Source:https://news.yahoo.co.jp/articles/d088d705c9ba6f1597eb508fb9256d55a600d218
国連の難民支援機関の活動を支える日本の公式支援窓口「国連UNHCR協会」によると、2021年に”難民”と呼ばれる人々は約2710万人にも上っています。一方で、作家・曽野綾子さんは、ボランティア組織を通じ、そうした難民の支援を精力的に行ってきました。その曽野さん、活動の中で「100%支援という援助の方式に、深い疑問を感じるようになった」そうで――。 【写真】取材に応じる60代のころの曽野さん * * * * * * * ◆難民という資格に居座る人々 いつの頃からかはっきり年代を示すことが私にはできないのだが、世界には難民(なんみん)と呼ばれる人々が発生するようになり、それからしばらくして、難民救済(きゅうさい)の世界的組織ができるようになると、その組織からの救済を当てにして暮らす人々が存在するようになった。 たとえばネパールの東部で国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の経営する難民キャンプには、二軒長屋の住居一棟に対して一個ずつのトイレが設備されていた。 住まいは日本人から見るとほんとうの掘っ立て小屋だが、この衛生設備だけでも画期的なものなのである。 その他、決まった曜日に、炊事用の灯油や、粉や砂糖などの基本的な食料の配給もある。医療は多くの場合、登録された難民は無料である。 そこで利にさとい人間の共通の選択として、難民という資格に居座る人々が出るようになった。私が秘(ひそ)かに名付けている「難民業」という新たな「業」と「資格」の発生である。
◆どういうふうに自分の心をまとめたらいいのかわからない ネパールでも、ある難民キャンプでは、周囲の一般の人々の暮らしより難民キャンプの方が保護されていて生活が楽だということになった。この比較が嫉妬(しっと)を生むようになった。 もうずっと昔の話だが、レバノンのパレスチナ難民キャンプでは、一家十人が一間で雑魚寝(ざこね)するような掘っ立て小屋から、朝になると剃刀(かみそり)の刃のようにきちっとズボンをプレスした青年が、キャンプ外へ働きに出る姿もあった。 ある難民はカットグラスのコレクションを持っていて、私を驚かせた。 私はどういうふうに自分の心をまとめたらいいのか、わからない。もちろん難民たちは、疲労や飢餓、病気やけが、地雷を踏むなどの理由で死亡するケースが、穏やかな生活を許されている私たちより、はるかに多いであろう。 私が働いている小さなボランティア・グループも、コソボの問題が膠着(こうちゃく)しそうになった四月初め、素早く国連難民高等弁務官事務所に1000万円を送った。 大量の難民が発生した場合には、送金は早ければ早いほど効果を発揮する、と思われたからだ。そして私自身、寒さにも弱ければ、長い距離を歩けるとも思えず、飢えに襲われたらすぐ取り乱すことを知っている。 家を破壊され郷里を追われた人々のことを考えると、自分がなぜそのような不運に遭(あ)わないで済んでいるか、申しわけないような気さえするからである。
◆100%支援という援助の方式への疑問 しかしそれにもかかわらず、私は最近、100%支援という援助の方式に、深い疑問を感じるようになった。 結論から言うと、たとえば10%であれ、自分で何とかします、後の90%が足りないので、何とか助けてください、という所以外は、援助のお金は出すべきではない、と考えるようになったのである。 先日、私はモンゴルへ行き、ウランバートルで孤児院を訪問した。柳絮(りゅうじょ)の季節であった。雪のように白い柳絮がひときわ吹き溜まりになっている建物が、孤児院だった。 ウランバートルには冬季零下30度にもなる寒さを避けて、マンホールの中で暮らすストリート・チルドレンが3000人もいるというが、孤児院には140人の孤児たちが収容されていた。 両親の死亡した子がほとんどで、片親が病気とかアルコール依存症とかで子供を育てられないようなケースは18例だけである。
◆政府は何をしているのだ そこで経営上の話を聞いた。 学校側は1990年以来、国からの支援は全くなくなったことを強調する。運営費には約300万円かかるのだが、このうち120万円ほどしか手当てができない。食費に約48万円を借り入れ、被服費に60万円がかかる。 「古いシャツやセーターなどをくれる人はいないのですか。私の卒業した学校では、赤ちゃんの古着など、皆同級生が回して着せて育てるのですが」と私が言うと、モンゴルにはそういう習慣はないから、くれる人がいない、と言う。 「何より困るのは、発電所で沸かしているお湯を市内に配る集中給湯暖房設備があるのだが、孤児院の配管がだめになっているので、お湯をもらえない。今年の寒さも相当のものだった。来年は生きて冬を過ごせるかどうかだと思う。しかし今日ここに日本人が来たというのは、何かの縁だろう。もしかすると日本人が配管を取り換えてくれるかもしれない、ということを期待している」という言い方である。 可哀相な孤児たちが凍えそうな思いをしているというのに、政府は何をしているのだ。給湯設備の取り換えは、日本円で計算してみると約40万円ほどだった。誰だって出してあげたい、出してあげられる、と思うだろう。 しかしそれをやっていたら、政府は自国民の不幸な人たちは、どうしても自国の責任において救わねばならない、それが国家の使命なのだ、と思わなくなる。
◆自立心をうながすのも援助の仕事 私の働いているボランティア組織では、できれば途上国の事業計画にかかる費用の51%は申請者が出すことを原則として考えている。もちろんそんな理想的ケースは多くないのだが、それが自助努力(じじょどりょく)というものだ。 助ける私たちの方でも、残りの49%を支援するのだから「うちがあそこの暖房、全部なおしてあげたの」などと思い上がることなく、謙虚な気持ちを持ち続けられる。 モンゴルにも同情すべき点は多い。まず人口(231万人)が少ない。牧畜という国内主要産業は、個人の収入を把握しにくい。従って課税がうまくいかない。 しかしこれからは、全額援助といった形態だけは、どこの国に対してもやめるべきだろう。 別に申請者が51%、援助する側が49%という比率に固執する必要はないが、自らを助けようという意思のない相手は、お金を出せば出すほど、依頼心が強くなる。政府は怠ける。 出さないことは辛(つら)いが、私たちはその国の自立を考えるために、悲しみを持って理性に殉ずべき時に来ていると思う。 ※本稿は、『幸福は絶望とともにある。』(ポプラ社)の一部を再編集したものです。
曽野綾子
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