Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/b7a9db64514ef8b142b890486b19c50e1e0d8eef
春が訪れ、夏に向けて山へ登る人もどんどん増えていくだろう。(百名山などの)ピークハント。美しい山野草、高山植物の花を楽しみに登る。非日常の世界でのリフレッシュ! 運動不足の解消……。登山の楽しみ方は人それぞれだ。 【写真】2021年12月にパキスタンの未踏峰に登頂! サミサールと名付けた そのなかに、ヒマラヤなどの高所への登山や未踏の山のピークを目指し、難易度の高いルートをクライミングし、限界に挑む登山者たちもいる。一般に親しまれているレジャー要素の強い登山からは縁遠い世界。なかなか経験することのできない登山のスタイルだ。 便利な日常から切り離された過酷な環境に身を投じ、挑戦を続ける登山家は何を魅力に登っているのか? 一体どんな“世界”を見ているのだろう? 生存を拒むような、研ぎ澄まされた厳しくも美しい景色。高所ならではの体験談などをテーマに、精力的に活動を続けるアルパインクライマーの三戸呂拓也氏に語ってもらう(シリーズとして連載していく予定)。
■ヒマラヤ・高所登山の世界! 未踏峰の存在
標高8,000mを超える山は世界に14座、7,000m峰、6,000m峰となると数多く、それらの峰々は、いわゆるヒマラヤ山脈(パキスタン・インド・中国・ネパール・ブータンにまたがる)やカラコルム山脈(パキスタン・インド・中国の国境付近)に多い。 標高が上がれば空気中の酸素の量が少なくなるのは、多くの人が知っていることだろう。さらに気象条件も平地では想像もできないほど厳しいものとなる。 その秘境の山域には「未踏峰」と呼ばれる山が(山頂まで誰も登っていない)いまだに存在する。登られていない理由には、単純に難関ということだけでなく、政治的・宗教的な理由も介在している。
■人跡未踏のピーク! 未踏峰への憧憬
なぜ過酷な条件の未踏峰、未踏ルートにあえて向かうのか。理由は人それぞれだが、その魅力は冒険要素が強いこと。 既に登られているルートは、自分ではない誰かが発見したルートである。海外の著名な山の多くは、ルート取りが決まっており、危険個所を調べることができ、キャンプ適地もわかる。何より、そのルートは人間が登れることがわかっている。 未踏峰や未踏ルートには、決まったマニュアルなどはない。安全なのか、この部分の壁は乗り越えられるのか、それを想像しながら準備し、答え合わせをする。過酷な環境でのそれは、これ以上ない冒険である。そして仮に登頂できた時、そこから見る景色は、まだ歴史上自分たち以外誰も見たことのない景色なのである。それは未踏ルート上でも同様であり、私はその景色に出会えることが未踏峰や未踏ルートに挑む大きな魅力であるように思う。 最近はそれらの情報を得る手段も増え、未踏峰や未踏ルートにチャレンジするチャンスは増えていると思う。しかし、それらを見つけ出すためには、視野を広く持ち、想いを馳せ、アンテナを張り続けねばならない。それは容易なことではなく、私にも足りない部分。未踏峰に2度登頂しているが、いずれもチームメイトが見つけ出し、想いを馳せていた山である。 ちなみに近年は、その国の登山協会が登山を許可する未踏峰リストを発表することもある。
■こだわりのスタイル! アルパインクライミング
ひと昔前までは、隊員、装備、食糧、酸素などを潤沢に用意し、キャンプを多数設けて確実に登頂する、いわゆる「極地法」が日本人の登り方であった。このスタイルは確実にキャンプを延ばすことができ、環境の悪い時は待つことができる。サポート体制が充実しており、有事の際は退路が確保しやすい。 それに対して、我々が遠征するときのスタイルは、「アルパインクライミング」という登山形態だ。少人数、短期間で、ルートを突破する登山スタイル。荷物や期間の負担は減るが、その分スピーディーな行動と個人の能力の高さが求められる。また、有事の際のバックアップが乏しいため、より失敗できなくなる。そして、主に重量の問題から酸素ボンベを持たないため、高所登山においても基本的には無酸素登山となる。
■登山のきっかけは……
幼少期から親に連れられ、何度か地元(長野県大町市)の山に登っていた。ちなみに母親は生後半年の私を背負い、吹雪のなか中央アルプスに登っていたらしい……! 若い頃も特別運動神経が良いわけではなかった。中学校ではバスケットボール部。まったく芽が出なかったが、逆に走ってばかりいたことが今の土台になっている……? 育った環境にも恵まれ、物心ついた時からスキーを履かせてもらっていた。地元ではレーシング(競技スキー)をしていて、この経験が雪上歩行のバランス感覚にもつながっているのかも。 本格的に登山を始めたのは高校山岳部。「インターハイに出られる!」という文句に釣られて入部した。さらに大学も山岳部へ。 大学山岳部時代の山行日数は年間100日ほどだった。当時の記憶は9割が辛いものであるが、山にこもり、如何なる環境下でも生活をしていたことは、今につながる基礎となっている。
■仕事も山関係に!
