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「確信犯だよ。スポンサーから金を引き出すために…」登山家・栗城史多が“単独無酸素での七大陸最高峰登頂”という“嘘”をつき続けていたワケ から続く 【写真】この記事の写真を見る(3枚) 「日本人初となる世界七大陸最高峰の単独無酸素登頂に挑戦している」という謳い文句と明るいキャラクターで時代の寵児となり、賞賛を受けた栗城史多氏。一方で、同氏の常識とはかけ離れた登山スタイルが同業者から批判されることも多々あった。彼はなぜ登山界の常識に背いた“単独登頂”を続けたのか。どのような思いで、山に挑み続けていたのか。 ここでは、2020年に第18回開高健ノンフィクション賞を受賞した河野啓氏の著書『 デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場 』(集英社)の一部を抜粋。エベレスト登頂時の様子を綿密な取材によって解き明かしていく。(全2回の2回目/ 前編 を読む) ◆◆◆
まるで大名行列!? 栗城史多さんが登山で率いた「隊」の正体
ギネスにも挑むと宣言した栗城さんのエベレスト初遠征。その壮行会が2009年8月7日、札幌市内のホテルで開かれた。父親の敏雄さんも、たくさんの支援者とともに今金町から駆けつけた。 「札幌国際大学から出た初めての有名人! 栗城史多くんに大きなエールを送ります!」 和田忠久教授が挨拶をした後、大学の後輩たちが「よさこいソーラン」を元気に踊った。北海道内のメディアは全社集まった。 敏雄さんは栗城さん以上に嬉しそうだった。歴「史」に「多」くを残す――その名にふさわしい人物に我が子は近づきつつあった。
いよいよ始まる、世界最高峰への挑戦
8月16日。新千歳空港の出発ロビーは、支援者とメディアで修学旅行以上の人だかりだった。ひときわ大きな声を上げていたのが、栗城さんの心の応援団長、石崎道裕さんである。イベント時の正装「水戸幸門」様の扮装だった。 「フレー! フレー! ク、リ、キ!」 石崎大将の声に和して大音声がロビーに響き渡った。支援者たちは流れるようなフォーメーションで2列になると、向かいの人と手を握り合って、搭乗ゲートに連なる長いアーチを作った。そのアーチの下をくぐった栗城さんは、ゲートから振り返って大きく手を振った。 いよいよ始まる、世界最高峰への挑戦。 私はYahoo!の特設サイトで、毎日栗城さんのブログと動画配信をチェックした。 そして彼の帰国後、提供された映像をつぶさに見て、栗城さんの旅と登山を振り返った。 成田空港でのチェックインの場面から映像は始まる。見送りに来た婚約者のAさんを、栗城さんは同行するスタッフに紹介していた。カトマンズの国際空港に到着すると、ボチボチトレックのティカ社長から歓迎の花輪を首にかけてもらう。スタッフ一同、ミニバスに乗ってオフィスへ。簡単な打ち合わせの後、預けたままにしてある一部の登山用具をチェックすると、ディナーに繰り出す。楽し気なレストランでの様子。夜のホテルでの雑談。そして翌日は全員でカトマンズの寺院を訪れ、「プジャ」と呼ばれる安全祈願……と、これまでの登山とほぼ同じ流れだ。
10人以上のシェルパが栗城さんに押さえられていた
しかし、ここからが違う。マナスルやダウラギリに登ったときは空路だったが、今回は陸路で中華人民共和国チベット自治区に入るのだ。途中、2つの小さな集落に高度順応を兼ねて数泊していた。1つ目はニエラム(3750メートル)、2つ目はシガール(4300メートル)という村だ。シガールでは病院を訪れていた。同行したスタッフが体調を崩して診察を受けたのだ。 シガールを過ぎると、車窓にチョモランマが見えてきた。車が更に高度を上げると、栗城さんは苦しげな表情で腹式呼吸を始めた。やがて車が停まった。栗城さんは地べたにしゃがみこんで「ウー」「アー」とうめき声を上げていた。 標高5200メートルのTBC(チベット・ベースキャンプ)に到着。この先、車は上がれない。テントを立て、この標高での高度順応に入る。数日後、ポーターたちが家畜のヤクの群れを伴って上がって来た。膨大な機材と荷物が振り分けられ、ヤクの背にうずたかく積まれていった。栗城さんはスタッフとともにゴツゴツした岩場を登っていく。チョモランマの雄姿が眼前に迫ってくる。 目的地であるABCは、標高6400メートル地点にある。 「バンザイ!」 先に上がっていた数人のスタッフが、栗城さんの到着に合わせて声を揃えた。これに対して「違うって!」と栗城さんがダメ出しをした。 「まずボクがバンザイを言って、その後、みんな一斉にバンザイするの!」 演出家のこだわりを見せた。 「えっ! 単独なのに、なんでこんなにシェルパ使うの?」 札幌で山岳会を主宰する佐藤信二さんは、ボチボチトレックのオフィスで、ティカ社長に思わずそう尋ねたことがある。エベレストに2002年、51歳のときに登頂した佐藤さんは、今も毎年ヒマラヤに遠征する。ボチボチトレックの得意客だ。 どのシェルパがどこの山に入っているか、オフィスに置かれた名簿などからわかる。実に10人以上のシェルパが栗城さんに押さえられていたことに、佐藤さんは驚愕したのだ。
