Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/667349b91df178779ebf3d0d008c9815ceeb3ecb
近年、「サスエ前田魚店」から魚を仕入れる地元の料理人が静岡に客を呼んでいる。彼らが提供するのは、駿河湾の恵みを最大値で表すフルコース。そのなかで今回紹介するのは、唯一の洋食として個性を発揮する「シンプルズ」の井上靖彦だ。 【写真を見る】これが、もち旨いカツオだ!
出会えたらラッキーな“もち旨鰹”とは?
「サスエ前田魚店」の魚を仕入れる静岡の料理店のなかで、「シンプルズ」はある特別な役割を担っている。前田尚毅が「口に入れるもののなかで一番好き」と話す鰹をシグネチャーとする店なのだ。それもただの鰹ではなく、“もち旨鰹”だから意味がある。 水揚げされたばかりで餅のような食感をもつ“もち鰹”の進化版として、2017年に前田が誕生させたのが“もち旨鰹”。ついさっきまで生きていた鰹は死後硬直する前のもっちりした歯応えが魅力だが、反面、まだ旨味が上がっていなかった。 鮮度抜群ゆえ起こるそのジレンマを解決したのが特別な冷やしの技だ。前田の冷やしはシェフでいう火入れに似ていて、火力や火入れ方法によって身質が変わるように、どう冷やすかで鰹が美味しく化ける。 海水温が0.2度変わるだけで味が大きく左右されるという。昼過ぎに水揚げされたら、どの深さで餌を追っていた鰹か察知し、冷やし方を決め、個体ごとの旨味を一気に開花させる。とはいえ“もち旨鰹”でいられるのは残り4~5時間なので、静岡の夜限定の逸品なのだ。 かつては「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」と初夏の季語として詠われたが、温暖化の影響で、いまは1月から抜群な初鰹が入ることがあるという。いつもあるわけじゃないご馳走だからこそ、客も取材班も“もち旨鰹”に出会えたら幸運だ。 そして、1度食べたら呪縛のように思い出してしまう。筆者も次はいつ出会えるのだろうと、寝る前に考えたことがある。寝られなくなり、つい「鰹が1匹、鰹が2匹、鰹が3匹……」と数えてしまったほどだ。 ■鰹の大ボスは静岡の料理店へ 3月9日の午後、鰹を撮影しようとしていた私たちは前田尚毅からの連絡を待っていた。先月に続き3度目の待機だった。 14時58分、某漁港にいる前田から「いま入ってきましたよ」とのメッセージとともに鰹の写真が送られてきた。息絶えてまもない虹色に輝く鰹だ。この朗報は静岡の料理人たちへ常に送信される。何度経験しても、みな色めきたって、「サスエ前田魚店」まで同日2度目の仕入れに向かう。 15時45分、前田が店に戻ってきた。トラックの荷台には大きな発泡スチロールが並び、うち2箱に超一級の鰹が9本入っていた。今晩使う静岡の店と明日使う他県の店では冷やし方が異なるので箱は分ける。前者は氷が溶け切った水、後者は氷水の中に鰹が寝ていた。 「今日は海水が15.8℃なので、店に着くまでで静岡分は4度から4.5度、県外分は-1℃から-1.5℃にもっていきたい」と前田が温度計で測るとほぼその通り。まるで料理を科学するような解説が続く。漁港から「サスエ前田魚店」までの約40分は、ただの輸送ではなく、重要な冷やしの時間だった。 揺れるトラックでの冷やしはバーテンダーが振るシェイカーに着想を得た。前田はお酒が飲めない体質にも関わらず、バーに通って氷水と摩擦を研究したとか。ブレーキやアクセルの衝動に合わせ箱は縦に置く。冷やさなくてもいい頭を外側に向かせ、輸送の揺さぶりで身体の芯を冷やす。 到着して間もなく、9本の鰹の振り分けが始まり、全国の錚々たる店の名があがる。