っており、土石流の異常な破壊力を見せつけた。そして、この流れはふたたびネパール側に広がる川に沿って、周辺のあらゆるものを巻き込んで進み続け、きわめて広範囲にわたる流域を破壊していった。 現在判明しているだけでも、死者は約1300人以上、行方不明者は5100人以上といわれるが、実際はさらに上回る可能性が高い。物理的推計として、土石流の威力はトリニトロトルエン(TNT)火薬換算で1キロトン相当であったとされる。 これは広島に投下された原爆のエネルギーが、TNT火薬換算で16キロトン相当であったことを考えると、破壊力のすさまじさが理解できる。また、流域に残された瓦礫は220万トン以上と推定され、現在も続く人命救助・捜索のみならず、今後の復興にも大きな課題が突きつけられている。 この災害について、専門家は山体隆起と気候変動が原因としている。特に後者については、近年のヒマラヤ山脈各所で気温が上昇し、これが高地の凍土を溶かしつつある。 その溶解速度は、かつての2倍に加速しているとされ、長年保たれてきた岩盤の安定性が崩れつつあった。無論、その危険性自体は理論的には警告されてきたものの、いつ、どこで、どのような規模で発生するのかについては、具体的な対策のない状態であった。
中国側の動き
その意味で今回の災害は、一義的には純然たる自然災害であり、中国に直接的な原因があったわけではない。また、中国側に被害が及んだことも、彼ら自身にはまったく想定外の事態であった。 しかし、中国は事態の処理について、迅速かつ慎重に対応した。そこからは中央政府の最高レベルで、高度な警戒感をもって事態にあたることへの、明確な意志が伺える。 災害の当日、事態発生から4時間ほどで、国営新華社系のネットニュースが報道を開始した。その数十分後には、習近平が「重要指示」を出した旨が報道された。 これは中央が、習近平の指導によって迅速に危機対応を行っていることを、民衆に印象付けるためのものであった。また、民間でもネットメディアを中心にニュースが拡散し、SNSでもギロン国境検問所が土石流に吞み込まれる映像などが拡散した。 ただ、当初は検閲によると思われる削除などが発生したものの、全面的な情報統制・封鎖が行われなかった点は興味深い。これは中央と宣伝部門が、今回の災害はあくまでも自然由来であることに加えて、中国側は「巻き添え」となった形であることから、民心が反政府的感情を抱く契機にはならず、むしろ習近平の「指導力」を強調する機会になると判断したものと考えられる。このためネット上のデマへの取り締まりは進めつつ、「公的機関の権威ある発表」を基準にした宣伝報道が展開されている。 27日午後には李強首相が陣頭指揮のため現地に入ったが、中国メディアは、李首相が「習主席の委任」を受けて救助活動を指導し、被災民を見舞ったと伝えている。その後は連日のように、捜索救助、避難民の保護、道路・通信網の復旧作業を報道し、党と国家の迅速な危機対応と指導力を強調している。また専門家を登場させ、今回の一件が純然たる自然災害であることを解説・強調することにも、力点が置かれている。
自然災害では済まされない、中国社会の因果律
一方では、民心の動揺を招かないようにするためか、土石流の衝撃的な映像などは、中国メディアでは使用されていない。また、中国メディアは被害者たちの声を伝えることもない。 それはこの地域が、政治的・社会的に敏感なチベットであることを考えれば、当然なのであろう。ただし、こうした中国の宣伝・報道姿勢は、諸外国からの疑念や非難を招きやすい。現に国際的には、批判的観点からの報道が多いことも事実である。 これを意識してか、通常は外国メディアの立ち入りが厳しく規制されているチベットにあって、9月5・6日には中国側が許可・アレンジした外国メディア8社の取材団が、現地入りを許されている。中国外務省の報道官は、こうした自国の情報公開について、透明・迅速なものと強調している。ただし、これは当然ながら自由な取材などではなく、あくまでも中国が外国メディア、ひいて世界に対して「見せたい姿」でしかないことを、しっかりと留意する必要がある。 このように自然災害に際しても、中国が神経を尖らせる一番の理由は、国内統治の安定性が、何にもまして求められるためである。歴史的にみて自然災害とは、時の権力者による治世の安寧や継続性への凶兆と捉えられてきた。 言い換えれば、自然災害は民心の乱れとなって社会不安を助長し、ひいては権力者に対する不満や反抗へと転化してきた。中国共産党と中央政府にとっては、この歴史的な轍を踏むことを避けねばならない。
近年の中国では自然災害が多発している。昨年はチベットでの大規模な地震、北京・河北省・甘粛省での豪雨災害、今年は重慶での山崩れ、甘粛省での水害、広西チワン族自治区での豪雨災害などが続発している。そして、今回のネパール国境沿いでの土石流災害である。 これらは自然災害であり、人為的理由から被害が発生・拡大した直接的原因は見られない。だが中国という社会には、自然災害というだけでは済まされない因果律が内包されており、その圧力は、かの地を統べる権力者自身に、重くのしかかっているのである。
戦略的重要地域としてのネパール国境地帯
今回の土石流災害における中国の対応について、もう一つ特徴的なことがある。それは発生元であるネパールへの姿勢である。 中国は災害発生後、ネパールに支援物資と人員を送った。しかし、ネパールのシシル・カナル外相は、地元メディアとのインタビューで、自国の温暖化ガス排出はわずかであるにもかかわらず、地球規模の気候変動によって巨大な代償を支払わされているとして、温暖化ガス排出量の大きな中国、米国、インドに補償を求めると述べた。 これに対して中国は、同国にしては珍しく、きわめて抑制的な反応を示している。中国外務省の報道官は、中国も被災国であることを前置きした上で、気候変動は世界的課題であり、ネパールを含む国際社会と協力して悪影響を予防・軽減したいと述べるにとどまった。 この後、9月に入るとカナル外相は、駐ネパール中国大使との会談で、中国からの支援に謝意を示すと同時に、補償は中国などの特定国に求めるものではなく、国連気候変動枠組条約やパリ協定の枠組内で国際社会に求めるとして、従前の主張を和らげている。 この背景には、中国とネパールの地政学的な関係がある。すなわち、中国にとってネパールは「一帯一路」上の重点ルートの一つであり、チベット自治区の経済開発を進める上でも大きな役割がある。加えて、それは単なる二国間の問題ではなく、中国とは微妙な関係にあるインドを牽制する上でも、重要な意味を持っている。 このため中国は、今回の土石流で消滅したギロン国境検問所を、両国間交流の中心として建設して、2014年に運用を開始し、22年には国家レベルでの国境経済協力区に格上げするなど、力をいれてきた。 こうした中で、ラサ・カトマンズ間の鉄道建設も計画されいる。そして、それらは30年の完成を目指し整備が進められている、中国の巨大環状道路「黄金大外環」(総延長約2万7000km)で、ベトナムとの国境にある港湾都市の東興からカザフスタンとの国境にあるカナスを結ぶルートと接続される。 この大構想を実現させるには、ネパールとの友好協力関係が維持されねばならず、それは新たな発展機会を得られるネパールにも同様である。こうした大きな構図での利害を考えれば、むしろ今回の災害は、両国間をさらに緊密化させる、新たな契機に転じる可能性すらあるのではなかろうか。 ※本文内容は筆者の私見に基づくものであり、所属組織の見解を示すものではありません。
久末亮一

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