Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/eb05f51363564a690dacac65c12de22af2acfdaf
【&M連載】隣のインド亜大陸ごはん
インド人、ネパール人、バングラデシュ人……。日本で出会うことが多いインド亜大陸出身の人たち。日本では普段、どんな食事をし、どんな暮らしをしているのでしょうか。インド食器・調理器具の輸入販売業を営む小林真樹(まさき)さんが身近にある知られざる世界の食文化を紹介します。 【画像】新郎は白馬で登場!インドの結婚&愛妻料理ってどんな?(21枚)
カースト・宗教… インドの婚活事情
インドにもさまざまな婚活サイトが存在する。いや、インターネットが出現するはるか前から、毎週末になるとインドの新聞には分厚い別冊が挟まれ、そこには結婚を希望する男女の名前がずらりと並んでいた。いまや人口総数世界一、しかもこれだけ若年人口の多いインドであっても、理想の結婚相手を見つけるのは容易ではないのだ。むろんそこには、インドならではの複雑な事情がからんでもいる。 新聞の別冊や婚活サイトに登録するには、自らの仕事や収入、学歴といったどの世界でも共通する入力項目のほか、宗教やカースト(ジャーティー)も申告しなければならない。つまりインドでは、仕事や収入と同時に宗教やカーストが結婚する際にいまも重視されているのだ。 「結婚する相手を同一のカースト内から選ぶ」ことが美徳とされてきたインドでは、異なるカーストや、ましてや異なる宗教間での結婚など現代でもきわめてまれである。例えばこの「隣のインド亜大陸ごはん」で紹介してきた多くの日本在住インド人夫婦も、大半は親の決めた相手と見合いして結婚している。 日本で働く若いIT系インド人が「結婚のために一時帰国します」といった数カ月後、きれいな新妻をともなって戻ってくるのはよくあるシーンである。つまり海外で働くような現代的なIT系インド人たちの間でも、親の決めた相手と結婚する保守的なスタイルがまだまだ一般的なのだ。 異なる宗教間の「禁断の恋」はしばしばインド映画のテーマになってきた。堅物の両親による強固な反対。親族から依頼された悪役軍団が二人を引き離そうとあの手この手を企てる。執拗(しつよう)な妨害により二人の関係ももはやこれまでというとき、主人公の怒りのパワーが炸裂(さくれつ)し悪党どもをなぎ倒す。ようやく二人は結ばれて大団円。場面はなぜか転換して風光明媚(めいび)な雪山をバックに歌って踊り出すのが、私が好きなひと昔前のインド映画の常道だった。しかしそんな「禁断の恋」はあくまで映画の中だから許されるのである。 そんな映画の世界を地で行くご夫婦が、東京・西大島(にしおおじま)に住んでいる。それが今回訪問するドーシーさんご夫妻である。
郵便受けにラブレター 軟禁も乗り越えた「禁断の恋」
「私たちの人生は映画になってもおかしくないわね」 玄関を入ると開口一番、妻のマヤさんが言った。事前に彼らを紹介されたときに想像していたことをズバリ言い当てられ、私は戸惑いつつ笑った。 グジャラート州出身のジャイナ教徒の夫・ドーシーさんとその妻でネパール出身のヒンドゥー教徒であるマヤさんは、現在西大島の団地で夫婦二人で暮らしている。まず驚くのは二人のかくしゃくたるお姿。ドーシーさんは1943年生まれの82歳、マヤさんは1949年生まれの76歳だというが、その立ち居ふるまいから少なくとも10歳は若く見える。 「この人がこんなに元気なのは、毎日作る私の料理のおかげなんだよ(笑)」 冗談めかしていうマヤさんだが、結婚するまでジャイナ教徒の料理など見たことも作ったこともなかった。何せ彼女の出自はネパールで、それもグルン族という山岳民族なのである。 グジャラート州の中都市、ラージコット出身のドーシーさんは工業機械のエンジニアとしてカルカッタ(現コルカタ)で就職。