Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/32fcb956a76b811d52f846707418afa630ac7c78
2016年に逝去された登山家・田部井淳子さんは、女性初のエベレスト登頂を成し遂げたことで知られています。今回は、田部井さんがこれまでの出来事をエッセイとして書きまとめた著書で、2025年10月31日公開の映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」の原案本ともなった『人生、山あり“時々”谷あり』から一部を抜粋し、再編集してお届けします。 【写真】1975年5月16日、女性で初めてエベレストの頂上に立った田部井淳子さん * * * * * * * ◆「登山家」ではなく「登山愛好家」 私は自分のことを、「登山家」ではなく「登山愛好家」だと思っています。 登山家という言葉には、「自分の限界に挑戦し、はるかな高みを目指す人」というイメージがあります。 私も、1975年に女性として世界初のエベレスト登頂を果たしたことから、登山家と見なされるようになってしまいました。 でも、私は、世界記録がつくりたくてエベレストに登ったわけではありません。エベレストは、「一度は登ってみたい、憧れの山」だったからです。
◆一度はエベレストに登ってみたい 私がヒマラヤに興味をもったのは、1970年、ネパール王国がヒマラヤ登山を解禁したのがきっかけです。「女だけでヒマラヤ行かない?」と仲間に誘われて、女子登攀(とうはん)クラブを設立。まずは7000メートル級の山に登ろうと目標を立て、70年にアンナプルナIII峰(7555メートル)に登頂しました。 次の8000メートルをどこに登ろうかということになり、世界に14座ある8000メートル級の山々の中から、女だけでも登れる可能性のある山として選んだのです。エベレストなら、53年のヒラリーさんたちの初登頂の後、世界の6カ国の人が登っており、日本隊も登っています。資料も揃っているし、標高8000メートルから山頂までのルートも、それほど難しくはありません。それに、やっぱり一度はエベレストに登ってみたいという思いもありました。 そこで、1971年にネパール政府に許可を求めたところ、当時エベレストは1シーズン1チームしか許可されない時代でしたが、75年には入山を許可してもらえることになりました。 こうして、インド経由でネパールに入り、ついにエベレストの山頂に立ちました。山のてっぺんからは、チベットとネパールの両方が見渡せます。エベレストは屏風のように地球の上にそそり立ち、ネパールとチベットを隔てていました。見下ろすと、一方にはネパールの峨々たる山脈がそびえ、もう一方にはチベットの大高原が広がっています。そのスケールは、言葉を失うほどでした。 でも、登頂の喜びに浸っている余裕はありませんでした。目も眩むような高みに立ち、「本当にここから下山できるのかなあ」と、不安が一気に押し寄せてきたからです。 山頂から下を見ると、千尋(せんじん)の谷底に吸い込まれていくようです。あまりの急峻さに足がすくみ、後ろ向きに下りることもしばしばでした。気が狂うほどの緊張感と闘いながら山を下り、ようやく登頂の実感が湧いてきたのは、ベースキャンプに着いてからでした。
◆山登りを続けてきた理由 ところが、カトマンズに戻ると、世界が一変していました。空港にマスコミが大勢詰めかけ、とんでもない騒ぎになっていたのです。 たまたま国際婦人年に当たったこともあり、新聞やテレビでは「日本女性、国際婦人年、飾る」と大々的に報道されました。でも、当の私たちは、自分たちが「世界初・女性初の快挙」を成し遂げたことなど、全く意識していませんでした。 「一体、どうしたのだろう。私たち、山に登っただけなんだけど」と、ただただ呆然としていたのです。 はからずもエベレスト登頂で、私は「女性登山家のパイオニア」のように呼ばれるようになってしまいました。でも、私が山登りを続けてきたのは、記録をつくりたいからでも、自分の限界を試したかったからでもありません。私が世界中の山を旅して回っているのは、「自分が見たことのない景色を見たい」から。つまり、私は登山家ではなく、登山を純粋に楽しむ愛好家なのです。 エベレスト登頂から17年後の1992年、今度は「女性で世界初の七大陸最高峰登頂者」という肩書きをいただくことになりました。これも、「七大陸最高峰を制覇しよう」と考えてのことではなく、たまたま登りたい山に登った結果、そうなっていただけのことです。 アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロも、北米大陸最高峰のマッキンリー(編集部注:2015年8月に、“デナリ”に改称。その後、2025年1月に再び“マッキンリー”に改称)も、以前から登りたいと思っていた山でした。
◆なぜ最高峰を目指すのか もともと私は、「制覇」とか「挑戦」という言葉は好きではないのです。新聞や雑誌のインタビューを受けると、記事に「未知への挑戦」というような見出しを付けられることが多いのですが、そのたびに、「いやあ、私、そんなんじゃないんですけど」と、首をすくめたくなります。 とはいえ、各国の最高峰を目指すことには、いささかのこだわりがありました。それは、最高峰というものが、「どの山に登ったらいいか」という、一つの目安になるからです。地球はあまりにも広く、世界的に有名な山は限られています。日本に富士山があることは知っていても、槍ヶ岳や穂高岳を知っている外国人は少ないのと同じです。 そこで、まずはその国の最高峰を調べて、そこに登ってみる。すると、ガイドさんが「実は、もっとおもしろい山があるんだよ」と教えてくれます。そして、世界がどんどん広がり、登りたい山が次から次へと出てきます。 ※本稿は、『人生、山あり“時々”谷あり』(潮出版社)の一部を再編集したものです。
田部井淳子


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