Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/474eed3cf51ac43b4f31d00694a52b1565ef6bfc
「マイクロアグレッション」という新しい概念が注目されている。人種やジェンダー、性的指向などに関するマイノリティーに向けられる、一見あからさまな差別ではないように見えて、相手の尊厳を傷つけるような攻撃性が含まれている言動のことだ。マジョリティー側がこれに気づき、より公平な社会を作るためにはどうすれば良いのだろう。「立場の心理学」などの講義で人気の上智大教授(文化心理学)、出口真紀子さんと、「マジョリティーの特権」をキーワードに3回連載で考えてみたい。1回目は、マイクロアグレッションとは何か?【小国綾子/オピニオングループ】 ◇悪意がなくても ――マイクロアグレッションって何ですか? ◆人種・民族やジェンダー、性的指向、社会的階層などにおけるマイノリティーを差別したり傷つけたりする意図はなく、むしろ善意やほめ言葉のつもりであっても、発している本人には気づきにくい攻撃的なメッセージを含んでいる言動のことを指します。 白人優位の米国社会で1970年代に、アフリカ系アメリカ人の研究者により提唱された概念です。2010年に中国系アメリカ人の臨床心理学者のデラルド・ウィン・スー氏がその研究をさらに深め、ジェンダーや性的指向など他のマイノリティーにも当てはめる形で理論化し、広く知られるようになりました。 2020年、スー氏の著書「日常生活に埋め込まれたマイクロアグレッション」が日本で翻訳され、それ以来、関心を集めています。 ――具体例を教えてください。 ◆例えば、いわゆる日本で「ハーフ」と呼ばれるようなミックスルーツの人は、初対面の人から頻繁に「なに人?」「ハーフですか?」「外国の方ですか」などと聞かれます。これなどは多人種・多民族のルーツを持つ人がよく経験するマイクロアグレッションです。 いわゆる日本人で単一人種(monoracial)、つまり私のような、見た目が「日本人」として違和感のない人は、初対面の人に、自分自身の素性を明かすことを求められることって、ほぼないじゃないですか。 でも、見た目がいわゆる「日本人」とみなされない人は、「お父さんはなに人? お母さんは?」などと親の人種・民族や、親が出会ったなれ初めなどを開示することを求められるわけです。ここに明らかな不均等性が生じます。 この話を学生とすると、「でも、こっちは明らかに日本人で、相手が明らかに周りと違うから目立つし、気になるじゃないですか。好奇心で知りたいって思うことに悪意はない。相手に興味・関心があるから聞いてしまう」と反論されました。 私自身も以前はそのように思っていました。でも、ハーフと呼ばれる人たちが内心そうした周りの言動をとても負担に感じており、そのような発言をぜひやめてほしいと思っていることを少しずつ知って、結構ショックでした。それこそ、「悪意がないんだからいいじゃん」的な発想を私も持っていたんですね。 じゃあ彼らにとってなぜこうした言動が嫌なんだろう、と一生懸命考えるのですが、なかなかその理由が見えてこないんです。 ◇マジョリティー側の限界 ――見えてこない? ◆ええ。これが、いわゆるマジョリティー側にいる人の限界なんですね。マジョリティー性をもっていると、いくら想像力を働かせようと思ってもなかなか思い浮かばないんです。これについては後ほど触れます。 そもそもなぜ、「ハーフですか?」がマイクロアグレッションに該当するのか。マイクロアグレッションには必ず、その属性においてマジョリティー性を持った側から、マイノリティー性を持った側に向けて行われます。つまり、「ハーフ」について言えば、民族・人種の属性においてマジョリティー側に属しているのは、単一人種のルーツを持つ、あるいは見た目に日本人とみなされる人。それが日本社会では強者側になります。 一方、マイノリティー側は、「ハーフ」やミックスルーツを持つ人々です。ここの点をまず押さえておくことが重要です。 マイクロアグレッションには必ず、隠された攻撃性が潜んでいます。初対面の人に「なに人ですか?」「ハーフってうらやましい」などと言う言動は、「ハーフの人はこう」といった一種のステレオタイプを押し付け、その人自身を民族・人種の属性だけで判断する、といった行為に当たる。それが問題なのです。 こうした攻撃性は無数に存在しますが、別のものとしては、「あなたは私たちと違うよね」と線引きをされている感覚です。「あなたは私たちの社会では異質だ、日本人ではない」というふうな、発している本人にすら無自覚なメッセージが含まれています。 ◇「俺が言いたいタイミングで」 ――なるほど。「ハーフってきれいな人が多いよね」とほめたつもりでも、そこに攻撃性が存在してしまうのですね。 ◆さらに、別の攻撃性も含みます。それは「あなた(マイノリティー)は私(マジョリティー)が望むタイミングで自分の素性を明かすことが当然だよね」といった暗黙の了解みたいなものです。 ある時、学生からこのような話を聞きました。中学生のときに日本人だと思っていた男子のクラスメートが、実はネパール人と日本人のミックスルーツを持つことがわかったそうです。そのときに彼の仲間が「なんで俺たちに言ってくれなかったんだよ」と言った。「水臭いじゃないか」的な口調で、不満をぶつけたんですね。すると「俺は俺が言いたいタイミングで開示するよ」と、ミックスルーツを持つ学生は答えたそうです。それだ!と、私にとって理解できた瞬間でした。 