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北海道の日高地方に行くと、驚くほど多くの外国人とすれ違う。彼らは競走馬の“乗り役”の仕事で、遠いインドから来日している。そんな彼らを牧場に斡旋するエージェントだが、8万円で職場を紹介することもあれば、130万円を支払わせることもあるという。日本の片隅でたくましく生きる外国人たちの姿を追った。※本稿は、ノンフィクション作家の河野 啓『HHH インド人、ジャパンの競馬をHelpします!』(集英社)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 世界最高クラスの日本競馬から見ても インド人騎手は「即戦力」 競馬のグレードには世界基準があり、インドのランクは日本より低い。 「国際セリ名簿基準委員会」の格付けでは、委員会が組織された1981年、最上級の「パートⅠ」に認定されたのは、アイルランド、アメリカ合衆国、イギリス、カナダ、ドイツ、フランスの六カ国のみ。日本がその仲間入りを果たしたのは、2007年になってからだ(16番目)。 パートⅠに認定されたことにより、日本国内で行なわれるレースのグレードもアメリカやイギリスなどと同等と扱われるようになった。インドの格付けは、イタリアなどと同じパートⅡだ。 またIFHA(国際競走馬統括機関連盟)は、2023年、世界のトップ100GⅠレースを発表。イクイノックス(社台グループのノーザンファームが生産)が優勝した11月のジャパンカップが、フランスの凱旋門賞などを抑えて「ベストレース」を受賞した。 ベストレースとは、上位4着に入った馬のレーティング(各馬の能力をその年度の主要レースでの実績などをもとに数値化したもの)の平均値が最も高かったレースをいう。
日本のレースが世界一の称号を与えられたのは初めてだった。世界の中で、日本競馬の位置づけは年々高くなっている。 競馬場の数で比較しても、日本はJRAの競馬場が全国に10カ所、地方競馬(ホッカイドウ競馬や南関東公営競馬など)の競馬場も15カ所ある。 インドは日本の約8.7倍の広い国土に、9つの競馬場しかない。競馬に対する人々の熱気と投じられる資本の差は歴然としている。レースのレベル、騎手の技術も然しかりだ。 それでも浦河町の牧場関係者は、口をそろえて言う。 「インド人は即戦力」 ● 血縁や地縁といった同胞を頼りに 遠い北海道の牧場へ出稼ぎに 乗り役として一人前になるには数年を要するという。しかし、馬は乗り役の成長を待ってはくれない。馬には今しかない。今、自分を走らせてくれる人間が必要なのだ。 「下手でもなんでも、乗せなしゃあない」 ある牧場主が調教施設BTCの中でそう言うのを、私は聞いた。自分が雇ったインド人の技術に満足はしていないが、馬を走らせるためには贅沢は言っていられないということだ。 ファテ・シン(編集部注/インド北西部ラジャスタン州の騎馬民族の末裔。2018年に乗り役として北海道へ来日)を雇うアクティファームの加藤祐嗣さん(58歳)は、「一番怖いのは馬が勝手に走りだしてケガをしてしまうことなので、そうならないように、とにかく誰かに乗っておいてほしいんです」。 乗り役、とはよく言ったものだ。 日本で競走馬に乗る外国人は、スター騎手だけではない。JRA所属のクリストフ・ルメール騎手(フランス)とミルコ・デムーロ騎手(イタリア)は、メディアにしばしば登場するが、彼らがレースで騎乗するのは2歳以上の馬だ。 競馬デビューを果たす前の若馬と馬産地で格闘する外国人の「乗り役」には、スポットライトが当たらない。……私は彼らHHH(編集部注/筆者の造語で、ヒンディー・ホッカイドウ・ホースマンの略。北海道の牧場で競馬産業に関わる、ヒンディー語を話す外国人労働者を指している)のことを深く知りたくなった。 浦河で働くインド人は、ラジャスタン州、中でも中西部の都市ジョードプル(人口約170万)とその周辺から来たホースマンが過半数を占める。
