Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/3e6a20e9c4facd20d872ec78591ff4a6f4b0367f
天皇陛下は23日、熊本市で開催されている「第4回アジア・太平洋水サミット」でオンラインを活用して記念講演された。陛下は水に関する研究をライフワークとしており、皇太子時代から水に関連する国際会議への出席や講演などを続けてきた。なぜ水問題に関心を寄せるようになったのか。これまでの講演録などからひもといてみた。 【本州最南端で…】サンゴ、哀しい「死に化粧」 幼いころに関心を持ったのは「水」ではなく「道」だった。 「道というものに興味を持つようになったきっかけは、私が住んでおります赤坂御用地の中に、鎌倉時代の道が通っていたということを小学生の時に知ったからです」。2005年に東京で開催された「第150回学習院桜友会月例会」の講演で、当時皇太子だった陛下はそう語った。上皇后美智子さまと松尾芭蕉の「奥の細道」を読むことで関心はさらに深まった。 道への思いは、学習院大史学科に入学すると、人と人を結びつける“水の道”への興味につながる。 卒業論文では、兵庫の港(現在の神戸港)に入港する物資にかけられる入港税に関する史料をもとに、瀬戸内海の海上交通の実態についてまとめた。 同大卒業後は英オックスフォード大に留学。研究テーマとして選んだのは、テムズ川の17~18世紀の水上交通だった。「私は、重量のある物資を大量に運ぶことのできる水の特性、つまり、水上交通の観点から、水に関して最初に興味を持ったのです」。16年1月に学習院女子大で行われた講義で当時をそう振り返った。 水への関心を一層広げる契機となったのが、27歳だった1987年3月に目の当たりにした光景にある。訪問したネパール・ポカラ郊外で、多くの女性や子どもが蛇口から出るわずかな水をくむために集まっていた。「この光景こそ、私が水問題を考える時にいつも脳裏に浮かぶものであり、私の取り組みの原点となっているように思います」(著書「水運史から世界の水へ」)。 ネパール訪問後、水問題への研究はさらに本格化した。03年に琵琶湖・淀川流域で開催された「第3回世界水フォーラム」の名誉総裁を務めたほか、「国連水と災害に関する特別会合」でも講演。07年から8年間にわたり、「国連水と衛生に関する諮問委員会」(UNSGAB)の名誉総裁も務めた。行事や国際親善などに伴う国内外の訪問先では、用水や防災施設なども研究者の視点で視察を続ける。12年に訪問したタイ・バンコクでは、前年に洪水で大きな被害が出た川の状況を船上から確認した。 陛下は同著書で「水問題は、あたかも水がどこにでも流れていくように、世界の紛争、貧困、環境、農業、エネルギー、教育、ジェンダーなどさまざまな分野に縦横無尽に関わってきます」と記す。 国土交通省の「令和3年版日本の水資源の現況」などによれば、世界人口の増加や経済発展、気候変動などの影響で、水問題は一層深刻になりつつある。地球上にはすべての人に行き渡るのに十分な水量はあるものの、国によって、水の流入量や水資源の分配に大きな差が存在する。17年時点で世界では22億人が安全な水を自宅で入手できない状況にあり、20億人は基本的な衛生サービスを受けられない。水くみは女性や子どもたちが担い、就学や就労の機会を妨げている国や地域もある。 気候変動の影響により、十分な水を得られなかったり、主要河川の洪水の影響を受けたりする世界人口の割合は今後も増加する見込みだ。水資源などをめぐる紛争や民族間衝突の勃発も懸念される。 16年、学習院女子大で行われた講義で、陛下は最後に「立山の かぶさる町や 水を打つ」という前田普羅の俳句を紹介した。立山連峰がそびえる富山の町で、夏の暑さを和らげるために水をまく情景を詠んだものだ。「この句にあるように、人々がどこでも水とともに平和にゆったりと過ごせる世界を実現できるよう、私も今後とも取り組んでいきたいと思います」 ◇ 今回、陛下が参加するサミットは水を巡る問題への認識を深め、行動を促すことを目的とした国際会議で、「持続可能な発展のための水~実践と継承~」がテーマとなっている。07年12月に大分県別府市で開かれた第1回サミットの開会式でも陛下は「人と水―日本からアジア太平洋地域へ―」と題して記念講演に臨んでいる。 【井川加菜美】
0 件のコメント:
コメントを投稿