ミックスルーツを持つ学生は、別に周りの友人に自分のルーツを最初から開示しなければならない決まりがあるわけではない。本人が自分の意思で決めたタイミングで開示すればいいんだ、と私自身も腑(ふ)に落ちたのです。 それを言えるその学生もすごいなと思いますし、そのことを後日話してくれた学生も友人のその発言を覚えていたわけで、そこでマイノリティーの民族・人種のルーツにまつわるアイデンティティーにおいて、深い学びを得られたんだな、と思いました。 ――本当ですね。そういうことを言い合える関係性もすごいです。 ◆話を「ハーフ」の人たちが受けるマイクロアグレッションの話に戻すと、「外国の方ですか?」「ハーフですか」という質問は、彼らの視点に立ってみると、「またか。自分はマジョリティー側の好奇心の対象でしかなく、マジョリティー側が知りたいタイミングで自分の話を明かすことを強いられる側にいる」と、思い知らされるわけです。 何が実際起きているのかをここまで丁寧に可視化すると、やっと「なるほど、そうだったのか。確かにそれはマジョリティー側の無自覚だったかも」と理解できるようになります。なので、マイクロアグレッションをきちんと理解するのは、簡単なことではないんです。言動が起きた文脈を考慮した上で、力関係の非対称性への理解抜きには難しいと思います。 ◇「どこから来たの」と言う代わりに ――なるほど。私は米国で4年間暮らしていた時、白人男性の友人から「君は典型的な日本人女性じゃないね。だって自己主張がちゃんとできる」と言われ、相手はほめてくれていると分かっていても、モヤモヤしたんです。 ◆なぜモヤモヤしたかを考えてみると、「日本人女性は自己主張をしない」というネガティブなステレオタイプが前提にあるからでしょう。「君は例外だ」と言われたからといっても、「日本人女性」の部分は否定されているわけです。だからモヤッとするわけです。 私自身、米国で約30年暮らしましたが、アジア人の風貌ゆえ、初対面の相手からは「どこから来たの?」と数え切れないほど聞かれました。「日本」と答えると、今度は決まって「英語が上手ね」と言われる。一度や二度じゃなく、繰り返しそう言われることで私に伝わるメッセージは「ここはあなたの国じゃない」です。 それで米国では最近、「Where are you from?(どこから来たの)」と言う代わりに、「Are you from here? (この辺に住んでいるの?)」と尋ねたり、「I'm from 〇〇. Where are you from? (私は〇〇出身です。あなたは?)」と自己開示したりすることで、相手をよそ者と見なしているというメッセージを回避するなどの工夫も始まっています。 ◇マジョリティー側が学ぶべきだ ――日本でも、日本生まれの在日コリアンの方からよく聞きます。日常的に人から「日本語がお上手ですね」と言われたり、「何か韓国語をしゃべって」と言われたりすると……。 ◆在日コリアンの方も朝鮮名を名乗ると、「日本語がお上手ですね」と言われるわけで、これは本名を名乗ることで生じるマイクロアグレッションですね。 朝鮮名だと「外国人だ、日本人じゃない」と思うこと自体が、日本による朝鮮の植民地支配の歴史に対して無知であることを露呈しています。やはり、マジョリティー側の日本人が、日本にはどのような人たちがどういう歴史的背景で暮らしているのかを知らなくてはならないと思います。 あと、日本に暮らす外国人に「納豆食べられる?」「日本のどこが好き?」などとついつい聞いてしまうこと。言う側に悪気はなくとも、中には「ガイジン」「よそ者」の箱に押し込まれていると感じる人もいます。「僕のことを本当に知りたいなら、もっと別にいろいろな質問があるだろうに」という声を、在日外国人の方から聞いたことがあります。 ――うわっ。私も「納豆、食べられる?」と尋ねたことがあるかも……。まさか、そういうメッセージとして相手に届くとは思ってもいませんでした。 ◇無意識にやってしまうものだから ◆もちろん文脈も大切です。文脈によっては「納豆、食べられる?」はとても重要な質問だったりします。食事に招待するときに、食べられるかどうかを確認する必要がある場合も想定できますよね。また、日本が初めての外国人観光客の中には、「どこから来たんですか?」と聞かれることで、日本人と交流ができたと喜ぶ人もいるでしょう。 しかし、あまりよく知らない人に対して、会話をしていない中でいきなり「納豆、食べられる?」という質問をすると、相手は「あ、また自分は『外人枠』に入れられた」と感じるでしょう。 だからこそ、マイクロアグレッションというのは、「〇〇は言ってはいけません」といったルールのリストを作るものではないし、そうした解決法は使えないのです。常にその文脈において変わりますから。やはり日常の中で意識することが大切です。 あからさまな差別はいけないと分かっている人でも、無意識にやってしまうものなので、やってしまったら反省して次からしないように心がける。私だって何度もやってきましたし、だからこそ知ること、気づくことが大切なのです。 ◇でぐち・まきこ ボストン・カレッジ心理学研究科博士課程修了。主な著書に「北米研究入門―『ナショナル』を問い直す」(共著、第7章「白人性と特権の心理学」執筆)、監訳書に「真のダイバーシティをめざして 特権に無自覚なマジョリティのための社会的公正教育」(ダイアン・J・グッドマン著)がある。
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