ほどなくして隣国ブータンにある小さな支店への転属を命じられる。主な仕事は木材加工用の機械の販売や修理だった。 支店とはいうものの、勤務地は人里離れた森の中で社員はドーシーさんただ一人。小さな山あいの町には毎週水曜日に定期市が立った。とある水曜、たまたまドーシーさんは食材の買い出しのため定期市を訪れた。そこでマヤさんと「運命の出会い」を果たすのである。ネパール生まれのマヤさんだが、当時は家庭の事情でブータンに住んでいた。 「初めて彼女を見た時は、何て綺麗(きれい)な人かと思いましたよ。遠くからでもパッと明るく目立っていてね。一目ぼれと呼ぶのかな」 照れながら、ドーシーさんは二人の出会いをふりかえってくれた。 「それからはこの人は猛アタックでね。ある朝、郵便受けの新聞を取りに行ったら、彼からわたし宛ての手紙が入ってたんですよ」 「ええっ、それってもしやラブレターでは?」 私の頭の中に往年のインド映画のBGMが鳴り響く。ひと昔前の映画なら、ここで主人公の二人は情熱的なダンスを踊っているハズである。 とはいえマヤさんは当時まだ17歳。インドの婚姻法では女性は18歳からしか結婚が出来ない。問題はそれだけではない。相手ははるか遠いグジャラート州の男、それもジャイナ教徒なのである。ネパール人であるマヤさんの親族から見たら、まるで宇宙人から求婚されたも同然だったに違いない。 「親族たちは猛反対でね。わたしたちが駆け落ちするんじゃないかって、部屋に軟禁されて。外部との接触は一切絶たれたのさ」 当時住んでいたブータンとインドを結ぶ国境通過地点に監視人を張り込ませるほどの念のいれようだった。しかしマヤさんの決意も固かった。 「最初会ったとき、彼は背が高くてもガリガリに痩せててね。ちょっと頼りない感じだったけど、そんな彼が交際を申し込んでくれた勇気に胸を打たれてね」 とはいえマヤさんの親族たちの反対は一向にとけない。これではらちが明かないと、助け舟を出してくれたのがドーシーさんの兄だった。遠くグジャラートからはるばる乗り込んできた彼は熱心にマヤさんの親族らを説得。それが功を奏して、翌年二人は晴れて結ばれることに。当然、ここも歓喜のダンスが挿入されるべきシーンである。 その後カルカッタに転居し、ようやく二人だけの生活を手に入れる。ただマヤさんはせっかくの新婚生活を楽しむ間もなく一人グジャラートにあるドーシーさんの実家へと向かった。マヤさんには固い決意があったのだ。彼と結婚した以上、自らもジャイナ教徒となり夫を支えると。そのためにはまず、ジャイナ教徒特有の料理をドーシーさんの母親から習得しなければならない。結婚したての新妻が、言葉のわからない(実家ではグジャラート語が話されていた)夫の実家に単身乗り込むのである。その覚悟の源泉は夫への一途な愛だったのだろう。
発酵パンや根菜もNG 厳格な食戒律にマヤさんは
ジャイナ教徒は、数あるインドの宗教・宗派の中で最も厳格な食戒律を持つことで知られる。ヒンドゥー教徒の中にも菜食を貫く人はいるが、ジャイナ教徒の場合それがもっと厳格で、同じ野菜でも地中に埋まっているもの、例えばイモ類などの地下茎、タマネギや大根、ニンジンなどの根菜類すら摂取してはならない決まりである。食べられるのは地上に生える葉物野菜だけ。 発酵食品もNGで、アルコールはもちろん、厳密には発酵させた生地を用いるパン類も禁じられている。では一体何を食べて生存するのかと不思議に思うが、米や発酵させない小麦生地で作ったパン類、豆や牛乳ならばOKである。 「当時習った料理で、一番難しかったのは何ですか?」 私の質問に、マヤさんは意外な答えを教えてくれた。 「チャパティだね。私はネパール人だから、それまで一度もチャパティなんぞ食べたことがなかったのさ」 インド料理の基本であるチャパティだが、マヤさんが新婚生活をはじめた55年前、少なくともネパール人の間では決してポピュラーなものではなかったらしい。 それにしても、と私は思う。