Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/1ac8ae9f9af20c4f2b0843744e55d9a8645066d8
新年早々、トランプ大統領がベネズエラの首都カラカスを爆撃し、マドゥロ大統領の身柄を拘束したと報じられた。軍事攻撃後の記者会見では、トランプ大統領はベネズエラの国家運営と石油産業に関与し立て直すと発言した。米国がベネズエラに関与するのは、麻薬を断つだけではない、ベネズエラの石油が必要な事情があるのだ。 【図表】2010年代後半から大きく減少し始めるベネズエラの原油生産量 世界最大の埋蔵量を持つベネズエラの石油生産は低迷している。その石油の増産は、世界が脱炭素に向かい石油消費がピークアウトするとされる時に意味があるのかとの疑問もある。 しかし、2010年代にピークアウトするとされた石油の生産と消費は伸び続けている。国際エネルギー機関(IEA)は、30年頃にピークアウトの可能性もあるとしているが、50年まで石油の需要が伸び続けるシナリオも提示している。 先進国における輸送部門の非炭素化の遅れ、途上国における消費増の勢いを見ると、石油はまだまだ必要とされそうだ。 トランプ大統領は、かつてベネズエラの石油資源国有化により米国石油企業は大きな利権を失ったので、それを取り戻すと攻撃後にスピーチした。 だが、ベネズエラの石油はあまり質が良くない粘度が高い重質油だ。いまさら、巨額の投資により生産を復活する価値があるのだろうか。実は、米国にとってはベネズエラの石油は重要なのだ。その背景にあるのはシェール革命だ。 シェール革命により米国は世界最大の産油国になった。数字上は自給率100%超だが、国産原油の品質に偏りがあり、国産原油だけではガソリンなどの石油製品を低コストで精製することができない。 ベネズエラ産原油は国産原油を品質面で補完している。ベネズエラ原油を入手すれば、米国は真の自給率100%が達成でき、石油の安全保障を考えなくてもよくなる。
石油の国ベネズエラ
ベネズエラで石油が発見されたのは、1900年代前半だ。石油生産開始後の第二次世界大戦前後には、米国、旧ソ連に次ぐ世界3位の産油国になった。 50年代半ばから中東での石油生産が本格化したことから、60年、イラン、イラク、クウェート、サウジアラビアの中東産油国と共同で石油輸出国機構(OPEC)を設立した。 当時セブンシスターズと呼ばれていたエクソン、シェブロン、英国石油(BP)などの欧米の石油メジャーが世界の石油生産と価格を独占的にコントロールしていたが、OPECは、産油国が主導権を握ることを目的とし生産の国有化を進めた。 73年には、第4次中東戦争を契機に出荷量の抑制と価格の引き上げが行われ、72年に1バレル当たり平均1.90ドルだったドバイ原油のスポット価格は、74年には10.41ドルまで上昇した。 ベネズエラは76年に国営の石油・天然ガス会社ペトロレオス・デ・ベネズエラ(PDVSA)を設立し、石油産業を国有化したが、国際石油メジャーとの協調の下、石油生産が継続された。 第一次オイルショック後高値で推移していた石油価格は、80年代後半から90年代にかけ、OPECの生産調整の不調もあり低迷した。 石油収入に依存していたベネズエラ経済も不振に陥る中、国民の不満を吸収する形で92年にクーデター未遂を引き起こした軍将校のウゴ・チャベスが99年に大統領に就任した。 チャベス大統領は反米路線を掲げロシア、中国、キューバなどとの関係を深めたが、チャベス大統領就任後も米国の石油メジャーはベネズエラで操業を続けた。 2006年から07年にかけ、チャベス大統領はベネズエラで操業する全外国石油会社に対し、PDVSAが少なくとも60%を持つ合弁事業体への事業の譲渡を迫った。 米石油大手ではエクソンモービル、コノコフィリップスは拒否し撤退を余儀なくされ、資産は国有化された。シェブロンは条件を受け入れ少数権益保有者として残り、今も操業している。 チャベス時代には、多くの技術者らがPDVSAを去り、90年代後半に日量300万バレルを超えていたベネズエラの原油生産量は、米国の制裁もあり、2010年代後半から大きく減少し始める(図-1)。 13年にチャベス大統領の後を継いだニコラス・マドゥロ大統領は、生産の落ち込みと原油価格の下落による収入減を補うため通貨を増刷し大きなインフレを招いた。経済は一段と疲弊し治安は悪化した。
疲弊するベネズエラ経済