同行したスタッフは約30人
栗城さんの「単独」は、登山界の常識からかけ離れていた。 ABCに入ってから、栗城さんのブログにはこんな言葉が頻繁に登場するようになる。 「栗城隊」 彼のこれまでのブログにはなかった言葉だ。 しかし映像を見ると、それは確かに「隊」と呼ぶべき陣容だった。 真っ黒に日焼けした頼もしげなシェルパたち、日本語を流暢に話すネパール人通訳、毎日の食事を賄うコックとキッチンスタッフ、そして日本から同行したBCマネージャー(副隊長)、登山の一部始終を記録する撮影と音声および中継のスタッフ─総勢、約30人。栗城さんが高度順応のためにスタッフを引き連れてキャンプ周辺を練り歩く様子は、さながら大名行列である。 マナスルやダウラギリにもシェルパやスタッフは数人いた。私は彼らの存在を番組の中で意図的に見せてきた。栗城さんとシェルパがパソコンを囲んでルートの確認をする様子や、気象データを分析するBCマネージャーの姿に、「山に登るのは一人だが、栗城の登山は多くのスタッフに支えられている」というナレーションをつけた。
単独登山の定義
だが、今回のエベレストの布陣はその比ではない。 真っ白い壁面をたった一人で登る栗城さん……その姿を撮影するために、陰ではたくさんの人間が「隊」を成して支えている。 これを「単独」と呼んでいいのだろうか……。 単独登山とは何か? 結論から言うと、実は明確な定義がない。「単独」の解釈は登山家によってマチマチなのだ。 登山界には「国際山岳連盟(UIAA)」という各国の登山団体が加盟する国際組織がある。しかし、日本ヒマラヤ協会の大内倫文さんによれば、これはたとえばIOC(国際オリンピック委員会)のように「定義」や「ルール」を取り決める組織ではないという。親睦を目的としたサロン的な団体にすぎないのだ。 「単独」が一人で登ることを指すのは当然だとしても、たとえば他の登山隊が山に残したザイルやハシゴにはどう対処したらよいのか? 高名なイギリスの登山家、アリソン・ハーグリーブス氏(1962~1995年)は、自分で張ったロープしか使わないのはもちろんのこと、他の隊から勧められた茶さえも断ったという。登山界では有名なエピソードだ。 ハーグリーブス氏は1995年5月、エベレストに単独無酸素で登頂を果たした。メスナー氏に次いで史上2人目、女性としては初の快挙だったが、「無酸素」は間違いないとしても「単独」と認定するかどうかについて登山界には議論がある。氏が登ったのは春のハイシーズンで、必然的に他の隊が踏み固めた跡を登ることになるからだ。また、彼女が挑戦したチベット側のルートだと頂上の手前250メートルにある難所「セカンド・ステップ」に取り付けられたハシゴを登らずには、山頂にたどり着けないのだ。
登山にも明快な定義と厳格なルールは必要
翻って、栗城さんの登山スタイルはどうか? 初めての海外登山だったマッキンリーで、台湾の登山者から手渡されたスキムミルクを躊躇なく受け取っている。ザイルもハシゴも、そこにあるものは何でも積極的に使った。 2008年のマナスルでは、下山中、外国の隊が残していったテントで夜を明かした。2009年のダウラギリでは、他の隊が深い雪を先にラッセル(雪をかき分けて進むこと)してくれないかと、テントの中からしばらく様子をうかがっている。単独を謳いながら、誰かにルートを作ってほしい、と願っているのだ。 登山は本来、人に見せることを前提としていない。素人が書くのはおこがましいが、山という非日常の世界で繰り広げられる内面的で文学的な営みのようにも感じられる。 しかし明快な定義と厳格なルールは必要だと、私は考える。登山はどのスポーツよりも死に至る確率が高い。そのルールが曖昧というのは、競技者(登山者)の命を守るという観点からも疑問がある。また登山界の外にいる人たちに情報を発信する際に、定義という「基準」がなければ、誰のどんな山行が評価に値するのか皆目わからない。
栗城さんがメディアやスポンサー、講演会の聴衆に「単独無酸素」という言葉を流布できたのは、このような登山界の曖昧さにも一因があったように思う。 登山専門誌『山と渓谷』が、栗城さんについて『「単独・無酸素」を強調するが、実際の登山はその言葉に値しないのではないかと思う』とはっきりと批判的に書くのは、2012年になってからだ。
なかったはずのザイルが
