Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/bbba8efddc58ce1930b99f0ab40263c42b7d5506
王毅外相の超過密スケジュール
中国の王毅国務委員兼外交部長(外相)が、すさまじくエネルギッシュな外交を展開している。北京では「王毅は5人いる」などというジョークも飛び交っているほどだ。 【写真】プーチンが「崖っぷち」で、中国・習近平まで追い込まれている理由 2月19日、北京冬季オリンピックの閉会式を翌日に控え、王外相は、「北京冬季オリンピックの成功は、中国の成功であり、さらに世界の成功だ」と胸を張った。思えば、この時はまだ余裕綽々だった。 ところが、オリンピックが閉幕するや、周知のようにロシアが突如、ウクライナ侵攻を断行した。そこから王外相が、ほとんど沈黙している習近平主席の代理人として、東奔西走を始めたのだ。 中国外交部が公表した2月22日から4月3日までの主な活動だけで、以下の通りである。 ---------- 2月22日:ブリンケン米国務長官と電話で意見交換 23日:国連安保理改革会議 24日:ラブロフ露外相と電話 26日:ボレルEU外交安全政策上級代表と電話。ボナイ仏大統領外事顧問と電話。トラス英外交発展大臣と電話。国連コロナワクチン高官会議。ウクライナ問題に関する中国の「5点の立場」を発表 27日:ベアボック独外相と電話 28日:「上海コミュニケ」(ニクソン米大統領訪中)50周年式典で演説。国連人権理事会出席。鄭義溶(チョン・ウィヨン)韓国外交長官(外相)とオンライン会談。ウクライナにおける中国人の安全に関する声明発表 3月1日:アブディサイド・ソマリア外相と電話。クリバ・ウクライナ外相と電話 2日:アブドラヒアン・イラン外相と電話 5日:ブリンケン米国務長官と電話 7日:全国人民代表大会で1時間40分の中国外交に関する記者会見 10日:ル・ドリアン仏外相とオンライン会談。ディマイオ伊外相とオンライン会談 15日:アルバレス西外相と電話。ルトノ・インドネシア外相と電話 16日:フックストラ・オランダ副首相兼外相と電話。アブドラヒアン・イラン外相と電話 17日:SCO(上海協力機構)張明事務局長と会見 19日:カクボ・ザンビア外相と会談 20日:ラマラ・アルジェリア外相と会談。ムラムラ・タンザニア外相とオンライン会談 21日:クレーシ・パキスタン外相と会談(パキスタン訪問)。 22日:イスラム協力機構(OIC)外相会議に出席。アブディサイド・ソマリア外相と会見。シュクリ・エジプト外相と会見。ターハ・イスラム協力機構事務局長と会見。イムラン・カーン・パキスタン首相と会見。フィサール・サウジアラビア外相と会見。アルビ・パキスタン大統領と会見 23日:バジェワ・パキスタン陸軍参謀長と会見。タンガラ・ガンビア外相と会見。ハスミ・ニジェール外相と会見。パレスチナ問題への中国の立場を発表 24日:バラダイル・アフガニスタン臨時政府副首相代行と会談(アフガニスタン訪問) 25日:ムタジ・アフガニスタン臨時政府外相代行と会談。ジャイシャンカル・インド外相と会談(インド訪問)。対インド外交方針を発表 26日:トワー・インド国家安全顧問と会見。対ネパール外交方針を発表(ネパール訪問) 27日:デウパ・ネパール首相と会見。カドカ・ネパール外相と会談。バンダリ・ネパール大統領と会見。オウリ・ネパール共産党主席と会見 29日:ボレルEU外交安全政策上級代表とオンライン会見。カシス・スイス連邦主席兼外相と電話 30日:クレーシ・パキスタン外相と会談。