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西暦はイエス・キリストが生まれた年の翌年を元年としている。 仏教には仏暦というのがある。それは釈迦が入滅した年である西暦紀元前543年が仏滅紀元元年とされ令和4年は釈迦が入滅してから2565年目となる。 世間ではキリストの生誕をクリスマスとして祝う。 仏教にも釈迦の生まれた日を「降誕会(ごうたんえ)」「灌仏会(かんぶつえ)」「花まつり」と称して法要する慣わしがある。 釈迦は西暦紀元前624年4月8日に誕生したとされる。本名はガウタマ・シッダールタ。 釈迦とは本来、出身のシャーキヤ族や、その領国であるシャーキヤ国を指すが、後にブッダとなる釈迦は、北印度のコーサラ国の属国であるシャーキヤ国の王である父(シュッドーダナ)と母・摩耶(マーヤー)夫人との間に生まれた王子である。 シャーキヤ・ムニはサンスクリットで「シャーキヤ族の聖者」という尊称でシャーキヤ・ムニを音写したのが釈迦牟尼(しゃかむに)、それが短くなり釈迦と呼ばれるようになった。 釈迦の母である摩耶夫人は、出産のための里帰りの途中、現在のネパール連邦民主共和国のルンビニにある花園に差し掛かった時、産気づき釈迦を産んだ。 春暖かな4月8日、ルンビニの花園には花々が一斉に咲き誇っていたという。 釈迦は生まれると、すぐに東西南北にそれぞれ7歩ずつ歩き、右手は天を、左手は地を指さし、「天上天下唯我独尊」と唱えたというが、それは「この世界に生きとし生けるすべての人が尊い存在である」という意である。 摩耶夫人は釈迦を生んでから7日後、産褥熱(さんじょくねつ)で亡くなる。 母のいないガウタマ・シッダールタ(釈迦)に父は、息子の寂しさを少しでも和らげようと日々、美しい女性たちを呼んでは宴会などを催した。
王子・ガウタマ・シッダールタは不自由のない優雅な暮らしに明け暮れた。妃も3人おりヤソーダラー、ゴーバー、バッダカッチャーを妻として迎えている。 釈迦が29歳の時、妃のヤソーダラーは釈迦の子・ラーフラを19歳で出産。もう一人の妃であるゴーバーはウパヴァーナとスナカッタの2子を儲けた。 釈迦は不犯(ふぼん:女を知らない童貞)の男ではない。 順風満帆な人生を過ごしていた釈迦だが、ある日、宮殿の外に出かけようとした際に城外で、世の中の現実を目の当たりにした。 それをきっかけに人間の生きる苦しみ、老い、病気、死について思惟するようになる。それは東西南北の門にまつわる逸話「四門出遊(しもんしゅつゆう)」として伝えられる。 ある日、釈迦がいつものように宮殿の外に出かけようと東門を出ると、腰の曲がった歯の抜け落ちた老人が目に入った。自身も歳を重ねれば、その老人と同じ姿となることを知った釈迦は、その日、外出を取り止めた。 翌日、南門から出かけると痩せ衰えた病人を見て、病いにかかれば自身もあのような姿になると覚った釈迦は宮殿へと引き返した。 今度は西門から出ると、痩せこけて骨と皮ばかりになった死者が人々に囲まれて運ばれていく様子を目にし、この身には老いも病も死もある、との人間の避けられない苦しみを実感する。 しばらくして北門を出た釈迦は出家した人々と遇い、「老い」と「病い」と「死」にとらわれない生き方があることを知る。 釈迦は人生の「無常」や「苦しみ」の意味、そして「この世の真実」を追求しようと29歳のある日、何の書き置きも残さず3人の妻、3人の子供を宮殿に残して突然、家を出る。 出家したのだ。 釈迦は呼吸を抑える修行や断食など、肉体的・精神的ともに苦痛を伴う修行を6年間続けたがこの世の真理にたどり着くこともなく、ついには苦行を放棄した。