そんななかで1本、店名があげられない大ボスみたいな鰹がいた。最初から静岡の料理店へいくと決まっていた個体だ。 群れの先頭を泳いでいた屈強な身体を捌くと、心臓はどの鰹より立派だった。海のスプリンターのボスはエンジンも半端ではない。となれば猛スピードで泳ぎ続けた筋肉だってモノが違う。 「これは鰯を追ってきた鰹。もう消化しているから身に栄養がまわって、だいぶいいですよ」 前田が予告して胃袋を開けると、本当に鰯のカスだけが残っている。「鰯を食べていると余韻が長くなります。余韻とはその魚の食した味が伸びる率。そこには冷やしも関係してきます」と、まだぶるんぶるんに柔らかい身をショーケースで冷やす。 しばらくすると皮目の脂が身に回り、明るさを帯び、冷やしの終了を目視で確認。身質に惚れ惚れしながら、「これはいいなあ」なんて声がもれる。そんな魚屋のロマンが詰まった食材について、「いまのもち旨鰹だったら間違いなくシンプルズが一番」と前田は言う。 「他の地元の店がみんな和食だからです。そうなると鰹って普通お造りじゃないですか。出し方は変わっても王道になる。でも、これだけの鮮度があるならナイフとフォークで食べさせる刺身があっても面白い。じゃあシンプルズだと思って渡し始めました。新しい鰹の食べ方、美味しさが生まれるはず。それはなんぞやと」 48年間、誰よりも魚を食べてきた男のカンが働いた。その期待に応えるべく「シンプルズ」の井上靖彦が完成させたのが、鰹のステーキだ。 ■圧倒的な食感のある、海の味がする肉 ステーキと言って提供されるがじつは生で、ケイパーや大葉を効かせたソースが添えられている。皿にのる鰹は150gほどありそうな大胆な厚切り。深いワイン色の血合いが美しく、回遊魚のヘモグロビンにそそられる。目で味わったあとに手で楽しんでもらうべくこの厚切りとなった。 「尚毅さんの仕立てる鰹は包丁をいれる時が楽しくて、ぐぐぐと入る瞬間に僕らもわ~っと驚いて、翌朝に料理人みんなで“昨日の鰹すごかったね”と話したりするんですよ。そんな料理の幸せみたいな瞬間をお客さんにも体験して欲しいと思い、ナイフで切ってもらう形にしました」と井上。 生涯泳いだ鰹の筋力がまだ生きている感触は、なかなか経験できない。弾力凄まじい身質に合わせ、ナイフは包丁に近いものに変えた。 噛めば歯にからみつくもっちりした食感で、ぎゅうぎゅうに詰まった身の密度に驚く。噛むごとに新たな味が出て、「これは食べる人が仕上げる鰹」という前田の言葉を思い出す。口の温度で身が開き、ジビエにも負けない旨味が滲み出てくる。海の味が凝縮した肉なのだ。 やわな肉が好きな人は負けてしまうかもしれない。格闘するように食べ、最後のひと切れになった時にふと寂しい。食べ終わったあとの余韻も長く、手にも口にも感触が残っている。なるほど、ステーキだから、アクティビティとして記憶に刻まれる。 塊にしたことによって部位ごとの差も楽しめる。赤身と天身(背骨の周り)でまるで違う。「3種類ワインがあってもいいんじゃない?」という話が出るほどだ。 鰹以外にも、「シンプルズ」の料理は意外性に溢れている。駿河湾の魚に静岡の野菜を合わせているのに、もっと遠くへ旅に出た気分になる無国籍感。思いっきり自由なようで、食材への敬愛も感じる。以下は組み合わせの一例だ。 ・尻丸海老×鹿のコンソメジュレ×カブのピュレ ・ヒラアジ×自家製モッツァレラ ・白甘鯛×オクラ×あさはた蓮根のスモークソース 前田に「井上さんの料理、面白いですよね」と言うと、「生き方はもっと面白いですよ。それが料理にも出ています」と返ってきた。 ■東京、ベルギー、フランス、イタリア経由で静岡へ 井上は1977年、大分県日田市の生まれ。熊本との県境の山間部で、自然に触れ合いながら育った。