Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/a0102a543245aea4b13df46548f8721464ee189b
配信、ヤフーニュースより
2003年に軽井沢へ拠点を移した作家の唯川恵さん。雄大な自然に惹かれて転居したものの、当初は山登りに興味がなかったそう。そんな唯川さんが、エベレスト街道トレッキングを行うまで山に夢中になった理由とは──(構成=丸山あかね 撮影=八木沼卓《本社写真部》) 【写真】「仕事しかない人生では逃げ場がありません」と話す唯川さん * * * * * * * ◆田部井淳子さんの半生を書きたいと考えて 55歳で山登りに目覚め、60歳の時にエベレスト街道トレッキングに挑戦しました。 エベレストへ向かったきっかけは、女性で初めてエベレスト登頂に成功した田部井淳子さんの半生を書きたいと考えたこと。その時すでに山の世界に魅了されていた私にとって、憧れの人でした。 とはいえ小説となると、事実と虚像がないまぜになる。そんなことが許されるのだろうかと、不安を抱えながらもご本人に許可をいただくご相談に伺うことになりました。 世界一高い山に登った方なのだから、男勝りでタフな方に違いないと想像していましたが、実際の田部井さんは小柄で気さくでびっくり。後日、「どんな淳子になるのか、私も楽しませてもらいます」とご連絡をくださり、本当に嬉しかったものです。 こうして15年から「淳子のてっぺん」という小説を新聞で連載することが決まったのですが、取材を重ねるうちに、資料を読み込むだけでは足りないと思うようになりました。 エベレストへ行って、田部井さんの感じたことを少しでも味わってみたい。といっても断崖絶壁をよじ登れるわけもなく、せめてエベレストをこの目で見て感じたかったのです。 そこで目指したのが、ネパールの北東部に位置するカラパタール。カトマンズから続くエベレスト街道上にある、エベレストがいちばん美しく眺められる場所です。夫や編集者、登山家の方々、現地のスタッフなど総勢9人で、12日間かけてトレッキングをすることに決めました。
◆エベレストは雄大で、神々しかった トレッキングというと牧歌的なイメージを抱くかもしれませんが、これがなかなかに大変で。富士山が標高3776メートルなのに対し、カラパタールは標高5545メートル。もちろん体力が必要ですし、何より高山病との闘いがあります。 そこで約1年間を準備期間にあてることになりました。週に3日のトレーニングを行いつつ、高度順応のために富士山にも2回登って本番に臨むことに。 それでも標高4000メートルを超えると高山病に襲われ、一気に最悪な二日酔い状態。 さまざまなハプニングに見舞われながらも、なんとか標高4910メートルのロブチェまでは辿り着いたのですが、カラパタールまで登ることは断念せざるをえなくなってしまったのです。来た道を少し戻って標高を下げ、目的地をナンガゾンピークという山に変更しました。 エベレストをカラパタールから望むことはできませんでしたが、途中で宿泊した「ホテル・エベレスト・ビュー」からの眺めは素晴らしかったです。目の前にそびえたつエベレストは雄大で、神々しくて。あれから約6年経った今でも鮮やかな記憶として心に残っています。
◆愛犬のために東京から軽井沢へ それにしても、怠け者でアクティブとはほど遠い生活をしていた私が山登りとは、自分でも信じられません。人生というのは、本当に何が起こるかわかりませんね。 そもそもなぜ山登りを始めたのかといえば、00年、45歳の時にセントバーナード犬の「涙(ルイ)」を飼い始めたことに端を発します。暑さに弱いルイのために、当時暮らしていた東京から軽井沢へ引っ越したのは03年のこと。 ルイは目を輝かせて1日3度の散歩に出かけ、私は私で浅間山を眺めたりと自然を楽しむように。軽井沢の生活は、ルイにも私にもとても合っていたのです。 そこで、転居して初めて手掛けた連載小説の舞台は軽井沢にしようと決めました。「主要な登場人物たちが、軽井沢の象徴である浅間山に登るシーンで幕を開けようと思う」と編集者に伝えたところ、「だったら浅間山に登りましょう!」と誘われて。でもその時は気乗りがしなかった。 実は30代の頃に山好きな編集者に誘われて、作家仲間たちと一緒に高尾山に登ってバテバテになり、登山とは相性が悪いと痛感した経験があったからです。