ラブロフ・ロシア外相と会談 31日:ムハンマド・カタール副首相兼外相と会見、メレドフ・トルクメニスタン副首相兼外相と会見、中国・アフガニスタン・パキスタン外相会談、アフガニスタン隣国外相会議の「8つのコンセンサス」を発表、アフガニスタン問題「中米露+」交渉機構会議代表と会見、第3回アフガニスタン隣国外相会議を主催、第1回アフガニスタン隣国・アフガニスタン臨時政府・外相対話会を主催 4月1日:アフガニスタン臨時政府外交継承問題に関する発表、ウクライナ問題に関する「5つの堅持」を発表、ルトノ・インドネシア外相と会談、アブドラヒアン・イラン外相と会見、アシュリエウン・タジキスタン法相と会見、ウモルジャコフ・ウズベキスタン副首相と会見、ワナマウンルウィン・ミャンマー外相(日本は非認証)と会談 2日:ドーン・タイ副首相兼外相と会談 3日:ロクシン・フィリピン外相と会談 ---------- 中国はそもそもアジア最大の外交大国だが、それにしても精力的である。この姿から、北京の西側外交筋では、「王毅は焦燥感を募らせている」という冷ややかな見方も、一部にはある。その根拠となっているのは、「ロシアの『盟友』を自負する中国なのに、ロシアからウクライナ侵攻を知らされておらず、驚愕した」という説だ。
中国はウクライナ侵攻を知っていたのか
たしかに、ウクライナの中国大使館のホームページを見ると、2月18日まで呑気に、ウクライナ国内に住む中国人に向けて、コロナワクチンを接種する日時や場所などを、細かく知らせていた。 例えば18日の通知は、第2の都市ハルキウ(ハリコフ)州で、2月21日から25日の朝8時半から午後2時、ハルキウ市独立通り13番地にある病院で、100フリヴニャを支払ってワクチンが接種できるとしている。接種にあたるのは中国人医師だ。またワクチン接種証明は、3月5日から9日の午前9時から午後1時までに申請すれば受け取れるとしている。 もしも范先栄大使以下、ウクライナの中国大使館の外交官たちが、ロシアによるウクライナ侵攻を事前に知っていたならば、このような呑気な通知を出すはずもない。ちなみにハルキウは、3月2日からロシア軍の大量爆撃に遭い、見るも無残な街と化した。 ウクライナの中国大使館が「緊急通知」を出したのは、3月22日午前6時50分(ウクライナ時間)だ。「中国公民の安全注意のお知らせに関して」と題し、ウクライナ在住の中国人に、情勢が不穏な地域への外出自粛など5点の勧告をしている。 これは、3月21日晩(モスクワ時間)にウラジーミル・プーチン露大統領が、55分間もテレビで「国民向け演説」を行ったことへの対応と思われる。この突然のスピーチを聞いて、中国外交部は「すわ、戦争だ」と慌てふためいたというわけだ。 では中国は、ロシアのウクライナ侵攻に関して、完全に意表を突かれたのか? 私はそうも思わない。私は2月8日にアップした本コラムで、北京冬季オリンピック開会式の2月4日に開かれた習近平主席とプーチン大統領の38回目の首脳会談の模様を詳述した。 ⇒【中ロ首脳会談「共同声明」から見えてきたウクライナ問題を巡る“微妙な温度差”】 ここで述べたように、習近平主席は、ロシアによるウクライナ侵攻には、反対の立場である。特に、自らが主催する「平和の祭典」(北京冬季オリンピック・パラリンピック)の会期中は、「盟友」のプーチン大統領に戦争など起こしてほしくない。 2月4日の中ロ首脳会談の際に、中ロは15項目もの新たな協定に署名している。いま振り返れば、これらは「プーチンの戦争対策」とも言えるものだ。すなわち、今後ウクライナに侵攻すれば、米欧などの厳しい経済制裁を喰らうことは必至なので、その「抜け穴」を中国側に築いておこうということだ。 中国としても、そのことは重々承知で、15もの協定にサインしたはずだ。つまり、「中国はまったく侵攻を知らなかった」ということは考えにくい。王毅外相も2月4日の中ロ首脳会談には参席している。 それでは、一体どう解釈したらよいのか? 一つの仮説だが、プーチン大統領は習近平主席に、「2014年のクリミア半島併合の時のように、今回の特別軍事行動は、局地的かつ短期間で収束する」と説明したのではないか。東部ドンバス地方でロシア系住民を避難させるためとかいったことだ。
中国外交の軌道修正