そんな厳格な食生活を、果たして一生続けていけるのだろうか。生まれながらのジャイナ教徒であるドーシーさんならわかる。しかしマヤさんはネパール人のグルン族である。結婚するまで肉や卵などジャイナ教徒にとって決して許されない食材を日々食べてきた人なのだ。そんなに簡単に、それまでの食生活を捨てさることが出来るのか。親をはじめ周囲が結婚に反対したのも当然だったのかもしれない。 そんな話を聞いている合間も、マヤさんは手際よく軽食を作ってもてなしてくれる。こうした軽食はグジャラート語で「ファルサン」と呼ばれ、客をもてなす時の文化である。中でもウプマという南インドでポピュラーな、セモリナ粉を蒸した軽食料理は絶品だった。とてもジャイナ教特有の、使う食材が限られた料理だとは思えない味だ。 そのほかにもマヤさんは次々と食べ物を出してくれた。ナスの炒め煮はカークラという小麦せんべいと共にいただく。とその時、私はあることに気づいてしまった。炒め煮の中にタマネギが入っていたのだ。ジャイナ教徒にとってNG食材だったはずだ。これは一体どういうことなのか……。 「結婚して肉や卵は完全にやめたさ。ただタマネギやジャガイモなんかは私だけ食べてるんだ。もちろん、この人(ドーシーさん)には出さないよ。だからおかずは私とこの人のぶんと二つ作ることになるんだけどね」 そういうと、ネパールから親戚が送ってくれたというグンドゥルックを使ったスープをさっと作ってくれた。グンドゥルックとは青菜を発酵させてから干した野菜のこと。そこに「これも入れないとね」とジャガイモをカットして入れている。もちろんジャイナ教NG食材である。 「私はこの臭いが苦手でね。いったい、何がおいしいのやら……」 ドーシーさんが顔をしかめた。というかそれ以前に、こんなにNG食材を使って大丈夫なのだろうか。もちろん、だからといってマヤさんの信仰心が薄いというわけではなく、むしろジャイナ教にまつわるあれこれをドーシーさん以上に熱心に教えてくれる。 つまりこういうことだろうか。確かにジャイナ教にはさまざまな戒律が存在する。最も極端な例は、出家して世俗との関係を断つ修行者である。親兄弟と離れて粗末なアシュラム(修道院)に暮らし、食事は日に一度、それも托鉢(たくはつ)によって得られたもののみ。もちろんドーシーさんたち在家の人々にはそこまでの「清貧」さは求められないが、出家者はいまも存在し、在家の人たちから深く尊敬されている。 ただし出家者と在家者のライフスタイルが違うように、在家者の中でも教義をどこまで信奉するかは「その人次第」な部分がある。最低限、肉食や飲酒をやめさえすればタマネギやジャガイモもOKという人から卵までなら大丈夫という人、日没後はかたくなに食事を取らない厳格な人まで千差万別。ドーシーさんも自分の食事さえ教義通りに作ってくれれば、妻がジャガイモを食べようがグンドゥルックを食べようが意に介さない。 厳格な規律を守る人は周囲から尊敬されるが、たとえそれを厳格に順守したところで恩恵が還元されるのはその人個人。だから周囲に強制することもないのかもしれない。教義や戒律こそきわめて厳格だが、どこまでそれを順守し使いこなすかは当人まかせ(例外はあるだろうが)という融通無碍(ゆうずうむげ)な実践のし方がいかにもインドらしいと私は思った。 ■著者プロフィール 小林真樹 インド食器輸入業 インド食器・調理器具の輸入販売業を主体とする有限会社アジアハンター代表。1990年頃からインド渡航を開始し、その後も毎年長期滞在。現在は商売を通じて国内のインド料理店と深く関わっている。最大の関心事はインド亜大陸の食文化。著書に『日本の中のインド亜大陸食紀行』『日本のインド・ネパール料理店』(阿佐ヶ谷書院)『食べ歩くインド』(旅行人)。最新刊は『インドの台所』(作品社)。
朝日新聞社

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