Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/6132cb5704a81acb84e056c8ac149aa33cdd1c8d
外国人犯罪も時代とともに様変わりしている。 2020年度、警察庁が発表した来日外国人犯罪の総検挙人員は1万1756人。警視庁管内では3059人。コロナ禍になり来日する外国人観光客は大きく減少したが、外国人犯罪では窃盗犯が増加しており、検挙件数も検挙人員も、近年は横ばいのまま推移しているのが現状だ。 【写真】この記事の写真を見る(2枚)
都内やその近郊で増えていたイラン人による犯罪
国籍別でみると、警察庁ではベトナムが最多の4219人。中国が2699人、フィリピン765人、ブラジル508人、タイ480人と続き、中国とベトナムで外国人犯罪全体の約6割を占めている。警視庁管内では。中国が1000人とトップ。次いでベトナム934人、フィリピン157人、ネパール110人、韓国・朝鮮87人と続く。中国人やベトナム人による窃盗犯等の他、ベトナム人の入管法違反が増加している。 だが国際捜査課が警視庁刑事部に設置された1988年、バブルが終焉に向い始めるこの頃から、都内やその近郊で増えていたのは、イラン人による犯罪だった。国際捜査課は、警視庁組織犯罪対策部の前身にあたる。それまでの外国人犯罪の捜査は、警視庁本庁や各署の間で協力体制はあったものの、一括して統率できる組織がなかったのだ。 日本とイランは1974年に査証(ビザ)の相互免除協定を締結。イラン・イラク戦争などで国の治安や経済が混乱すると、治安が安定し経済的に豊かな日本で稼ごうとイラン人の来日が急増。それとともにイラン人による両替詐欺窃盗事件「チェンジチェンジ盗」が多発した。これはイラン人がお札を片手に「マネーチェンジ、マネーチェンジ」と繰り返したことから、ついた呼び名である。
日本人の親切心を利用した手口
その手口はこうだ。彼らは男女3人から5人ぐらいのグループでコンビニやスーパーに行き、レジでバイトしている女性従業員に向って、英語で「ワタシ、お札のコレクションをしている」と言って、自分が持っている1万円札を財布から出す。そして「Kの文字が入っているお札をコレクションしている。チェンジしてくれ」と頼むのだ。 イラン人たちは、ほぼ100%女性従業員のいるレジだけを狙った。レジにいた女性従業員は、英語で話しかけられたことに緊張しつつも、親切にお札をレジから出して調べようとする。するとイラン人は自分で調べるからとお札を女性従業員の手から取り上げ、1枚1枚調べるふりをして何枚かを抜き取る。日本人の親切心を利用した手口だ。探すふりをしながら自分のお札と交換するタイミングで2枚、3枚を抜き取り、女性従業員が気付く前に疾風のように逃げ去っていく。
捜査員の顔に投げつけられたのは…
そのうちの1つの事件の共犯として、若いイラン人女性がある署で捕まった。そしてこの被疑者に、国際捜査課の捜査員が取調べ室で襲われるという想定外の事件が起きる。 女子留置場に留置されていた被疑者は、翌日、捜査員によって取調べ室に連れてこられた。 取調べ室のことを警察官は「調べ室」と呼び、そこで取調べることを「調べ室に出す」という。調べ室は署によって違いはあるものの、ドラマなどで見るものよりかなり狭く、窓がない。圧迫感があり息苦しくなるようなスペースなのだが、それが狙いだと聞く。その狭小空間で机を挟んで捜査員と被疑者が対峙した途端、捜査員の顔に何かが投げつけられた。 投げつけたのは、被疑者が隠し持っていた自分の大便。被疑者と捜査員の間はわずか2メートルほど。その距離から投げつけられた大便は、捜査員の顔に見事的中。捜査員がもんどりうってたまげたのは言うまでもない。 驚いた別の捜査員によって、被疑者はすぐに留置場に戻された。ところが、被疑者は他にも大便を隠し持ち、留置場の壁に向かってそれを投げつけたのだ。留置場内の異臭たるや、すさまじいものだっただろう。署では留置場を清掃して壁紙を張り替えるだけで100万近くかかったそうだ。投げつけた理由は被疑者の特異な行動だったのか、抵抗手段だったのか分からず終いだという。
「アラーの神に誓って悪いことはやっていない」
取調べ室でというケースは稀だが、留置場で被害にあったという捜査員は他にもいる。現在は留置担当者がおり、捜査員は担当者が被疑者を留置場から出した後、彼らを受け取るシステムになっている。だが当時は捜査員が直接、留置場から被疑者の出し入れをしていた。「犯罪と戦う前に、大便と戦うなんて最悪だ」と、自らも留置場で大便を投げつけられたという元捜査員は、鼻にシワを寄せ嫌悪感を露にした。 「便器に流さず隠し持っていた大便で自分もやられた。臭いなんてもんじゃない」 そのような行為に及ぶのは精神的に病んでいたり、精神異常を装ったり、警察に反発している被疑者だという。それは日本人被疑者も同じである。 チェンジチェンジ盗で捕まった被疑者らは「アラーの神に誓って悪いことはやっていない」と言い張り続けた。否認はするが暴れたり反抗したりせず、取調べには従順。だが今のようなDNAによる捜査はまだない。盗ったお札を捨てられてしまえば証拠がなくなった。 「犯行が確定できても自供が必要だった。解決の糸口になったのも彼らの習慣と宗教心だった」(前出の元捜査員) イラン人被疑者は取調べ室に出されると、捜査員の両手をいきなり掴んで手にキスをしてきた。捜査員はすぐに手を引っ込めたという。 「日本人にすれば、気持ちが悪いと感じるような行為でも、イランでは目上の人に対するエチケットだそうだ。やられて気持ちのいいものではないけれど、その後はそのままやらせた。そういうことが彼らと信頼関係を結ぶ第一歩になった」(同前)