大学を卒業後、一度は登山を離れた(教員生活など)。しかし、登山を追及したい気持ちが高まり、山の世界へ戻った。多くのご縁があり、海外登山のサポートやテレビ番組の撮影を仕事にすることができ、傍ら自身の挑戦も継続している。登山を中心に生活できている現状は、厳しくも恵まれたものである。 その年にもよるが、最近は確実に仕事で山に行っていることの方が多い。割合では仕事が8割ほどになる年も……。しかし、過酷な仕事も多く、学生時代とは違った視点で山を見る目も養えていると思う。社会人クライマーは仕事の合間を縫って登山に出掛ける。私も同じではあるが、仕事の現場も山であることは幸せなことである。 海外登山が続く場合は一年の半分が海外であることも。しかし、昨年は靭帯断裂→手術によって登山はおろかジョギングさえできない期間が続いた。思い通りの活動ができず、フリーランスは体が資本ということを思い知った。
■怪我から復帰! 最新の遠征はパキスタンの未踏峰に登頂!
2021年の年末に平出和也氏をパートナーとしてパキスタンの6,020mの未踏峰に登った。季節は冬。初めての挑戦で経験することも多くあったが、最初から冬の登山を計画していたわけではない。コロナ禍が落ち着いたタイミングが冬だった。ただひたすらに寒かった。 ベースキャンプでも、気温は一度もプラスにならなかった。コックを雇って留守番をしてもらうわけにもいかず、水づくりや炊事も自分たちで行った。野菜や肉も石のように固く凍りついたが、根気強く分解し、油で揚げて食べた。冷え切った状況のなか食べる、高カロリーな揚げ物は美味かった。 新型コロナウイルスの影響で、出国のために準備する資料や検査には時間も料金も労力もかかった。トランジットする国によっても規則が異なり、航空券も感染状況によってキャンセルが続出。帰国後の隔離も考えると、純粋に海外登山をする以外の負担が大きかった。 そしてなにより、この状況で事故や怪我をすると大ピンチに陥る。すぐに帰国することができず、帰国しても治療が臨機応変に行えない可能性が高い。
■命名! Sami sar(サミ サール)
今回初登頂した山は、2015、2016年に福岡山の会がトライしている。しかし、途中で起きた事故により、隊員が亡くなっている。初登頂した山には名前をつけることができるのだが、今回の成果は我々だけで成しえたものでなく、福岡山の会のチャレンジがあったからこそだと思っている。この山に関わった全ての方が報われる名前にしたいと、パートナーと話した。2016年のトライで無念にも亡くなった隊員のサミ ウッラー カーン氏の名前をいただき、山の名前はSami Sar(サミサール)とした。 年齢も上がってきたが、自分の登山人生をかけて登りたい山はいくつかある。一つひとつの登山を、トレーニングを、仕事を大切に過ごし、目標に向かって進んでいきたい。 三戸呂拓也(みとろたくや) 青春時代より山に没頭し続け現在にいたる。国内の厳冬期難ルートを踏破し、ネパールやパキンスタンなどの高所登山の経験多数。2021年、パキスタンの未踏峰だったサミサール(6,020m) 初登頂。山岳カメラマンとしても多くの番組の撮影に携わっている。 2011年 新疆ウイグル自治区・ヤズィックアグル(6,770m)世界初登頂 2013年 ネパール・マナスル(8,168m)『世界の果てまでイッテQ』サポート 2021年 パキスタン・サミサール(6,020m)初登頂 NHK-BSプレミアム『グレートトラバース3』撮影 NHK-BS1『グレートレース』撮影 日本テレビ『世界の果てまでイッテQ!』撮影
三戸呂拓也
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