はやくに父を亡くし母子家庭となり、欲しいものは自分のお金で買うものと、アルバイトを多数経験した学生時代だった。 日田市は鮎が有名で、鮎を焼く仕事やうどん屋の皿洗いなど、大半が食に関わるバイト。自然と料理を勉強したい気持ちが湧き、ならば東京へ出ようと思ったが、つても情報も何もない。 通っていた工業高校の進路相談で薦められた飲食の勤め先はいくつかの大手外食チェーン店。そのなかで、アメリカで成功したことでも知られる鉄板焼きやステーキの「紅花」に就職した。 裏方で働きながら、「よくないことなんですけど、毎日本屋さんで料理の本や雑誌を立ち読みして、すごく気に入ったら買って、図書館にもよく行きました」と手探りの独学を重ねた。そのうち当時の店長に、「おまえみたいな田舎もんは、KIHACHIさんみたいな料理を勉強すれば、このあとどこ行っても通用すると思うよ」と言われたことをきっかけに、熊谷喜八の本を読み始める。 「読んでみたらすごく面白い。でも、KIHACHIさんで働くことは出来なくて、働いていた店も2年で挫折して、逃げなんですけど九州に帰ったんです。地元の同級生に、俺、駄目だったわって言って」 料理はもう趣味にしようと思ったが、同級生に渡された福岡のグルメ本『美味本』の巻頭に、奇遇にも「KIHACHI」が福岡にオープンすると書いてある。すぐに面接を受け、読んできた本の話や「やっぱり料理が好きで」との想いを伝えると採用された。 20歳から本格的な料理のスタートをきり、休みの日は魚屋やパン屋を手伝いながら勉強。そのうちフランス料理も学びだしたが、「一番ちんぷんかんぷん。行った方が早い」と、24歳でベルギーに渡った。 田舎町の小さな店で働きだすと家族のように親しくしてくれたものの、いつまでも雑用ばかり。ある酒の席でオーナーシェフに不満を伝えると、「俺の仕事をやれるって言うのか?」と3日間シェフとして試されることに。ずっと細かなメモをとっていた井上は、それなりに出来てしまう。 区切りがついた気がして辞めると言うと、「あと3カ月うちで働いたら昔働いていたパリの3つ星を紹介する」と意外な提案をされる。そうして手紙を書いてもらい、パリの「ルカ・キャルトン」へ。28年間3つ星を取り続けていた鬼才アラン・サンドランスの店で4カ月研修し、ベルギーに戻り3年、イタリアでも3年働き30歳で帰国した。 帰国後は静岡の三島、大分の日田を経て、再び妻の地元だった静岡へ。三島でも日田でも自分の未熟さを感じることがあり、静岡市でゼロからのスタートとなった。誰も知り合いがいない街。イタリアでは星つき店にも勤めていたが、そういう経歴も自ら崩していこうと思った。 すべてリセットし、「やりたいことをシンプルにやろう。シンプルに素晴らしいものをいっぱい集めよう」と「シンプルズ」という店名をつけた。 ■ずっと、魚のプロに教えて欲しかった 静岡での魚の仕入れ先はしばらく定まらなかった。いくつか通ってみたものの、どうも腑に落ちない。その頃に噂を耳にしたのが「サスエ前田魚店」。とはいえ、かなり変わった噂だった。 「行くと○○されるらしいよと言われて、ええっ魚屋さんで!? と聞き返した覚えがあります。いったん後回しにして、それ以外の魚屋さんをいろんな人に聞いたんですけど、結局ない。やっぱりモノが間違いないというサスエさんと話したい。僕は修業時代に怖い人にはいっぱい会ったので、なんとかなるだろう。明日、門をたたこうと思った夜、成生の志村さんがちょうどうちに食べに来たんです」 志村が「シンプルズ」に来るのは初めてではなかったが、話す距離感でもなく、井上にとっては謎の天ぷら職人。志村がサスエの魚を扱っていると知っていた井上は、ひとり強行突破すると伝えてみた。すると、「明日の朝8時にどうですか? 