そして近くの川で衰弱しながらも身を清めると、通りかかった村娘・スジャータに乳粥を施された。 スジャータの「琴の弦は締めすぎると切れるが、緩すぎれば音が悪い。弦は適度に締めるのがよい♪」との歌を聴いた釈迦は、菩提樹の下で瞑想に入った。 その間、悪魔の脅しや色欲の天女・マーラの誘惑に遭うが、それに惑わされることなく、出家から6年目、35歳で悟りの境地へと到達する。 釈迦は人間の避けられない苦しみを四諦として説いている。それは、 ・生、この世に生まれ出た苦しみ。 ・老、老いて気力や体力がなくなる苦しみ。 ・病、病による苦痛。 ・死、死への不安と恐怖。 生・老・病・死という四つの苦しみ「四苦(しく)」は、自分の意思だけで解決することはできない。それを釈迦は「苦諦(くたい)」と称した。 また、生きていく上で避けられない四つの苦しみとして、「愛別離苦(あいべつりく:愛する人との別れの苦しみ)」、「怨憎会苦(おんぞうえく:嫌な相手と会わなければならない苦しみ)」、「求不得苦(ぐふとくく:望むものが得られない苦しみ)」、「五蘊盛苦(ごうんじょうく:肉体と精神が思うようにならない苦しみ)」を示し、それらが加わった人間の苦しみを「四苦八苦」と説いた。 そして執着による苦しみを「集諦(じったい)」。欲望から離れることで苦しみが鎮まることを「滅諦(めったい)」と捉えた。 その上で釈迦は欲望や執着を取り除き、あらゆる煩悩から逃れ、苦しみを鎮める生き方の道しるべともいえる「四諦八聖道(したいはっしょうどう)」を説いている。
■ 「佛」の文字の意味 「ブッダ」とは「覚った人」という意味がある。 「ブッダ」という呼称は仏教以外でも、ジャイナ教などでも用いられ最高の聖者を「ブッダ」と称した。 また、大乗仏教思想が生じる以前に編纂された最古の仏典の一つ『スッタニパーダ』では、真理を追究しながら修行を実践している人を「ブッダたち」と複数形で呼んでいる。 「ブッダ」を「仏陀」と漢字で音訳したのは唐代の中国の訳経僧玄奘三蔵(602-664)の頃からというが、それ以前は「仏陀」を表わした文字は「佛」の一字だった。 「佛(ほとけ)」の文字の旁の「弗」は「あらず」という否定の意味がある。 それは「佛」である仏陀は人であるが、人間を超越した存在であるため、「人にあって人にあらず」という意味が「佛」という文字に込められている。 日本では亡くなった人のことを「ほとけ」と呼ぶが、この「ほとけ」はブッダの音写語である「浮図(ふと)」に起因し、「慈悲のある人」や「死んだ人」、「知らぬがほとけ」など、様々な意味で使われている。 ■ 悩みの原因である人との関係 仏教では「法=ダルマ」とは、真理、教法、存在などを指し、永遠の普遍的な理法と捉える。だが、それは固定的なものでない。 「世の中のすべては移り変ゆく、何一つ確かなものはない」 「富や名声、健康や愛する人の命も永遠に続かない」 というように、仏教は変化しない実体を一切認めない「無常」を説いている。 また、人間は、1人で生まれ出て1人で死んでいくものだが、仏陀はそれを「独生独死 独去独来」と表した。 そして修行者の心得として「犀(さい)の角のように、ただ独り歩め」と(サイの一本角のように、独りで自らの歩みを進めよ)と孤独を奨めている。
人は、人を愛せば、人に執着する。 また、人は人に頼り、人に縛られ、人に依存する。 人は人を害(そこな)い、人は人によって害われる。 人は他人を悩ませ、また、他人に苛まれる。 日常生活において、人の悩みや苦しみの原因が人との関係にあるとするならば、そこから一歩離れて心を鎮めることが肝腎と釈迦は示す。 昨今のインターネットやSNSで繋がれた私たちの生活は、人が人とのつながりを求め、もし、それがかなわなければ不安な心持ちになる。 しかし、たとえ人と繋がっていようとも、自身に好意や関心が向いてくれなければ、そこで人は孤独に陥ることになる。 