ジョードプルは「ブルーシティ」の異名を取る。家々の屋根や壁が、暑さを和らげるなどの理由で青く塗られているからだ。プルは「城塞」を意味する。ラジャスタンにはユネスコの世界遺産に登録された城塞もある。 「シン」という姓のホースマンは全員、この地域の出身者だ。「シン」は、日本で言えば「佐藤」「鈴木」のようなポピュラーな姓で、インド全土に分布する。 それにもかかわらず、浦河のシンたちがラジャスタン出身者ばかりなのは、彼らの多くが親類縁者であるからだ。ファテ・シンは、ジョードプルから50キロ離れたゴパルサルという村に生家がある。 同じ牧場に他に4人のシンがいるが、1人はファテの義兄(妻アニタの姉の夫)、他の3人も縁戚関係ではないが同じ村の出身者だ。血縁や地縁といった同胞の絆を頼りに、シンたちは海を越えた。 ● 日高に最初にインド人を呼んだ マレーシア人エージェントに直撃 日高に最初にインド人を呼んだエージェントは、サム氏(57歳)というマレーシア人だ。 「ラジャスタンの人間は、家族をとても大事にする。寒い北海道での仕事も、家族のためなら耐えられるだろうと考えて声をかけた」と話す。 一瞬、俳優の原田芳雄さん(2011年死去)に見えた。西舎のバハラットレストランに入ってきたサム氏は、大人の渋さを漂わせていた。 「忙しくて時間が取れない」「パブリッシュ(出版)されるとかそういうのは好きではない」とも話していたが、サム氏は取材に応じてくれた。マレーシアから来日して、30年以上。氏は流暢な日本語を話す。 「最初は仲のいい牧場から『誰かいないか?』って相談受けて。ボク、いろんな国の競馬場とつながってて、ボクのおじいちゃんもインド人だった。『じゃあ、インド人呼んでみますか?』って」 こんなに増えるなんて思ってなかった、とサム氏が少し笑みを見せた。 マレーシアの競馬場でジョッキーをしていた23歳のとき、日本人ジョッキー、道川満彦氏(2007年死去)と知り合った。
島根県の益田競馬場のトップジョッキーだった道川氏は、国外に活躍の場を求めた日本人騎手のパイオニア的な存在だ。1989年から8年間、マレーシアとシンガポールを中心に、計10カ国のレースに出場した。日本のスポーツ紙に事実無根の「八百長競馬疑惑」を書かれて名誉棄損で訴えるなど(道川氏が勝訴)、波乱に満ちた生涯だった。 「ボクが道川さんと友だちになって日本の競馬に関心を持ったころに、えりも町の牧場の社長がマレーシアに乗り役を探しに来た」 オファーを受けて来日したが、えりもでの生活は孤独の一語だったという。 「マレーシアに牧場はないの、競馬場だけで。えりも、何もないし、外国人もいなくて、言葉もわからない。けっこうつらかった。でも、来たからには頑張るしかない、って」 ● インド人騎手の月給は手取り20万円 エージェントは1万5000円の管理料 やがて周囲から信頼されるようになり、友人も増えた。寿司のわさびを口にしたときは涙とうめき声が出たが、今では好物だ。えりもから浦河に移り、いくつかの牧場で乗り役として働いた。ボランティアのようなかたちで始めたエージェントの仕事が、いまや本業となった。 サム氏はインド人を牧場に紹介するにあたって、いくつかのルールを作った。 牧場から彼らに支払われる給料は、月額手取りで20万円。他に3万円をサム氏が牧場から受け取る。そのうち1万5000円が氏の管理手数料、残りの1万5000円をインド人の住民税(道民税・町民税)と国民健康保険料の支払いにあてる。 「そうしないと、自分で手続きできるわけないからさ。そしたら労基(労働基準監督署)から『グレーだ』って。はっきりダメとは言わないの、グレーだって。『じゃあ、いいよ』って税金と保険の分は預かるのをやめた。今、けっこう払ってないやつがいる」 働いて2年目から長期休暇が取得できること、その際に飛行機代の半額を会社が負担することも取り決めた。往復の予約はサム氏がするが、「インド人は勝手に変更する。日本に戻る便を遅らせる」と苦笑する。