待っていますから」と誘われた。じつは志村は、「面白い料理人が静岡に来たから、今度一緒に食べに行きましょう」と前田に話していた。そうして翌朝、前田尚毅に対面する。 「初めに奥からすごく立派なヒゲダラを持ってきて、“これ使ってみる?”と言われたんですよ。聞いていた話と全然違うと思いました。“使ってみな。今日、食べに行くから”っていきなりです。その時点で、もう違う世界に足を踏み入れていたんですね」 かくして井上の初めての“夜な夜な会“が2016年春に行われた。しかし、その会でイタリア帰りの必需品、オリーブオイルの使い方が指摘されてしまう。 「たとえば、美味しい鰯があったら、オリーブオイルと塩、レモンだけで一番シンプルなイタリア料理になります。そういうのを最初はやっていたんですけど、“こんなに油をかける必要があるのか?”と言われてしまいました。いや、油といってもオリーブオイルなんだけどなあと思ったし、僕が現地のトラットリアで学んだのは、たっぷり豪快にかけるやり方で、現地のようにやりたかった。それをいきなり否定されてカルチャーショックでした。でも考えてみれば、オリーブオイルをかければよくない食材もオイルの風味で補えて、それっぽい味になるんですよね」 素材をいかすシンプルな手法だと思ったことが裏目となり、イタリア料理である必要もなくなった。それからは多ジャンルを食べ歩き、魚をどう強調するかを研究。 衝撃だったのはやはり「てんぷら成生」だ。志村の天ぷらを食べると、「食材を頭からかぶっているようで、香りが全部伝わってくる」と違いに驚いた。サスエの仕入れでは待ち時間もあるので志村に質問すると、衣の作り方から皮面の扱いまで、いちから教えてくれた。 そうした姿勢を知っていたのと、じつは初回の夜な夜な会でカマスの料理に感心していた前田は、ほどなくして井上に鰹を渡す。「尚毅さんに“俺、口に入れるもののなかで鰹が一番好きなんだよね。これはめったにない鰹で、今晩食べ行くから”と、嬉しそうな感じで言われました」。試行錯誤の結果、仕立てる側も喜ぶ例のステーキが出来上がった。 今年でオープンから8年。静岡に来たことでブラジルとの出会いもあり、また、東京・中目黒のネパール料理「ADI」からネパール人シェフが研修に来たりと、異国のエッセンスが重なっていく。「音楽でその国の料理が分かるかもしれないから、ブラジルの打楽器を始めてみました」なんて感性も、いいものを集める秘訣かもしれない。 新しい魚料理は、いつも前田に食べてもらってきた。 「魚料理に関しては、尚毅さんが“美味しい”と言うものは、みんなが“すごく美味しい”と言うんです。僕はこれはチャンスだと思って、通ってもらう努力をしました。多い時は週3回。その度に魚の扱い方やいい情報を教えてもらえます。自分は山の人間だったので魚に触れないで育ちましたし、海外ではホタテや牡蠣、オマール、ヒラメなど、使う種類は限られていました」 それが、いまや鯛だけでも30種、1年を通して200種近い魚を料理している。約1000種の魚類が生息する駿河湾。まだまだ未知の出会いがあり、見知った魚の新たな学びも多い。 「昔読んだ料理雑誌に、ある洋食のシェフが魚屋さんに行って魚を教えてもらうというページがあって、すごく羨ましいと思いました。いま、それが叶っています」 たどり着いた場所は、憧れていた世界以上の環境だった。日々、魚を心底好きな人の声に耳を傾ける。食材を深く理解しようとする気持ちが、何より勝るアイデアの源になっている。 https://www.simples.world 文・大石智子 写真・松川真介
文・大石智子 写真・松川真介
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