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世界1200都市を訪れ、1万冊超を読破した“現代の知の巨人”、稀代の読書家として知られる出口治明APU(立命館アジア太平洋大学)学長。世界史を背骨に日本人が最も苦手とする「哲学と宗教」の全史を初めて体系的に解説した『哲学と宗教全史』が「ビジネス書大賞2020」特別賞(ビジネス教養部門)を受賞。発売3年たってもロングセラーとなっている。 ◎宮部みゆき氏(小説家)が「本書を読まなくても単位を落とすことはありませんが、よりよく生きるために必要な大切なものを落とす可能性はあります」 ◎池谷裕二氏(脳研究者・東京大学教授)が「初心者でも知の大都市で路頭に迷わないよう、周到にデザインされ、読者を思索の快楽へと誘う。世界でも選ばれた人にしか書けない稀有な本」 ◎なかにし礼氏(直木賞作家・作詞家)が「読み終わったら、西洋と東洋の哲学と宗教の大河を怒濤とともに下ったような快い疲労感が残る。世界に初めて登場した名著である」 ◎大手書店員が「百年残る王道の一冊」と評した究極の一冊 だがこの本、A5判ハードカバー、468ページ、2400円+税という近年稀に見るスケールの本で、巷では「鈍器本」といわれている。“現代の知の巨人”に、本書を抜粋しながら、哲学と宗教のツボについて語ってもらおう。 【この記事の画像を見る】 ● インドの宗教家、ブッダとマハーヴィーラ 知の爆発の時代、インドでは、ブッダとマハーヴィーラが登場します。 ブッダは孔子とほとんど同世代の人です。 ブッダの時代、すでにインドには文字がありましたが、中国の竹簡(ちくかん)や木簡(もっかん)、メソポタミアの粘土板のような後世まで残る優れた筆写材料がありませんでした。 主として貝葉(ばいよう)と呼ばれる椰子の葉に文字が書かれていたので、ほとんど何も残っていません。 そこでブッダの生没年についても確かなことはよくわからないのです。 同じことはマハーヴィーラについてもいえるのですが、2人はほぼ同世代です。 カスピ海の北方から中央アジアに南下し、その地で遊牧生活を送っていたアーリア人は、BC1500年頃にインド西北部のパンジャーブ地方へ移動してきました。 さらにBC6世紀頃になると、東方のガンジス川の中・下流域に国家(バーラタ族などの大集落)を成立させて、お互いに勢力を競い合う、16大国の時代を形成しました。 もっとも16という数字自体は非常に観念的なものであると考えられています。 ガンジス川の中・下流域は、インド東北部から北へ広がる豊かな田園地帯、現代ではヒンドスタン大平原と呼ばれている地域です。 この16大国の中からマガダ国やコーサラ国が台頭し、さらにマガダ国が一歩、抜け出しました。 それがBC5世紀の初め頃です。 そのマガダ国の都、ガンジス川の下流域に位置するラージャグリハ(現在のビハール州ラージギル)では、多くの有産階級(ブルジョワジー)が誕生していました。 彼らは牛に鉄製の鋤(すき)を引かせ農地を開拓し、多量の余剰生産物を得ていたのです。
● 2人が生きた時代背景 このような時代にブッダは誕生しました。 現在ではネパール領となっている、ヒマラヤ山脈に近いシャーキャ族(シャカ族)の土地カピラヴァストゥで王族の子どもとして。 しかしカピラヴァストゥは、強国の領土拡大戦争に巻き込まれる危険にさらされており、必ずしも平穏ではなかったようです。 ブッダはそのような政情の中で成人し、結婚しましたが、29歳のときに妻子を捨て、家を出ました。 生老病死という4つの人生の苦悩(四苦)を解決しようとしたのが、理由であるといわれています。 やがて彼は悟りを開いて、コーサラ国やマガダ国で、教化活動をするようになります。 ブッダと同じ時代にマハーヴィーラも誕生しました。 彼はマガダ国の豪族の子として生まれています。 ブッダと同様に、支配階級(クシャトリヤ)の出身でした。 そしてマハーヴィーラも結婚しましたが、30歳の頃、両親と死別したのを機に一切を捨てて出家し、苦行と瞑想の日々を送ったと伝えられています。 やがて彼も自分の教団をつくり、ブッダと同じような地域で教化活動を始めました。 当時のインドの宗教は、アーリア人の宗教であるバラモン教が中心でした。 