実際、プーチン大統領は、2月20日に北京冬季オリンピックが閉幕するまでは、ウクライナに手を出さなかった。これは習主席との「信義」を守ったためと思える。 その翌21日の晩に、テレビで55分間もの「国民向け演説」を行い、事実上の宣戦布告を行った。そして24日から侵攻を開始した。同日、2回目の「国民向け演説」をテレビで行っている。 翌25日午後、習近平主席がプーチン大統領に電話をかけた。これは、王毅・ラブロフの外相同士の電話会談では済まない事情があったから、トップがトップに電話をかけたのだろう。 この時の用件は、これも新華社通信の報道を見た上での仮説だが、「北京冬季パラリンピックが始まるまでに軍事行動は終えるんだろうな」という確認だったのではないか。そしてプーチン大統領自身も、短期決戦と見ていたのではないか。パラリンピックの開会式は3月4日なので、「2週間決戦」ということになる。2014年3月のクリミア半島併合の時も、電光石火の早業だった。 ところが周知のように、ウクライナ側の予期せぬ激しい抵抗に遭った。その結果、戦争は泥沼化していった。パラリンピックはさっぱり盛り上がらず、世界の目はウクライナに注がれた。 ここから、中国外交は変更を余儀なくされた。それまでは完全に「ロシアと二人三脚」だったのが、少しずつロシアから離れるような立ち位置に変わっていった。だがそうかといって、米欧に擦り寄ったわけではない。 それには、習近平主席と王毅外相のそれぞれの立場が、微妙に反映されているように思える。 まず習主席の最優先事項は、今年後半に行われる第20回中国共産党大会で引退せずに、異例の総書記3期目を果たすことだ。そのためのネックは、コロナ禍などで中国経済が悪化していることだが、ここへ来て「外交の失敗」も取り沙汰されるリスクが出てきた。 この9年間の「習近平外交」とは、ひとえに「プーチン大統領との盟友関係を主軸とした外交」だった。あくまでもこの主軸のもとで、対米関係や対欧関係などが構築されていた。このスタイルは、建国初期の毛沢東外交を踏襲したものだ。 ところがいまや、プーチン大統領は「世界の厄介者」となっている。もしも引き続き、プーチン大統領を全面的に支持し続ければ、自分(習近平主席)も同じ穴の狢と思われ、「世界の厄介者」になってしまう。ロシアの次は、中国に対して経済制裁がかかってくる。 そうかといって、習主席がプーチン大統領を見捨てて、その結果、「プーチン失脚」という事態になれば、プーチン大統領の後継者には親欧米派が就く可能性が出てくる。それでは、米欧ロの「中国包囲網」ができ上ってしまう。 習近平主席は、そもそも外交分野は得意ではないが、難しい立場に立たされてしまったのだ。
「楊主任のいない米中首脳会談」の怪
一方、「習主席の忠臣」として知られる王毅国務委員兼外相の立ち位置はどうか。 王毅外相にとっての最優先事項は、第20回中国共産党大会で、党中央政治局委員(トップ25)に昇格し、合わせて党中央外事工作委員会弁公室主任(外交トップ)に就くことだ。 この二つの地位は現在、3歳年上の楊潔篪氏が占めている。だが、すでに70代の楊氏は、引退が取り沙汰されている。 長くアジアを「縄張り」としてきた王毅氏は、「超大国アメリカを知らないのが致命的弱点」と指摘されてきた。ライバルの楊氏が先を越していったのも、英語通訳から駐米大使になった「アメリカ通」という長所があったからだ。 ところが、2018年春頃から、ドナルド・トランプ米政権との「米中新冷戦」が取り沙汰されるようになると、風向きが変わった。「中南海」(北京の最高幹部の職住地)では、「どのみちケンカする相手なのだから、アメリカとの太いパイプなど必要ない」という雰囲気になったのだ。いわゆる「戦狼外交」時代の始まりである。 加えて、重ねて言うが、習近平主席が最も重視するのは、対アメリカ外交ではなく、対ロシア外交である。そうなると、「アメリカ通」よりも「ロシア通」になった方が、メリットは大きい。 