Source:https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/25287631c90c04b92dd3275062d7c0f9b65e6bad
もし、常に連絡を取り合うような友人が、突然消息を絶ったらあなたはどのような心境になるだろうか?
もし、友人の行方不明を大々的に報じるテレビのニュースなどを目にしたら、そのとき、あなたは何を思うのだろうか?
もし、友人が1か月以上音信不通となったら、その時間をあなたはどのように過ごすのだろうか?
もし、二人の友人が山で行方不明となって、一方は生きて発見され、一方は帰らぬ人として戻ってきたとき、あなたはどう二人を受けとめるだろうか?
できれば、そういう場面には遭遇したくないというのが正直な気持ちではなかろうか?
本作「雪解けのあと」は、このような大きな痛みを伴う、辛く悲しい出来事に直面してしまったひとりの女性の心の軌跡を見つめたドキュメンタリー映画だ。
その女性は、本作の監督、ルオ・イシャン自身。
悲劇は今から約8年前に起きてしまった。2017年、イシャン監督の高校時代からの親友であるチュンが、恋人のユエとネパールの山岳をめぐるトレッキング旅へと出る。
ところが、その道中で連絡が途絶え二人は行方不明に。遭難したと判断され、すぐに捜索は始まるが発見には至らないままいたずらに時は過ぎていく。
安否がわからないまま1か月以上が経過。2017年4月26日、遭難していた二人が山中の洞窟で47日ぶりに発見される。
だが、ユエは無事救助されるも、チュンは3日前に帰らぬ人となっていた。
そのニュースは彼らの出身である台湾で大々的に報じられた。
友人で憧れの存在でもあったチュンとの突然の別れ。同じく友人のユエの九死に一生を得た奇跡の生還。
当時のイシャン監督の心境は、察するに余りある。
しかも、この二人のネパールの旅に当初、イシャン監督は同行する予定だった。直前に体調を崩してキャンセルしていた経緯があった。
もし、自分が同行していたらと考えずにはいられない。
それから、チュンは40日を超す洞窟でのビバークの間、イシャンへの手紙や人生に対する讃歌を数百ページにわたって書き記していた。
このいわばチュンの遺言ともいえる言葉を、イシャン監督は目にして苦悩することになる。
チュンの死をどう受けとめればいいのか、生き延びたユエと何を話せばいいのか?
そう簡単に答えがでるはずもない。そう簡単に心の整理などつくはずもない。
何が見つかるかはわからないけれども、何か一歩を踏み出さないと何も変わらない。
こうして、イシャン監督は、チュンの見た風景と足跡をたどるネパールの旅へと出る。
鎮魂の旅路の果てに、イシャン監督がたどり着いた境地とは?
作品を通して、浮かび上がる、ひとりの人間の「死」。
その「死」を前にして、わたしたちは「生」と「命」について深く考えることになる。
また、イタリアのトレント山岳映画祭、サンフランシスコのLGBTQ+映画祭などで反響を呼んでいることが物語るように、『山』という場所について、『性』『ジェンダー』について考えをめぐらす一作にもなっている。
そして、イシャン監督自身の喪失から再生への一歩の記録でもある。
最良の友の死から7年。
さまざまな苦悩を経て完成に至ったであろう本作についてルオ・イシャン監督に訊く。全八回/第五回
ひとりになっても、どうにかしてチュンが生きた証をひとつの形に
前回(第四回はこちら)は、当初は一緒に作品を作る予定だったユエと別々の道をいくことになった経緯を明かしてくれたルオ・イシャン監督。
作品を大きく分けると前半は、ユエと認識のずれが生じていく過程が、後半はイシャン監督自身がチュンの死と向き合っていく日々が記録されている。
ひとりでチュンの死と向き合い、そのことをひとりで作品としてまとめていく。ひとりになったとき戸惑いや不安はなかっただろうか?
「ユエとどんどんと距離ができていったことに関しては戸惑いました。当時は、なんでユエと溝ができてしまったのか、歩調を合わせることができなくなってしまったのか、わかりませんでした。いまは、当時のユエの気持ちを少し想像しておもんぱかることができます。でも、そのときはユエのことが理解できなかったので、彼が離れることには戸惑いました。
ただ、ひとりでチュンと向き合っていくことに関しての戸惑いはなかったです。
まず、ユエと距離ができてしまった時点から、どこかでひとりになることを覚悟していた気がします。予期していたので心の準備ができていたところがありました。
いま振り返ると、わたしとユエとのチュンとの向き合い方は、はじめから違った気がします。そのことに最初は気づいていませんでした。
でも、話し合う中で、おそらくユエもある程度は覚悟をしていたところがあったと思うのですが、それよりも思い出したくないことまで思い出さないといけないような状況になることがわかった。
思い出したくないこともあれば、話したくないこともある。そのこととも作品にするということは向き合わないといけないことになる。そのとき、ユエに迷いが生じたのではないかと思います。
一方で、わたしは、二人のネパール旅に同行する予定が同行できなかった。同行することができず、その場に一緒にいることができなかった。二人が遭難してから見つかるまで、実質なにもすることができず、見守ることしかできなかった。だから、チュンがどのような形で最期を迎えたのか、どのような状況で遭難してしまったのかをすごく知りたい気持ちがありました。
そのことをユエに話すよう無理強いをすることはありませんでした。でも、わたしがあまりに核心に迫ろうとしたことがユエにプレッシャーを与えてしまったかもしれません。
あと、ユエとの付き合いも長いので性格をある程度、わたしは知っています。
彼はとても正直といえば正直な性格で。自分の好奇心のまま動くところがあります。
それが、一度好奇心を失ってしまうと、興味を無くすというか。
それまで熱心に取り組んでいたことであっても、あっさりと手放すようなところがあります。
だから、あるタイミングで、彼はもうチュンのドキュメンタリーを作ることに後ろ向きになってきていることを感じとっていました。
いま話したようなことがあったので、ひとりになる心の準備はできていたところがありました。
ただ、やはりひとりでも続けていこうと覚悟を決めたのは、チュンの『生き残った者はこの自分の体験を語らなければならない』という言葉です。
どうにかしてチュンという人間がいたこと、チュンが生きた証をひとつの形にしたいと思いました」
チュンが最後に歩いてみた風景を、わたしも見てみたい
このように心を決め、イシャン監督は、ユエとチュンが歩き、自身も同行するはずだったネパールの山岳ルートを辿る旅へ出ることを決意する。
「同行するはずができなかった……。
このことを、わたしはどう受けとめればいいのか。実はいまもまだわかっていません。
おそらくこの事実をわたしはずっと抱え続けていくことになるのだと思います。
当時も、旅をすることでなにか答えがみつかるとは思っていませんでした。
ただ、チュンが亡くなったという現実から目を背けてはいけない。チュンの生きた証の記録を残したい。
そう考えたときに、チュンが最後に歩いてみた風景を、わたしも見てみたいと思いました。
チュンがどんな風景をみて、どんな風や空気を感じて、どんな人と触れ合ったのか、わたしも同じルートをたどり現地を実際に歩くことで実感したいと思いました。
それでネパールの旅へと出ることにしました」(※第六回に続く)
「雪解けのあと」
監督:ルオ・イシャン(羅苡珊)
プロデューサー:チェン・シンシュアン、ジュオ・ヅーラン、ルオ・イシャン
共同プロデューサー:藤岡朝子、チェン・ウェンウェン
編集:リン・ワンユー 撮影:ルオ・イシャン、ツァイ・ウェイロン
録音:ポン・イエション
公式サイト yukidokenoato.com
全国順次公開中
筆者撮影の写真以外はすべて提供:テレザ

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