Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/b72b7b6c2164512ecea72460ded82f34915c8f1f
この連載では、一般的な「住みたい街ランキング」には登場しないけれど、住み心地は抜群と思われる街をターゲットに定め、実際に歩き、住む人の声と、各種データを集めてリポート。定番の「住みたい街」にはない「住むと、ちょっといい街」の魅力を掘り起こしていく。 東京都北区の十条といえば、東京三大銀座と言われる「十条銀座商店街」で知られる街だ。しかし私は、あえてこの地を「大衆演劇の街」と呼びたい。 【写真】「大衆演劇」「15円のチキンボール」「億ション」がある23区の街 いったいどこ? ■大衆演劇の街、十条
JR十条駅(北区上十条1)の北口を出て、ロータリーを半周したところに口を開けているのが「十条銀座商店街」だ。そこから約370メートルのアーケードが続く。東京都北区では最大級の商店街だ。170以上の店舗が並んでいる。 十条駅前の入り口から入って、しばらく歩くと、向かって右方向に伸びる「十条銀座東通り」が見えてくる。この通りにもやはりアーケードがかかっている。これを抜けると、JR埼京線の踏切がある。そこから先は「十条中央商店街」となるのだが、現在この通りは「演芸場通り」と呼ばれている。
「大衆演劇」といっても、若い読者にはピンとこないかもしれない。はっきりした定義はないが、大衆演劇とは、大会場で演る歌舞伎やミュージカル、また文学色の濃い演劇などとは違い、庶民を相手に娯楽性を重視した演劇のことを言う。時代劇をベースにした筋立てのヤクザものや股旅ものが多く、ひとつの公演のなかに、演舞や演歌ショーなどが盛り込まれるのも特徴だ。 十条銀座東通りを抜けて線路を渡り、両サイドに並ぶ商店を眺めながら歩いて行くと、外壁が朱色に塗られた劇場が姿を現した。この地に開場し、73年の歴史を持つ「篠原演芸場(北区中十条2-17-6)」だ。
■「1日2合の酒で貸してやる」 有限会社篠原演劇企画の3代目社長、篠原正浩さんが演芸場の歴史を語ってくれた。 「そもそも大衆演劇は、江戸時代に旅芸人などが各地で演っていた旅芝居が起源になっているのだと思います。篠原演芸場は私で3代目ですが、曾祖父はやはり地方旅回りの興行師だったようです。埼玉県を拠点に、旅回りをするという生活でした。篠原演芸場の初代である私の祖父は曾祖父の興行を手伝っていたのですが、埼玉県から拠点を移して東京で一旗揚げようとやってきた。それが終戦から2、3年のことです」(篠原さん)
ところが初手から世間の荒波に揉まれることになる。都内の別の街に場所を見つけ、とある劇団と契約したまではよかったが、当日になってすっぽかされたというのだ。途方に暮れて流れ着いたのが十条の街だった。 「このあたりは空襲の被害がわりと少なかったようです。風呂屋の跡地を持つ地主さんと交渉して場所を確保しました。この地主さんが面白い人で、当初は”清酒を1日2合持ってくれば貸してやる”という契約だったようです(笑)」(篠原さん)
終戦直後で娯楽に飢えていた住民たちが連日おしかけ、興行は大成功だった。 篠原さんが続ける。 「昭和の初めから高度成長期まで、大衆演劇は勢いがありました。最盛期には都内に50以上の劇場があったと聞いています。ところが、映画やテレビの普及におされて、現在、東京23区内で1年間を通しての常設小屋はここ(篠原演芸場)と、浅草の木馬館大衆劇場(台東区浅草2-7-5)だけです」(篠原さん) それでも現在の大衆演劇は力を盛り返している。十条を歩いたのは、平日の昼間だったが、この日の「劇団美松」の公演は全ての席が埋まる大入りだった。大衆演劇の人気は今も健在だ。
■通りの名前を変えた「篠原演芸場」 「昭和52年(1977年)には、木馬館での梅沢富美男さんの公演が大ヒットしたのを覚えている方も多いでしょう。平成に入ってからは現在俳優として活躍する若葉竜也さんなどが”ちび玉3兄弟”として注目され、大衆演劇の子役ブームがありました。弊社もずっとファンの方々に支えられています。平成10年(1998年)に篠原演芸場のリニューアル工事を行ったのを機に、十条中央商店街を”演芸場通り”に正式に改名しました」(篠原さん)
途方に暮れた初代を受け入れ、大衆演劇の文化をしっかりと根付かせた十条について、篠原さんはこう語る。 「コロナ禍のために、苦労もしましたが、今年に入ったあたりから客足も戻ってきています。ここは、いろんな意味で懐の深い街ですよね。外から来てもすぐに受け入れてくれる。本当に住みやすい街ですよ。物価も安いしね。演芸場のすぐ近くにある洋食屋の”じゅん(北区中十条2-18-2)”なんか、定食が600円台で食べられますよ」(篠原さん)
そんな街に恩返しをしたいと、去年から地元の社会福祉協議会などと連携し、地域の人たちを無料で招く試みも始めているという(年間500〜600人)。十条の魅力は大衆演劇とともに、まだまだ成長していきそうだ。 前に登場した篠原さんが話す通り、十条の街は物価が安い。十条銀座商店街の中ほどにある「鳥とたまご専門店 鳥大(北区十条仲原1-4-11)」は、名物のチキンボールがいまだに1コ15円だ。 地元住民からはこんな声が聞かれた。
