■邪道が正当化される風潮へのアンチテーゼ まゆゆこと渡辺麻友が引退した。AKB48時代には「神7」のひとりとして安定した人気を保ち、14年の選抜総選挙で1位を達成。その翌年には、あの流行ギャグにも貢献した。とにかく明るい安村の「安心してください。穿いてますよ」だ。 まゆゆの引退が百恵、あややたち先輩アイドルよりも「尊い」理由 これは安村が彼女のファースト写真集『まゆゆ』から着想したもの。体育座り(三角座り)をする彼女がハダカに「見える」表紙を見てヒントを得たという。思えば、あの表紙がエロくなりすぎず、アイドルのものとしてきちんと成立したところも「清純派」たるゆえんだ 引退後には、その素顔をめぐってさまざまな情報が紹介されているが、清純派のイメージを覆すようなものはない。「AKB入らなければ東大 優秀な生徒だった」とか「メンバーとの交流は皆無 悩み相談できなかったか」といった記事は出ても、健康上の理由とされる引退について、恋愛などと結びつける記事は見受けられない状況だ。デビューから13年、素行もよかったようで、ノースキャンダルのまま、清純派を貫いた印象である。 が、ここでちょっと考えてみよう。アイドルが清純なのは当たり前のことではないのか。ほとんどの女性アイドルは「少女性」や「処女性」をアピールすることで勝負する。それゆえ、恋愛禁止などというルールも存在したりするわけで、仮に男性経験があっても、それを隠して清純なイメージを貫くのが本来の姿というものだ。 しかし、この「当たり前」がじつは難しい。たとえば、まゆゆがAKB卒業を発表した17年の選抜総選挙でのこと。NMB48(当時)の須藤凜々花が結婚宣言をして、衝撃をもたらした。テレビ中継では、まゆゆの顔が大写しになり、その表情が不機嫌そうにも見えたことから、須藤の掟破りに対し、キレたのではとする見方も囁かれたものだ。 実際、まゆゆが須藤にキレていたかどうかはわからない。ただ、その頃、彼女はインタビューでこんな発言をしていた。 「アイドルとしてのまゆゆは、真面目にやってきましたね。真面目すぎるくらい真面目で、ちょっと大変な時もありましたが……。そっち側が正当化されるとちょっと……。まあ、正解なんてないんですけど、考えても答えが出ないですね」(『エンタメNEXT』) そっち側、というのはスキャンダルで売れるようなアイドルを指す。そんな邪道のほうが正当化される風潮に、彼女は違和感を覚えていたわけだ。こうした古風で王道的な姿勢をリスペクトする後輩も多いようだが、もちろん全員ではない。 つい先日も、元欅坂46の長沢菜々香がSNSで結婚宣言をした。卒業から2ヶ月余りで半同棲が発覚し、本人が婚約と8月の入籍予定を報告するという慌しい展開だ。ちなみに、彼女はマンガ好きのアイドルとして、雑誌『りぼん』にちょくちょく登場していた。結婚自体はおめでたいこととはいえ、小中学生の女子に、アイドルってこういうものなんだと思われそうで、残念でもある
■二十代の半ばを過ぎると可愛い仕事だけではやっていけない ただ、それが哀しいかな、アイドルの現状であり、実態なのだ。長い歴史を振り返っても、清純派のまま引退した人は少ない。80年に引退した山口百恵は前年に三浦友和との恋人宣言を行なったうえでの寿退職だった。13年にw-inds.の橘慶太と結婚して活動を休止した松浦亜弥にいたっては、こんな発表をした。 「今年の冬で12年の付き合いになりますが、私の青春には、すべて彼がいます。悲しいこと、辛いこと、嬉しいこと、楽しいこと全部です」 アイドル生活が交際期間とほぼ重なっていたわけで、彼女に「青春」を捧げたファンはガッカリだろう。今回、まゆゆとあややの「引き際」を並べて賞賛する記事も見かけたが、両者のスタンスにはかなりの違いがあることを強調したい。 とにかくアイドルの引退は、大半のケースが男絡みだ。そんななか、17年に芸能界を去ったももちこと嗣永桃子などは例外中の例外だろう。幼児教育の道に進むという理由は、結婚とは別の女子っぽさを感じさせる理想的なものだった。 ちなみに、彼女の引退年齢は25歳。まゆゆが26歳での決断なので、この二十代半ばというあたりが清純派を貫ける限界なのかもしれない。というのも、その年代を過ぎると、可愛い仕事だけではやっていけないからだ。 卒業後に女優業を選んだまゆゆにしても、いずれはヨゴレ役、場合によっては脱ぐ役をこなすことになった可能性がある。昨年の朝ドラ『なつぞら』で演じたのは彼女のイメージの延長上にあるものだったが、それでも結婚し、出産をする役だった。 やはり、少女性や処女性で勝負し続けるのは難しいのだ。そういう意味で、アイドルは期間限定的な存在に他ならない。そこで連想するのが、ネパール仏教における「クマリ」だ。数ある条件を満たした幼女が選ばれ「生ける女神」として初潮を迎えるまで信仰の象徴を務める。その名はズバリ、サンスクリット語で「少女」「処女」を指すという。 アイドルの場合は、初潮を迎えた頃から処女(的イメージの)喪失あたりまでが対象年代だろうが、いずれも期間限定の「偶像」というわけだ。霊力をなくしたと見なされ、役目を終えたクマリが普通の人間に戻るように、アイドルもそうなるのが究極のかたちかもしれない。二次元のキャラと違って、生身の少女にとって老いは不可避なのだから。 二次元といえば、まゆゆはアニメファンとしても知られ「なつぞら」でもアニメーターを生き生きと演じていた。また、AKBに「スーパー研究生」として光宗薫が登場したときには、そのアニメから抜け出てきたような少年っぽい魅力のとりことなり、 「光宗カヲルくんが最強だよね。噂の13期生! かっこいいよねー」 と、ブログで絶賛していたものだ。「薫」を「カヲル」と表記したのも、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の影響だろう。ちなみに、光宗はわずか10ヶ月でAKBから離脱した。その理由が「体調不良」だったことも、まゆゆと通じるものがある。 なお、まゆゆの引退はその理由も劇的だった。アイドル・サイボーグとまで呼ばれた彼女もやはり生身の人間であり、完璧なアイドル像を体現し続けることに疲れ果て、病んでしまったかのような印象ももたらしたからだ。疲れ果てた姿を見せずに去るのも、完璧なアイドル像にこだわった彼女の美学だろう。 アイドル史上、最も尊い引退を、我々は目撃したのである。
写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ
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