Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/120763664ad19f3b2bc2907eeeffd8381a4ee217
松本 卓也(ニッポンドットコム)
生活に不可欠なインフラとなったインターネット。だが常時接続のブロードバンドが普及し始めたのはわずか20年ほど前の話だ。その頃、日本のネット史に残る事件が起こる。ファイル共有ソフトの開発者が逮捕されたのだ。映画『Winny』は、天才プログラマー金子勇氏が争った裁判のリアルな再現を中心に、事件の全体像を描き出す。松本優作監督に話を聞いた。
「Winny事件」とは何か
「Winny」とは、今からおよそ20年前、コンピュータユーザーの間で大ブームを巻き起こしたファイル共有ソフトの名前。P2P(ピア・ツー・ピア)という通信技術を応用して、サーバーを介さずに、ユーザーのパソコン同士をネットワーク上でつないでデータのやりとりを可能にする画期的なシステムだった。 ところが匿名性が守られるという特徴ゆえに、映画や音楽、ゲーム、漫画などの違法コピーをアップロード/ダウンロードする著作権侵害をはじめ、児童ポルノなどわいせつ画像の流通、コンピュータウイルスの拡散といった犯罪行為に悪用されてしまう。 違法ユーザーの摘発に乗り出した警察が「本丸」と見て狙いを定めたのがソフトの開発者だ。Winnyの生みの親、金子勇氏を「著作権法違反ほう助」の容疑で逮捕したのだ。金子氏は「普通なら3年かかるプログラムを2週間で作る」「10年に1度の逸材」などと言われた天才プログラマーで、当時は東京大学大学院情報理工学系研究科の特任助手だった。 ソフトの開発者が逮捕されるとは、異例の事態だ。そこに何らかの意図が働いたと考えざるを得ない。ひとたび容疑者を検挙したら、警察と検察は起訴から有罪までを目指して動く。プログラミング以外の世事に疎い金子氏が、その手練手管にまんまとはめられたのは想像に難くない。 金子氏は2004年5月末に起訴され、裁判は被告に「著作権侵害をまん延させる」意図があったか否かをめぐって争われた。一審で150万円の罰金を命じられた金子氏だが、控訴した高裁で一転、無罪判決を勝ち取る。その後、審理は最高裁までもつれ込むも、11年12月に検察の上告が棄却され、7年半にわたる裁判が結審、金子氏の無罪が確定した。 しかし晴れて研究・開発に専念できることになってわずか1年半後、金子氏は急性心筋梗塞により42歳でこの世を去ってしまう。その早すぎる死を惜しむ声には、人生のほぼ6分の1に当たる貴重な年月を裁判で「棒に振った」ことへの無念が混じった。 映画『Winny』は、こうした事件の流れを事実に即して描きながら、金子氏が戦い抜いた7年半に新たな光を当てる。あれは決して無駄な年月ではなかったのだと。彼には06年12月の一審判決後、150万円を払って裁判を終わらせる選択もあった(ただし、懲役1年を求刑した検察も罰金判決を不服として控訴したため、審理が続くのは不可避だったが)。なのになぜ無罪にこだわったのか。映画は単に事実を追うだけの描き方ではなく、サスペンスの要素でリズムよく観客を引き込みつつ、背景を含めた事件全体について考えさせるところまで作り込まれている。
徹底した取材でリアリティを追求
映画化について監督の松本優作に声が掛かったのは2018年のこと。あるイベントから発生した元の企画が、方向転換を迫られたタイミングだった。現在を軸に進行するフィクション色の強い物語だった当初の案を捨て、事件を真正面から描こうと考えた松本は、徹底した取材を決意する。 共同で脚本を執筆したのは、撮影監督も務める岸建太朗。マルチな才能を発揮する俳優で、初期から松本監督の作品に関わる盟友だ。監督とカメラマンが映像をイメージして意見を交えながら脚本を仕上げていくのは、一つの理想と言えるかもしれない。松本が金子氏の逮捕当時まだ小学生だったこともあって、ほぼ20歳上の岸は頼れる存在だった。 「事件についてはほとんど知らなかったので、ゼロから取材を始めた感じですね。取材して脚本を作って、撮影に入ってからも取材を続けて。完成までに4年くらいかかりました。製作が進まない時期もありましたが、結果として脚本に時間を費やすことができたのはよかったです」 実話に基づくストーリーであるため、取材はもちろん、関係者との調整にも時間をかけ、信頼関係を築いていった。取材を進める中で、事件をおそらく誰よりもよく知る重要な人物に出会う。弁護団の事務局長を務めた壇俊光氏。金子氏と並ぶこの映画のもう一人の主人公だ。 「事件と裁判を描くとなると、弁護士視点で動くのは必然ですよね。壇さんと金子さんの物語にしたいというのは、けっこう最初から決めていました。壇さんに教えていただいたことがたくさんあります。ご本人にお会いできていなければ、映画は作れなかったでしょうね」 壇氏には、金子氏と事件について詳細を聞くとともに、裁判を描く上でのアドバイスも受けた。 「裁判シーンで知られる映画をいくつも観ました。でも本物の弁護士さんに聞くと、映画に出てくる裁判はリアルじゃないというんですよ。作り手としては悔しいですよね。映画として脚色する意図は分かります。でも今回は実録物なので、今までにないリアルな裁判劇にしたいという思いがありました」 撮影に入る前に、法律用語も含めてディテールまで完全に理解しておきたいという姿勢を貫く。裁判を傍聴するだけにとどまらず、本物の弁護士たちを招いて、実演してもらいながらWinny裁判を再現したという。模擬裁判には金子役の東出昌大と壇役の三浦貴大も参加した。 「映画を作っていなかったら、ジャーナリストになりたいと思っていた」と話す松本監督。そう言いながらも、連続ドラマやミュージックビデオ、CMなど、幅広い仕事に取り組んできた。 「一番関心が強いのは社会性のあるテーマですけど、それをライフワークとしながら、ほかの仕事もやっていきたいんです。エンタテインメント系の作品も、映画作りに役立つことは多いですから。例えばラブコメなど、自分だと選ばないジャンルの作品を、実際やってみるとすごく勉強になる。好きな仕事だけ選んでいては偏ってしまうので、今はいろいろと挑戦して、いろんな世界を知りたいです」