この宗教は、人々を4つの階層(ヴァルナ)に分けました。 いわゆるカースト制です。 最上位を占める司祭者階級がバラモン、次がクシャトリヤ(王侯・貴族)、そしてヴァイシャ(一般市民)とシュードラ(隷属階級)です。 バラモン教といわれるほどですから、この宗教ではバラモンが圧倒的な権威を持ち、人々の上に君臨していたのです。 神々と意思を交換する権利は、彼らのみが持っていました。 しかし、ブッダやマハーヴィーラが出家した頃のインドでは、バラモンの権威と権力に対して疑問符が持たれるようになってきます。 高度成長によって豊かな人々が増加してくると、司祭者階級よりも農民や商人など、ブルジョワジーの力が大きくなってきます。 彼らは財力を蓄えるとともに、自由な発想を持つようになります。 知の爆発が準備されていたのです。 神々とのコミュニケーションを独占して、神々への供養ばかりしているバラモンたちに、反発する知識人も登場し始めました。 そのような知識人の一部は既存のバラモン教の社会から脱け出し、新しい教えや生き方を求めるようになりました。 彼らは「出家」と呼ばれました。 ブッダとマハーヴィーラは、このような時代背景の中で登場したのです。
● バラモン教の教え ガンジス川のほとりでは、ブルジョワジーが使用人を使って牛に鋤を引かせて田畑を耕し、大いに財産を増やしていました。 牛は彼らにとって大切なトラクターです。 そこにバラモンがやってきて、牛を連れていってしまいます。 これからお祭りをやるから牛を焼いて、神様に供養するのだという。 よく働く牛なんですよ、殺さないでください、などとお願いしても叱られるだけです。 「神様がおまえの牛を欲しておられる。おまえは神様に反抗するのか?」 バラモン教の教えでは、人は死後、煙とともに空中に舞い上がり、祖霊の世界に達すると信じられていました。 そのせいでしょうか。 バラモンたちは儀式や祭典があると、必ずといっていいほど大量の生贄(いけにえ)を捧げます。 特に牛を焼きます。 もちろん捧げるのは匂いと煙だけで、肉はバラモンたちが食べるのですが。 繰り返される牛の調達に、ブルジョワジーたちは頭にきていました。 でも、神様に反抗するのかと問われると反論の余地がなかったのです。 そこに登場してきたのが、ブッダとマハーヴィーラでした。 ブッダは「無益な殺生はするな」と教えていました。 マハーヴィーラの創始したジャイナ教は、もっと過激な考え方で、無条件のアヒンサー(不殺生)を主張していました。 この2人の教えにブルジョワジーたちは飛びつきます。 バラモンが畑にやってきて、「牛を持ってくぞ」といっても拒否すればいい。拒絶する理屈ができたのです。
● バラモン教が都市を追われた理由 「私は仏教徒です。動物を殺すことは、私たちの教えでは禁じられています。牛はお渡しできません。よその畑に行ってください」 こう反論されたらバラモンも、引き下がらざるをえません。 正論には勝てません。 バラモンがケンカを吹っかけても、お坊さんが腕力でブルジョワジーに勝てるはずもありません。 こうして、インドの大都市部ではブルジョワジーの多くが、仏教徒やジャイナ教の信者になりました。 その結果、いわば、都市を追われた形になったバラモン教は地方へ行きます。 都市に信者がいなくなったからです。 しかし、この苦い経験からバラモン教も学びました。 インドの土俗的な宗教観を取り入れて、わかりやすく大衆的になっていきます。 そしてヒンドゥー教と呼ばれる、インドの大宗教に発展していくのです。 現代のインドでは牛が聖獣となっていますが、その契機となったのが、以上のような出来事でした。 「牛を殺すな」という声があまりに強かったので、ヒンドゥー教が発展してからも、牛を食べなくなり、いつの間にか牛が聖獣になっていた、という説が有力です。 この本では、哲学者、宗教家が熱く生きた3000年を出没年つき系図で紹介しました。 僕は系図が大好きなので、「対立」「友人」などの人間関係マップも盛り込んでみたのでぜひご覧いただけたらと思います。 (本原稿は、13万部突破のロングセラー、出口治明著『哲学と宗教全史』からの抜粋です)
出口治明
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