行きたくないと言えば、警察を辞めるしかなかった
日本人なら自白させるため、被疑者の人情や罪悪感、家族への思いなどに訴えるだろうが、イラン人の心を動かしたのは彼らの宗教心だ。罪を恥じるという心情に訴え、自供は自分が犯した罪を悔い改め、被害者への謝罪は神に許されるチャンスと捉えたのだろうと元捜査員は振り返る。 取調べでは、彼らの母国語であるペルシャ語か英語が使われた。イラン人には日常会話程度の英語を話せる者も多く、英語での取調べもよく行われていた。しかし、現場の捜査員の中には英語が話せない者もいたようだ。 「国際捜査課に行けと言われた時は、正直断ろうと思った」 設置されたばかりの国際捜査課に配属されたという元刑事は、かつてを振りかえってそう語る。 現在、外国人犯罪を担当する捜査官は「国際犯罪捜査官」なる名称で募集が行われているが、当時は「行きたくないと言えば、警察を辞めるしかなかった。それまで外国人の犯罪を担当したことなどほとんどなく、英語すらよくわからなかった」と笑った。外国人犯罪の中でも大きな事件や社会的に影響のある事件、連続性のある犯行を担当するため、国際捜査課では現場の捜査が行える実働班がつくられたのだ。
外国に行ったことがない捜査員は半数以上
「ある日の会議で現場を担当する捜査員が大勢集められ、課長がみんなにこう聞いた。『パスポートを持っていない、外国に行ったことがないものは手を上げろ』とね」(同前) 数十人が集まった会議室の中、手を挙げたのは驚くことに半数以上。元刑事もその中の1人だった。 「今では笑い話だが、これには課長もびっくりしたようだ。すぐさま海外に行ったことがない連中を数人ずつまとめ、近場のアジア圏に出張させた。弾丸ツアーだ」 現場担当の捜査員たちに、犯罪者の意識や行動が他国とどう違うのかを現地で認識させようとしたのだろう。元刑事はフィリピンに視察に行き、米軍基地など一般では入れない場所も見て回った。 「驚いたのは、マニラのスーパーの入り口にショットガンを構えたガードマンが立っていたことだ。ショットガンだ。警察にいる我々だって手にするものではない。ホテルには爆薬を探知するための爆薬犬もいた。ガイドには『一人で夜、外を歩いたら、明日の朝にはマニラ湾に浮かぶ』と脅されるし、犯罪に関して外国人は日本人と違う感覚を持っていると実感したね」(同前)
部族同士が戦いをやっているから、自分たちも戦う
日本人にはわからない感覚として元刑事が例に出したのは、繁華街の路上で殴り合っていたアフリカ出身の2人組だ。交番まで連行して喧嘩の理由を問うと、「アフリカの祖国では部族同士が戦いをやっているから、自分たちも戦うんだと息巻いて喧嘩していたんだ。何も自分たちが日本で喧嘩しなくてもいいだろうと説得し、お互いに土下座させた。事件にするまでもなく解放したが、帰り際に『おまわり、お前を許さねえ。正座させられ頭まで下げさせられた』と凄まれた。外国人に土下座の習慣がないと、まだ知らなかった頃だ。似たような喧嘩はイラン人同士でもあった」。 イランはひとつの民族からなる国ではなく、ペルシャ人、アゼリ人、クルド人、ユダヤ人など50以上の民族から構成され、種族や民族間では問題が起これば対立抗争に発展することもある。 日本の中でも民族間の対立抗争はあり、これが始まると日本のヤクザ同士の喧嘩どころではなかったようだ。だがヤクザとぶつかってもすぐに引き、窃盗はやるが集団で強盗などの手荒なことはしなかった。 次第に彼らは、代々木公園や上野公園周辺に集まりコミュニティを形成していく。バブルが崩壊して働き口を失うと、使用済みのテレフォンカードの再生や偽造、麻薬の売買などで稼ぎ始めたのだ。その取引やイラン人同士の情報交換の場所として選ばれたのが、上野公園や代々木公園だった。その後、このコミュニティにパキスタン人やバングラデシュ人が加わっていった。 彼らはなぜ上野公園や代々木公園に集まったのか。
急増した韓国や中国からの入国者による犯罪
「あの頃のイラン人たちは、昔の日本の出稼ぎ労働者と同じ感覚だ。昔は列車の終着駅が上野で、正月やお盆になると上野から自分の故郷に帰っていった。渋谷も同じ。東横線や井の頭線など電車の終点は渋谷だ。やつらは終点に集まった。そして、終点には自分たちと似たような連中が集まることを知っていた。日本人も外国人もそこは同じ。新宿や池袋は通過点であって終点ではなく、近くに集まれる大きな公園がなかった」と元刑事は彼らの心情を推察する。 彼らは上野公園に集まる家出人や近くで働くフィリピン人や韓国人の女の子相手に、公衆電話で使う偽造のテレフォンカードを売っていた。 「1000円で1万円程度の通話ができた偽造テレカは飛ぶように売れた。代々木公園では竹の子族などが流行り、週末には若者が集まっていた。偽造テレカだけでなく大麻を買う若者が増え、それが覚醒剤になり、麻薬を扱うイラン人が増えていく。警察が取り締まりを強化した頃から、上野公園も代々木公園にもイラン人が急速にいなくなった」(前出・元刑事) イラン人の犯罪は減少したが、反比例するように急増したのが韓国や中国からの入国者による犯罪だった。「犯罪の質が変わった」(同前)、ここから外国人犯罪は凶悪なものへと変わっていった。
嶋岡 照
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