釈迦は人との関係から距離をとって、静かなところに独り住むように勧める一方、『スッタニパータ』では次のように示している。 「学識豊かで真理をわきまえ、高邁(こうまい)、明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を除き去って、犀の角のようにただ独り歩め」 もし、聡明な友との交流を得ることができたなら、高い目的のために協力しながら、ともに行じて、とに歩め、というのである。 釈迦の覚りが「不即不離(二つのものの関係が深すぎず、離れすぎてもいない)」という現実世界に基づいているのは、それが人間社会に即した絶えず流動する現実の場面において活かされるべきものだからといえよう。
■ 釈迦の死因 晩年、パーヴァー村(印度北東部にあるクシナーラー)を訪れた釈迦は、熱心な信者・チュンダの家へ食事に招かれた。 そこで「スーカラ・マッダヴァ」という食事の布施を受け、それを食した釈迦が食中毒を起して亡くなったと、経典『涅槃経(ねはんぎょう)』に縷々描かれている。 「スーカラ・マッダヴァ」とはキノコ料理で、チュンダが出した腐ったキノコを釈迦が食して食中毒を起こしたとされる。 ほかにも「スーカラ・マッダヴァ」とは軟らかい豚肉という意味があり、腐った豚肉を食して食中毒をしたなどの説もある。 当時の釈迦の仏教教団は肉食を禁じておらず、布施でいただいた食べ物は、何であれ食したという。 釈迦は、死に際に「生涯の中で最も特筆すべき食事の布施は、スジャータ婦人の乳粥と、チュンダのスーカラ・マッダヴァだった・・・」と呟いたとされる。 釈迦の肉体は消滅したが、その教えは「法=ダルマ」として弟子や信徒の間で生き続けることになる。 その教えの基盤は「戒」と呼ばれ仏教徒が守るべき、自分を律する内面的な道徳規範となった。 仏教では性別を問わず在家信者が守るべき五つの戒がある。 ・不殺生戒 -故意に生き物を殺してはならない。 ・不偸盗戒- 他人のものを盗んではならない。 ・不邪婬戒- 道に外れた性行為を行ってはならない。 ・不妄語戒- 嘘をついてはいけない。 ・不飲酒戒- 酒を飲んではならない。 「戒」とは人を人として保つものであり、戒は人として守るべき道であり、「法」とともに教団の軸となった。
■ 釈迦の誕生イベント「花まつり」 毎年4月8日に行われる「降誕会(ごうたんえ)」「灌仏会(かんぶつえ)」「花まつり」は、仏教の創始者・釈迦の生誕を祝う仏教行事だが、「灌仏会」の「灌」とは水を注ぐという意味がある。 日本では明治時代以降「花まつり」と呼ばれるようになった。 釈迦の誕生を祝う行事はネパールや印度、東南アジアなどで昔から広く行われ、それは仏像や仏塔の周りを回ったり、行列を組んで寺の外を練り歩いたりするものである。 日本で行われる「灌仏会(花まつり)」は「灌仏会法要」といい、たくさんの花で飾られた花御堂(はなみどう)は釈迦が誕生したルンビニの花園を模したものとされ、「花まつり」の名称の由来になっている。 寺の境内に設置された花御堂には、灌仏桶と呼ばれる器に甘茶で満たして、その中央に安置された誕生仏像に参拝者は柄杓で甘茶を掛けて、釈迦の誕生日を祝う。 それは釈迦が誕生した際、天界の九頭の龍があらわれ釈迦の頭に甘露の雨を注いだとの言い伝えに基づく。 「甘茶」とはガクアジサイの変種でユキノシタ科の植物「アマチャ」の若葉を煎じた飲み物で、その若葉自体は苦いが、葉を蒸して揉み、乾燥させて煎じるとほんのりとした甘い味となる。 生薬としても知られ、飲むと無病息災の効験があると信じられている。 p>次ページにこれまでの連載一覧。
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池口 恵観
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