Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/d2d07de5ac82a5bdf685a30ccb2c991e3d995c00
今から100年近く前 、英国人登山家のサンディ・アービンとジョージ・マロリーは、エベレストの頂上付近で消息を絶った。1953年にエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイが世界最高峰に初めて登頂する29年も前のことだ。 写真:エベレスト初登頂に挑んだ1924年の英国遠征チーム。アービン、マロリーも 本当は、アービンとマロリーがその偉業を遂げていたのかもしれない。これは登山史上最大級の謎となっている。 私たち 、ナショナル ジオグラフィックの遠征隊がいるのは、エベレストの標高8440メートル。登山者が大勢いるネパール側とは反対の、中国側のルートだ。GPS(全地球測位システム)で確認すると、目的の場所はわずか100メートルほど下だった。 その地点を探れば、エベレスト初登頂をめぐる大きな謎が解き明かされるかもしれない。事前調査で、アービンが倒れ、永遠の眠りに就いた場所である可能性が浮かび上がったのだ。彼の遺体は今もそこにあるのだろうか。 アービンと、同行していた仲間のジョージ・マロリーは1924年6月、この稜線を下りてくる途中で消息を絶った。アービンは小型カメラを携行していたとみられる。もしそのカメラが見つかり、頂上の写真が収められていたら、世界最高峰の登頂史が書き換えられることになる。 私はマロリーとアービンがエベレスト初登頂をなし遂げたとする説をずっと前から知っていた。だが、アービンの遺体探しに関心をもつようになったのはわずか2年前。エベレストのベテラン登山家トム・ポラードの講演を聞いたことがきっかけだった。ポラードは近所に住む私の友人でもあり、その数日後に電話をかけてきた。 「アービンの遺体が見つかると、本気で思っているわけじゃないだろう?」 私はポラードにそう水を向けてみると、彼はくすくすと笑った。「誰も知らない重要な情報を、私がもっているとしたら?」 「どんな情報を?」 私はすぐに聞き返した。数秒間、沈黙があった。 「たとえば、遺体がある正確な場所とか……」 ポラードは1999年の「マロリー&アービン捜索遠征隊」で撮影を担当している。この遠征で登山家のコンラッド・アンカーが、私たちがいた北壁の辺り、少数の登山家しか挑んだことのないルートで、マロリーの遺体を発見した。 マロリーの背中はむき出しになっていて、肌はきれいに保存され、大理石の彫像のように白かった。腰には切れたロープが巻き付けられ、食い込んだ痕が残っていたことから、どこかの地点で体が激しく揺れ、ロープが切れて、転落したと考えられる。 遺体はアービンのピッケルが発見された尾根のほぼ真下にあったので、発見者のアンカーも遠征隊の仲間も、当初はてっきりアービンだと思っていた。マロリーは滑落時にアービンとロープで結ばれていたのだろうか。だとすれば、どうやってロープが切れたのか。そして、なぜアービンの遺体はその近くにないのか。 謎はまだある。マロリーは、登頂に成功したら、妻の写真を頂上に置いてくると宣言していた。だが遺体を調べた限り、妻の写真はなかった。カメラの残骸も見つかっていない。そのため、カメラはアービンが持っていたのだろうと、多くのエベレスト歴史家は推測している。 ※ナショナル ジオグラフィック7月号「エベレスト 幻の初登頂」より抜粋。
文=マーク・シノット(登山家)
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