王外相にとって幸運なのは、2004年3月から18年間も外相を務めるセルゲイ・ラブロフ氏という「不動のカウンターパート」がいることだ。社会主義国の中国は、特殊な外交制度を敷いているため、外相の上に「外交トップ」(楊氏)がいる。だがそんなポストは、他国にはないのだ。王外相はラブロフ外相と何十回も会談し、互いを理解する間柄となっていった。 一方の楊氏は、アメリカが「縄張り」で、ヨーロッパも「半縄張り」だが、ロシアとは縁がない。そこで、ジョー・バイデン大統領の最側近であるジェイク・サリバン安保担当大統領補佐官とのパイプに賭けた。3月14日に行われたサリバン補佐官とのローマ会談である。 この会談は、延々7時間も続き、話題もウクライナ問題を中心として、イランや北朝鮮、台湾などにも及んだ。結果は不明だが、少なくとも両国が大々的に発表する材料はなかった。「決裂」と書き立てる欧米メディアもあったが、実態はそれに近かったのではないか。 私が驚いたのは、それから4日後に開かれたバイデン大統領と習近平主席とのオンライン首脳会談の場に、楊氏が不在だったことだ。いつもの楊氏の席には、王毅外相が座っていた。 これまで、対面であれオンライン上であれ、習近平主席が行った米中首脳会談の席に、楊氏が不在だったことは一度もない。つまりそれ自体が「事件」である。特に楊氏は、その4日前に7時間もアメリカ側と交渉を行った張本人なのだ。 楊氏は失脚したのか? 北京に確認すると、次のような回答だった。 「わが国では外国から帰国した場合、何人であれ、コロナウイルス感染予防のため、一定期間の隔離が義務づけられている。楊主任は隔離期間中だったため、中米首脳会談に不参加だった」 そう説明されると、実際その通りなのだろう。習主席がコロナウイルスに極度に敏感になっているとは聞くからだ。 それにしても、「楊主任のいない米中首脳会談」というのは、CCTV(中国中央広播電視総台)の映像を見ていて新鮮なものがあった。もしかしたら王外相は、「これが今年秋以降の形だ」とほくそ笑んだかもしれない。
今後の中国外交の向かう先
もう一度、冒頭に記した王外相の「過密外交」に目を移してほしい。 王外相としては、ラブロフ外相との「中央線」を習主席にアピールしつつ、アントニー・ブリンケン米国務長官との「第二線」も維持する。その上で、得意なアジア、中東、アフリカのラインを強化して、今年後半の党大会に備える――そんな思惑が垣間見えるのである。 具体的には、アメリカとの「核合意復帰交渉」を進めるイラン、アメリカが撤退したアフガニスタン、アメリカが無視するミャンマー、アメリカとの攻防の要衝であるインドネシアなどだ。 そのうち、今後の中国外交で頭を悩ますことになるのは、対インド外交ではないだろうか。インドのナレンドラ・モディ政権は、今回のロシアによるウクライナ侵攻を巡って、中国とよく似たスタンスを取っている。 すなわち、インドは軍事的にロシアとの結びつきを強めており、プーチン大統領は昨年12月6日、3年ぶりにインドを訪問した。この時、喜々としたモディ首相が、プーチン大統領に抱擁した姿が印象的だった。この時インドは、ロシアの誇る地対空ミサイルS400の搬入や、カラシニコフ自動小銃の自国生産などを誇らしく発表した。 インドが中国の上を行く点は、親ロ国家でありながら、平然と「世界最大の民主国家」を標榜して、QUAD(日米豪印)などにも加わっていることだ。 岸田文雄首相が、就任後初の2国間訪問地に選んだのもインドで、3月19日にモディ首相との首脳会談を行ったばかりだ。日本の伝統的な親インド外交の背景には、中国の脅威があるが、インドは中国ともBRICS(新興5ヵ国)やSCO(上海協力機構)などでつながっている。 ともあれ、ロシアのウクライナ侵攻が長期化するにつれ、ロシア外交の通奏低音のような中国外交の動きも注目しておく必要がある。
近藤 大介(『週刊現代』特別編集委員)
0 件のコメント:
コメントを投稿