<2020年日本写真協会賞作家賞を受賞した石川直樹氏が、シェルパの暮らす麓の村からエベレストの山頂に到るまでの道のりを写真集にまとめた>
コロナ禍によって、ネパールのカトマンズも60日間のロックダウンが行われていた。日本のような緩い外出自粛ではなく、許可なく出歩けば逮捕される厳格なロックダウンだったので、人でごった返す混沌としたあのカトマンズの雰囲気はすっかり変わってしまったようだ。見た目の景色だけではない。観光収入によって成り立っているネパールの経済も壊滅的な打撃を受けた。なにしろエベレスト登山の入山料だけで年間3億ドル以上の経済効果があると言われる。エベレストだけでなく、他のヒマラヤの山々も含めると、どれだけの衝撃だったか推して知るべしだ。 そのかわりにもならないが、排ガス公害で汚染されたカトマンズ上空の空気が澄みわたり、この数十年で初めてカトマンズから世界最高峰のエベレストが見られた日もあったという。なにしろ排気ガスと土埃で瞬きするだけで目が痛くなるほどの猥雑な都市だったので、それが改善されるのは喜ばしい。ただ、そんな環境面での吉報も経済の打撃に比べたら、焼け石に水である。 エベレストをはじめとするヒマラヤ地方の登山やトレッキングの最盛期は、春と秋。なかでも3月末から5月末に至る2カ月間は、モンスーンが到来する夏前の、もっとも好天が続く時期とあって毎年世界中から観光客を集める。 エベレスト登山に関しては、3月末にカトマンズに集合し、体を高所に慣らしながらベースキャンプ入りして5月中~下旬に登頂する、というパターンがほとんどだ。ぼく自身、2001年には北側から、2011年には南側から、こうした春のシーズンに二度登頂している。が、2020年の今年は外国人の入国もできず、シーズンとコロナ禍の拡大がドンピシャで重なってしまったがゆえに、春が丸々消えた。 <エベレストと人間の関わり> もちろん地元の人々の健康のほうが大切だし、小さな集落でクラスターが起ころうものなら、無医村ばかりのヒマラヤ地方ではあっという間に感染が拡大する。従って、入山禁止は正しい措置に違いないのだが、そのために収入の途絶えた現地のシェルパたちについては何らかの形でサポートが必要だろう。 このたび出版した写真集『EVEREST』(CCCメディアハウス)では、山と交わって暮らすシェルパ族の営みを出発点に、彼らと一緒に登ったエベレストの“現在“を撮影したものだ。エベレストのあるクンブー地方の中心は、ナムチェバザールとそこに隣接するクムジュン村である。シェルパ族の故郷であり、登山のガイド仕事で生計を立てるシェルパが多く住んでいる。そんな村から眺めたエベレストと世界第四位の標高を誇るローツェを写した写真から、写真集ははじまる。 そこから徐々に標高をあげていき、エベレストの山頂に至るまでの光景を、シークエンスによって構成した。普通の山の写真集と異なるのは、圧倒的な山の自然を写したというよりも、エベレストと人間がどのような関わりをもっているか、という点に焦点をあてていることだろう。エベレスト「を」撮る、というよりも、エベレスト「で」自分とエベレストとの関わりを撮っている、と言ったほうがわかりやすいかもしれない。
<ビッグブックにはK2も収録>
収録された80点近い写真は、すべて中判のフィルムカメラで撮影している。カラーネガフィルムから六つ切や四つ切サイズに焼いたプリントを入稿し、印刷した。今回は通常版として縦24×横30センチのサイズの本の他に、「ビッグブック」と呼ばれる超大型の写真集も作った。判型は縦69×横42.6センチ、重量は11キロもあって、ビッグブックという名にたがわない存在感を放つ。小さな机よりも少し大きな写真が見開きで連続する構成は、巨大なヒマラヤにこそふさわしい。この大きさで写真を見ると、手ぶれや焦点のズレも強調されてしまうがゆえに、セレクトも慎重におこなわざるをえなかった。手焼きしたプリント群を忠実に再現し、ビッグブックに落とし込んだ最先端の印刷技術の精緻さも伝わるはずだ。 通常版はタイトル通り『EVEREST』の登頂に至るまでの過程を撮影したもので、ビッグブックのほうは、それに加えて世界第二位の高峰K2の麓の村から頂上直下に至るまでの写真も収録されている。エベレストの何倍も登るのが難しいとされるK2に登りながらフィルムカメラで撮影するのは、ぼくには手に余る挑戦だった。二回にわたるK2遠征によって文字通りもぎとった66点の写真を、ぜひビッグブックの大きさで見てほしいと思う。 昨年12月の写真集発売時に銀座蔦屋書店に設けられた展示スペース、手前中央に置かれているのがビッグブック 写真は大きくなることによって、情報量が増える。写っているものは小さくても大きくても変わらないのだが、大きくなればなるほどそこから読み取れる情報量は深くなる。例えば、こんな場所に人がいたのか、この斜面で雪崩が起きている、こちらのルートのほうが歩きやすそうだな、などなど、手札サイズの写真では気づけなかった発見が出てくる。写真が大きいことによって、目の解像度があがるような感覚で、ヒマラヤの襞のひとつひとつまで見ることができるわけだ。当然色校正をはじめ、ダミーブックを作るような作業も、その大きさゆえに非常に苦労を擁した。一方でこうした作業によってエベレストやK2の写真のディティールをあらためて見つめ直し続けた数カ月間は、ぼくにとって気づきの多い貴重な時間と相成った。 コロナ禍によって、今夏の富士山登山さえも禁止されることになり、人々の足は山から遠のく一方だ。せめて写真集の中でエベレストに登ってみてほしい。そこにあるのは世界最高峰として名を馳せるエベレストではなく、あのときのその一瞬にのみぼくの前に姿を現した巨峰である。 新型コロナウィルスの感染拡大が収束し、秋にはまたネパールに行けるだろうか。シェルパたちとまたヒマラヤの山々へ向かえる日が早々にくることを願ってやまない。
石川直樹(写真家・作家)
0 件のコメント:
コメントを投稿