Source:https://www.cnn.co.jp/travel/35242704.html
(CNN) 始まりはパブでビールを飲んでいたときだった。元軍人の友人4人が、退役軍人の慈善団体への寄付を集めるために冒険旅行に出かけるのはどうかと話していると、ひとりがエベレスト登頂を提案してきた。
英国議員のアル・カーンズさんはCNNに「みんな忙しいので、『エベレスト登頂に4~6週間、もしくは8週間も使うなんてむり。ありえない』と答えた」と語った。
ところが、友人のひとりがこう切り返してきた。高度順応の過程を変化させ、1週間以内に標高8849メートルを登頂できるという新しい方法を聞いたと。それは登山前にキセノンと呼ばれる貴ガスを吸入するというものだ。
こうして昨年5月、パイロット、政治家、実業家、そして起業家の4人が7日間のエベレスト登頂に挑戦することとなった。英国からカトマンズへ渡航し、ヘリコプターでベースキャンプに向かう。数日後には登頂を目指し、その後帰国するという史上初の試みだ。
4人は、ツアー会社フルテンバッハ・アドベンチャーズが主催するツアーに参加。登頂10日前にキセノンを吸入することで、この挑戦を実現したい考えだ。
エベレスト登山の前には、低酸素状態に体を慣れさせる必要がある。従来ならベースキャンプまでトレッキングしてから数回往復し、数週間かけて高度順応することで体が十分な赤血球を作れるよう準備する。
同社のルーカス・フルテンバッハ最高経営責任者(CEO)は、貴ガスの専門家である医師と長時間話し合ったという。キセノンを含む貴ガスは麻酔薬として使用されることもある。
フルテンバッハ氏は、キセノンが持つ、体内のエリスロポエチン(EPO)の産生を増加させる能力を信じている。EPOは人間の腎臓で自然に生成され赤血球の産生を促すホルモンだ。キセノンを吸入した結果として得られる赤血球の増加は、実際の高度で順応しているときに得られる効果と同じだと同氏は説明する。
同氏はCNNに対し、アルゼンチンのアコンカグア(標高6961メートル)登頂時に初めて自身でガスの効果をテストしたと述べた。1年後にはより大きなチームを組み、エベレストでも試したという。CNNの取材時点で、同氏はキセノンを5回使用していた。
医学的懸念
エベレストでの死亡には、いくつかの要因が考えられる。登山者は標高8000メートルを超え「デスゾーン」に到達すると、酸素濃度の低下に直面する。
英グラスゴー大学心血管・代謝健康学部の医学名誉教授、アンドリュー・ピーコック氏は「酸素が枯渇すると、体全体、特に脳と肺に影響がでる」と話す。
また、極度の疲労と脱水のほか、雪崩、低体温症、転落の危険もある。
フルテンバッハ氏の計画は、国際山岳連盟(UIAA)を含む一部の関係者を動揺させている。UIAAは「キセノンを吸入することで山岳でのパフォーマンスが向上するという証拠はなく、不適切な使用は危険を伴う可能性がある」とする声明を発表。
UIAAは、麻酔薬であるキセノンは医薬品とみなされるべきであり、監視下にない環境で使用すると「脳機能障害、呼吸困難、さらには死に至る恐れがある」と警告している。
また、ある研究では、登山に推奨される用量でキセノンを使用した人に顕著な鎮静効果が見られたという。同連盟は高山という潜在的に危険な状況では、わずかな鎮静効果さえ有害だと訴えた。
ピーコック氏は、キセノンがエリスロポエチンを刺激する効果がこれほど短期間で現われるとする考えに疑問を呈し、「赤血球を増やす効果が発現するには数週間かかる」と警鐘を鳴らした。
キセノンは麻酔ガスであるため、人を眠らせる。そのため、ピーコック氏は極度の高所で麻酔ガスを吸入したときの残存効果に懸念を示している。
一方でカーンズさんはCNNにこう語る。「アルペン登山で酸素が初めて登場したとき、酸素吸入はタブー視され、使用すべきではないとされた。だが今では誰もが使用している。ヘリでベースキャンプまで行くこともタブー視されていたが、やはり今はかなり多くの人がそうしている」
「システィーナ礼拝堂のスピードツアーのよう」
エドモンド・ヒラリー氏とテンジン・ノルゲイ氏が1953年に初登頂に成功して以降、エベレスト登山は劇的に変化した。今ではシェルパガイドやポーター、酸素補給、さらには最高級の装備を利用できるようになり、登山愛好家や観光客ははるかにアクセスしやすくなった。
「Everest, Inc.」の著者ウィル・コックレル氏は、90年代にガイド付き登山が始まって以降、純粋な登山という意味においてエベレストはもはや登山ではなくなってしまったと述べている。同氏によると、ガイド会社は長年、遠征期間を短縮するための革新的な方法を編み出してきたという。
従来のエベレスト登頂には6~10週間かかり、最終登頂の前に山の途中や近隣の山頂にあるキャンプを何度か巡回して高地への順応を図る。
ピーコック氏によれば、個人差はあるものの、エベレストのベースキャンプがある標高6000メートルに順応するには4週間ほどかかる。
コックレル氏は、長年にわたりガイド会社が「フラッシュ」遠征を提供していると指摘。これは、ネパールに到着する前に低酸素テントで睡眠を取ることで高地順応プロセスを加速させ、遠征期間を3~4週間に短縮するものだという。
登山の純粋主義者は人々が登頂するまでのスピードに異議を唱えるかもしれないとコックレル氏は語る。「人間が旅行や登山をする時、そのプロセスを楽しむこと、いわゆるバラの香りを嗅ぐことも目的の一つではないだろうか」
同氏は「システィーナ礼拝堂の高速ツアーに申し込むようなものだ」と言い、通常のエベレスト遠征とスピード登山は、それぞれの目的を持った全くの別物と考える方が有益だとの見方を示した。
今のところキセノンガスを利用したツアーを提供しているのは、フルテンバッハ氏の会社のみ。同氏はこの新しいスタイルの登山は他の方法よりも危険性が低いと主張する。山での滞在時間が短ければ短いほど、雪崩や落石といった危険にさらされる時間も短くなるというのがその理由だ。
チームは、高地トレーニングの一環として低酸素テントを使用しているほか、食事と運動の計画も立てている。
それでも、チームが成功する保証はなく、カーンズさんも自分たちのトレーニングが高地の影響を軽減できるかどうか確信が持てないと認めた。
フルテンバッハ氏は、約15万ユーロかかるこの手の登山が、顧客が選ぶメインの登山スタイルになる可能性は低いとみる。
「これがエベレスト登山の唯一の方法であり、未来の方法だと言っているわけではない。これはエベレスト登山の一つの方法であり、さまざまな登山スタイルが共存するべきだと考えている」(フルテンバッハ氏)
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本記事は2025年5月17日初出の記事を再編集して掲載したものです。




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