Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/ab5bb948e15b2f2ed48101529e756325d6550320
広島の街を歩くと、あちらこちらでインドカレー店と出合う。大きなナンとまろやかなバターチキンカレーはランチの定番という人も多いのでは―。実はその店の大半はインド人ではなくネパール人が営んでおり、「インネパ」とも呼ばれている。2000年代に広がり、時を経て今、広島で親から店を継いだり、新しく出店したりする動きが出ている。広島市内の店を訪ね、インネパの潮流をたどった。 【グラフで見る】広島県内で暮らすネパール人
「日本人好み」磨いた父 故郷の味で続いた息子 ガイレさん一家
広島市西区のJR横川駅に程近いネパール料理店「nagomi(ナゴミ)」で、店主のアリ・ガイレさん(32)が満面の笑みで迎えてくれた。店を構えて半年。カウンターから厨房(ちゅうぼう)を見つめる父のビムさん(57)は「ちゃんとやってて。うれしいな」と目を細めた。 家族の物語は30年前にさかのぼる。 ネパール中部出身のビムさんは、インドで料理の修業に励んでいた。ネパールに就職先が少なく、異国で働いて仕送りするのが一般的だった。1994年、転機が訪れる。中区の商業施設パセーラに修業先が出店することが決まった。 ビムさんはオープニングスタッフとして採用された。家族を残し1人で広島に移住する。「日本のことは何も分かりませんでした。とにかく働くため」と振り返る。 家族と会えるのは2年に一度あるかないか。郷里のまちに電話は一つ。寂しさを紛らわすため、必死に仕事を覚えた。5年ほど暮らし、いったんネパールへ。日本で暮らし続けたいと思い、今度は家族と来日した。 その後は広島市や山口市のインド料理店でシェフとして経験を積んだ。生活も軌道に乗り、2015年に独立し、安佐南区祇園にインド料理店「マユル」を開いた。看板メニューのインドカレーは本場より油や辛みが少ない。「日本人の舌に合うカレーが自分の味になった」とほほ笑む。 そんな父に長男のアリさんも続く。マユルのオープン後、父の店で厨房に立つ。「仕事終わりには居酒屋やバーに寄り、とにかく日本語を覚えましたね」。19年に中区でテイクアウト中心の店を出し、25年6月に今の店を構えた。昔からの常連が盛況を支えている。 日本人に合わせた父のインド料理に対し、アリさんは本格的なネパール料理を提供する。豆のスープや白米、カレーや漬物を盛った家庭料理「ダルバート」が一推し。「故郷と家族の味だから。本物の味を広島の人に食べてほしい」と望む。 妻の隅田奈央さん(38)の存在も心強い。25年11月に市内の外国人カレー店主を集めたイベントを初めて開催。「広島に暮らす外国人と市民がカレーを通じてつながれば」。街角のカレー店がより身近な存在になるように―。一家はそう願う。
食通し 隣人に思いを ジャーナリスト室橋裕和さん
「インネパ」はどのように増えていったのか―。著書に「カレー移民の謎」があるジャーナリスト室橋裕和さん(51)=東京=に背景を尋ねた。 ネパール人が働くインドカレー店は全国に4千~5千軒あるといわれている。源流をたどると、1980年代にインド人が経営するインド料理店で雇われていたネパール人に行き着く。独立後に修業した店の人気メニューを出すなどし、2000年代に入り、急激に増えていった。 彼らが日本に来る目的の多くは出稼ぎ。それだけに「新たなメニューで冒険して失敗できない」との考えが根底にある。日本人の舌と懐具合に合わせる柔軟性をネパール人たちは持っている。彼らにとって料理は異国で生き抜くため、そして稼ぐための手段なのだ。 そんな中で子ども世代が店を継ぐ動きが出始めている。カレー店にとらわれず、母国の料理を売りにしたり、居酒屋を開いたりする人もいる。 子ども世代がこれからも日本で生きていくためには、地域との接点や公的支援がまだまだ必要だろう。日本人は食に対しての関心が強い。食べることを通し、隣人に思いをはせてみてはどうだろうか。
広島県内 ネパール人大幅増
1990年代に県内で20人前後しかいなかったネパール人は近年、大幅に増えている。2022年に千人を突破し、最新の25年6月末時点では2994人に上る。市町別でみると、広島市が1170人で最も多く、福山市1020人、東広島市417人と続く。在留資格別では「留学」(1831人)が最多。次いで「家族滞在」(435人)、エンジニアや通訳などの「技術・人文知識・国際業務」(263人)となっている。
中国新聞社



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