◆気づけば夢中に 結局、仕事が立て込んでいたこともあり、代わりに登山経験のある夫に行ってもらうことにしました。ところが浅間山から戻った登山メンバーたちが「最高だった」と楽しそうに話しているのを聞いているうちに、私も登ってみたいと心が動いて。 1ヵ月後に実行したのですが、標高2000メートル(浅間山は2568メートル)の火山館というロッジまで行ってギブアップ。本当につらくて、今度こそ二度と登山はしないと誓ったほどでした。(笑) それなのに、10年にルイが死んでしまい、事態は思わぬ方向へと流れていきます。 セントバーナードの平均寿命は7歳ほどといわれるなか、彼女は9歳5ヵ月も生きてくれました。いつかは別れがくると覚悟もしていたのですが、ルイを失った喪失感は仕事も手につかないほど大きかった。 沈んでいる私を見るに見かねたのでしょう。夫が「山に登ってみないか」と声をかけてくれ、私は「登ってみたい」と答えました。 つらいことはつらいことでこそ乗り越えられるかもしれない、と考えたからです。それに、モヤモヤとした行き場のない悲しみを紛らわすためにはシンプルなことをしたほうがいいとも思ったのです。 さっそく挑戦してみたものの、この時も頂上へ辿り着くことはできませんでした。でも、ハアハアと息があがり、苦しさやしんどさに耐えながら無心になって山を登っている間はルイを失った悲しみから逃れられた。 それからというもの、無心になるために何度も山へ向かいました。6回目にして初めて登頂できたときはパァーッと気持ちが晴れて、気づけば登山に夢中になっていたのです。
◆自分に合う趣味を選ぶためには自分を知る必要がある 新しいことにチャレンジするタイミングは人それぞれですが、私の場合は55歳が適齢期だったのでしょう。50代に入って、本を量産することが体力的にしんどくなっていると感じていました。それに、新人作家が書いた作品を読んで面白いと感嘆する一方、焦りや諦観の気持ちも出てきて……。 仕事しかない人生では逃げ場がありません。ですから、趣味を持つことでずいぶんと心が楽になりました。 人生を豊かにするための居場所はいくつかもっていたい。そのためには、「これは苦手だ」「私には無理だ」といった思い込みを捨てることが大事かな。慎重であるのはよいことですが、頑なさに繋がってしまうとつまらない。常に心を緩く開いておきたいと思っています。 何にチャレンジしようかと、迷うこともありますよね。私もありますが、ひとつだけ言えるのは、自分に合う趣味を選ぶためには自分を知る必要があるということ。たとえば趣味で絵を描き始めた知人は、賞を取りたいと悪戦苦闘。それも含めて楽しんでいるようです。でも私は、仕事で優劣を競う刺激は十分に味わってきているので(笑)、競争のない山登りがフィットしたのでしょうね。 最初は夫と2人で登っていた山も、やがて友人や編集者たちと山岳会を結成するまでになりました。でも、登り始めたら《ひとりの世界》。 山登りはひとりで楽しく過ごせるようになるためのレッスンだという気持ちもあります。いまは夫と2人で暮らしていますが、いつかひとりになるときがくるかもしれない。それに、たとえ誰かと一緒であっても、自分で自分を楽しませる術を持っている人は強いと思うのです。
◆自分を心地よくするのは自分の責任 山登りを通じて、自分の体と向き合うことも覚えました。 これまでに浅間山を始め、穂高岳、八ヶ岳、谷川岳などの山に登ってきましたが、個人的には100の山に挑戦するより、ひとつの山に100回登るほうが性に合っているなと感じます。 いつもはこのあたりでも平気なのに、今日は息があがる、など体調のバロメーターにもなりますし、行くたびに景色も変わり、新たな発見があって面白いですから。 私の《ホームマウンテン》は浅間山ですが、慣れ親しんだ山道を歩くと心がスッキリします。 生きているといろいろな試練がありますよね。結果的に学びになるということはあっても、悩みの渦中にいるときは苦しい。しかも、つらい出来事を魔法のように解決することはできないのが常です。 けれど山は「それはしょうがない」と諭してくれる。諦めるのではなく、受け入れると楽になるよ、と。砂を入れた器を外からトントンと叩くと、きれいに整いますよね。それと同じような感覚で心も整うのです。 自分にできることとできないことを見極める大切さも、山は教えてくれました。私は、頂上を目指すことをゴールにしていません。初心者だった頃は登頂を目標にしていましたが、無理して目指すから挫折してしまうとわかった。体力や技術を過信して無茶をすれば怪我をしたり、遭難してしまうことだってあるでしょう。 ダメなら潔く諦めて、また目指す。山はなくなりませんから、焦ることなどないのです。 それに山登りは苦しみながらも楽しむことであり、山頂からの景色は英気を養うためのもの。なにしろ恐怖の下山が待ち受けているのですから、油断禁物。急がば回れで余裕をもって、人と比べず自分のペースで淡々と。 失敗してもあとで笑い話になる、と信じて歩み続ける。山の教えは人生の教訓に繋がっています。 コロナの影響でしばらく山登りはお休みしていましたが、そろそろ再開したいと考えているところです。体力的な衰えは否めませんが、それもまたしょうがない(笑)。この歳になって、「こうでなければならない」という思考と決別しました。 私には、「いくつになっても前向きに頑張ろう」といった風潮がしんどい。趣味だって無理してやることはないと思うし、いつも完璧な自分でなくてもいいですよね。 人生の後半は自分ファーストでというのが持論です。自分を心地よくするのは自分の責任。これからも、心と向き合いながら生きていきたいと思います。 (構成=丸山あかね、撮影=八木沼卓(本社写真部))
唯川恵
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