Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/3519ea8f433d20c5bb125cd8d362f2dc2574b6a8
2021年1月16日、ネパール人だけで編成された登山隊が世界第2位の高峰、K2に挑み、前人未到の冬季初登頂に成功した。どんなにベテランの登山家でも、冬のK2挑戦はあまりに無謀とされてきた。これまで6回の挑戦があったが、障害が多過ぎていずれも頂上に接近することさえできていなかったのだ。 ギャラリー:K2登頂に無酸素で挑んだニムスほか、ネパール登山隊 2020年も終わりに近づいた頃、高高度登山に残された最後にして最大の難関を突破しようと、K2の麓、カラコルム山脈のパキスタン側に広がるゴドウィン・オースティン氷河に、約60人の登山家がやって来た。ミンマ・Gをはじめとする10人のネパール人にとって、この挑戦は個人の名誉だけの問題ではなかった。世界有数の高峰を国土にいくつももつネパール人が、不可能とされていたことをなし遂げる絶好の機会だったのだ。 実は19~20年の冬、ミンマ・Gは3人の外国人登山者と連れ立って、K2の冬季登頂を試みていた。ところが、ベースキャンプに着いたところで上気道感染症にかかってしまい、撤退を余儀なくされてしまう。しかし、彼はすぐに再挑戦することを考え始めた。 だがそこに、コロナ禍の波が直撃する。ガイド、ポーター、コックなど、ヒマラヤ山脈全体で数万人が仕事を失った。彼は友人たちにK2に登ろうと話を持ちかけたが、誰も承諾しなかった。ベースキャンプに入る許可だけで約115万円、さらに最低限に絞っても装備に数百万円はかかるからだ。 ミンマ・Gは諦めることも考えたが、何か心に引っかかるものがあった。シェルパのテンジン・ノルゲイは、エベレスト山頂に世界で初めて立った一人だ。ネパールの国民的英雄で、どの家にも彼の写真が誇らしげに飾られているが、この偉業はニュージーランドのエドモンド・ヒラリーと共有されている。ネパール人が隊員として初登頂に名を連ねることはあっても、ネパール人だけで歴史的登頂を成功させた例はまだなかった。 「ウィキペディアで8000メートル峰の冬季初登頂者のリストを見ても、そこにネパールの国旗はありません。K2を逃したら、もう8000メートル峰でこの偉業を達成する機会はないことはわかっていました」とミンマ・Gは話す。 冬至の日である2020年12月21日、ミンマ・Gと2人の兄はK2を登り始めた。8日後、一行は標高6900メートルの地点でキャンプを設営した。彼らは登頂への実質的な出発点となる第3キャンプまで、丸1日かけて重い荷物を背負いながら慎重に進むつもりだったが、ここで問題が発生した。ロープが足りないのだ。 下方では複数の登山隊が高度に順化している最中だった。「ニムス」と呼ばれているネパール人で登山家のニルマル・プルジャが率いる隊もそこにいることをミンマ・Gは知っていた。兵士として英国特殊部隊の訓練を受けたこともあるニムスは、2019年10月、世界の8000メートル峰14座を6カ月と6日で完全制覇するという世界最速登頂記録を更新し、冬のK2に一番乗りすることが目標だとSNSで公言していた。 ミンマ・Gは無線でニムスに連絡をとり、余分のロープがないか尋ねた。ニムスの登山隊は到着したばかりでまだ高度に順化できていなかったが、わざわざロープを持ってきてくれた。翌朝、キャンプでお茶を飲んで話をするうちに、彼らはどちらの隊にも外国人がいないことに気づいた。いずれもネパール人だけでK2を制覇するつもりだったのだ。 K2冬季初登頂は、ネパール人が登山隊のただの手伝いではなく、登山界を牽引する存在であるという正しい評価を世界に知らしめるはずだ。「自分たちのため、そして登山の歴史のためにも、その評価が欲しかったのです」と、後日ニムスは説明している。「だから、ためらうことなく手を組みました」 ※ナショナル ジオグラフィック日本版2月号特集「冬のK2へ ネパール人の誇りを胸に」より抜粋。
文=フレディ・ウィルキンソン/ライター・登山家
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