危機意識が高かった外国人住民たち
2020年6月11日(木)に「東京アラート」が解除され、12日から休業要請を段階的に緩和する「ロードマップ」(行程表)が「ステップ3」へ移行。そして19日、休業要請は全面解除されます。 【画像】目にも鮮やかなベトナム料理、あなたはいくつ名前を言える?(10枚) いっときはゴーストタウンのようだった新大久保(新宿区)の街にも、少しずつ人が増えてきました。以前のようなにぎわいとなるにはまだ時間がかかりそうですが、「ひと山越えた」という印象を受けます。 都内でも外国人住民・事業者が抜きんでて多い新大久保には、かねて「もし災害が起きたら」という懸念がありました。言葉の壁による情報不足からパニックになるのではないかと心配されましたが、結果としてそのようなこともなく、無事に乗り越えてきました。 その理由のひとつに、「外国人の危機意識の高さ」があったように思います。 この街に住み、働く外国人たちには、コロナ禍がひどくなるだいぶ前、1月末くらいからすでにマスク姿が目立ちはじめていました。日本語の情報を得ていくのは難しかったかもしれませんが、代わりに母国やほかの国のニュースに接し、早くから危機感を持っていました。その心構えや気持ちの切り替えの早さは、日本人にないものかもしれません。
普段から危機意識を持つ外国人労働者たち
新大久保に住んでいる外国人はベトナム人が多いですが、彼らはコロナパンデミック(世界的大流行)の震源地となった中国と国境を接し、また2003(平成15)年には重症急性呼吸器症候群(SARS)に対処した経験もあります。 商売人では、ネパールやバングラデシュの人たちがたくさんいます。これらの国は政情不安や災害に見舞われ続けており、強い危機意識を持って生きてこざるをえなかった経緯があります。 それにコリアンタウンとしての新大久保を支える韓国にしても、北朝鮮と休戦しているにすぎない「戦時国家」であり、今回のコロナ禍では迅速に大規模な検査態勢を整えて収束させたことが国際社会から評価されています。その対応の厳格さは、日本に住む韓国人たちにも伝わっています。 どこかぼんやりしていた日本人よりも、気を引き締めていた外国人が多かったようにも思うのです。
多国籍テイクアウトが大きな話題に
4月の緊急事態宣言後は、新大久保を彩っていた多国籍のレストランも営業時間を短縮。都の要請に粛々と従い、自粛に協力をする一方で、いち早くテイクアウトにも対応していきます。 世界各国でロックダウンが進む中、テイクアウトメニューが人気になっていることは国際的なニュースになりました。それもあってか営業自粛にもめげず、持ち帰りに対応する店があっという間に増えていったのです。 韓流(はんりゅう)のレストランだけでなく、中華、タイ、ネパール、ベトナム、インドネシア、パキスタン、チュニジア……実に多国籍なテイクアウト・グルメが楽しめる街となり、エスニックファンの間では大きな話題ともなりました。 その背景には、外国人に適用されるコロナ支援策のアナウンスがほとんどなく、また申請書類が日本語によるものだけだったこともあったのですが、その一方、まずはできることからとテイクアウトを進めていく、彼らのたくましさやしぶとさも感じたものです。
マスク販売では物議も醸したが……
しかし、その商売感覚の鋭さによる弊害もあったように思います。 5月あたりから新大久保は、「マスクの街」になりました。外国の食材店や韓流グッズショップが、マスクや消毒用アルコールなどを一斉に販売し始めたのです。 「アベノマスク」が大きな話題になるなど、マスク不足が問題となっていた時期、新大久保の外国人たちは、母国の独自のルートを使ってマスクを大量に仕入れました。その中には、やや高いのではないかという値段をつけている店もありました。 「新大久保に行けばマスクが買える」と重宝がられましたが、同時に「コロナ禍に乗じてもうけるな」と批判も浴びたのです。 そんな店のある外国人は、「マスク不足に悩む日本を少しでも助けたい。でも、利益も取る。それが商売人だから」と言いました。 このあたりの、どこか冷徹な感覚は日本人にはわかりづらいかもしれません。まず、きちんと商売として成立させた上で、社会に貢献する――。 無私のボランティアを貴ぶ日本人としては、「こんなときに利益を上乗せするなんて」と言いたくなる人もいたでしょう。こうした呼吸や空気を外国人がつかむのはなかなか難しいものです。 ただ、世界的な医療リソースの不足によってマスクも値上がりしており、加えて海外からの輸送費も考えると、高値になったのは仕方がない面もあったようです。
入国制限が解かれれば新大久保はまた元気になる
こうした意識の違いについて考えることができるのも、この街ならではです。 多国籍混在の新大久保にはいろいろな文化や価値観があり、時にぶつかりあうこともあります。しかしそんな衝突や誤解も、「コミュニケーションのひとつ」ではないでしょうか。 ひとつの山を越えたとはいえ、これからが大変です。 新大久保は、外国と行き来する人たちによって成り立っているビジネスが多い街です。日本語学校や専門学校、ホテル、ゲストハウス、不動産関連、食材や雑貨などの輸出入……出入国がもとに戻るまで厳しい状態は続くでしょう。 「それでも、3.11に比べればまだ大丈夫」 と、あるネパール人は言います。 東日本大震災のときは、放射能を恐れた外国人が一斉に帰国し、街が一時期ながら寂れたといいます。しかし今回は全世界的に入国制限が敷かれたため、誰も帰国できなくなりました。だからこそ外国の飲食店や食材店での消費がなんとか支えられ、閉業に追い込まれる店が少なかったのです。 再び国境が開放され、グローバル社会がまた動きはじめれば、呼応するように新大久保もまた元気を取り戻すでしょう。
室橋裕和(アジア専門ライター)
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