英国政府のベネズエラ旅行時の注意事項には、犯罪に関し次が記載されている。「ベネズエラは世界でも有数の殺人率の国だ。強盗、カージャック、侵入犯は非常に多い。公共交通機関を避けること。カラカスの地下鉄では銃を突きつけた強盗事件が複数発生している」。 世界銀行、米国中央情報局(CIA)ワールドファクトブック、国連難民高等弁務官事務所の情報をまとめると、現状は次だ。 国内人口は、3125万人(24年推定)。治安の悪化、食料、医薬品など必需品の不足により、300万人が避難しているコロンビアを含め650万人以上がラテンアメリカとカリブ海諸国に滞在。合計約800万人が国外に流出している。 24年の経済成長率は5.3%だが、14年のマイナス3.9%から20年のマイナス30%まで7年連続でマイナス成長になっており(図-2)、国内総生産(GDP-15年価格)は13年の546億ドルから24年の167億ドルまで3分の1以下に減少した。1人当たりGDPは推定4900ドル。ネパール、カメルーンと同レベルの世界175位だ。 マドゥロ大統領のばらまき政策が引き起こしたインフレは依然続いている。21年の消費者物価上昇率は推定1588%、22年の推定は201%だ。 この経済情勢の背景にあるのは、チャベス時代から低迷を始めた原油生産だ。石油の収入に大きく依存していた経済は、石油政策が引き起こした生産の低迷により行き詰ってしまった。
増え続ける世界の石油消費
今から約50年前の1972年、世界の知識人の集まりとされたローマクラブが「成長の限界」を発表した。地球の資源は有限であり、増え続ける廃棄物を受け入れる容量にも限りがあることから、やがて成長は行き詰まるとの主張だった。 石油をはじめとする資源は数十年で尽きるとされ、当時の主要国はエネルギーの供給の大半を石油に依存していたため大きな話題になった。日本もエネルギーの4分の3以上を石油に依存していた。 出版から50年以上経つのに、石油は依然としてまだ数十年利用できる埋蔵量がある。どうしてだろうか。出版の翌年73年に起きた第一次オイルショックのためだ。 世界の主要国は、エネルギー安全保障を意識し脱石油、エネルギー源の多様化に踏み出した。石油価格の上昇も多様化に拍車をかけた。 世界の石油の消費量は、オイルショックまで毎年7、8%ずつ増えていたが、価格の上昇もあり増加率が頭打ちになった。その一方、価格上昇により石油の可採埋蔵量は増えた。可採埋蔵量の定義は、技術的、経済的に採掘可能な量だからだ。 石油の国別埋蔵量は図-3の通りだ。石油の消費量はオイルショック前との比較では伸び率が緩やかになったが、途上国の経済発展もあり、毎年少しずつ増えている(図-4)。 コロナ禍による消費の落ち込みがあったものの、いま一日当たり約1億バレルの石油が消費されている。IEAは、現状の政策が継続するシナリオでは石油の消費量は50年には日量1億1300万バレルに増加すると予測している。
新しい政策が導入される結果石油消費がピークアウトするシナリオもあるが、世界の石油への依存は続く。 石油への依存が当分続く中で、製油所に関する問題を抱えている米国は解決策を求めていた。その答えがベネズエラの原油だ。
米国の石油供給の悩み
2000年代後半のシェール革命により、米国はシェール層からの天然ガス、石油の商業生産に成功し、原油生産は2.5倍になった(図-5)。天然ガス、石油共に自給率が100%を超えた。しかし、米国は依然原油の輸入を続けている。 理由は、米国の製油所にある。シェール革命前に米国で採掘されていた原油の多くは粘度が高い重質油だった。米国の石油消費が増え原油が輸入される時も多くの重質油が輸入された。 原油をガソリンなどに精製する米国の製油所の多くは重質油の利用を前提に設計されている。全米では、7割の製油所が重質油でより効率的に稼働する。軽質油を利用するとコスト増になりガソリン価格などが上昇する。 生産が増えているシェールオイルは軽質油なので、米国の製油所が必要とする重質油を供給したのが、サウジアラビア、カナダ、ロシア、ベネズエラなどだ。ベネズエラへの制裁により19年後半から原油の輸入が禁止された際に落ち込みを埋めたのはロシア産原油だった。 22年のロシアへの制裁によりロシア産原油が禁輸になった際には、ベネズエラで生産していたシェブロンに許可を出しベネズエラ産原油の輸入を再開することで穴埋めした。図-6がこの状況を物語っている。 多くの米国の製油所は、ルイジアナ州からテキサス州のメキシコ湾岸に位置している。輸入原油の受け入れに便利なためだ。 海上輸送距離が短いベネズエラ産原油は、着ベースではもっとも競争力がある。その上、米国産シェールオイルを完全に補完することができる。 ベネズエラ産原油を米国がコントロールし増産できれば、実質100%の石油の自給率が達成でき、他国からの輸入に依存する必要がなくなる。 米国はベネズエラ産原油を品質面、コスト面から必要としたのだ。これが、トランプが石油生産復活にこだわる大きな理由だろう。大きな投資に見合うだけの価値が米国にはあるが、その代償は大きくはないのだろうか。
山本隆三

0 件のコメント:
コメントを投稿