● 外国人ホースマンの紹介には 厚生労働省の許可が必要だが…… 『サムは、もぐり営業だ』 サム氏より遅れてエージェント業を始めた苫小牧のネパール人、ビシュヌ・ギリ氏が入管と警察にそう告発したのは、2020年だった。このトラブルは週刊誌に取り上げられた(「週刊新潮」2020年11月26日号)。 外国人ホースマンを牧場に紹介するには、厚生労働省の許可が必要だ。「有料職業紹介事業許可」という。 ギリ氏は中古車の販売やカレー店を営む実業家。馬に関しては素人だが、ホースマンを紹介できるこの許可は取得していた。先に始めたサム氏は馬のプロだが、この許可を得ていなかった。 告発があった当時はコロナ禍で外国人が入国できず、エージェントの間でホースマンの引き抜き合戦が繰り広げられていた。 サム氏はこう振り返る。 「ボクも大学とか行って勉強した人間じゃないし、日本のルール全部わかっていたわけじゃない。免許がいるって知らなかった。いい勉強になった。ボク、トラブルあって逃げる人間じゃない、闘っていくタイプの人間だから、『自分のミスだ。やり直そう』って」 苫小牧のギリ氏は2018年、ホッカイドウ競馬の門別競馬場にインド人を紹介した。地方競馬が外国人廏務員を採用するのは初めてのことだった。これをきっかけに、他の地方競馬も次々と外国人受け入れに舵を切ることになる。 サム氏によれば、2人は以前から知り合いだったそうだ。ギリ氏が新ひだか町で経営するカレー店をサム氏が訪れて、親しくなった。しかもサム氏はエージェントを始めたころ、「一緒にやるか?」とギリ氏を誘ったという。 「『やらない』って言って断ったのに。インド人増えたから『これはビジネスになる』って思ったんじゃない?今はどこかで偶然会っても、ボクのところには寄ってこない」 俺はホースマンだけどギリはビジネスマンだ、とサム氏は呟いた。 私はギリ氏に取材を申し込んだが、多忙を理由に応じてもらえなかった。 ● ぼったくりとしか思えない 仲介業者も跋扈する 「最近、インドのエージェントがよくない。お金を取り過ぎるの、彼たち、から。インドのエージェントを変えるかもしれない」 彼ら、ではなく、彼たち、とサム氏は言う。1人1人の顔が浮かんでくるようで、いい表現だな、と私は思った。
「取り過ぎるって、いくら取ってたんですか?」と私は尋ねた。 「いや、それは、それぞれだから」 私はホースマンや牧場関係者から聞いた額を、サム氏にぶつけてみた。人によって額がマチマチで、相場がわからなかった。 「日本円で130万ぐらい払ったって人もいますけど?」 「あるだろうね」 サム氏はあっさりと言った。 「一方で、550ドル(約8万2000円。来日時のレート)だけだって言う人もいます」 「それ、誰だかわかる。向こうの廏舎長がその額でオーケーしたらしい。理由はわからないけど、金額を間違えたのかもしれない」 5500ドル(約84万円)と書くところ、0をひとつ書き忘れたということだろうか? 「彼たち、日本に来るとき、こっちでできない手続きがある。向こうの調教師が動いたら、お金かかる。ドバイにいた乗り役を引っ張ってくるときは、移籍する補償金を廏舎に払わなきゃいけない」 そう説明するサム氏だが、自身は「現地での価格交渉にはタッチしていない」という。そしてスマホを取り出し、私にSNSの画面を見せた。表示されたのは、私も知っている浦河のインド人からのメッセージだった。 『彼を雇ってくれたら、私からサムさんに60万円払います』 その「彼」が馬に騎乗する動画もあった。 「『俺は乗れるやつしかとらない』って断ったけど、60万くれるっていうんだから、あいつがこの男からいくらぐらい取ってるか、想像つくよね?」 ● 日本の寒さに耐えきれず 逃げ出してしまう外国人労働者も かつて浦河のある牧場主は、日系ベネズエラ人のエージェントからベネズエラ人の乗り役を2人雇った。1人は「寒すぎるから」と四国の高知競馬場(地方競馬)に移り、もう1人は夜逃げした。 「そのエージェント、高齢の人だったけどかわいそうだったよ。毎月の給料から返済するって約束で渡航費とか全部立て替えたのに、踏み倒して逃げちゃったから」 こうしたリスクを避けるため、サム氏は渡航費などの立て替えはしない。 「向こうで大金を借りて、彼たち日本に来る。でも他のエージェント、こっち呼んだのに仕事がなかったってトラブルがある。じゃあその借金、誰が払うの?ボク、彼たちにそんな思いはさせない。エージェントは牧場を助けるいい仕事だけど、『やるなら真面目にやってください』って言いたい」 言葉の端々に、先駆者の誇りがのぞく。
河野 啓

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