■「日本じゃないみたい」 「物価が安くて住みやすいから、外国人もたくさん移ってきている。商売を始める人も多いよね。十条は特にバングラデシュやネパールからの人が目立つ。最初に若い者がやってきて、住み慣れたころに家族を呼び寄せるんだ。よっぽど居心地がいいんだろうね。民族衣装みたいな服を着たおばあちゃんが店先に座ってくつろいだりしてる。そこだけ見ると日本じゃないみたいだよ(笑)」 街の変化は外国人が増えたことだけではない。JR十条駅の目の前には、2024年9月に竣工した地上39階の「THE TOWER JUJO(北区上十条2-27-1)」が街を見下ろしている。東急不動産のリリースによると、2022年9月第1期における1、2次販売の平均販売額は1億1987万円(最高額3億円)だったそうだ。
十条中央商店街(演芸場通り)で金物屋の「リビングショップ カネスズ(北区上十条1-13-5)」を営む足立健次さんは、こんなふうに話す。 「確かに外国人は増えましたね。この通りを東にずっと行くと、JR東十条駅(北区東十条3)に着くんだけど、その近くにモスクがあるから、このあたりも日曜日にもなると外国人がひっきりなしに通りますね」(足立さん) 足立さんも、外国人が増えたのは街の住みやすさのひとつの表れだと感じているそうだ。
「みんな言うだろうけど、物価は安いし交通の便は最高でしょ。十条駅と東十条駅は直線距離で550メートルほどですよ。別路線のJRの駅がこんな近距離にあるのは全国でも珍しいんじゃないかな」(足立さん) 十条駅を使えば池袋駅まで約6分、赤羽駅まで約3分だ。東十条駅を使えば上野駅まで約15分、東京駅まで約24分と、どこに行くにもアクセスがよい。また、近隣のどの駅よりも物価が安いと十条の住民たちは口をそろえる。
「十条駅前にはタワマンもできたしね。反対運動もあったけど、今後は街のシンボルになってくれるんじゃないかって、期待していますよ。あのマンションのおかげもあるのか、最近は若い世代の新しい住民も増えてきたしね」(足立さん) ■電気店、書店、メガネ店がある商店街は元気 店は戦後すぐに足立さんの父が始めたのだそうだ。店内には鍋、ヤカン、包丁やハサミなどの刃物類が並ぶ。足立さんはそれらを整理しながら続けた。 「父は新潟出身の人でね、海軍に所属していた。終戦で復員したときは手持ちの財産なんかなんにもなかったらしい。それでも生きていかなきゃいけないから、故郷の新潟燕三条から金物を仕入れて売るようになった。ここは私で2代目ということになりますね。燕三条の刃物なんかは、最近は海外から来た人の方が面白がって買っていきますね」(足立さん)
十条中央商店街(演芸場通り)の中ほどに位置するカネスズを出て、十条銀座商店街に戻る。これまでの街歩きの経験から、個人経営の電気店、書店、メガネ店が残っている商店街は元気がいい、と私は勝手に考えている。十条銀座商店街で、電気店と書店は見つけられなかったが、メガネ店はすぐに発見した。 「メガネのササガワ(北区十条仲原1-4-7)」は創業101年目という老舗中の老舗だ。店主の笹川秀樹さんに話を聞いた。
「戦前は墨田区の業平(押上駅南側の一帯)に店があったらしいんですが、戦争で焼けちゃったので、終戦後にここに越してきたようです。創業時は時計店だったのですが、その後に宝石とメガネも売るようになった。つい最近まで時計も扱っていたのですが、現在はメガネだけです」(笹川さん) 笹川さんはメガネ作りに関する国家検定資格「1級眼鏡作製技能士」の有資格者だ。当然だけれど、メガネ作りに対する想いは深い。 「十条銀座商店街は、うちみたいな個人店がわりと多く残っているんです。こうした商店街のいいところは、お客さんの顔を見ながら商売ができること。人の顔ってそれこそ十人十色です。度数は合っていても、ちょっとしたズレで見え方に違いが出てくる。チェーン店でメガネを作ったけれど、何だか違和感を覚える、という人は”メガネはこんなものだ”と諦めずに、私たちのような職人のいるメガネ屋を訪ねてみてほしいですね」(笹川さん)
■住むにも商売をするにもいい街 笹川さんが続ける。 「私も3代目ですが、十条には頑張っている3代目、4代目の店がたくさんあります。横のつながりも強くて、毎年5月から6月にかけては『ぶらり十条カレー散歩』というイベントが開催されるんです」 十条界隈の70店舗以上が参加する大イベントだ。期間中は寿司屋、居酒屋、ラーメン店、うどん屋など、日頃はカレーを出さない店もオリジナルカレーを作って参戦する。 「”キッチン&バーひ(上十条3-29-5)”と洋食店の”吉良亭(十条仲原2-8-12)”が10年くらい前にカレーの味くらべを始めたのがきっかけなんです。今では街をあげてのイベントになっています。あまり大きくない、程よく小さな商店がたくさん残っているから、こうした横のつながりを作りやすいんですよね。十条は住むにも商売をするにもいい街ですよ」(笹川さん)
かつて旅芸人が居場所を求めてたどり着いた街に、今は外国からも人が集まり、タワマンができたことで新しい住民も増えた。それでいて暮らしの体温が伝わってくる。十条は、“住むとちょっといい街”の王道だ。
末並 俊司 :ライター

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