人はなぜ戦いを挑むのか
2017年に、初の長編『Noise ノイズ』を自主制作。無差別殺傷事件から8年後の秋葉原を舞台に、地下アイドル、女子高生、予備校に通うアルバイト配達員らを赤裸々に描いた。その試写会で、登山家の栗城史多(くりき・のぶかず)氏に出会う。 「映画を作る僕の夢を応援してくれました。試写会で初めてお会いして、一緒にエベレストに行こうと誘われた。冗談と思って軽く返事をしたら、本当に行くことになって(笑)」 18年、松本監督はドキュメンタリーを撮影するためエベレストまで栗城隊に同行した。しかし体調不良で帰国する無念を味わっただけでなく、それが友人との別れになってしまう。8度目のエベレストに挑んだ栗城氏は、登頂を断念して下山する途中に滑落、35歳の若さで帰らぬ人となったのだ。 松本監督は翌年、彼の死を受け入れて前に進むためにネパールで29分の短編『Bagmati River/バグマティ リバー』を撮った。この作品の共同脚本と撮影監督も、本作と同じ岸建太朗。彼も栗城氏の背中を追って一緒にエベレストに登った仲間だった。 今回の『Winny』の始まりは、栗城氏という友を失って間もない2人が再び立ち上がろうとした時期に重なっている。分野はまったく違うが、金子勇氏もまた、世間の批判をものともせず我が道を進んだ規格外の人物だった。 「そこはまったく意識しませんでしたが、言われてみれば似ているところはあるかもしれませんね。一つのことに集中して、周りが見えなくなってしまうところとか。短い期間とはいえ仲良くさせていただいた栗城さんですが、確かにつかみ切れないミステリアスな部分はありました。今回、いろんな方々にお話を聞くと、金子さんもそういう人だったようです」 Winny事件という日本のインターネット史に残る出来事を通じて、松本監督がスクリーンに映し出そうとしたのは、天才ゆえの孤独や不器用さを抱えながら、人間的な魅力を失わなかった金子氏の姿だった。そして、そんな彼が命を削るようにしてまで戦ったものは何だったのか。 「金子さんのことで一番心に引っかかったのは、一審後にプログラマーの仕事に戻らず、控訴審で争うのを選んだことでした。そこに未来の技術者や日本社会へのメッセージがあるんじゃないか。多くの人にそれを知ってもらいたいと思ったんです。Winny事件は、誰が悪いとかいう単純なものではないと思うんですよ。ITのリテラシーが低かった時代背景、出る杭を打つ社会の同調圧力、刑事司法の問題点…いろいろ組み合わさった事件かなと。20年経った今も変わっていないこと、実はたくさんありますよね。この映画を通じて、金子さんの思いが少しでも受け継がれていけばいいなと思います」 取材・文=松本 卓也(ニッポンドットコム)
作品情報
・監督・脚本:松本 優作 ・出演:東出 昌大 三浦 貴大 皆川 猿時 和田 正人 木竜 麻生 池田 大 金子 大地 阿部 進之介 渋川 清彦 田村 泰二郎 渡辺 いっけい / 吉田 羊 吹越 満 吉岡 秀隆 ・企画: 古橋 智史 and pictures ・プロデューサー:伊藤 主税 藤井 宏二 金山 ・撮影・脚本:岸 建太朗 ・配給:KDDI ナカチカ ・製作年:2023年 ・製作国:日本 ・上映時間:127分 ・全国公開中
【Profile】
松本 優作 MATSUMOTO Yūsaku 1992年生まれ、兵庫県出身。ビジュアルアーツ専門学校大阪に入学し映画制作を始める。19年に自主映画『Noise ノイズ』で長編映画デビューを果たし、多数の海外映画祭に正式招待される。海外メディアからも高く評価され、ニューヨーク、サンフランシスコで劇場公開される。22年『ぜんぶ、ボクのせい』で満を持して商業映画デビューを果たし、本作は多数の国内映画賞にノミネートされ、主演・白鳥晴都が、第47回報知映画賞にて新人賞を受賞、第29回キネコ国際映画祭ではCIFEJ(国際子ども映画連盟)賞を受賞する。その他、短編映画『バグマティ リバー』(22)、『日本製造/メイド・イン・ジャパン』(18)、ドラマ『ああ、ラブホテル~秘密~』(23/WOWOW)、『雪女と蟹を食う』(22/TX)、『神様のえこひいき』(22/Hulu)、『湘南純愛組!』(20/Amazon prime)など多数の作品を手掛ける。長編3作目「Winny」が絶賛公開中。 松本 卓也(ニッポンドットコム) MATSUMOTO Takuya ニッポンドットコム多言語部チーフエディター/編集部スタッフライター。映画とフランス語を担当。1995年から2010年までフランスで過ごす。翻訳会社勤務を経て、在仏日本人向けフリーペーパー「フランス雑波(ざっぱ)」の副編集長、次いで「ボンズ~ル」の編集長を務める。2011年7月よりニッポンドットコム職員に。2022年11月より現職。
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