栗城さんが9月9日、標高6400メートルのABCから7000メートルのC1を目指して登る映像を、私は編集用のテープにダビングしながら見つめていた。 栗城さんは登るのに苦労しているようだった。 その様子をABCから望遠鏡で見つめていたのが、副隊長として同行した森下亮太郎さんだった。 「下から見ると懸垂氷河(岩壁にへばりつくように形成された、脆くて崩れやすい氷河)があって、大丈夫かなあ、かなり危ないぞ、って心配しながら見てたんですけど、そこはどうにか自力で登りました」 しかし栗城さんはC1には届かず、標高6750メートル地点に荷物をデポ(体力的な負荷を軽減するため、荷物をルート途中に置いておくこと)してABCに下りてきた。ABCを担当するカメラマンがその姿を撮っている。 私が《オヤ?》と思ったのは、その後に収録されたカットだった。 大きなリュックを背負った2人のシェルパが、山を上がっていく姿が記録されていたのだ。 次のカットは、その2人が下山する場面だった。かなり時間が飛んだようで、上がったときとは空の明るさが全然違う。通訳が出てきて、2人と何か言葉を交わしていた。 私は、この映像の意味するものがさっぱりわからなかった。しかし、しばらくして謎は氷解した。 登山のその後の映像に、真新しいザイルが映っていたからだ。
『単独』ではないことを認める
《シェルパが登ったのはこのためだったのか……》 この年、チベット側のABCに他の登山隊はいなかった。ザイルはあの2人のシェルパが張ったとしか考えられない。栗城隊長が登りやすいように。 他人に張らせたザイルを使って登る……これは明らかに「単独」登山を逸脱しているはずだ。 2019年1月、私は森下さんに9年ぶりに会うことができた。森下さんはこのときの「工作」について話してくれた。 「あのザイルは本来、撮影隊のために張ったんですよ」 ABCからは尾根が邪魔をして、ルート全体は見渡せない。追えるのは標高7000メートルのC1までだ。C1は「ノースコル(コルは鞍部。稜線上にある馬の鞍のように窪んだ場所)」にあった。当初からこのC1まで撮影隊が上がって、その先の栗城さんの登山をカメラに収める計画だったという。 「でも実際、栗城も2回目からはそのザイルを使って登っていますから。『単独』ではないですよ」
栗城さんのエベレスト初挑戦は、NHKも番組にしている。スタッフは同行せず、栗城さんサイドから映像提供を受けた。森下さんはNHKの制作者に「無酸素はいいけど、これは単独とは言えないので、単独という言葉は使うべきではない。使ったら、登山関係者から叩かれる」とはっきり告げたという。 私はNHKのその番組『7サミット 極限への挑戦』(2010年1月4日放送)を見たが、そうだったかなあ、と首をひねった。
NHKの制作担当者にザイルの件を尋ねると…
森下さんはこう語った。 「単独という言葉自体は、他の六大陸の場面でしか使っていないはずですよ。でも番組の流れから、エベレストにも単独無酸素で挑戦しているんだ、って思わせるような作りでした」 私は2019年、NHKに取材を申し込んだ。質問は多岐にわたるが、1つはこの番組の中でエベレスト登山を「単独」と表現したか否かについての確認である。また、シェルパがザイルを張ったことについて、制作担当者が認識していたかどうかを尋ねた。しかし「お答えできない」との回答だった。 2012年のエベレスト挑戦を描いた同局の番組『ノーリミット 終わらない挑戦』(12月23日放送)では、「単独無酸素」という言葉は使われていない。栗城さんのことを「自分で自分を撮影しながら世界の山々を登る、ちょっと変わった登山家」とナレーションで語っていた。 『7サミット 極限への挑戦』の3週間後に放送される番組を作った私は、「ザイル事件」に強い疑念を抱きながらも、はっきりと「単独無酸素」と表現した。エベレスト「1サミット」に特化した内容だったことを、栗城さんはとても喜んでいた、と人づてに聞いた。
「それは、言っちゃいけないことになっているので……」
ザイルの意味や森下さんの思いを知っていれば、まったく別の番組になっていたかもしれない。 私は森下さんを、栗城さんと同じスタンスの人だと誤解していた。と言うのも、私が見た映像の中にこんな場面があったのだ。 ABCのテントの中でカメラマンが森下さんに何かを尋ねた。その質問は小声で聞き取れなかったのだが、森下さんの声は明瞭だった。 「それは、言っちゃいけないことになっているので……」と、森下さんは苦笑したのだ。 ザイル事件の後だったので、私は「栗城隊」の中には何か口外できない秘密があるのだな……と勘ぐった。九年の歳月を経て、ようやくその言葉の意味がわかった。 「ボクがそう言ったとしたら、たぶん『ルートとかのアドバイスはしないんですか?』って聞かれたんだと思います。『それをしたら単独登山ではなくなるから言っちゃいけない』と答えたんじゃないかな。単独である限り、たとえば塊岩を上から行くか下から行くか、そういうことにも口出しすべきではないと思うし。天候の予測とか、聞かれたことだけを淡々と伝えるのが、ボクの仕事だと思っていたので」 ボクがもし口出しをするとしたら、と森下さんは言った。 「このまま行ったら死ぬな、という場合だけです」
河野 啓/Webオリジナル(外部転載)
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